ヴァン・ランドルグという探偵
「君、起きたまえ。 こんなところで寝たらだめだよ」
ふと、優しげな声に目を覚ます。
……今までなにかとんでもない夢を見ていたような。
「大丈夫かい?」
隣に座るスーツを着た男が心配そうに問いかけてきた。
見渡すと、そこは見覚えのあるバーだった。
そうだ、今はこの男と飲もうとしてたんだっけ。
「問題ないよ。 疲れがたまってるのかもしれないが、だからこそ酒が必要なんだ」
「君はずいぶんアルコールに対して信仰が厚いようだね」
「酒は嘘をつかないからね、だからこうして布教活動をしてる。 この世で一番、幸せになれる宗教だよ」
「飲んでいる本人はそうだろうね」
男は僕の物言いに苦笑する。
まるで、飲んでいる本人以外が不幸になるみたいじゃないか。
「そういえば、仕事がないと言ったけど君はどんなことが出来るのかね」
「おや、聞きたいのかい?」
すこし勿体ぶってみる。
「もちろんだ。 君はとても愉快なセンスを持っているように見えるね、その秘密が知りたいくらいさ」
そこから僕はおだてられているのか馬鹿にされているのか、とにかく調子のいいことばかり言われた。そして、気づけばついつい自慢げに今までどんな仕事をしてきたか、どんな技術を持っているのかをどんどん話してやっていた。
そいつがあまりに楽しそうに聞くものだから、口が止まらない。
おごられた酒が美味かったのもあるし、タイミングのいい相槌を打つような聞き上手だったから、上機嫌で話さなくていいことまで話してしまった。
それでもかっこ悪いことは言えなかったので、かなり盛大に話を大きくした。酒の席だ、それくらい許されるだろう。
どれくらい話したのか、僕も話すことがなくなった頃、彼は静けさを嫌うように聞いてきた。
「君は煙草を喫うのかい?」
僕は胸を張って言った。
「いや、喫わないね。 アレはこの世の中に不要なものだよ、喫っている人間の気がしれない」
周囲の客たちから強い視線を感じるも、僕は完全に無視をした。酔っていてもわかるくらいに睨まれている。
それでも僕は前言を撤回しない。
「それは珍しいね、最近では女性でも喫煙するだろう? ちょいと向かいに喫煙バーなんてあるじゃないか」
「……ああ、そういうのもあったね。 なじみはないけど」
自分でもわかる、今の僕は顔をしかめているだろうな、と。
母国が喫煙を禁止しているので、なおさら忌避感が強いのかもしれない。煙草自体が周りになかったのだ。未だにその行為が間違っているという価値観が僕の中で根付いている。
ならず者によって、煙草の密売が母国で行われてもいるのだが、文化に馴染まないせいかほとんど広まらない。
もちろん、あの気色悪いグールジャーキーも違法である。あれこそ食べる人間の気がしれない。
「へえ、コーヒーは飲むのかい?」
「あんまり飲まないかなあ」
これも母国になかった。
嫌いではないけど、あまりなじみがない。
「どちらかと言えば、お茶のほうが飲むよ」
「ああ、私もだよ。 残念ながら、この辺りじゃあまりいいお茶がないね」
「そうだね、しかも割高だし。 うちの国だとお茶を飲まない家はなかったんだよ、しかもそれぞれの家で味が違うんだ」
「それは楽しそうだ、是非行ってみたいね」
お酒を飲みながら、我ながら何の話をしているんだろう。あまり実家の話は好きじゃない。
もっと楽しい話すればいいと思うのだけど、なにも思いつかない。頭にあるのは仕事の愚痴とジェシカのことくらいだ。
「ところで、もし失礼でなければ聞きたいのだけどね」
「ん~…、なんでもと言うわけにはいかないけど、なに?」
「なぜ、君はこんな街に?」
そう聞かれた瞬間、僕は酒を飲む手を止めた。
「戦後の混乱も激しく、いろいろな国の人間の出入りも多いせいで治安が悪いだろう? マフィアだっている」
彼がマフィアと言った瞬間に、また周囲から強い視線を感じた。なにかわけありなんだろうか。
気づいているのか気づいていないのか、彼は言葉を続ける。
「とは言えだ、この街はこれからまだまだ発展するし、なにより竜の学院の庇護がある。 一旗挙げるにはいいのかもしれない」
「まあ、ね」
「それでも私個人の印象だが、ここは君には似合わないように思う。 君自身混沌とした危険な場所より、退屈でも秩序のある場所に馴染むんじゃないか?」
それは否定しない。
でも、これ以上先を説明するのは僕自身の生き方に関わることでもある。普段ならこれ以上話さないだろう。
ただなぜか僕は、彼のその誠実そうな雰囲気と物言いにどこか懐かしさを感じた。
「実は、僕は竜の学院でも落ちこぼれでね」
酒で舌を湿らせた途端、僕の口はかろやかに回る。
「努力したんだ、真面目に勉強したけどついていけなかったんだよ。 順調な時期もあったけど、資格もまともにとれなかった」
竜の学院でも、管轄する学び舎は複数ある。
その学び舎の選択は自由だが主にその目的は、与えられた課題や試験を突破し、最終的には卒業に値すると認められること。
それと資格を取得する条件をいかに在籍中にクリアするか、と言うことになる。ただ在籍するだけではだめなのだ。
