Ⅲ-ⅩⅧ.オポチュニティコスト
マーズ=エクスプロレーション=ローバー‐B『オポチュニティ』―――彼女と双子のローバー『スピリット』の名は、当時9歳の女の子によって付けられた。
オポチュニティの意味は『好機』。まさに彼女に相応しい名前だと思う。
オポチュニティは、スピリットの着陸したグセフ・クレーターの真裏に位置する地域のメリディアニ平原に着陸した。メリディアニ平原には火山性の玄武岩やクレーターが数多く見られ、オポチュニティはその土壌や岩石のサンプルの調査及び風景の撮影を行なった。
この時のサンプルの分析結果により、火星の表面に赤鉄鉱が存在する事が明らかとなり、過去に水が存在していたという仮説が生まれる事となる。
更にオポチュニティは、メリディアニ平原について深く調べ、岩石の組成から密集した硫黄の存在を発見、酸性の湖や温泉の様な環境に見られる鉄ミョウバン石も発見した。また「エル=キャピタン」と名づけられた岩石から、塩分濃度の高い海中等で岩石の空洞に塩等のミネラル分の結晶が成長した後に結晶が海中に融け出す、若しくは侵食によって消え去った跡であると思われる小さな穴「ブルーベリー」を見つけ、斜層理と呼ばれる水の流れる場所で出来る地層構造も発見、以前これらの岩石の周りで水が流れていた事、それらの水はかなりの長期間に渡って存在していた事を裏付ける。
そして遂に、斜層理の構造を持つ岩石を発見し、そこから砂粒程度の石であったものが堆積・結合したものである事を割り出し、5㎝程度の深さの漣に縁って作られた事を明らかにする。これ即ち、メリディアニ平原は元は海岸であったという事だ。而もブルーベリーの件から火星の海も塩水であった、詰り火星にも地球と同じ海が存在していた事が実証されたのだ。
水の流れは、毎秒10~50㎝のスピードであったらしい事も判っている。
加え、露出した層の上の部分だけで無く、下の部分にもブルーベリーが発見されている事から、過去メリディアニ平原一帯はブルーベリーを形成した層――現在では時の経過と共に侵食されてしまっているが――大量の岩石が露出していたという事もオポチュニティは洗い出した。
これほど『火星探求の放浪者』オポチュニティとメリディアニ平原は深い絆で結ばれており、ローバーとしても素晴らしい功績を収めた彼女は、彼女が着陸したメリディアニ平原の一クレーター『イーグル』の別名として『オポチュニティ・レッジ』を賜った。
本篇で彼女が何故メリディアニ出身であったか、お解りいただけたであろうか。
本篇で彼女が関係する話を、もう一つしよう。
本篇では“緋色の空”を視る事の出来ない彼女だが“日没の空”はどうであろうか。スピリット・オポチュニティの双子のローバー、そして最も初めに最も偉大な功績を遺したマーズ=パスファインダーは、非常に美しい写真を撮っている。
少し長くなったが、本日の講義はここまでとする。
あの時も同じようにこの駅で乗って、北へ向かった。
ただ、乗った電車が特急かそうでないかの違いだけ―――
オポチュニティは泣きじゃくっていた。本人はそれでも一所懸命我慢をしているのだろうが、傍から見ればそうだ。
先程ヘラス平原で、その地域にしてはかなり大きな爆発が起こった。
「「・・・・・・」」
出口にまだ出きらぬ裏道で、彼等は大きな音を聞いた。振り返ってはだめ。カラードは背中を押す。
空気が変わった。此方にまで粉塵が届く。周囲が見えない事はなかったが、生温い風と共に、乗って来た薄い煙が肌に纏わりついた。
少し焦げた臭いがした。
出口にようやく辿り着き、カラードとも別れの刻が来る。オポチュニティは振り返り、涙目になってカラードを見た。
彼女を挿んで見る裏道の向い側は、遠くで紅蓮の焔が燃え上がっている。
『―――私は身重だから』
カラードは云った。
『・・・だから、私が案内人になったの。逃げられる様に』
カラードの頬を涙が伝う。顔についた土と混じって、金色の水が本来あるべき土へと散った。
『―――さよなら』
―――それは、一体、どういう意味であろうか。
「――――・・・」
リコネスは何だか疲れていた。否、この気分を“疲れている”と形容すべきなのか。その答えは何と無くわかるが、それは別にわからないでよかった。
「・・・・・・」
空が緋く、土も赤い。更には黄色い大地まで、紅く染まって視えてしまう。
―――いつまで経っても慣れない感覚。
リコネスはシートに身を預け、顔を正面から逸らしてゆっくりと眼を閉じた。
「リコネス・・・・・・?」
列車内で、どれ程の時間を過していただろうか。オポが泣き止むくらいだ。相当な時間が経ったのだろう。オポは顔を上げて、咄嗟にリコネスの方を見た。静かすぎて何だか怖い。
「リコネス」
返事は無い。だが彼はきちんと其処に居た。オポはホッとした。
しかし彼は何も言わない。ずっと顔を伏せた侭だ。いつもの様に緑の髪で表情を隠している。
「・・・・・・」
オポは黙った。あれだけの事が起こっていて、傷つかない人間がいる訳がない。彼女は表情を曇らせた。
彼に言わなければならない事がある。
列車内は不気味なほど静かだ。この列車には彼と彼女しか乗っていない、その様な錯覚に見舞われる。でもだから、判ったのかも知れない。
一定した、潜めているかの様にひかえめな、一回一回が長い呼吸―――
リコネスの肩が、微かに上下している。
(眠って、いるの―――?)
