ご令嬢は夢見る乙女
『彼らを絶対に知ってはならない。
この本を閉じよ、無知にして賢明なる者よ。
君が彼らを知るとき、彼らは君をその双眸で捉える。』
――ネアル・バーキントス
思念波通信における思念波中継点のための施設、思念波中継塔。通称『思念塔』。
中継地点となる塔も発信源となる塔も、僕のような素人には区別しがたいものだから一律同じように呼ばれている。
思念波の強さには個人差があり、あまりに微弱な人間は思念機でも思念を読み取れないそうだが、それはごく一部の人間だけだ。
理論的には声を出さなくても、思考すれば思念波を出すことが出来るらしい。確かに人間は声に出していないことも考えているはずだ。
そのため互いに無言でも通話できるはずなのだが、実際に声を出さない思考は読み取りづらい。実は人間と言うのは、さまざまな言葉にならない考えや感情が混ざり合って存在している。それが互いに邪魔し合ってノイズとなってしまうため、通常は互いに通話時には伝えたい言葉を声に出す。
実際の音声と思念による音声は、音の質が大幅に違うことも少なくないため、その声から同一人物かどうかを正確に判断することは非常に難しい。なぜ声が変化してしまうのか、その理由は僕にはよくわからない。
昔の思念機ではより一層、ノイズや実際の声との違いがさらに激しかったそうだ。
と、至極どうでもいいことを延々とマイルズに話されたことがある。他にもいろいろと説明されたけど、覚えているのはこの程度だ。それでもよく覚えているほうだと自分では思っている。
正直、マイルズからのそんな話は退屈すぎたし、どうでもよかったが適当に聞いて相槌を打ってやらないと怒るのが面倒だった。同じような話を何度もされたので、そういった理由で頭の片隅に残っていたのだろう。
僕たちが今向かっているのは、この『念波塔』だった。
それも、ミニス嬢が家族に連絡するための専用機密回線を利用できる場所。ゼブレス家が保有するいくつかの『念波塔』から一番警備が緩い場所を狙う。
イサキはすっかり日が暮れた空を見上げ、歩きながら街で一番高い塔を横目に見ながら言った。
「あの塔ではだめなのか?」
街でも一番大きな『念波塔』は『竜の学院』が保有するもので、高さ三百メイトルを超える巨大建造物で展望台まで作られた観光名所の一つにすらなっていた。
この街を一望するのにとても良い場所で、有名ではある。
「あれは『ナンシー』の親元に繋がってないんだよ。 もしかしたら繋げられなくもないのかもしれないけど、よそ様の中だから使ったのバレちゃうかもね」
「ふむ、そういうものか」
「……たぶんね」
僕もあまり詳しくない。あやふやな返事をしたものの、イサキは特に気にしていないようだった。
にしても、イサキは目立つ。
イサキは普段着ているである『着流し』を脱ぎ、服装を変えていた。シャツに長々とした革製のジャケットをベルトで留め、サングラスをかけてと街では珍しくない格好である。多少恵まれた方の人間だろうか。
しかし、ただでさえ長身な上、その纏う剣呑な雰囲気と腰に差す刀が、自然と周囲に警戒をさせている。
「そういえば、イサキさまはお食事はとられませんの?」
僕とミニス嬢はイサキが購入してくれた食料を食べている、ミニス嬢はソースが染みた具材入り揚げパンをはしゃぎながら食べていた。
あんな屋台にあるようなもので喜ぶなんて、とても安上がりでいいと思う。
「飢えている時こそ、闘争に集中できる」
「確かにわたくしも、おなかがすいている方が頭がまとまりますわ。 気が付いたら三日くらい食事をしていないことがあります」
「三日三晩戦い続ける羽目になった時は、さすがに死を覚悟したものだ」
「それはすごいですね、排せつなどはどうするのですか?」
「前もって食事を控えれば、良い。 腹に物が入っていては満足に動けぬ。 絶対に負けが許されぬ死合いの前は、二日三日は食事をしないのもみな普通だった」
「それは動けなくなりませんの?」
なんだかひどい華やかさに欠ける会話だな、会話が成立しているのか疑問になる。と思いながらも僕は会話を止めない。
こうは言うものの、イサキ自身はかなりの大食漢である。常人よりも莫大なエネルギーを消費して戦うのだろう。タイミングによるということだろうか?
