第1話:神の手違いで死んだ?示談交渉ですね1
酸性雨が叩きつける窓の向こうは、ネオンの光が毒々しく滲んだシン新宿の街並みが広がっていた。
ハッカーのミントは、自室のブラインドの隙間から、ミラーグラス越しにその景色を眺めていた。
彼女の自室の10平米は、名前の鮮やかさとは異なり無彩色。
彼女には外の色彩も意味のないノイズに過ぎないのだろう。
ミントの目元を覆うミラーグラスの裏側で、微かな光が明滅した。
そのウェアラブルデバイスは、現実の風景の上に、無数のウィンドウを投射している。
『今回のギグは無事終了。チームも解散、お疲れ様』
次は振込通知。
「……結局、人が動くのは契約と利害関係よね」
並んだ数字を視認し、彼女の口元がわずかに歪む。
「上乗せ(チップ)なんか不要」
『打ち上げの飲み会のお誘い』
ミントは面倒そうに空中で指を動かす。
「『喜んで参加します』、次の仕事のためにね」
一仕事を終えた安堵感か、鉛のような眠気がミントを襲った。
彼女はデスクに突っ伏したまま、意識をオフにした。
ミラーグラスがスリープモードに切り替わり、彼女の視界は完全な闇に沈んだ――はずだった。
*
「……新作のVRプロモーション? 」
ミントは目を開けた。いや、開けたはずなのだが、視界に入ってきたのはシン新宿の薄暗い天井ではなかった。
青天と天を突くような白大理石の円柱群。
それらは単なる白一色ではなく、彫像の瞳や衣の端に鮮やかな彩色が施されている。
「ギリシャ神話?……大理石像に彩色してある点は、史実に忠実で評価できる。
でも、シン新宿を見慣れた目には眩しすぎる」
遠くからはハープのような優雅な旋律が聞こえ、空気は清浄そのもの。
この匂いはお香だろうか?
「ついに嗅覚まで完全再現したっていうの?
とりあえず、神殿の中に進めば、イベントが進行するのかしら?」
手近な神殿に入ることにした。
「目覚められましたか、ミントよ」
慈愛に満ち、聞く者の心を安らげるような声。
声の主は彫像のように完璧な造形をした女性だった。
透き通るような白い肌に、金の刺繍が施された幾重にも重なる白いドレス(キトン)。
頭上には黄金の月桂冠が輝き、背後には物理光源を無視して淡い光の輪が揺らめている。
「……不気味の谷をついに超えたのかしら?ここは新作VRのチュートリアル会場?
それとも、最近流行りの没入型広告(没入型アド)のエリア?」
ところが、彼女の返事はミントの予想とは全く異なった。
「私は女神ガイア。貴方を導く者です。手違いで死なせてしまいました。お詫びにチート能力を……」
ミントの思考回路は即座に分析を開始していた。
「……あなたは女神ガイア。ワタシは『死んだ』。その原因は貴方の『手違い』。
貴方の管理ミスでワタシの人生を強制終了した。神様相手に裁判出来るか、弁護士呼べるか知らないけどね。
――つまり過失致死の示談交渉ね?」
ガイアと名乗った女神が、申し訳なさそうに頭を少し下げる。
「?……ええ、私の不注意です。お詫びに特別な力、『チート』能力を授けましょう。
そして、新たな世界での第二の人生を……」
――示談交渉、開始。
「ちょっと待って、話が飛躍してる」
ミントは冷徹な声で遮った。
「貴方は女神で過失致死罪を認めた。なら、ワタシは賠償なんて求めてない。
『原状回復』、つまりワタシを元のシン新宿の、死ぬ直前の時点まで戻して」
ガイアは困惑したように目を瞬かせた。
「原状回復……? 過ぎ去った時間は、神の御手をもってしても、元の形に戻すことは叶わない理……」
「権限がないってこと? 時間遡行が出来ないのに、なんで『女神』なんて名乗ってるの。
……じゃあ、現世で復活させて」
「それは……貴方の肉体と魂は、既に現世の理から切り離されてしまったのです」
ミントは深いため息をつき、首を左右に振った。
「ワタシを手違いで殺し、復活させられない時点で全知全能ではない。
そもそも本当に神様なの? 魂の収穫時期を間違えただけの、ただの回収業者(死神)じゃないの?」




