66. 魔法の日
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アルトが傾けた革袋の中から白っぽい破片が五つ程机の上に零れ落ちた時、すぐにはなんだか分からなかった。
一拍の間を置いて布だと気付く。ランプの灯の中でオレンジ色に染められた破片は、どれも縁が焼け焦げて見えた。
「すみません……」
そう口にした彼は苦し気で――――それでようやく、何年も前に自分が贈った物に思い至った。
「あなたが刺繍を入れてくれたハンカチです」、と推測がすぐに肯定された時、微かに動揺した。
故意の筈がないと分かってはいるけれど、どうしてこんなに無惨なことになったのだろう。
「迷宮で何度もあなたの存在を感じました」
そうしてアルトは、迷宮で彼に起こったことを少しだけ話してくれた。
わたしは自覚的には何もしていない。でもアルトの話に思い当たることならあった。
長い道程の間にわたしもアルトの存在を何度も感じていた。姿を探して周囲を見回してしまうくらいにはっきりと感じたこともある。
ハンカチを通してアルトもわたしを感じていた――――――――――?
ならあの時は……
「四日前……」
その時のことを思い出し、思わず呟く。
するとアルトがはっと表情を強張らせた。失言だったかもしれない、と咄嗟に思う。
「四日前―――――――?」
続きを促され、躊躇いながら応えた。
「体に突然衝撃を感じて……一度倒れたことが……」
それ以上は口を噤んだ。
四日前の朝、泊まっていた宿を出た直後に雷に打たれたかのような衝撃を感じて、わたしは一度路上で倒れている。もう進めないかもしれないと思ったけれど、ミラトルに簡単に戻れるような距離でもなかった。
何よりも怖かった。
もう二度とアルトに会えないのではないかと思えて、歩くことをやめられなかった。でもわたしの体調が急速に悪化したのはその日からだ。
「やっぱりこのハンカチはあなた自身に繋がっていたのですね……」
破片に視線を落とし、アルトが言う。その表情があまりに辛そうで、口を滑らせてしまったことを後悔した。
焼かれた破片。
あの時にこうなったの―――――――――?
小さな欠片を見つめて思った。
それからアルトが話してくれたのは、四日前に彼が経験したことだった。
聴き終えた時、膝の上できつく両手を握り締めていた。このハンカチにどうしてそんな力が宿ったのかとか、そんな疑問は消し飛んでいた。震えが止まらなかった。
二千年の時を超える魔法使いがいるなんて。
世界が滅んでいたかもしれなかったなんて。
一歩の違いでこのひとを失っていたかもしれないなんて――――――――――――
声も出せずにいると、「あなたのお蔭です」とやっぱり苦し気に言われて驚いてしまった。わたしは自分の意志で何かをした訳ではないし、こうして無事に再会出来たのだから、アルトが未だに辛そうにしている理由が分からなかった。
ふと、彼の手が破片を守るように机上に置かれていることに気付く。
わざわざ拾い集めてくれたの―――――――――――?
彼の目の前でばらばらになったと言う布がここにある理由を思う。
それが裂けたことで自分を責めているの……?
その場にいて切り裂かれたのが自分自身だったとしても後悔はないと思うのに。
「わたしにはあなたの無事以上の贈り物はありませんよ……?無事に戻って来てくれたからもう一度刺繍も贈れます」
想いを口にするとアルトは小さく目を瞠り、ちょっとだけ表情を和らげた。
「……わたしもあなたの無事以上のことを望んでいません」
焼け焦げた破片に魔法使いがそっと手を触れる。そこで彼は少し考え込むようにして。
「でも今度はあなたの瞳の色にしてくれませんか?」
真っ直ぐに瞳を合わせて言われてどきりとした。
黙って頷く。胸が一杯で声が出なかった。アルトは無言で破片を革袋に戻し、口を縛った。
「そっちへ行ってもいいですか」
「はい」
静かに尋ねられ、静かに応える。窓の外はもうすっかり夜を迎えていて、部屋を照らしているのはランプのオレンジ色一つだけだった。
テーブルを廻り込んで来たアルトに手を差し出される。手を取って立ち上がると、そのまま抱き上げられた。
緑の瞳が近付く。互いの唇が触れた。
優しく包み込むようだったそれまでのキスとは違う、熱く、深いキス。
もしかしてこのまま……?
