冊子の真相
10年前に俺が無くしたあの冊子は、なぜかリリが持っていたんだ。
しかし、経緯が全く分からない。いつどこでリリはこれを手に入れたのか。なぜ、病室に持ってこさせたのか。リリがこれを持っているということは、この冊子の中身をリリは読んだのか。中を見ていたとしたら、リリは何を思ったのか。
「……どうでもいいか」
気になりはするが、どんな真実があろうと俺の未来は変わらない。過去の俺に連絡したところで、どうせ同じ運命が待っているだけだ。
「……でも」
書いてやるか……。俺は冊子を開いた。恐らく今頃、10年前の俺が冊子を見つけ出しているのだろう。そして確か、『篠原拓哉 バカヤロー』と書き殴ったはずだ。
ところで、向こうの俺が書いた字は、こちらにどう届くんだ? 過去からの字がどのように表示されるのか、そういえば俺は知らない。知らないけど、恐らく活字に変換されて届くのだと思う。だとすれば、この冊子のどこかに『篠原拓哉 バカヤロー』という文章が活字で現れるはずだ。
「にしても、どのページに出てくるんだろうな」
最初の方のページは、10年前の俺のやりとりで埋まっている。まさか、ここにダブって現れるわけじゃないだろう。きっと、白紙のページから始まるはずだ。俺が最後の質問を書いたとき、冊子はまだ半分ほど残っていたから……この辺かもしれない。俺は適当に真ん中辺りを探り、冊子を開いた。
「……あれ?」
このページは、すでに多量の文で埋まっていた。
「もっと先か?」
俺はペラペラページをめくった。しかし、一向に白紙のページが出てこないまま、残りのページがどんどん少なくなってゆく。ようやく白紙のページが現れたのは、あとわずか数ページとなったときだった。さすがに、このページ数で「残り半分」というのは無理がある。
「……こんなに使ったっけ?」
どうも、俺の記憶と冊子の使用量が食い違っているらしい。俺はもう一度最初のページへ戻り、文を読みながら丁寧に見返してみた。
『篠原拓哉 バカヤロー』
【こんにちは。ずいぶんご機嫌斜めだね。どうしたの?】
『うるせぇよ! 誰だよテメー!』
【俺は、未来の君だよ】
最初のページ。ここから全てが始まったんだ。これは確かに俺の字で、下にあるのは未来からの返事だな。俺の記憶にもあるし、間違いない。俺はページをめくった。
『もういい。そっちの日付を教えてくれ』
【二○二八年、九月六日。ちょうどぴったり十年後だよ】
「あれ……?」
ここで、日付がオカシイことに気づく。だって今日は二○二八年、十月六日だ。九月六日は一ヶ月も前に過ぎている。ちょうどぴったり10年じゃなかったのか? どこかで歴史がズレたのか、未来の俺が嘘をついていたのか。よくわからない。
何かが腑に落ちないまま、俺はページをめくっていった。交互に並ぶ、10年前の俺の文字とそれに対応する活字……。そして。
『やっぱり、リリと別れるまでの経緯を教えてくれないか?』
俺は、俺自身が書いた最後の質問へ辿り着いた。この質問には、結局返事は来ていなかった。そして、この段階ではやはり、ページは半分ほど残っている。俺の記憶は正しかったのだ。とすれば……
「この先には一体、何が書いてあるんだろう……」
俺はゴクリと唾液を飲み込み、そっとページを開いた。
「……私も、別れたくない……よ? ……ん?」
次のページはほとんど白紙だった。ただ、ページのど真ん中に『私も、別れたくないよ』と書いてあった。そう、「リリの字」で!
「いつ……書いたんだ? 最近か? 10年前か?」
俺は混乱した。あるいは……。
「前のページのやりとりを読んで、俺に振られると思ったのか……? だから、別れたくないっていう意思を、未来の俺に伝えるつもりだった……?」
リリが死んでしまった今、その答えを知る手段はない。だけど、どこかの段階でリリがこの冊子を見つけ、中身を読んでいたことは確実だ。つまり。
リリも、将来俺と別れることになる、という事実を知っていたということだ……!
