狂人とろくでなし
『その声を聞いてはならない、その姿を見てはならない、その名を呼んではならない、その名を読んではならない、彼の話を訊いてはならない、彼の話をしてはならない。』
――ネアル・バーキントス
「恋人に振られたのか?」
「恋人にすらなれなかったから、自棄酒を飲んでるんだよ」
「ああ、それは誰しも経験するところだよ。 それで一人で飲んでいるのか?」
優しそうな男が微笑みながら、隣の席に座った。
僕は彼に向かって、怒りをぶつける。
「さっきまで仕事仲間がいたんだけどね、いつのまにか消えてた。 黙っていなくなりやがって」
「それは薄情なことだな」
「3軒目まではいたんだけど、この店につく前にトンズラしやがったんだよ。 僕なんかろくにお金も持ってないのに」
「……訂正しよう、なかなか義理に厚い人物だね」
「僕のどこが悪いって言うんだ! 働く場所がないだけなのに!」
「自分の才能を活かせる場所に恵まれるってなかなか難しいからね」
「そうなんだよ、こんなはずじゃなかったんだよ僕の人生」
「それは奇遇だな、私も自分の人生を後悔しているよ」
「お、それはめでたい」
「めでたい?」
「そうだよ、僕らはいわば仲間なわけだ。 一緒に酒を飲んだり、おごったりする理由になるじゃないか!」
「あはは、そんなに信用していいのかい? 初対面なのに」
「僕にとられるものなんて特にないからね、財産はないよ。 ツケはあるけどね」
そう笑いながら、僕はさらに酒をあおった。
もうなにもこの時は怖いものなんてないと思っていた。
*
僕はゆっくりと瞼をひらいた。
「……夢だったのか」
いや、ただの夢じゃないように思う。もしかして昨日の出来事だったのだろうか。
忘れていたはずの記憶を思い出したが、ろくな振る舞いをしていなかったようなので思い出さなくてよかった。
目を向ければ、赤く染まった日差しが窓から入っている。
飾り気のない黄ばんだ白いカーテンがなびいた。風が額を撫でる。
「目を覚ましたんですね」
ミニス嬢が僕の顔を覗き込む。
まず僕は状況を把握するために、周囲に目を走らせた。やはり、どうやら目的地だった隠れ家に間違いないようだ。
追手に捕まって監禁されている可能性も一瞬考えたが、そうではなさそうでなにより。
身体に特に異常はない、少し頭痛がする程度だ。自分の服装がさっきと違うこと気になるが、覚えていないだけで着替えたのだろうか。
「意識のほうは鮮明でしょうか? 体に違和感などは?」
「頭痛がするくらいだよ、いったいなにがあったのかな。 あまり覚えていないんだ」
「ヴァンさまはいきなり気を失われましたの。 途中からは、わたくしの声も聞こえていないようでしたわ」
「途中って?」
「逃げ出している最中ですわ、大きな通りに出る直前でした」
なんとなく状況は把握できてきた。
僕はあの『終末の住人』とやらから逃げる途中で倒れてしまったらしい。
「あの場所からここまでミニス嬢が?」
隠れ家の場所を知っているとも思えないし、曲がりなりにも男である僕を女性が抱えて動けるとは思えないけれど。
「違いますわ、立ち往生してしまった時に助けに来てくださった方がいたのです」
「我だ」
片腕に買い物袋を抱え、長身で細見の男が部屋の中へ入ってくる。もう片腕で腰に差した刀を撫でまわしていた。
そのひょろ長い一見ひ弱そうな体格とは裏腹に、いつでも人を斬り殺しかねない剣呑な表情をしている。
僕はそれを見て、納得した。
「間に合ったんだな」
この人物こそが僕が呼んだ用心棒。ヤマ国から流れてきた剣客、イサキである。
だが、こちらのほうが通りが早い。
この街では、『狂った刃』と呼ばれるほどに有名人なのだ。
狂人と呼ばれるような危険人物ではあるが、味方としてここまで心強い人間はいない。刀一本で怪物を狩る凄腕のハンターなのだ。
町の外に出れば、いつ怪物と遭遇するか誰も保証はしてくれない。個人や集落では怪物を狩るハンターや傭兵部隊、警備会社は必ず入用となる。
その中でもイサキはかなり優秀な技量をもっている。この街でイサキの名を知らない者は、怪物に関わらなくていい世界に生きる人間か、この地の情報に疎いモグリだ。
唯一の問題点は、彼の気に障ったら、背後から即座に斬り捨てられる可能性があること。根本的に価値観が理解不能と言うわずかにして致命的な点のみである。
話してみればかなり温和なのだが、どこに琴線があるかまったくわからない。彼が刀を抜いた時の心の動きが、全く読めないことが多々ある。
そのため、イサキとともに行動する人間は片手で数えられるほどだ。賢明な人間は誰も彼に近づかない。一度だけではあるが、僕が引き合わせた依頼人を一目見た途端に斬ったことすらある。
一時的にイサキは警察局に拘束される騒ぎになったが、彼はまったく抵抗しなかった。そして半日で釈放、その依頼人が変装した賞金首だったためだ。
全てを見抜いた上なのか、はたまた偶然なのか。その賞金首も罪歴を改めれば、かなり人間性が壊れているような凶悪犯だったらしいが、イサキとは格が違ったということだろうか。警察局がなぜイサキを野放しにしているのかは不明ではある。
さて、なぜ僕が平然とそんなイサキと付き合えているのか。
単純に公園のベンチで酔いつぶれていた時に、介抱してもらったのがきっかけだからに他ならない。狂人イサキに介錯される人はいても、介抱される人間なんてなかなかないだろう。数少ない自慢である。
彼と知り合ってから、なおさら依頼が来なくなったけどな。
