第二百二十二話
フロストが手元の手紙に視線を落としても、イーリアの筆致から感情はうかがえない。
けれど実父に対しなにも思っていない、なんてことはあろうはずがない。
それにわざわざコールがフロストのもとに手紙を運んできたのは、これこそが本当の目的のはずだった。
帝国中枢の貴族社会を覗き見るには、相応の伝手と身分が必要となる。
しかしそれだけは、あのジレーヌにもない。
だからフロストに命令し、属州の人間など人間とも思っていない連中の輪に飛び込み、おそらくは高位貴族の家の醜聞を調べてこいというのだ。
ジレーヌの者たちが、コールにこの手紙を運ばせたのは、ある意味でコールへの褒美だったのかもしれない、とフロストは思った。
実家を恨んでいるはずのコールが、厳しい要求を実家に突きつけて、留飲を下げられるようにと。
「確認なのだが、これは……領主イーリアが望まれてのことなのか?」
獣人の血を引く落とし子であり、おそらくは厄介払いされて、あの島にいるはずだ。
領主として名を挙げられたから、それを実家に報告して存在を認めてもらう、というよくある落胤の物語ならば、それでいい。
けれど、秘密裏に、という文言がある。
捨てられた娘が、父からの失われた家族愛を取り戻そうという、健気な話ではあるまい。
考えられるのは、復讐。
あるいは、家督の奪取。
いずれにせよ、ろくなことではあるまい。
その露払いを、州都ロランのバックス家当代当主にやらせようというのだ。
「イーリアさん……イーリア様は、大変困惑されていました」
コールはため息とともにそう言って、フロストを見た。
そこにあるのは、復讐者ではなく、同じ問題を共有しようとする仲間の目であった。
「けれど、結局は同意されました。これからのことに必要であると、説得されて」
誰もが恐れるイーリアを説得させられるとしたら、一人しかいない。
「なので、兄上には大変申し上げにくいのですが、情報収集には慎重を期されたい。イーリア様からの紹介状のようなものはありませんし、頼れる伝手も一切ありません。手掛かりはイーリア様の知る家名のみで、それが本当の血縁かも確証はないと」
「大宰相殿はなぜこんなことを?」
魔石鉱山にて蘇った、いわゆる鉱山帰りの、異界の知識を持つ人物。
ジレーヌ領の発展のほとんどは、彼の力によるものだという。
コールは、冷たく微笑んだ。
「私は確かに彼の妄想を耳にしましたが、理解できませんでした。僕だけでなく、他の面々も同じように呆気に取られていました。ですから、説明できません。彼の語った言葉を繰り返すことはできますが……」
あまりに深いところから出た本音のせいか、コールの口調が随分柔らかかかった。
「ですが、彼の判断はいつも正しかったですから」
その一言は、危険な兆候になったかもしれない。
優秀過ぎる指導者を妄信するしかなく、誰も口を挟めなくなっている時に、そんな言葉が出るから。
ジレーヌの船は思ったよりも泥船なのか?
フロストは一瞬だけ、そう考えた。
しかし、だ。
コールの顔は、苦笑いだった。
それはいうならば、友達の馬鹿騒ぎにもう少しだけ付き合おうというような、そんなものに見えた。
フロストは、自分の腹が本当に決まったのはこの瞬間だと、後になって思った。
コールの様子を見て、わかったのだ。
ジレーヌ領が、どんな雰囲気に満ちたところなのかと。
そしてそれは、今のロランには、いや長らくこの地には欠片もないものだった。
「私も」
「?」
「私も、ロランを変えねばな」
長い平和は、人々の気を緩め、様々な澱を積もらせた。
歪み、劣化し、異質になり果てたものも多い。
三家が力を合わせて民を束ね、帝国と長きに渡って戦い抜いたロランの姿は、今はない。
ロランの半壊したままの宮殿が、ロランの今の真の姿だ。
かつて子供だったフロストが、年代記を読んで心躍らせた古都ロラン。
その姿を取り戻す、好機なのかもしれない。
指導者同士でいがみ合い、権力を奪い合うのではなく、どんな苦杯が用意されたとしてもそれが必要とあらばみんなで飲み干し、一致団結できるような。
ただ、そんなフロストも、やはり気になった。
「……次から次におかしなことを考える大宰相殿というのは、一体どんな人物なのだ?」
そしてコールが見せたのは、こちらが聞きたいと言わんばかりの、半笑いなのだった。