「だからあの検査の日、リリは俺とのデートを優先したのか? 断ったら、俺に振られると思って!?」
思えば確かに、あの時のリリには謎の焦燥感があった気がする。……って、皮肉過ぎるだろそんなの。二人を結びつけてくれたこの冊子によって、俺たちは永遠に引き離されてしまったんだぞ……。
「何のための冊子だよ……」
こんな結果になるんだったら、冊子を見つけることも無く、リリとも結ばれることもなく、何も知らないまま一人一生を過ごした方が、まだマシだったんじゃないか。リリだって、死なずに済んだはずだ。
「冊子のお陰で手に入った幸せの代償か……」
俺はうなだれながらも、ページをめくった。この先はだいたい予想がつく。きっと、この冊子を手にした10年前のリリが、未来のリリとやりとりしたのだろう。
「一体どんなやりとりを……」
若干の期待を胸に、俺はページを開いた。
【篠原拓哉 バカヤロー】
『こんにちは。ずいぶんご機嫌斜めだね。どうしたの?』
「……ん?」
出てきたのは、最初のページと同じ内容……だった。一瞬肩すかしを食らった俺だが、すぐに気づいてしまった。今までの全てを覆す、とんでもない点に。
「リリの……字?」
まず、「篠原拓哉 バカヤロー」という文字は、俺の直筆ではなく活字に変換されている。これは、未来に届いた10年前の俺からのメッセージだろう。問題は、その下に書かれた「こんにちは。ずいぶんご機嫌斜めだね。どうしたの?」という文。
この文が、どう見てもリリの直筆だったのだ!
俺は混乱した。混乱して、慌ててページをめくる。
『俺は、未来の君だよ』
【嘘つくなよ! そんなわけあるか!】
『嘘じゃないよ。君のことは何だって知ってるし、これからどうなるかだって知ってる』
「なんだこれ……」
【じゃあ、俺の好きな食べ物は!?】
『どらやき』
「何かの間違いだろ……」
【もういい。そっちの日付を教えてくれ】
『二○二八年、九月六日。ちょうどぴったり十年後だよ』
「どうなってるんだ!?」
活字に変換された俺の字の下に書かれていたのは、全て、リリの直筆だった。微妙に震え、形が悪いこの字は、入院して力の衰えたリリが書いた字そのものだった。
「そういう……ことだったのかよ……」
――10年前の俺に返事を書いていたのは、俺じゃない。……リリだったんだ。
そうだと分かった瞬間、俺の中で色々な謎が解けた。リリが将来死ぬことを「別れる」と表現したのも、具体的なことを教えてくれなかったのも、相手が未来の俺ではなくリリだったからなんだ。
恐らくリリは、今の俺に気を遣い、過去の俺がリリではない人間と結ばれるように、仕向けようとした。だけど、「過去の自分から幸せを奪いとってしまう」という部分で葛藤が生まれ、「磯本には告白するな」という一言を、最後まで言えなかったんじゃないだろうか……。
――【そうか。それならそれでいいんだ。今の俺とは違う道を歩むのも、悪くはない。いい出会いがあることを祈ってるよ】
この文章を書いたときの、リリの複雑な心境が今の俺にはよく分かった。
『未来の私は死んじゃうから、私以外のいい人を見つけて、その人とたっちゃんが幸せになることを祈ってる』
リリの言葉に訳せば、きっとこういうことだろう。
――【少なくとも付き合っていた期間は幸せだったし、だから過去の自分から幸せを奪いたくないという気持ちはある。でも、今の俺はやっぱり、後悔してるから、同じ運命を歩んで欲しくない、という気持ちもある】
こっちはきっと、こんな意味だ。
『たっちゃんと一緒に過ごした毎日は、とても幸せだった。だから、過去の私にも同じ経験をしてほしい。だけどきっと、たっちゃんは私を失ってとても苦しんでるから、私とは出会わないで欲しい、って思う気持ちもある』
衝撃の事実に全身の力が抜け、放心状態になる俺。
10年もの間、リリにうまいこと騙されていたということか。まったく、なんて鈍いんだ俺は。考えてみろ。「こんにちは」なんて言葉、俺使ったことないだろう……。
これで、何もかもが終了した。俺の仕事だと思っていたことはリリの仕事だったし、過去の俺は冊子を無くしている頃だ。もう過去の俺に何かを伝えることもできないし、伝えられたとしても状況は変えられない。もうどうしようも……
「……待てよ」
俺は気づいた。確かに、10年前の俺はもう、冊子を無くしている。じゃあ、その冊子は今、どこにある?
「もしかして、10年前のリリが持っているんじゃ……」
俺は、冊子の最後の方にある、白紙のページを開いた。もし、俺が経験した10年前と同じ出来事が起これば、ここにはきっと、きっと……!!
「……きた」
まるであぶり出しのように、一部が黒くなり始める紙。ポツポツと複数箇所に現れた黒い小さな点のようなものは、それぞれが徐々に拡大、伸びてゆき、隣の点と繋がってゆく。そして……
【私も、別れたくないよ】
10年前のリリが書いた文字が、たった今、ここに届いた。