しっかりとした腕と胸板を感じて心臓が爆発しそうになる。
少しだけ肌が離れ、間近に彼の瞳を見た。
「魔法で抑えているので」
「……?」
「ミラトルに着くまで解きませんので」
「はい……?」
「まずは早く体を治しましょう」
「……抑えている……?」
すると切なげに微笑まれたので、本当に心臓が爆発したかと思った。
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その後アルトはまた食事を頼んでくれて、部屋には夕食が運び込まれた。
アルトの旅装は普段よりは簡素だったけれど、それでもわたしの格好とはあまりに不釣り合いだったから、結局どんな宿に泊まっても注目されていただろうと思う。食事を部屋へ運んで貰えるのは精神的にも身体的にも楽だった。
食事をしたり、一人ずつ湯浴みをしたりしたらそれなりの時間になった。
見知らぬ場所で初めて二人で迎えた夜は静かで、穏やかだった。
寝間着姿のアルトを見たことがなかったから、湯浴みの後はそれだけでも少しどきどきしてしまった。彼は今度は一緒のベッドに入ってくれた。
いつ眠ってしまったのかよく分からない。
アルトの腕の中で眠りに落ちるまで二人で色々な話をした。
「入り口は失われましたがレベルゼの迷宮は消えていないと思います」
沢山の話の中で、アルトは数百年を掛けて手に入れた「宝珠」のことも口にした。
いつか誰かがあの場所に辿り着いて、また呪われてしまうかもしれない。その時のために「解呪の宝珠」だけは持ち帰ったのだと。
魔法使いの声と体はその時だけ強張っていた。
五百六十年以上続いた彼の苦しみを自分の体に分け合えたらと思う。アルトの胸に口付けるようにして体を寄せた。すると彼の体を余計に強張らせてしまい、どうしていいのか分からなくなり、そこから少しだけ二人でぎくしゃくした。
「絵本の会」のことや、オーディーさんのことや………その後も二人で意識を失うまで話し続けた。
もう閉館時間を気にしなくていいのだと思った。
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リスタの体に負担を掛けない範囲でなるべく急いだが、二度目の帰路は六日掛かった。
一週間をかけてもう一度戻って来た屋敷。
「リスタ様……?」
「はい……」
やはり玄関に飛び出して来たオーディーは、わたしよりリスタを見てしばらく呆然とした。
「メロディー……?」
「アルト様……!」
そしてわたしの方もオーディーの隣にいる老婦人を見て呆気に取られていた。オーディーの妻のメロディーだった。十四年の間に何度かミラトルを訪ねてくれていたが、この時の再会は久しぶりだった。
玄関にリスタと並ぶわたしを見たメロディーが、ふくよかな体を震わせる。だが一番最初にはらはらと涙を零したのはオーディーだった。
貰い泣きしそうで焦ったが、リスタがつられて泣き出し、次にメロディーが泣き出し、結局わたしも堪え切れずに目の縁を赤くすると、「皆様どうなさったんですか……?」とオーディー達と一緒に出迎えてくれた女中に困惑された。
わたしが遂に迷宮に向かったと知ったメロディーは夫とわたしの身を案じて来てくれたのだが、事情を知る彼女が帰宅時にいてくれたのはかなりの幸運だった。
レベルゼの迷宮と魔道具の存在を秘密にしておくためには、リスタがレベルゼの魔道具で若返った「魔法図書館の魔女」であることも限られた人間にしか明かせなかったからだ。
化粧品とか月のものの対処とか女性特有のわたしにはよく分からないことがあったから、メロディーの存在は本当に助けになった。五百年振りに外の世界に出たリスタの身の周りを、家令夫人はそれからたちまちの内に整えてくれた。
気付くとリスタとメロディーはまるで母子のように仲良くしていた―――――――――リスタの方が五百歳上と知っているので、見ていて奇妙な気持ちにはなるが。
