【第二十八話】帝都復興
<第四章> 中原の鼓動
195年 初秋 洛陽
許昌遷都が決定したのち、献帝一行は洛陽を後にした。
その中で、司隷校尉に任命された孫堅は、荒廃した洛陽に残り、都の再建と治安維持の責任を担うこととなった。
献帝との連絡役および許昌の統治には、荀攸と陳羣が任命され、孫堅の側近として働いてきた二人が、新たな要所での橋渡しを担うこととなる。
献帝の出立を控えた荀攸に、孫堅は洛陽統治の助言を求めた。
「洛陽再建の道、我が手には余るものもあろう。荀攸よ、誰か補佐を推薦してはくれぬか」
荀攸は深く頷き、一人の名を挙げた。
「鐘繇殿が適任かと。彼は献帝の東遷に随行してきた清廉なる文士。政に明るく、漢室への忠義も厚い士にございます」
孫堅は、荀攸と共に鐘繇を訪ね、
「洛陽復興の大義、共に果たしてもらえぬか」
孫堅の真摯な願いに、鐘繇は静かに頭を垂れた。
「漢室を輔けるのが我が志。お力添えさせていただきます」
こうして鐘繇が幕下に加わり、孫堅の洛陽再建への道が始まった。
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献帝一行が許昌へと旅立ったのち、孫堅は鐘繇と共に本格的な復興事業を始動させた。
まず鐘繇が推挙したのは、司馬八達の俊英、司馬朗。
「彼は統治に長け、民政への洞察も深い人物です」
孫堅はこれを快諾し、司馬朗を洛陽復興の実務責任者として迎え入れる。
さらに人材登用の令を布告し、若き俊才たちが続々と集った。
その中には、法正、孟達、賈逵、毌丘興といった後の名将・名臣たちの姿があった。
法正は鐘繇のもとで政務を学び、賈逵と毌丘興は文官として司馬朗の補佐とした。 孟達は孫堅の直轄軍に所属し、将来の指揮官候補として修練していくこととなった。
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冬の初め、孫堅と鐘繇は数名の供とともに弘農へ赴き、段煨将軍と面会した。
「都の防衛と李傕討伐のため、協力を願いたい」
孫堅の申し出に段煨は快く同意。
「漢室のためならば」と、連携を約した。
朱治を大将、孫河を副将とした防衛軍を配備し、弘農における対李傕への対抗力を強化、戦線の安定を図った。
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年末、洛陽へ戻った孫堅を司馬朗が出迎える。
「司隷校尉殿、荀攸殿より書状をお預かりしています」
孫堅は旅塵を落とす間もなく、書状に目を通すのだった。