・・・思えば、彼の寝顔は、見た事がない。
三人で旅を続けていても、彼は夜はいつも何処かへ出掛けていた。それどころか、三人全員が別行動という事も珍しくはない。
一緒に居て、寛いでいる様に見えても、彼には隙というものが無かった―――今が一番、旬かも知れない。
オポはやっぱりオポだった。
オポは顔は泣き腫らした戦場にいた時の延長線で、少しずつ座席の前へと身体をずらしてゆく。・・・とはいえ、彼女もすっかり立ち直ったという訳ではない・・・まだ、ついさっきの話・・・否、事実なのである。
カラードの言葉が、脳内をリピートし続けている。
しかしオポは、すぐに元気にならざるを得なかった。泣くだけ泣けば、後はもう引きずらない。それはとても表面的で、その時他人に合わせるだけで、奥深くには留めておかない、他人事にしか考えていない、所詮はどうでもいいのだろう。実際にそう指摘を受けた事もあるし、彼女自身、シリアスを持続できない自分に嫌気が差していた時期もあった。結局は、それが自分なのだと最終的に受け入れた・・・否、妥協したが、何故沈痛でいるべき場面でこんなに明るく振舞っていられるのか、今でも不思議で仕方が無い。
「・・・・・・」
併し、奥深くに留めておかないからといって、決してこれまでどれ程大きな出来事があったのか、それを忘れた訳ではない。深刻に受け止めるか、軽く受け流すか、その違いこそあれど、一度真剣に受け止めたものを掌からひっくり返す様な間抜な真似は絶対にしない。
オポが音を立てない様に、座席から離れる。しゃがみ込んで、リコネスの顔を見上げるが、光が全く当らないので見えない。
・・・寝ている時まで隙が無いですか。ならば。オポは空気の流れを変えない様に、真直ぐの姿勢で立ち上がると、腰より上を前へ屈めて、リコネスの顔付近まで自分の顔を近づける。簾の様に顔に掛ったプール‐ブロンドの髪に触れた。
(こんにちはー・・・)
「・・・なに」
髪を上げると、しっかり開眼しておりました。
「きゃー!!」
オポは飛び退いて叫び、シートに真っ赤な顔をくっつけてリコネスからは見えない様にした。
「・・・こっちが叫びたいくらいだから」
「だってだって、まさか眠っているものだと思ってましたから!!」
「・・・・・・。そーいう問題・・・?」
しかし直前まで本当に眠っていた様で、元々下がっている目尻は益々とろんとしていた。頬杖を付き、窓の外に眼を遣る。
「・・・・・・」
ヘラスの景色はもう見えないはずだが。ガタガタと音のする窓に頭を寄り掛けた。顔色があまりよくない。
オポはそれを察すると拳をぎゅっと握りしめ、自分も神妙になるよう努めた。
彼には言わなければならない事がある。
「あっ・・・あああのリコネス!!」
声が裏返る。リコネスはびっくりしてオポの方を見た。オポは座席の上に正座して、腫れている瞼の上に更にまた涙を溜めている。
「どうし・・・「ごめんなさい!!」
・・・・・・突然に謝られてリコネスも反応に困る。黙っていると、オポの口から彼で以てしても想像のつかない台詞が飛び出してきた。
「演技・・・だったんです・・・・・・!」
「―――は―――?」
リコネスは固まった。意味が全く掴めない。思考が全然ついてゆかない。オポが勝手に喋り出すのを、ただ受動的に待っていた。
「二人・・・こうやって、無事に帰ってくるには、敵を信用させないといけないと思いまして―――」
――ああいうタイプの男は、他人から共感されるという事に、ひどく弱い。
その上、仲間意識というものに相当目覚めた人だから、仲間に逆らってまで共感してくれる事に、情緒的にぐっとくるに違いない。
加え、基本は敵だからといって相手をばっさり斬り捨てられない人間だ。あそこまで仲間に散々に責められ、傷つけられた人間に同情の視線を向ける事だろう。だから
