第五十二話 白露(はくろ)
重平とセイは諏訪から佐閑へ移った
四日後、重平とセイは諏訪から佐閑へと発った。当初は麦草峠を越え、湖を渡る道も考えたが、野盗に遭う恐れが高いので、小渕から赤岳の裾野をめぐり、海尻を経て佐閑に入る道を選んだ。
二人は初秋の風に、銀の穂がそよぐ芒の原を進んだ。
海尻から千曲川の谷沿いの道を北に進むと、やがて八ヶ岳の裾野に湖が広がり、佐閑の里が近づく。湖沿いに田が見え始めたあたりで、二人の耳に呼子の音が聞こえてきた。
「何事……」と警戒していると、若い武者が逞しい馬に乗って現れた。セイには、それが誰かすぐに分かった。
「米沢重平殿とセイ殿か?」
馬を降りながら若い武者が笑顔で言った。
「はい、重平とセイにございます。望月秀柾殿であられましょうか?」
「そうだ。よく来てくれた。重い荷をこちらに。馬で運ぼう」
秀柾が、馬の鞍に二人の荷を載せた。
「まずは、寺に参ろう」
二人は秀柾に従い、里に入っていく。湖岸の田んぼから山の方にゆったりと上がっていく道を進むと、畑が広がり、野菜や雑穀、大豆や蕎麦が育てられている。
寺に着いた。境内で子どもたちがはしゃいでいる。その真ん中には百姓姿の真貴が、子どもたちに鍋から汁を取り分けている。
「姉上、米沢重平殿とセイ殿をお連れしましたぞ」
秀柾が真貴に大きな声で告げると、真貴がうなずいた。
「疲れたでしょう。そなたらも汁を飲みなさい」
真貴の傍らにいた利発そうな少女が、椀に汁を入れ二人に運んできた。
二人には、出汁の効いた温かい汁が、胃の底から体に染み渡った。
セイがふと気づくと、四匹の犬が先ほどの少女の廻りにいて、二人をじっと見ている。
黒い毛の一匹が近づいてきたので、セイがたじろいだ。
秀柾が犬たちに言った。
「黒丸――赤丸、白丸、鳶丸もだ。この人たちは今日から仲間だぞ。仲良くしてくれよ」
境内での汁の提供はすぐに終わった。真貴は片づけをユイに任せて、寺の本堂で、重平とセイに向き合って座った。秀柾と和尚も座った。
「重平、セイ。よく来てくれました。これは、弟の秀柾、そして、この寺の住職、良真和尚様です」
重平とセイは両手を膝に乗せ、お辞儀をした。
「巫女様、秀柾様、和尚様。どうぞよろしくお願いいたします。私たちのことは、重平、セイとお呼びください」
真貴が話を続けた。
「重平とセイは、このお寺で寝起きしてもらいましょう。日のあるうちは私と秀柾を手伝ってもらい、そして、暗くなってからは、和尚様のお世話をお願いします」
和尚が笑みながら言った。
「重平、セイ、よしなにのう。この春あたりから、めっきり足腰に来て、夜、暗い時には厠に立つのも危ないときがあるでな」
片付け物を終わらせたユイが来て、真貴の横に坐した。
「この子はユイと言います。私の弟子です」
ユイが頭を下げ挨拶した。
「ユイと申します」
秀柾がふと漏らした。
「セイ……風間屋敷で弓比べ後の宴席で、そなたは、私の膳の世話をしてくれたのではないか?」
セイは秀柾が自分を覚えていたという驚きと嬉しさで声が詰まった。
「は、はい。覚えておいていただけましたか」
「私がはじめての宴席で戸惑っているときだったな。助かったぞ」
セイは胸が詰まり、顔がほてるのを覚えた。
真貴が話題を仕事の話に変えた。
「秀柾、これから夕餉まではどうする手筈ですか?」
「重平と一緒に、村の見廻りをして、できれば鳥か兎を獲ってこようかと思っています。姉上、西風をお借りしてもいいでしょうか?」