ただ授業を受けるだけでは卒業なんてできない、自ら目的とする資格を取るために訓練を積み、日ごろから成果を出し続けなければならない。
どんな学部でも、竜の学院卒業の名を背負うためには、並大抵の苦労や努力では見合わないのだ。
「元々勉強は得意じゃなかったさ、ただ兄二人が優秀でね。 これでも子供の頃は地元の塾でも、優等生だったんだけど学院はレベルが違った」
「それで?」
「知っているかはわからないけど、竜の学院じゃ何年も在籍して資格をとる。 だから親も長い目で見てくれてはいたけど、落ち目の僕は家族からどんどんひどい目で見られるようになったね。 学院に行ったことがない、学に劣等感のある父親が一番僕を責めたよ」
「自分と君を重ね合わせていたのかな」
「たぶんね。 それでね、僕には当時学院に恋人がいたんだよ。 一歳年下でね、教授に怒られているところをかばったのがきっかけだったんだ、そのまま食事に連れて行って慰めた」
「ほう?」
「それで調停人の資格取得の勉強を見てあげるようになった。 自分でもよくわからないけど、教える方の才能はあったらしい」
「それでは、彼女の方は資格を順調にとれたわけだね」
「そうさ、そのあとに僕は落ちこぼれたんだ。 もちろん、すぐに捨てられた。 彼女は僕の兄に嫁いだよ、僕を振る一か月前からの付き合いだったらしい」
「……そのことをお兄さんは知っているのかい?」
「僕らが付き合っていたことも知らないね、知っても何も言わないかもしれないが」
ますます学力が落ち込み、そのまま耐えきれなかった僕は逃げ出した。
いる場所さえなかった。
「ここには同じように調停人の資格を取ったものの、学院を退学した友人を頼りにこの街に来たんだ」
「友人がこの街に? だから、学院からわざわざここまで?」
「そうだよ。 年は上だったけどね、いい友人だった。 とても真面目で融通の利かない奴ではあったけど、いい奴だった」
「でも、いきなり来られてその友人も困ったんじゃないか?」
「『ぜひ来てくれ』ってソイツがいなくなる時に言ったのさ。 『調停人』の資格を持つ人間が他にも欲しかったらしくてね、誘われてずいぶん遅れてだけど来たんだ」
「なるほどね、行く場所のない君にとっては渡りに船だったわけだ。 それで、結局そこでは働けなかったのかい?」
「ああ、僕が来る少し前に友人は脱税で捕まってたよ、アイツがそんなことするわけないのにな」
あんなに正義感の強いアイツが罪を犯すようなことするわけがない。
罪に問われたアイツは、莫大な金額を背負されて刑務所に服役している。
男は僕を気の毒そうに見た、どこか悲しそうだった。ただ僕にとってはもう終わったことだったから、今更何かを思うということはなかった。
もちろん『もう終わったことだ』と割り切らなければやっていけない部分もあった。友人がそんな目にあったことや、誰かが彼を嵌めたかもしれないこと。
そんなことを考えながら生きていけるほど強くなかった。
「君がここに留まる理由はないんじゃないか?」
「元々行く場所がない、自分のことを誰も知らない土地のほうが楽なんだ。 ここには母国の面影なんかない、それが助かる」
辺境の地に行く度胸もないし、そこで暮らしてみたいと思うこともない。そんな僕は情けない男でもあった。
「それにさ、ここで頑張ってればその誘ってくれた友人と、一緒に働けるかもしれないじゃないか」
それが僕にとっての唯一の楽しみだ。そうなったらいいな、という小さな希望。
ここで暮らす人々は誰も僕に共感しないけど、それが僕の望みだった。
「……そういえば、君は仕事が欲しかったんだったかな?」
「そうだよ、仕事さえあればジェシカも僕に振り向いてくれるかもしれないからね」
「合格だよ、何かあれば君に仕事をお願いするかもしれない」
「あ、本当? ラッキー……、まあ期待しないでおくよ」
僕はへらへらと笑った、自然とにやついて顔にしまりがなくなる。
所詮は口約束だ、前も同じようなことを言われて破られたことは何度もある。ましてや酒の席だ、何も信用なんかできない。
それでも今夜はもう上機嫌だった。
「ん、もう行くのか?」
ゆっくりと男が立ち上がるのを見て、僕は引き留めたい気持ちもあって声をかけた。
「ああ、すまないね。 お詫びにここの酒代は私が持つようにしよう」
「それはありがたいなぁ」
優しげ男は、似たような格好をしていた人物からコートを受け取り、スーツの上から羽織る。ああ、連れと一緒にこの店に来ていたのか。
さっきは気付かなかったが、そのコートの胸には立派な階級章のようなものが付いていて、すこし驚いた。
「あれ? もしかして軍人なの?」
「まあ、似たようなものかな」
「ふうん、そうなんだ」
「それではまた会おう、ヴァン・ランドルグ」
「うん、また会おう。 ええと……」
僕が彼の名前を思い出そうとしているうちに、その男は連れと共に颯爽と出て行ってしまった。後を追うようにして、どんどん強面の男たちが店を去っていく。
一気に店は人気がなくなってがらんとしてしまった。静かに飲めるし、まあいいか。
結局、最後まで彼の名前は思い出せなかった。
いつ自分が名乗ったのかも覚えていない。




