雷鳴
芹沢は、だらりと剣先を下げたまま二人に対峙した。
斬り込みを誘っている、と言うより、傲然と土方と沖田の力量の程を値踏みしているかの様に見えた。
『お梅、お前は退いてろ』
言われる間でも無い。お梅は意外な程の俊敏さで、この死闘の場から飛びずさって距離を置く。
その一瞬の間隙を突いて、沖田が上段からの鋭い袈裟斬りを見舞う。だが芹沢は難無く受け止め、
『…柔な太刀筋だ。俺を揶揄ってるのか?』
にやり、と好戦的な笑みを浮かべるや、怖ろしいほどの膂力で刃を切り返し反撃に転じる。
すかさず土方が猛然と突きを繰り出すも、芹沢は煩わしそうに撥ね退け、返す刃で暴風の如く周囲を一閃した。
『さあ、愉しい夜にしようじゃねぇか。せいぜい俺を酔わせてくれよ』
芹沢の語尾に音高く轟く雷鳴が重なり、この夜の死闘の始まりを告げていた…。
『あぁ、寒ぅ寒ぅ』
この夜、平山 五郎と同衾していた芸妓の吉栄は、厠で用を足した帰り、ひどく冷え込んだ廊下で一つ身震いした。
雨は相変わらず降り続いている。その激しい雨音から漏れ出る様に、時折、何か鉄を打ち合わせた時の様な甲高い音が響いてくる。それが吉栄を不審がらせた。
『なんやろ。えらい騒々しい…』
吉栄が総てを呟き終えるより早く、不意に背後から手が現れて彼女の口許を塞いだ。
『…おっと、静かにしろよ。別にアンタの命には用はねぇ』
その手は雨に濡れて、その冷たさが一層吉栄から生きた心地を奪う。
『これからチョイと物騒な事がおっぱじまる。巻き添えになりたくなけりゃあ、すぐにこっから帰んな』
分かったか、と男に念を押され、吉栄は震えつつも首を上下に頷かせる。
やがて男の手がすっと離れた途端、吉栄は放たれた小鳥の如く、慌ただしく外に駆け去っていった。
その男…原田の視線は既に憐れな芸妓から、彼の狙う標的の居る部屋に向けられている。
平山もまた、その首領の芹沢と較べれば数段落ちるが、歴とした神道無念流皆伝の腕を持つ。油断出来ぬ相手には違いない。
…平山の左側からは決して仕掛けるな。
じりじりと平山の眠る部屋に忍び寄りつつ、原田は事前に土方に言われた事を思い出していた。
平山は昔、さる事故で左目を失い隻眼である。だが、この男の凄味はその身体的な不利を一種の戦術にまで昇華させていた。
初見の相手は隻眼の平山を侮り、彼の死角たる左側から仕掛けようとする。
だが、それこそ平山一流の誘いであり、左を攻めた瞬間に烈火の如き凄まじさで『右胴』が放たれ、その餌食にされる。平山の右胴の抜き打ちだけは、隊でも防ぎ切れる者は居ないとまで言われているほどだった。
『面白ぇ。なら俺が平山の右胴を破った、最初で最後の男になってやるよ』
ふと、庭の『ある物』に視線を移して原田は不敵に笑った。その眼光は紛れもなく、生まれついての喧嘩屋のそれだった。
不意の気配に平山は目を醒ました。
『…吉栄か?何している』
そう口走った時には、既に枕元の刀をひっ掴んでいる。
返事が戻ってこない事が、この手練れの剣士をして、我が身に迫る危険を悟らせる。
やがて、ごとり、と無遠慮な音が響き、
『平山、冥土のお迎えが着いたようだぜ』
『猪武者の原田か…』
さっと布団を撥ね退け、態勢を整えた。既に酔いは消えている。闇の中、平山の独眼が油断無く動いて周囲を警戒する。
どうやら敵は原田一人だけらしい…素早く平山はそう見抜くとゆっくりと身を運び、じりじりと左寄せに原田との距離を縮める。
これから障子を開け、猛然と斬り込んで来るであろう原田が、平山の『死角』を存分に突ける様、お誂え向きな体勢をわざわざ御膳立てしてやった。
障子一枚隔てた部屋の外、原田は案の定、平山の誘い通りまるで吸い寄せられる様にして平山の意図する通りに動いている。
馬鹿が…その人影をちらりと見やり、平山は内心ほくそ笑んだ。
ぴたり、と互いの足が動きを止める。互いの心の臓の鼓動が漏れ聴こえそうな、この暗闇の静寂に暫し二人共その身を委ねる。
刹那、耳をつん裂く様な雷音が轟いた!
原田が先に仕掛けた!殴り飛ばされた様に障子が勢い良く開け放たれ、暗い室内、一個の物体が平山の死角めがけて飛び込んでくる!
『阿呆が、かかったなっ!』
平山は振り向き様、雷光の如き抜き打ちを叩き込んだ。たちまち鈍い音が部屋いっぱいに鳴り響く。
この平山自慢の必殺の右胴を喰らえば、人の胴など軽く両断されるだろう。…あくまで『生身の人間』であったなら…。
『…なっ!』
平山は強烈な手の痺れと共に、眼前を見やって絶句した。そこには原田の姿は無い。代わりに一個の、大人が三人掛かりで運ぶ様な重々しい石灯篭が平山の刃を受けて立っているではないか。
『阿呆はテメェだ!』
慌てて振り向く平山の、その喉頸を原田の刃が容赦無く一閃した。
ひゅうう、とまるで下手な笛吹きの音色の様な音を立て、平山の首筋から大量の血が迸る。
原田は平山の狙いを全て承知した上で、巧みにその裏を掻いた。平山のその恐るべき一刀目を石灯篭を盾に防ぐ。それさえ躱してしまえば後は怖くない。
もっとも、この策は重い石灯篭を一人で軽々と担ぎあげれる原田の剛力があればこそ、だったが…。
『て、てめぇみてぇな馬鹿に一杯喰わされるとは…』
絶命し崩れ落ちる平山に『五月蝿ぇ』と悪態を返し、
『テメェとは、頭の出来が違うンだよ!』
皆が聞けば、小首を傾げるであろう事を言い放ち、原田は鼻で笑ってみせた。