『この人だって・・・!決して食べたくて食べたはずないんですよ!大体・・・・っ・・・選んだのはあなたでしょう!?』
何もそこまで言う必要は無かったかと思う。負傷し動けぬ兵士を追い詰めて更に刺す様なものだ。精神だけでも、息が詰まる程苦しいに決っている。
しかし彼の場合、それが外にはなかなか出ない。人間、やはり見た目で判断をする。心でどれだけ傷ついていても、それが表に出なければ、他人はなかなか気づかない。
勿論、彼自身は気づいて貰う事は望んでいない。けれども、今回の場合は其では困った。
オポがあれだけの事を言っていても、リコネスの方がいつもの調子ならば、バサーストは逆に彼は非情だという印象を受けるだろう。感情に訴えかけるあの場面において、カギを握るのは彼の素の反応であった。
これが、あの状況の中でオポが咄嗟に分析し、判断して見つけた逃げ道だった。
「―――あれが・・・演技―――?」
オポが泣き顔でこくんと頷く。リコネスは唖然として、見た目には単に泣き虫で幼い少女にしか映らない彼女を見つめていた。
「―――すご・・・・・・」
これが本格的な訓練を受けたスパイというものなのか。
「だって―――」
オポは体育座りをして、真正面からリコネスを見る。
「私はあなた側の人間ですよ―――?」
リコネスは彼女から目が逸らせなくなった。
「私は外部の人間ですし、戦場で生まれ育った訳でもありません。正直、今日初めて戦場へ行って―――あの人達が大変だという事は解りますよ。でも、全然計り知れませんもの。生きてる世界が違いすぎて」
―――でも。オポは横髪をくしゃっと握った。
「仲間を喪う時の気持ちは、私にも解ります。想像もつく」
オポは髪で隠れていない方の眼から、するすると静かな涙を落した。
「私だって・・・嫌です。あなたや、サーベスを失うなんて」
―――それは本気と、受け止めていいのか。
「食べられるなんて、以ての外です・・・・・・!」
「・・・・・・」
リコネスは俯いて、静かに眼を閉じた。
「リコネスが食べられるなんて、私は絶対に嫌ですよーーー!!」
食べられるなんて、嫌ですよーー!
食べられるなんて、食べられるなんてー、食べられるなんてーー
おいおい声を上げて泣きながら、何度も何度もこの台詞を叫ぶ。どさくさに紛れて。さすがに列車の乗客も愕いて、オポに皆が注目した。何に何が食われるのだろうか。
「―――何か、人間の命の価値が急に軽くなった気がする―――・・・」
心なしか、切なげに聴こえるリコネスの声。だがしっかりとツッコんでいた。いつもの彼に、戻りつつある。
オポは再び正座に戻して、深く、深く頭を下げた。どれだけ丁重にお詫びをしても、傷つけた罪が消えない事は解っているが。
「さんざんに、傷つく事を言って、本当に―――すみませんでした・・・・・・!!」
「てかさぁ」
え!? オポ、決死の告白を見事にスルーされる。ある種、ヘラスへ赴くその時よりもよほど覚悟を決めたのに。出鼻を挫かれた。
「アンタはアンタでいな?」
「え―――?」
気にしている事をちょうど言われた気がして、オポは胸がどきっとした。
「・・・っど、どういう事です??」
「ヘンに気を遣われるより、前みたいに他人の事情お構い無しのアンタの方がやりやすいってコト」
オポは何だか哀しくなった。私なりに頑張って他人のプライバシーを侵さない様にしているのに。無駄な努力だ。
・・・そもそも彼等は、スパイとゴシップ・カメラマン。立ち入ってなんぼの世界である。オポは自分の拙かった発想を大いに悔いた。
「・・・その天才の頭で、何を学んだのか知らないけど」
リコネスが目線を下に向けて何かをそのヘーゼルの眼に映す。やがて斜め45度でオポを捉えると、挑戦的な口調でこう言った。
「あの戦場が、俺の全てじゃないから」
「―――え?」
オポは目をぱっちりさせた。