「リスタの体調が整ってから夫婦として正式に」とそんな話をしたら、家令夫妻はそこでも怒涛の勢いで動いて、一週間の内に会場からそのための衣裳まで整えてくれて、わたしとリスタは小さな礼拝堂で結婚式まで挙げさせて貰った。
数百年「終わり」を求め続けていた自分にこんな日が来るなんて思わなかった―――――――――白いドレスを着たリスタは途轍もなく綺麗で。
出席者はオーディー夫妻と家で働いてくれている者達だけだったが、一人だけ、予想外の参列があった。
どうやらオーディーが知らせたらしい――――――ミラトルの市長が澄ました顔で最前列のオーディー達に並んで座っているのを見た時は、思わず「え?」と声が出た。
ついでだったので貸与されている屋敷を買い取りたいと式後に申し出たところ、二つ返事で承諾してくれた。
だからこの場所がわたし達の新居になった。
~~~エピローグ~~~
図書館の「魔女」の所に通っていた時、彼女の魔力はなぜ増えないのだろうと考えたことが何度かあった。
「魔力がない」と言う言い方はされているが、正確に言えば魔法が使えない人間にもごく微量の魔力はある。
100が110になるのと違い、1が1.1になっても違いがあまり分からないとか、そう言うことなのかもしれないと思い、深くは追究しなかった。
だがあの時、レベルゼはリスタを―――――リスタの魔力を認識していた。
リスタがレベルゼを退けた時、リスタの魔力もやはり増えていたのだと思った。わたしに見えない形で。
きっと古代の魔法使いが見ていた世界を、もう誰も見ることが出来ないだけなのだと思う。
もしかしたらレベルゼやパウセにすら見えていない世界があるのではないか――――――――魔法使いが消えて行く六百年を見守ったわたしはそう思っている。
――――――――――挙式から三月。
オーディー達は夫婦揃ってまだミラトルに留まってくれていた。
「わたしの仕事をリスタ様に引き継ごうと思います。とても優秀な方ですのでこなして頂けると思います」
そう言ってオーディーは、リスタに自分の仕事を教えてくれていた。堪らなく寂しくなるが、引継ぎが終われば二人は孫や子供達が住む国へ帰ることになっている。
わたしは今は、世界中から魔法の仕事の依頼を受けていた。
魔法図書館の絵本の会には二人で時々顔を出した。その時のリスタは「魔女の家の子孫」と言うことになっているけれど。
彼にだけは申し訳ない気持ちがあったので、歴史学者が変わらず学者を続けていると分かった時には、リスタもわたしもほっとした。どうやら職員になる前に「魔女」が図書館を去ったことを知ったらしい。
世界最大の迷宮に誰よりも詳しかった「魔女」を失った魔法図書館は今少しだけ困っているようだった。
だが魔法の迷宮に永遠に留まることが出来るのは、人の記録と記憶だけなのだと思う。
そんな風に日々が過ぎていたある日。
わたしはその存在に、最初に気付いてしまった。
向かいに座るリスタを凝然と見つめる。
朝の光がサンルームに白く差し込んでいた。
言葉が出ない数秒を過ごし、それからようやくわたしは立ち上がった。
デザートを食べ終える前に急に立ち上がったわたしを、リスタが戸惑い顔で見上げる。
そのひとの前に片膝を着く。そして彼女の膝の上で二人の手を重ねた。
「リスタ」
一度その場所を見つめてから青い瞳に視線を合わせ、ゆっくりと続けた。
「――――――――お腹に子供がいます」
大きく目を瞠ったそのひとの体が微かに震え出した。
彼女の膝の上でしばらくの間、わたし達はきつく手を握り合っていた。
街じゅうの花が咲き誇り、空が青く晴れた春の日。
小さな男の子が生まれた朝。
わたしとリスタは声を上げて泣いた。
完
読んで下さった方、本当に本当にありがとうございます!
最終話が随分遅く&長くなり、済みません!(><;)
途中心折れそうでしたがなんとか完走しました。
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