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第八十一話 光の狼煙

ついに大蜘蛛丸が信濃に戻って来た

 処暑しょしょを過ぎた。


 橘正季の姿が上田の北、丸子の里にあった。

 正季は長野、千曲からの巡察の途上で、上田北部が賊に襲われたとの報に接し、すぐさま駆け付けた。現場には上田の手塚郡代配下の菅野がすでに来ていた。

「これは橘様」

「埴科で知らせを得た。これは、もしかして……」

「はい。おそらくは大蜘蛛丸の仕業です」

「狼煙は上がらなかったのか?」

「上がりましたが……賊どもが上げたようなのです」

「どういう意味だ?」


 菅野が状況を説明した。それによると賊どもは、夜陰に紛れ、まずは、この里の衛である武者の一家を襲ったとのことである。その後、村民を次々に斬り、若い女と子どもを攫った。棲家に火を放ち、最後に狼煙台にまで火をかけて去った。


 正季が尋ねた。

「追捕は出したか?」

「出しましたが、どうにもなりません。上野側に続く山道に、嬲り殺された女の亡骸がありました」


 正季は現場を見廻り、手際の良さと手口の酷さとに慄然とした。

 最初に武者の一家が襲われたということは、賊は武者の住まいを予め調べていたということになる。急襲を成功させたということは、騎乗で突入せずに、忍び寄って斬り込んだ可能性が高い。このようなやり口で襲われれば、小里は対処のしようがない。


 正季は菅野に重ねて尋ねた。

「この状況からすると、奴は、下見を出していたと思われるが、それらしき者はいなかったか?」

「それも、調べています。この村でただ一人生き残った老婆によれば、十日ほど前に錫杖を突いた乞食僧こつじきそうが村を訪れていたそうです」


 乞食僧は襤褸を纏い念仏を唱えながら生活の糧を乞う修行僧で諏訪や上田でなくとも時折目にする。捉えてみても身の証になるようなものを持っていないのが当然で、賊との繋がりを明らかにすることはできない。


 正季は暗然として丸子の里を去り、巡察を再開した。


 上田から諸に向かい、郡代の平賀忠景を訪ねた。

 郡代屋敷の庭では、配下の武者たちの剣の修練が行われていた。

 

 田畑の様子を尋ねたうえで、野盗対策を尋ねてみた。

「平賀殿、僦馬の党の一件では、ご苦労であった。その後、野盗対策はいかがなものか?」

「正直言って、打つ手に行き詰っております。先日の件で、狼煙は役に立つことが分かりましたので、数を増やそうとしていますが、あとは、兵を鍛えるくらいしか手を見いだせておりません」

「左様か……」

 正季は、丸子の里で狼煙が役立たなかったことは言い出せなかった。

「ときに、諸で、近頃、乞食僧は見なかったか?どうやら大蜘蛛丸の手の者が僧に扮して下見に回っているようなのだが」

「乞食僧なら四、五日に一人くらいは見ております。いちいち人相までは見てはおりません」

「そうであろうな……」


 正季はそのまま佐閑に向かった。


 諸を離れると、芒の原になる。出始めた銀の穂が風に揺れている。ほんの二か月ほど前に、ここで懸命に賊を追ったことが嘘のようなのどかさである。


 佐閑の田が見えてきた。緑が濃い。近づくと、多くの穂が出ていることが分かる。村人たちの努力が実を結びつつある。この辛抱強く地道な積み重ねが、残忍な野盗に狙われていると思うと、正季は胸が痛んだ。


 遠くでいつもの呼子の音がする。そのまま街道を里の方に進んでいると、米沢重平が弓矢を携えて現れた。

「橘様、お久しぶりでございます」

「おお、重平。今日は、どうした?弓矢を持っているではないか」

「はい、巫女様の指示で街道に人影があれば、見に行くようにしています。弓矢は、もしもの場合に備えてのことです」

「なるほど」

 正季は佐閑の里が警戒を高めていることを知り、少し気持ちが落ち着いた。


 里への緩やかな斜面を登っていくと、以前にところどころにあった灌木の茂みや叢がすっかりなくなっている。さらに進むと、里を囲む柵が見えてきた。柵には、幅一間あまりの出入り口があるが、その出入り口に近づくには、丸太で縦横に荒く組んだいくつもの柵を、右に左に回り込まねば、たどり着かないようになっている。出入り口を入っても、丸太の柵が何箇所か設けられていた。


 狼煙台の配置が変えられていた。出入り口を臨む斜面の上側には、ところどころに土塁が築かれ始めている。


 重平と寺に向かう。

 寺では秀柾が、村長と一緒に待っていた。


「橘様、見廻り、御苦労さまです」

「うむ。その方らが健やかで、少し気が楽になった」

 日向から、風が通る寺の本堂に入り、正季は体を休めることができた。

 セイが飲み物を盆にのせて運んできた。手に取り口元に近づけると香ばしい匂いがする。

 一口飲むとすっきりした味わいが口の中に広がり、汗が引く。

「これはいったい?」

「煎って少し焦がした麦を挽いて煎じたものにございます」

「この里に来るたびに、食べ物、飲み物では驚かされる」

 セイが嬉しそうにほ微笑んだ。


 正季は村長に向き直った。

「では、村長殿、今年の収穫の見通しを」

「はい。このまま行けば、大豊作にございます。一昨年、四石穫れていい出来と思いましたが、まるで違います。少なくとも六石、もしかすると七石近くになるやもしれません」

「確かに。先ほど、田を見せてもらった。長野、上田、諸と見てきたが、この里の稲はまるで違う」

「村の者たちは確かな手ごたえに勢い込んでおります」


 正季は、次は秀柾に向き直った。

「村の野盗への守りを見せてもらった。どのような狙いかを教えてくれまいか」

「はい。まずは、村に怪しげな者を近づけないように街道筋まで含めて見廻っています」

「それで、重平が見に出ておったのか」

「はい。それと街道方面から村に入るところを一つにするための柵を作り上げました」

「その柵の手前と奥にも柵があったな。あれは?」

「賊に馬に乗ったまま駆け込まれないための手立てです。先日、僦馬の党の者に柵の内まで入られました。一騎だけでしたから倒せましたが、二騎、三騎で駆けこまれたら、大変なことになっておりました」

