何を思う
「日本の陸軍と海軍は敵同士か?」
かの伍長閣下がそう言ったかどうかはさて置き、いわく付きである事に間違いない戦闘機・飛燕のエンジン。当時の日本の技術力では液冷エンジンの運用はおろか生産もおぼつかない状態で「飛べば故障のお祭り」とひどい言われようであった。
しかし最高の状態で飛ばす事ができればこれ程最高の機体は無いと評価するパイロットがいたのも事実である。事実、高度一万メートルで編隊飛行が出来た旧軍機は飛燕だけだし、飛燕の機体を流用した五式戦は二次大戦最優良機P51ムスタングと互角に渡り合える実力を持っていた。両者とも基礎設計の高さが伺えるエピソードだ。
完調されたエンジン。液冷エンジンを熟知したパイロットとエンジニアが欠かせない非運の戦闘機・飛燕
無故障で信頼性の高い栄エンジンを積んだ零戦よりも惹かれるのはナゼだろう。
ジュリアは自問自答しつつ己の駆るDトラッカーと照らし合わせて見た。
カワサキのバイク全般にいえる事なのだが何か危ういものがあるのだ。それは別に機械的な欠陥があるわけでは無く怪しい別のなにかだ。実際に乗ってみると解るのだが武骨なデザインとは裏腹にその乗り味は実に繊細だ。いや、繊細と言う言葉が当てはまるかというとそうではない。やはり「危うい」という言葉の方がしっくりくる。
ゴリゴリと音をたてる独特のエンジンフィール。
ニーグリップをおろそかにすると安定しないフレーム。
油断しているとライダーを振り落としかねないパワー。
無理に例えるなら日本刀の妖刀に似た雰囲気をどの車両も持っている。その鋭い切れ味の対価として主人の命を削いでいくような、自らの寿命を縮めるような、とにかくそんな危うさが魅力のカワサキ車。
妖刀が主人を選ぶように、まるでバイクが乗り手を選んでるような硬派な感じがあるので「漢カワサキ」というアダ名がある位だ。
それが昔の航空機に当てはまるかどうか解らないが、今自分の目の前にあるDB601を見てるとそんなカワサキ独特の雰囲気がこの頃からあった気がジュリアはしてならない。
遊就館で見た艦上爆撃機「彗星」のDB601は完全な状態で保存されておりガソリンさえ入れれば始動出来そうな感じだった。熱田製のDB601は時計屋メーカーらしく実に細部まで繊細に作り込まれている印象を受けた。
対して所沢航空発祥記念館のDB601はスーパーチャージャーはおろか、カムカバーが著しく破損しておりバルブとカムシャフトが露出していた。
このような都合から最大の特長である倒立型エンジンにも関わらず逆さまに展示されておりクランクケースが普通のエンジンのように地べたに着いている。
しかし、それが逆に修羅場を潜り抜けた猛者のような凄味を発しており、感じるものだけに何かを訴えているようにも見える。
状態的にも決して動く事のないエンジンなのは一目瞭然なのだが今にも鉄の焼け焦げる匂いと爆音がしてきそうな生々しさはまるで本能的に死を拒絶している様にさえ思える。
「俺はまだ飛べる」
鋳鉄の持つ鈍い鉛色のエンジンブロックからそんな声が聞こえてきそうな感じがジュリアはした。
ガソリンの血液を燃やしたピストンは往復運動をクランクシャフトに伝えて動力に変え、オイルはシリンダーの中でその暴力的な圧力と熱に耐え、クーラントは血管のようにエンジンを巡り熱を奪い続ける。
そこから絞り出される1170馬力の出力。
遊就館のDB601からはこのような印象は受けなかった。展示用として生まれ変わり起動される事もなくその余生を送る者と、戦いの中で朽ちていった者の違いなのだろうか?
ただの工業製品のはずなのに違った印象を受けるのはナゼなん
だろう。ジュリアはその答えを見出せないままDB601の前に立ち尽くしていた。
所沢航空発祥記念館を退館して航空公園内に設置してあるベンチにジュリアは佇んでいた。
前回の遊就館の時とは違い、別にショックを受けた訳ではないのだがなんとなくこのまま帰るのが少し勿体無いような気がするのからだ。
もう少し見学後の余韻に浸りたいというか、新宿とは違ったのんびりとした感じを堪能したいかは解らないが兎に角そうしたかった。
遠くで子供達が楽しそうな遊び声が聞こえる。
昼下がりの柔らかい陽の光が木漏れ日となりジュリアに降り注ぐ。
館内の人工的な照明と違い心地がいい。そよ風が時折、髪をすり抜けて行く。
新宿の雑然とした雰囲気とは違いここは開放的で静かだ。都会で働く者にとって全てがどこか懐かし感じに包まれている。
所沢航空発祥記念館の展示物は比較的、近代のものが多かった。
展示用にエンジンが抜かれた機体やエンジンの構造を解りやすくする為にカットモデルにしたものかが幾つかあったりもした。
それらも見ていて面白いのだが一際異彩を放っていたのがやはり飛燕のエンジンDB601だ。
彼の持つ独特な雰囲気は展示物と言うにはあまりにも生々しすぎた。
しかしそれが見るものを惹きつけてやまない何かなのだろう。機械なのに『彼』という表現を思わず使いたくなる程だ。
志し半ばで朽ち果てた無念さなのか?
やり遂げられなかった悔しさなのか?
自分自身では抗えないもどかしさなのか?
DB601、その鋼鉄の心臓は何を思いながら戦いに望み敗れていったのだろう。
空を見つめると一筋の飛行機雲が伸びている。西の空は夜になる準備を始めていた。




