魔王様の烏滸鳥《過去》
ぴっぴぴぴー。
「いや、もう少し。ここを剪定したら終わらせるから」
ぴぴぴっぴっ。
「先も同じ事を言った?そんな事はない、気のせいだ」
ぴーっぴぴぴーっ!
「ああ、分かった、悪かった。ここで区切りにするから許せ」
漸く作業の手を止めた御主人様にぴふんっと声を荒げる。全くっという意味を込めて。
ここは屋敷の庭園。母屋からは死角になって見えないこの一角で、御主人様はこっそりと菜園を作っていた。
先の見えない生活。御主人様は自分に出来る事を探そうと、手近な家庭菜園から始めたばかりだ。馴れないせいであちこち土や葉っぱまみれ、手には切り傷もついてしまっている。
御主人様のお父様は過去の栄光を取り戻そうと躍起になっていて、周りが見えていない。
それは誰の目からも明らかで、憐れみを誘った。それがまた彼の神経を逆撫でし、更に権力に固執していく悪循環を生み出している。
御主人様は何度もお父様に働きかけたが、聞く耳を持たない。
それどころか、いずれ返り咲いた時に必要になるからと無理矢理に、教養を身に付けさせるべく残り少ない私財を投じて教師を宛がう。
困窮する生活を憂いた御主人様は、自分がどうにかしなくてはと様々な方面に手を出し始めた。ーーこちらが心配になるほど意欲的に。
私や、あの目付きの悪い馬丁が見ていないと、御主人様は倒れるまで働いてしまうのだ。
私の目が黒い内はそんな事態にはさせないのですからね!
様々な道具が置かれた作業台の上に仁王立ちし、勇ましく御主人様に向き直る。
御主人様は土にまみれた手を水桶で洗うと、よしよしと私の頭を撫でた。
ちょっ、濡れ手で撫でるとは何事ですか。黄色くふわふわな自慢の羽毛が濡れるじゃないか!
「ほら、これで機嫌を直せ。な?」
これでどう機嫌を直せと?悪化させてるの間違いじゃないか!
ーーと、心の内では大層憤慨しているものの、実際は撫でられる心地良さに敵わず、ぴふぅと間抜けた声が漏れてしまう。恨めしい手だ、全く。
「本当にお前は俺に撫でられるのが好きだな」
御主人様こそ私を触るの大好きでしょうに。いつもいつも、撫で過ぎなのですよ。
「仕方ないだろう。そうまで悦ばれれば俺とて悪い気はせん。可愛い小鳥を愛でたくなるのは至極当然だ」
ぴぷっ。へ、変な事をさらりと言わないで下さい。どこの放蕩有閑貴族ですか。
「貴族なのだがな、実際」
そうでした。没落貴族、バイシュ侯の御嫡男でしたね、アッシュ様。
「おや、鳥頭でも主人の名くらいは覚えていたか。偉いぞ小鳥」
馬鹿にしてますね。
気分は魔王討伐へ赴く聖騎士。勇ましく御主人様の手から肩へと駆け上がり、項で揺れる濃い茶髪をつくつく攻撃した。
「こら、御主人様の髪を引っ張るとは何事か」
主人が道理を逸れた時、それを正すのも忠臣の勤めなのですよ。
「鳥基準の道理を説かれてもな」
人の視点だけでは見えない事もあるのです。多方面の意見や思考を柔軟に取り入れてこそ、立派な名君になれますよ。
「……本当に変わった鳥だ、お前。他の者には聞こえぬ声が何故俺にだけ分かるのか。ーー耳は確かにぴぃぴぃと鳴き声を聞いているのに、頭で言葉に変換されている。この異様さ、いつになっても不可解だ」
それは私が特別な鳥で、貴方を主と認めてあげたからですよ。つまりは私の恩恵です。その行幸に感謝し、涙し、崇め奉っても良いのですよ。さぁ、心置きなく!
ぴふんっと胸を張ると、額を指で弾かれた。
い、痛ーっ!か弱い小鳥に対してなんたる暴行ーーこの悪魔、魔王っ!
「主と認めたなら殊勝に仕えろ、馬鹿め」
私は馬でも鹿でもありません、鳥なので許容しかねます。殊勝とは美味しいものなのですか?それを口にすれば、極悪非道な悪魔王も改心する、という事でしたらやってあげなくもないですよ。
御主人様は、天を仰いで疲れたように溜め息を吐くと、肩にいる私に手を差し出した。渋々とその掌に乗ってやると、顔の前に運ばれた。
じろじろと不躾な視線を寄越す御主人様。
なんですか。文句があるなら聞くだけは聞いてあげますよ。
「……こうも尊大な鳥、俺以外に飼えるものか」
ぷふん、貴方以外に飼われる気はありませんから問題ないのですよ。無用の心配です、残念でしたー。
勝ち誇ったようにそう伝えたのに、それが何かの琴線に触れたらしい。
驚いたように目を少し丸くして、そしてーー。
御主人様はふっと柔らかく、笑みを溢した。
ーーくそっ。中身は真っ黒な魔王様のくせに、笑顔だけは上等とか。詐欺だ、全く。
吐き捨てる言葉と裏腹に、心はふわふわと浮き立ち高揚する。耐えられなくなって、顔を背けてしまった。
ーーなんと表現すれば良いのか。この、ずっと見ていたいのに直視したら爆発しそうな、何とももどかしい感覚は。
これはなかなか見れない貴重な笑顔なのだ。だから見たい。
けれど意味も分からず破壊力抜群なんですよ、これ。いきなりやられると心臓に悪い。胸が痛い。
そわそわと落ち着きなく狼狽える様が余程滑稽だったのか、御主人様はくっと身を屈めるとぷるぷる悶絶し出した。くつくつと涙まで浮かべて笑っていやがるのですがーーなんか屈辱だ。
いきり立って足下ーー御主人様の掌を嘴で突っつきまくってやった。いい加減笑い止めってんですよ!
はぁーーと、やっと落ち着いたらしい御主人様が長く息を吐いて、顔をあげた。
きらきらと、大笑した名残の涙が目尻に溜まり、瞳を潤ませる。その中に私を映し込みーー閉じ込める。
ーーくそくそっ。その顔絶品、とか思ってないんですからね!蕩けるような微笑とか犯罪だ、誰かこの人捕まえてーっ!
「お前が捕まえればいい」
な、ななな何をぅっ!?
「お前にだったら捕まってやろう。可愛い可愛いーー俺だけの小鳥」
まるで睦言のようだーーと思って固まってしまった。その隙を狙ったかのように、してやられた。
ーーちゅっ。
軽い音を立てて、額に温かくて柔らかなものが触れた。
ーー冗談抜きで、一瞬気を失った。
ころんと転がった私を御主人様が両手で抱えてくれたようで、落下はせずに済んだようだ。しかし元凶はその人だ、感謝などしないーーしてなるものか。
な、ななな、なななな……っ!?
意味のない言葉の羅列はそのまま嘴からも漏れた。音は「ぴっ」であったけど、大差ない。
御主人様が先程よりも盛大に吹き出し、笑い悶える様が、憤死しそうな程に憎らしくーー。
悔しい程に愛おしかった。