襲撃
御倉 伊勢武が前川邸の一室、静かに機を待つ土方らに状況を報告したのは、亥の刻の終わり頃であったろうか。
『そうか、御苦労だった』
全て土方の計略通りに事は運んでいる。だが、これしきのことで得意絶頂になる様な可愛げなど、この男は持ち合わせていない。
『手筈は分かっているな?』
氷の刃に似た、土方の視線が三人を捉える。
『平山の野郎は、俺に任せてもらうぜ』
原田が不敵に破顔って見せる。国事や尊王攘夷などといった小難しい事にはからっきし興味も無く『三度の飯も、喧嘩も好き』といった単純明快な男だが、こういった荒事には非常に頼りになる男だった。
次いで土方の視線が、すぐ隣の山南に注がれる。山南の心境は原田の如く竹を割ったようにはいくまい…少なくとも土方はそう見ている。
『…分かっています。平間君が私の相手でしたな』
土方と並び、浪士組の副長を務める男は重々しく頷いてみせたが、その表情には一抹の苦々しさが融け混じっている。
山南は学織も教養も十二分に持ち合わせた男だ。それゆえに良識溢れ、慎み深い。如何に事態が差し迫っているとはいえ、躊躇い無く昨日までの同志を斬れる男では無い。
『遠慮は要らん。念の為に再度言っておくが、この芹沢粛清は隊で禁じられた私闘ではない。あくまで京都守護職たる会津藩より内々の命を受け、奴等を斬るのだ』
大義はある、と土方は言いたかったのだろう。そう言い放つ事で山南を含め、この場に居る刺客たちの罪の意識を、まるで蝋燭の火を吹き消す様に消し去ろうとした。
肝心な処でその戦意を萎えさせてもらっては、斬り殺される役が此方に回ってくるやも知れないのだ。
『芹沢の相手は、俺と総司がする。山南さんと原田は当面の敵が片付けば、すぐに後詰に入ってもらおう』
巧妙な謀略で『敵』の腹心たる新見を排除し、手下の野口に揺さぶりをかけてこちらに内通させた上、さらに酔い潰れた芹沢の寝込みを二人がかりで襲う…。
そこには見栄も外聞も無い。まるで詰将棋の様に、如何に効率良く敵を葬り去るか、という冷徹な計算しかなかった。
自分には、ここまでの周到な悪謀を思いつけても、今の土方の様に徹底的に実行など出来そうもない。十中八九、そうすれば勝てると分かっていても。
ましてその相手は啀み合ってきたとはいえど、今日まで苦楽を共にしてきた同じ隊の連中であれば尚の事である。
山南は自らと土方との差に、戦慄すら覚えていた。
この男は、本当に変わってしまった…と山南もまた沖田と同じ思いに駆り立てられた。
今の土方ならば、自身の目的の為なら例え親の仇でも平然と手を結び、逆にその障害となると判断すれば、神仏でも斬って捨てる。そんな凄味すら感じさせる。
言うに及ばず、かつての同志への哀惜など、一顧だにしないに違いない。
『頃合いだ。出るぞ』
そんな山南の想いをよそに、土方はあくまで冷徹に『襲撃開始』の命を下した。
いつもなら、開けると大袈裟に軋んでみせる裏戸の音が、まるっきり周囲に響かない。それを上回る音量で天からの豪雨が降りしきっている。
たちまち濡れ立った襲撃者たちだが、流石に全員、一流の使い手ばかりである。裏口を抜けるや、打ち付ける様な雨をものともせず素早い身ごなしで八木邸の中庭まで辿り着いていた。
そこから山南と原田が、それぞれの標的を目指して左右に散ってゆく。雨が月の光すら遮り、今宵の闇は一層深い。すぐに視界から二人の背が消えた。
残る土方と沖田は、まるで雨に打たれる石灯篭の如く、その場から動かない。
…いや、動けなかった。
芹沢は一筋縄でいく相手ではない。僅かの隙や一瞬の油断が即、こちらの死に直結する。酔い潰れているとしても、細心の注意を払うだけの対価は有った。
二人はその全神経を刃の様に研ぎ澄まし、周囲の、ごく僅かな気配の変化さえ残らず嗅ぎ取ろうとしている。
が、無間地獄を思わせるこの間に、先に沖田が焦れた。その気配を土方は鋭く読み取るや、ここらが仕掛ける潮と判断したのだろう。
脇差をそろり、と抜き放つ…この状況では何にも勝る合図だったろう。それを見た沖田も土方に倣って刀を抜き、無音のままで芹沢の眠る部屋に近付いて行く。
やがて縁側から廊下へ、沖田はひらりと身を舞わせた。それに遅れて土方も障子ごしに身を寄せる。
僅かな息の乱れすら憚られる様な張り詰めた空気の中、二人は互いに目で合図を送りあう。土方の手が、動いているかどうかも判らぬほどの慎重な速度で闇の中を泳ぎ、やがて障子に手をかける。
障子が勢いよく開くと同時に、矢の疾さで沖田が部屋に飛び込んだ!
だが、部屋はもぬけの殻だった。芹沢が、居ない。
戸惑う沖田…不意にその背後の闇が殺意を込めてたなびく。
『総司っ!』
土方が叫ぶ!沖田は電光の疾さで身をよじり、背後からの斬撃を辛くも躱した。
『…本気で叩っ斬るつもりだったんだが、流石に良い身ごなしをしてやがる』
褒めてやるよ、とその斬撃の主は笑った。
顔こそ闇に隠れていたが、その声は紛れも無く彼等が今宵、その命を奪わんとする男の声だった。
『俺ァ、近藤の野郎に忠告したつもりだったんだがな…』
その内心の戦慄を隠し切れない土方や沖田とは対照に、彼等の『標的』は寧ろ気安く笑いかけてくる。この場に来て、その気安さが逆に怖ろしい。
『この芹沢の命を取るに、たったの二人しか刺客を寄越さねぇとは…神道無念流皆伝も随分と舐められたもんだ、なぁ?』
剣先を向け、じりじりと間合を稼ぐ刺客どもに構わず、芹沢はあくまで悠然とし、
『俺ァ、この命なんざぁ、別に惜しくもなんともねぇ。だが、テメェらみたいな若僧に、そう安々と呉れてやろうとも思わねぇ…』
言うが早いか芹沢は持った酒を口に含むや、勢いよく刀身に吹き付け、
『…って訳だ。この芹沢の命が欲しけりゃ、死ぬ気でかかってきな!』