 正季は佐閑が先日の勝利に奢っていないことに驚いた。

「巫女殿のお考えか?」

「はい。元の考えは姉です。あとは、皆で工夫しました」

「なるほど……」


 真貴がユイとともに寺にやって来た。

「橘様、お久しぶりでございます」

「収穫前の見廻りを行っている。今日は、この里に泊まりたいが大丈夫か?」

「もちろんでございます。近々お出でになる頃と思い、準備しておりました。今日の夕餉は湖で獲れた魚にございます」

「ほう、魚は初めてだ」


 真貴が、正季が来るのを見越して用意していた魚は鰻だった。節を抜いた竹の罠を湖に仕掛けたところ、連日、鰻を獲ることができた。桶に取っていた鰻を、真貴は開いて竹の櫛を打った。

 熾火でゆっくり焼いていく。身が白くなり始めたところで、塩水に夏櫨なつはぜの実を潰して入れ、水飴を少し加えたたれを丁寧に塗って焼き上げた。食欲をそそる香りが夏の夕暮れに立ち込める。


 真貴は焼き上がった鰻を笹に葉を敷いた浅い竹笊に載せ、最後に山椒の粉を振りかけた。


 正季は、一口食べて、その芳醇な味わいに言葉を失った。


 秀柾が頬張りながら言う。

「姉上、これは先日の塩焼きより、ずっと美味しゅうございます」

「やはり、少し甘めのたれが、鰻には良く合うようですね」

 真貴とユイが楽しそうに笑った。


 夕餉が終わる頃には、陽は西の八つの峰に沈み薄暗くなってきた。

 正季は寺で真貴、秀柾と話した。

「大蜘蛛丸が信濃に戻って来た。上田の北の丸子の里が襲われた。ここに来る前に寄って来た」

「やはり、信濃に現れましたか」

「もはや奴は奪うためではなく、殺し、壊すために暴れ出したといってもいい。丸子の里は皆殺しになった」

「……」

「手口も進んでいる。奴は、闇に潜み、まず、里の武者の一家を襲い、その後、村を蹂躙した。家々に火を放った後、あざ笑うように狼煙台に火を入れて去っている」

「それはまた……」

「先ほど、この里の守りを見せてもらった。騎馬による突入には耐えられるように思えるが、闇に紛れて入り込まれると、やはり、厳しいかと思う」


 真貴と秀柾が目を合わせうなずき合った。真貴が正季に向き直って言った。

「我らは、夜陰に乗じる彼等への手立てを探って参りました。橘様に見ていただきたいものがあります。ご足労ですが、湖岸まで一緒にお出でいただけますか?」

「無論参るが、村の中でなく湖岸とは……」

「はい、村の中ではいささか危うございますゆえ」


 真貴が小ぶりな松明を手に持った。秀柾は弓矢を持った。

 三人は、星が煌めきだした夜空の下、里の田畑を抜けて湖岸に来た。真貴が、松明をかざして少し先に進むと、湖岸に、小ぶりな狼煙台が見えてきた。

 正季は真貴の意図が分からなかった。

「巫女殿、狼煙台で何を……?」

「はい、お見せいたします。秀柾、準備を」

「もうできています」

「では」

 真貴が松明を秀柾の方に差し出すと、秀柾が矢を突き出し、先端を火に翳した。すぐに煙が立ちだした。

(火矢……)

 正季は兵書の中に火矢の記載を見たことはあるが、実際に見たのは初めてだった。

 秀柾が放つと、矢は闇に赤い軌跡を引いて飛び、狼煙台の焚き付けに刺さった。十数えぬうちに矢の刺さったあたりが赤くなり、火が爆ぜる音がして、橙色の炎が立ち燃え上がりだした。火はなかなか消えずに燃え続けている。


 真貴が燃え盛る火を見ながら言った。

「この仕掛けを、村に四箇所置こうと思います。我らは光を持って闇を制します」

 秀柾が隣で大きくうなずいた。


 正季は炎に照らされる二人にしばらく声が出なかった。やっと気を取り直し、尋ねた。

「巫女殿、これは、これまで見たことがある狼煙ではないな。燃え方がまるで違う」

「はい。松脂と猪の脂に加え、藁や松の葉や小枝に、菜種油を浸ませています。油が燃えるので、火持ちがよく、炎が明るく輝きます」

「油……巫女殿は油を搾ることにも成功したのか!?」

「菜種から十六升の油を搾りました。ただ、この仕掛けを、ここまで仕上げるのに四升あまりを費やしました。残りすべてを、これから作る仕掛けに使う所存です」

「十六升の油をすべて費やす……か」

 正季は真貴の覚悟を知った。正季の胸に、はじめて大蜘蛛丸に勝てるかもしれないという思いが灯った。

 真貴が正季に向き直って言った。

「守るべきものの前では、惜しむべきものではございません」


真貴と秀柾は光の狼煙で大蜘蛛丸を迎え撃つ

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