第五幕:電脳を癒やす、生身の熱
厩のあちこちで、サイバー整備兵たちの悲鳴が交錯していた。
「電圧が上がらねえ! クソッ、あと三分……いや、四分はブートにかかるぞ!」
けたたましく鳴り響く赤い警告灯。美濃の斎藤勢が国境を越えて急襲してきたという電脳アラートが、ドック内の温度をさらに凍りつかせていた。
軍事用重バイクの心臓部である『高出力超電導バッテリー』は、大寒波によって分子運動が低下し、致命的なコールド・スリープ状態に陥っていた。無理に起動すれば過電流で回路が焼き切れる。
「退け」
その場にいた全員の背筋に、物理的な戦慄が走った。
ドックの自動シャッターが開き、猛烈な吹雪と共に、漆黒の南蛮胴具足を纏った男――織田信長が姿を現した。
その背後のマントからは、怒りのバグノイズが激しく火花を散らしている。信長の鋭い義眼が、エラーコードを吐き出し続ける愛車を捉えた。
「まだ起動せぬのか。斎藤の電脳部隊が迫っておるのだぞ。秒単位の遅れが、防衛ラインの崩壊を招くと知れ」
「も、申し訳ございません……! この大寒波で予備バッテリーの超電導マテリアルが凍結し、適正温度まで加熱するのにどうしても数分間のロスが――」
チーフ整備兵が平伏しながら弁明する。だが、その言葉が終わる前に、信長の具足から放たれた威圧的なプレッシャーがドック全体を圧殺した。
「言い訳は無用だ。三秒以内に動かせ。さもなくば、このドックの全員の電脳を強制初期化する」
死の宣告だった。整備兵たちが絶望に顔を青ざめさせ、ガチガチと義体を震わせる。
その、誰もが息を止めた絶望の空間に、一歩を踏み出す影があった。
「――殿。その予備バッテリーなら、ここにあります」
泥に汚れ、油を被ったボロきれのような服を着た『猿』――豊田大河だった。
「おい、猿! 引っ込んでろ!」
「狂ったか! 殿の前に出るな!」
周囲の雑兵たちが顔を真っ青にして小声でなじるが、彼は構わずに信長の前へと進み出た。その手には、ずっしりと重い金属製の、織田家仕様の軍事用予備バッテリーが握られていた。
信長が、冷酷なレンズの瞳を彼へと向ける。
「猿か。貴様、何もできぬオーガニックの身で、俺の時間をこれ以上奪うつもりか」
「滅相もございません」
大河は不敵に笑い、抱えていたバッテリーを信長へと両手で差し出した。
「お受け取りください。そいつは今、世界で一番『熱い』バッテリーです」
信長は無言のまま、彼の手からバッテリーをひったくるように奪い取った。そして、そのバッテリーを自身のバイクの外部スロットと叩き込む。カチリ、と硬質な接続音が響いた。
次の瞬間、ドック内のすべての警告アラートがピタリと止まった。信長の網膜ディスプレイに、青い文字がフラッシュする。
『――エラーなし。電圧、適正。即時起動、可能――』
「……何?」
信長が、驚愕に目を見開いた。
あれほど整備兵たちが手を焼いていた超電導マテリアルの凍結が完全に解消され、むしろ最も効率よく電力を生み出す最高温度に保たれていたのだ。
「どういうことだ。……加熱ヒーターのログはない。猿、貴様何をした」
信長の問いに、大河は一礼して、自分のボロ服の胸元をはだけてみせた。そこには、バッテリーの形に赤く変色した、彼の生身の肌があった。
「俺はただ、その予備バッテリーを自分の服の中に突っ込み、自分の体温で温めていただけです」
「体温だと……?」
驚いたのはチーフ整備兵だ。
「馬鹿な! 人間の体温ごときの微弱な熱で、軍事用の超電導バッテリーが温まるわけが――」
「温まるんだよ、やり方次第ではな」
大河は歴史知識と現代のメカ知識を誇るように、言葉を繋いだ。
「この織田家仕様のバッテリーは、表面がナノ金属で覆われている。つまり、外部からの電子的な加熱には過剰に反応してエラーを起こすが、じわじわとした『物理的な伝熱』にはめちゃくちゃ馴染みやすい構造をしてるんだ。だから俺は、数時間前からこいつを肌に密着させ、俺の三十六度五分の体温を直接流し込み続けた」
信長が冬の夜に緊急出陣する可能性を、歴史のデータから予測していた大河は、あらかじめ予備バッテリーを自分の体の中で保温していたのだ。
全員がサイバー義体になり、体温という無駄な熱を捨て去ったこの世界において、完全な生身である彼の肉体だけが、最強の天然の保温器になれた。
「ヒーターなどの電子制御を使えば、この大寒波では結露が生じてショートする。ですが、人間の生身の温もりなら、結露を完全に防ぎつつ、マテリアルを芯から均一に癒やすことができるんです」
ドック内が、しんと静まり返った。
サイバー整備兵たちは、自分たちが「原始的なクズ」と見下していた生身の青年に、テクノロジーの死角を突かれたことに言葉を失っていた。
信長は、彼の赤く腫れた胸の皮膚と、完全にブートを完了して重低音のハミングを始めた愛車のタコメーターを交互に見た。そして、その端正な顔を、今日一番の凶悪な笑みへと歪めた。
「ハハ……、ハハハハハ!」
爆音のような高笑いが厩に響き渡る。
「面白い! 誰もが電脳の計算に頼る中、己の肉の熱で俺の兵器を癒やすか! 気が利くではないか、猿!」
信長はバイクに跨ると、アクセルを大きく吹かした。プラズマの排気光が冬の夜空を切り裂く。
「猿。その泥まみれのボロ服は捨てろ。明日から貴様はドックの雑用ではない。俺の側近として、身の回りの兵器の全てを管理する『直属の小者』に任ずる」
「――ハッ! ありがたき幸せ!」
大河が深く頭を下げると同時に、信長の戦闘用バイクはネオンの光の矢となって、吹雪の街道へと爆走していった。
周囲のサイバー雑兵たちが、手のひらを返したように羨望と畏怖の目で彼を見つめてくる。
(一歩、前へ進んだぞ……! しかし、草履を温める逸話がこんなハイテクなやり方になるなんてな)
胸に走った軽度の凍傷の痛みを堪えながら、彼は静かに拳を握りしめた。
奴隷から、魔王の直属へ。
この電脳戦国時代で、彼のアナログな歴史知識は、確かに通用していた。
ならば、後は一歩ずつ。成り上がるだけだ。