腹八分目と言う言葉を以前、イサキは使っていたことがあったがいつでも戦えるようにと言う心構えなのだろうし、どうも感覚がつかめない。
そこで、ふと思い出したことをミニス嬢に尋ねてみる。
「そういえば、『ナンシー』はお姉さんがいるんだったよね」
確かマイルズによればテロリストに拉致された時も、姉と一緒だったはずだ。
ミニス嬢はふわりふわりと柔らかい声で話す。そこに緊張は見られない。
「ええ、そうですわ。 ご存じだったんですのね、姉妹でとても仲がいいんですの」
「あ、そうなんだ。 どんな人?」
「わたくしの助手をしてくださったりします、たくさんの方のお手伝いをしていますわ。 優秀な人なので、きっとそのまま竜の学院に籍を置くのではないでしょうか」
「へえ、助手ってどんなことするの?」
「記録からなにから、なにまでですわ。 実験の場所や物の手配をしたり、人を集めたり。 あとわたくしの論文はどうも理解できないという方が多いので、わたくしが口頭で言ったことをお姉さまにまとめてもらったりしますわ」
「理解できないって、なぜ?」
「わたくしにもよくわかりませんの。 なぜか明らかに考えるまでもないことに根拠を求めたりとか、何百回もシミュレートすることにこだわられたりとか。 それはわたくしじゃなくても出来る事でしょう?」
「はあ、そういう時はどうするの?」
「他の人がどう思っていても、自分が理解していれば問題はないですわよね? だから、次のことをしますわ」
ミニス嬢は最初から、他人に成果を認めてもらおうとか、理解してもらおうとか考えていないのか。
普通は成果を認めてもらえないと、研究自体が打ち切りになると思うのだが、そんなことを考える必要もない立場ってことか。
「でも、ほら。 自分の研究が世の中の役に立つには、まず理解してもらわないとだめじゃん」
「なぜ自分の研究を、世の中の役に立たせなければならないのですか?」
「え?」
その言葉を言うミニス嬢には、嘲りとか馬鹿にするようなニュアンスは一切なかった。
ただ理解できないことに対して、純粋に疑問を持った。そんな様子だった。
「知識を探求することを、不特定多数の誰かに役立たせないといけませんの?」
「そりゃその方がいいんじゃない? 自分が誰かの役に立つってうれしいし」
「では、直接誰かの役に立たせることが出来ない研究に価値がない、と思っていますのね」
そう聞かれると、そうなのかもしれない。
何かの役に立たないものはただの遊びか、趣味だ。確かに遊びや趣味は大事だけど、何においても価値があるわけじゃない。
「ヴァンさまはただ純粋に好奇心や探究心で行動したり、純粋に思いついたアイディアや出来事を試してみたいと言う遊び心もありませんのね」
「ない訳じゃないけれど、そのまえに生活があるんだよ。 いろいろ考えることはあるけどね」
「それは素晴らしいですわ、わたくしは考えることが好きです、そのために生きています。 何も新しいことを考えないし始められないなんて、それは既に死んでいるのと変わらない、そうは思いません?」
「……人間誰しもそう生きていける訳じゃないよ」
おおよその人は、みんな決まりきった毎日を生きている。
生きるために食事をして、働いている。新しいことを考えたり、始めるために生きているんじゃない。
「それが理解できないのです、わたくしには。 そんな人生になんの価値があるのでしょうか」
本気で言っているのだろうか、ミニス嬢は。
「……君にとって、価値って何?」
僕はすこしうんざりしながら尋ねる。
ミニス嬢はにっこりとほほ笑んだ。
「世界を楽しむことですわ、どんどん味わい尽くすのです。 飲み干すのです。 誰も考えたことがないことを考えるのです、見たことないものを見るのです、知らないことを知るのです」
目をキラキラさせながらミニス嬢は語る。夢を見る乙女のように。
僕はどこかそれが怖い。
「それは何ひとつ欠片も残らないほどにですわ」
でも、なんだろう。
今、なにか違和感があった。
「ああ、おしゃべりはおしまいのようですわ」
名残惜しそうにミニス嬢は僕らに言う。
目の前を見れば、四方を柵で囲まれた大きな建物。その屋上には、塔がそびえ立っていた。