依頼主を証拠もなく殺害する用心棒と引き合わせる人間が、どうして贔屓されるだろうか。今回はそんなことが起こらなくて非常に幸いである。
それはさておいて、僕は彼に礼をのべることにする。
「もう駄目かと思っていたよ、イサキ。 ……助かった」
「確かにお前はもう駄目だ」
「え?」
「我がお前を発見した時、鼻から血を垂れ流し、口からは涎れを、下半身からは尿を垂れるような様子でひどく哀れな姿だった」
「僕、失禁してたのかよ」
それは聞きたくなかった。
どおりで着替えまで済ませているわけだ。
「ちなみに着替えさせたのは我だ」
「何から何までごめんなさい」
その状況でよく背負う気になったものだ。僕がそんな惨状のイサキを見つけたとしても、絶対に背負って歩く気にはならない。イサキの体が小さくて運びやすかったとしても、無理だ。
以前、イサキになぜ僕を斬らないのか訊いたことがある。
ゴミ虫を眺めるような目で「お前のような男を斬ってどうする? やはり頭の病なのか?」と逆に訊ね返された。
それ以来、そのことについては疑問に思わないようにしている。
にしても僕は、そんなひどい醜態を女の子の前でさらしていたのか。
イサキはそんな僕の考えを見透かしたのか、口を開く。
「お前が女の前で醜態をさらすのはいつものことだ」
「……ええ、まあ、そうだけど」
「そして、駄目なのは以前からだ。 落ち込むには遅すぎる、手遅れだ」
何も言い返せなかった。
ミニス嬢が不思議そうに僕らを見る。
「お仕事の仲間といっても、マイルズさまとはまた違った間柄ですのね。 ヴァンさまのお知り合いはなんだか不思議な方ばかりですわ」
「不思議な方といえば聞こえはいいけどね」
「なんだか不本意そうですわ」
「不本意も不本意さ、でも残念ながら僕と組んでくれる人間も滅多にいなくてね」
僕は自慢にもならないことを自慢げに言った。
イサキはその言葉に興味なさそうにあくびをしていた。
「イサキはどこまで事情を知っている?」
「お前からろくに説明されずに呼び出されたからな、ある程度はそこの女子から聞いている」
「この通り、わりと最悪の状況だよ」
「相変わらず、厄介ごとを呼び寄せているようでなによりだ」
イサキの口が薄く三日月を形作った。声も立てずに笑う。
僕のほうに紙袋をほうり投げる。
「まずはこれで腹ごしらえでもしろ」
中身は揚げパンやら果物やらが詰めあわされていた。
僕はため息をつく。
「まさか買い出しに行ったのか?」
「そうだ」
「こんな危険な状況で? 見つかったらどうする?」
「真昼間に失禁した男を背負う姿はさぞや目立っただろうな、それも女連れだ。 それでいつまで隠し通せると思っている? 我はここいらで名と顔が売れている人間なうえ、お前自身は敵に顔を直接見られてすらいる」
イサキは僕の質問にまったく答えてはいないが、確かにそれは当然の指摘ではある。しかし納得したくない。
なるべく目をそらしたい事実ばかりだからだ。可能ならなかったことにしたい。
「我を同行させる時点で目立つことは想定しているものだと思ったがな、さらに言わせてもらえばそこの女子の格好だ。 お前らわざと目立とうとしているのだろう?」
「わたくしですか? わりと地味な色合いのものを着てきたのですけれど」
「その服が上等なものなのはすぐわかる、特に女と貧民層の者はすぐに見抜くぞ。 もっとぼろぼろの薄汚い服を着、顔も汚せ。 髪も本当に目立ちたくないのならカツラで隠せばいい、敵と遭遇した後ならなおさら着替えるべきだな」
そこまで言って、イサキは再び笑う。眼だけがギラギラと輝いていた。
ミニス嬢はそれに返答せずに目をぱちくりとさせている。
イサキはつまらぬものを見るような目を僕らに向けた後、髪をかき上げた。
「確かに、斬る相手に不足しないのはとても良いことだ。 相手がただの人間なのが残念ではある」
「それは申し訳なかったね、人間以外を用意すればよかったの?」
「世の中には二通りの人間がいる」
「斬ってもよい人間と、斬ってはならない人間だろう?」
こいつの脳みそはたぶんこんな思考回路に違いない。
しかし、イサキはそれをあっさり否定した。
「違う。 斬りがいのある人間と、試し斬りの価値すらない人間だ」
より一層残念な脳の作りだった。
「その『終末の住人』とやらが追手ならば幾分か面白かったのだがな、聞いた限りでは偶然遭遇しただけではないか」
「アレは斬れる様な存在じゃないよ」
「常人に斬れぬものを斬るから『狩り手』を名乗るのだ」
「剣が通じなかったらどうする?」
「さらに研鑽を重ねるのみだ、良い目標が出来る」
会話が成立している気がしない。
追手を斬れなかったら、そこで人生が終わるだろうに。
「それでひとまずはどうするのだ?」
「この隠れ家にも備え付けの思念機はあるからね、近いうちにマイルズから専用回線で連絡が来るだろう」
ミニス嬢がぱちんと音を立てて、両手を合わせた。
「でしたら、わたくしの家と連絡が取れるかもしれません」
「使えるかはまったくわからないけれどね」
正直、専門じゃないのでまったくわからない。
思念機なんてどんな理屈で動いてるんだか、さっぱりだ。思念波を音声変換するなんて意味がわからない。
世の中の大半のものは、理屈がわからなくても使えるのでなにも困らない。
結局、ミニス嬢が機材を触っても連絡が取れないことがわかった。
やはり、マイルズだけがこの件に関しては便りの綱だということを再認識したのだった。
彼が無事かどうかは、未だわからない。




