02. 魔女と魔法使いの秘めごと
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彼女はその日も、一杯の光の中で分厚い本を読んでいた。
どきどきしている自分を、どうかしていると思う。
本探しを手伝って貰いたいから、声を掛ける用事がない訳ではない。
「リスタ」と名を呼ぶと、彼女はやはり再会に驚いたようだった。
「まあ」と目を瞠ったその表情に、またどきりとする。
「おはようございます、アルト。今日は昨日の続きでいらしたのですか?」
「今日は他の本を探しに来ました。―――――手伝って頂けますか?」
席を立ってくれた彼女にそう答えた。嘘ではなかったし、それ以外になんと言っていいのか分からなかった。
自分の秘密は話せない――――――――何を話そうと言うのか。
迷っていたその時。
「わあああああああ」と男の喚き声が聞こえて、驚いて後ろを振り返った。辺りの人々の視線が一斉に同じ場所に集まる。
巨大な書棚を背にして男が叫んでいた。両手で広げた本を頭上に掲げている。
「いけません!」
叫びながらリスタが駆け出し、はっとする。
話に聞いたことならある。
魔法図書館では本を故意に傷付けた者には魔法の罰が発動する。だがごく稀に、その罰を使って自殺を試みる者がいるらしいのだ。
もちろん滅多にはないことだろう。想像もしていなかった出来事に反応が遅れた。
ビイッ、と紙が裂ける音がした瞬間、男の足元でボッと炎が立ち上がった。
「うわっ……!」「きゃあああああああ」
フロアに悲鳴が響き渡り、周囲の人々が男から遠ざかるために逃げ惑う。
炎は一瞬で火柱となって男を呑み込んだ。リスタだけが炎に向かって走っていた。制服で火を叩こうというのか、走りながら帯を解こうとしている。
「………」
反射的に体が動いていた。
自分のことを告げるつもりではなかったのに。
彼女に追い付き、前に出る。
「あああああああああ!」
火に包まれた男は床を転げ回りながら苦悶の叫びを上げていた。
何度も経験しているから、喉と肺が焼ける時の苦痛は知っている。少なくとも彼は、自殺の方法だけは後悔しているだろう。いざ死に直面すると、大抵のことは死ぬ程のことではなかったと思うことも知っていた。
左の人差し指で男を差す。
ぼっ。
「えっ」「消えた?!」
燃え盛っていた火が音を立てて消え、人々がどよめいた。
「アルト、あなた―――――魔法使いなの?!」
「はい」
リスタに頷いて、床に転がったまま呻き続けている男の横に膝を着いた。炎に包まれていた時間は短かったが、男の火傷は酷かった。
「…………」
わざわざ告げる気はなかったが、魔法使いであること自体は秘密ではない。―――――――でもこの魔法は禁忌に近い。
半瞬だけ躊躇った。まずいと思いながら、結局わたしはその魔法を使った。
この火傷では彼は死にかねなかったし、この場にいる人達とリスタの心に傷を残したくなかった。
木の床に人差し指で触れ、そこに小さく十字を描く。
すると赤黒く爛れていた男の体が急速に変化し、正常な肌色を取り戻して行った。
自己治癒能力を極限まで高める魔法――――――――治癒魔法。
すぐ横でリスタが息を飲み、館内がもう一度どよめく。
服と髪は回復してやれないので、髪はちりちりで裸に近い格好になってしまうのだが、数秒後には男の体は完全に癒えていた。少しだけ間を開けて、男の呻き声が止む。
男はそろそろと体を起こしてそこに座ると、綺麗になった自分の両手を茫然と見つめていた。
その顔を見れば分かった。
「――――いざ死にそうになったら、死にたくないと思ったのではありませんか」
人を救えると思うのは傲慢だから、励ますことはしない。「死ぬな」とも言わない。ただそれだけ問うて立ち上がる。
後悔する余地があったのなら、彼は本当の行き止まりにはいなかったのだ。行く手にある道を進むくらいなら死んだほうがましだとか、実際に死に直面してみるまで思っていただけで。進んでみればその道は、ずっと将来まで続いているだろう。
さて、この場をどう収めるべきか。
床の上に転がっていた本がもぞもぞと生き物のように動き出している。これはわたしの魔法ではない。創造者の本への偏愛を示すかのように本だけは自動的に回復して、背表紙で羽ばたいて自分で書棚に帰って行った。あれほど激しく炎が上がったのに、床にも焦げ跡一つ付いていない。
「羽」を畳んで書棚に吸い込まれて行く本を呆れる思いで見守りながら、善後策を考える。
あまりに多くの修羅場を潜ってきたせいか、変に落ち着いている自分の扱いに自分で苦しむ。
落ち着いている場合ではないのだが。
オーディーがいたら蒼白になっているだろう。
自分が困るのはよくてもオーディーを困らせたくはない。
少し悩んだ末にちょっとだけ声を張って、リスタに話し掛けた。
「罰を止めると火傷も癒えるのですね」
周囲に聞かせるために言った言葉だが、言われたリスタは戸惑ってしまうだろうと思った。
だがリスタははっと顔を強張らせた後小さく頷き、
「はい。罰を止めると火傷も癒えるのです」
とわたしの言葉を復唱してくれたのだ。少し声を張り気味に。
目を瞠り、彼女の緊張した表情を見つめる。
彼女は知っているのだ―――――――――――――――
まだ魔法使いが大勢いた時代を生きたから?
話したい。もっと彼女と。
そう思ったのにそれから自治都市の警備兵達がやって来て、男のみならずリスタとわたしも警備兵の聴取を受ける騒ぎとなり、この日はそれで一日が終わってしまった。
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「治癒魔法をお使いになったのですか……?!」
小さな机の反対側で、オーディーはやはり蒼白になった。
「……済まない。だが罰を止めただけということになっているし、近くで見ていた職員の女性もそう言い続けてくれた」
話さずに済ませられるならそうしたかったが、後で問題が起きる可能性を考えると黙っておく訳にはいかないだろう。夕方に帰宅してからすぐにオーディーを自室に呼んだ。
「アルト様……!」
「―――――――済まない」
ずっと昔は魔力を持たない者はいなかったと言われるが、魔力を持つ者も一人が持つ魔力の量も減り続けて、今や生まれてから一度も魔法を見たことがないと言う人間すらいる時代だ。
そのために、治癒魔法は二、三百年程前には禁忌に近い魔法となってしまった。
治癒魔法の使い手と知られると、医学では救えない病人や怪我人が世界中から押し寄せて、生活がままならなくなってしまうのだ。
善意だけで応じているとどこかの時点で対応しきれなくなるのだが、目の前の命を切り捨てる決断は、魔法使い自身をも深く傷付けてしまう。のみならず、元々なんの縁もなかった筈の相手に「見殺しにした」と罵られて恨まれる。
そんな悲劇が繰り返された末に、魔法使いは治癒魔法を隠すようになったのだ。ただ魔法使い自体が珍しい存在となった今では、こんな昔話を知る者も少ない。
――――――――――でもあの女性は知っていた。
「……アルト様」
静かに名を呼ばれ、苦言が続くことをわたしは覚悟したが、オーディーが切り出したのは全く別の話だった。
「その『職員の女性』とは――――――――」
「――――――――話は終わりだ」
対話の扉を閉ざし、わたしは席を立った。
オーディーが驚いていたが、自分自身、自分の行動に驚いていた。
その女性のことを聞かれたくなかった。
「会いたい」と思っている自分の気持ちに向き合えなかった。
ようやく「終わり」を手に入れようとしているのに。
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