「いいですよ。村の人たちに重平のことを教えてあげてください」
「わかりました。では、重平、参ろう。ユイ、四匹の郎党たちを連れて行くぞ」
「お気をつけて」
真貴はセイに言った。
「では、セイは私とユイと一緒に、田に参りましょう。旅の疲れが出ているなら、休んでいてもいいですよ」
「参ります。なんでもお言いつけください」
セイは真貴とユイが世話をしている小さな田に着いた。田の畔に草や松葉が寄せて盛られていた。真貴は寺を出るときに火種を携えていた。その火種を盛ってある草の中に差し込んだ。ユイがかがんで、息を吹きかけて火をつける。少しすると煙が出始めた。
セイが、何が行われているのか分からず見ていると真貴から指示が出た。
「セイ、その草の山を十歩ほど向こうへ動かしてください。煙が稲の間に入り込むようにしたいのです」
セイはユイとともに、火がついていない草の茎を掴んで、少しずつ草の山を動かした。それでも煙はなかなか稲の間には入り込まない。畔の真上から、少し田に落ちる斜面近くに草の山を移すと、煙が稲の間に入り込むようになってきた。
不思議そうに見ているセイに真貴が説明した。
「セイ、これは稲に付く虫を追い払っているのです。ほら、よく見てごらんなさい。虫が煙を嫌って逃げ出し始めていますから」
確かによく見ると、虫が稲の葉から飛び去って行くのが分かる。
三人は、草の葉を足しながら、稲を燻し続けた。
しばらくすると、村人が何人か現れた。真貴がセイを村人に引き合わせた。
「皆さん、見廻りご苦労様です。この娘がしばらく私を手伝ってくれるセイです」
セイが頭を下げると、村人は上目遣いに少し頭を下げた。
村人が真貴に尋ねた。
「巫女様、これで虫払いができますでしょうか?」
「ええ、一匹残らずとは言えないでしょうが、先ほどから見ていると、かなり追い払えるようです」
「では、村の田でもやることにします」
「それがいいでしょう。松の落ち葉を多く入れると煙の立ちがよいようです」
「わかりました」
村人たちが帰って行った。
三人は日が傾くまで草を燃やした。初秋の夕暮れに白い煙と松葉と青草が燃える特有の香りが広がっていった。
夕餉の時間が近くなった。
馬で出かけた秀柾と重平が帰って来た。重平は仕留めた鶉を下げていた。
秀柾が笑いながら言った。
「重平が夕餉の馳走を仕留めましたぞ」
重平が少し恥ずかしそうに、それでも誇らしげに鶉の足を掴んで掲げた。
真貴はセイとともに鶉の骨で出汁を取り、雑穀の粥を作った。ユイが椀に取り、和尚に届けて来た。
真貴が言った。
「さあ、夕餉にしましょう。皆、よく働きました。ご苦労様でした」
重平とセイは、温かい粥と鶉の肉を口にした。あの日以来、初めて食べ物を美味しいと思えた。
犬たちが、尻尾を振りながら、ユイが与えた出汁を取ったあとの鶉を食べていた。
その夜、重平とセイは、寺の本堂で横になった。
セイが重平に言った。
「兄様、夕餉がたいへん美味しゅうございました。兄様が鶉を仕留められたと聞いて、嬉しくて、嬉しくて……」
「あれは、秀柾様が仕留めさせてくださったのだ。『ほれ、あそこに潜んでおる。ゆっくり狙えと』。だが、久しぶりに弓を握り、矢を射ることができた。まだやれると思うと心が震える」
「この里に来てよかったです」
「私もだ。今宵は眠れそうだ」
寺の外には秋の虫の声が盛んだった。上野側の山の上に三日月がかかっていた。
二人の再生の日々が始まった




