第四二段 小白川という所は(その五)
この日の朝の講座は、説教の名人清範だ。講座の上が光満ちるようで素晴らしい。あまりの暑さに、これを聞き逃すとはなんということもうこんな機会はないであろうに、という気持ちをおしやり、少し聞いて帰ろうとしたが、車が重なって出られそうにもない。前にある車に、帰りたいことを告げると、前に出られることを喜んで、「さあ、早く」と車を動かして出そうとする。それを見て、上達部や殿上人がやかましく、中座する私の悪口を言う。それには返事もしないで、狭いところから出てくると、中納言義懐が、法華経の中にある言葉を使って
「やあやあ、退くもまたよしだ。」と言って笑うので、同じ法華経の故事に従い、
「あなた様も、釈迦の説法を聞こうとしなかった五千人の中に入っていらっしゃるのでしょう。」と、供の者に言わせて帰ってしまった。
八講の始めから終わりまで、ずっと建ててあった車が、人も寄り付かず、ただ絵のようにじっと過ごしていたので、ありがたく、めでたく、心憎く思って、どのような方なのか人に聞いて探していたのを藤の大納言が聞かれて
「何がめでたいものか。嫌なことだ。ゆゆしき者に違いない。」とおっしゃったのが「おかし」。
(同じ場にいても、どう解釈するかは、人それぞれ。ですね。)
そうして、その月の下旬に中納言藤原義懐様が出家して法師になってしまわれたのは、しみじみと心にしみたことであった。美しい桜が散ってしまうのも、世の常であろうか。歌に
『置く待つ間の』(白露の置くを待つ間の朝顔はみずぞなかなかあるべかりける)とあるとおり、はかない中納言の華々しいご様子であったことだ。
藤原義懐は、花山天皇の治世にその外叔父として権勢を奮うが、天皇の出家・退位に従い出家し、政界を引退した。花山天皇の出家は突然で、『寛和の変』と呼ばれ、右大臣藤原兼家の策略ともいわれる。この八講のときは、義懐は政治の中心の一人、数日後に出家するとは思いもよらなかったであろう。花山天皇の次が、定子の夫一条天皇になる。




