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第四部5


「ご無事な様子で安心いたしました」


 ベリヤは相変わらず、己の本性を隠そうともしない表情で言った。

 だが、不愉快で厭わしさしか感じない、その欠陥ゆえにこそ言葉自体は信用できるような気がするから不思議だった。


「ああ、君にも迷惑をかけた。秘匿を十分にやってくれたのは聞いている」


 ベッドに半身で起き上がり、相対しながら俺は言う。


「およそ国内対外を問わず、書記長の異変はもはや甚大に過ぎる影響を齎すのは明らかです。やらずにおらねば、何のための私であり、内務機関かということになるかと」


「そうかね? もうここまでくれば私などいなくても、どうにかなりそうな気もするがな。君を始め、今の我がソヴィエトは実に多士済々の人材が揃っている。実際にはもう、お飾りくらいのつもりなんだが」


 肩をすくめて、軽口めいた風に呟いてみる。

 それを受ける男は、珍しく瞠目するように目を見開いた後、実に荒唐無稽かつ馬鹿馬鹿しい冗談に笑いが抑えられないといった様子でにちゃりと粘着質に唇を歪めた。


「……はっ! 書記長失くして、このソヴィエトが維持可能だとでも? あるいは遂行中の対独戦線、対西側陣営への外交政策、内務についてもいてくださる理由はあれどもその逆はありえませんな。……大変、面白い御冗談ではありますがね」


「意外と、君は本気でそう思っているらしい」


 感じいるように言うと、一転して静かな、そして心を据えたような雰囲気を纏う。

 そして。


「もちろん。私はいつでも本気でしたとも。……今回もちゃんと書記長はそれを『確認』なさっていたでしょう?」


「ああ、さすが気づいていたか」


「やめてください。明らかに私が『察知すること前提』のなさりよう。お互い、必要最低限のことをやっているのは了解の上でのこと。今更ではありませんか」


「うん、そして君は一切不審なところはなかった」


「ええ、それが最も『非効率』ですから」


「君みたいに優秀な男にそう言ってもらえるのは最大の賛辞だろうな」


「優秀……ですか。書記長に仰っていただけるのは光栄ですが。ただ、所詮私などは代えの利く程度の存在でしかありませんよ。貴方に比べればね」


 お互いの裏での監視あいを持ち出したせいか、いつになくざっくばらんな物言い。

 この男なりに、酷く誠実に話しているらしいことは十分に伝わってきてしまう。


「はっきりいいます」


 邪悪かつ真摯な、徹底してリアリストの貌。


「貴方に今死なれたりするのは本当に困るんです。失礼ですが本気で自覚がない可能性も考慮していわせていただきますよ。間違っても代わりがあるなどと思わないでいただきたい。私の、そしてソヴィエトの利益を最大化させるためには、もはやなくてはならないものだと、もう少し御自覚いただいたほうがよろしいようですな」


 その冷酷さ、倫理や道義を超越した有能さを持つ男の最大限の賛辞に他ならなかった。

 そして今の俺にはそれがどうやら本音らしいと、わかってしまう。


「……エレーナも、私に死なれては困るらしいな」


「当たり前でしょう。貴方は最大の監視対象であるとともに、保護防衛しなくてはならない最優先人物でもあるのだから」


「ああ、思い知ったよ」


「結構。ではせいぜいご自愛ください。……ただもう次の段取りのために動いてらっしゃるようですが」


 んふぅっと鼻で嘆息めいたものを吐いてから、諦念に塗れた響きで言ってきた。

 思い当たることがあったから、すぐに白状する。


「君を誤魔化すことなど、できそうにないな。ああ、ついてはそのことで話がある」


「非常に不本意で不愉快そうな話題のようですな」


「そういうな。君が参謀本部の諜報局を面白く思ってないのは知っているが」


「あんな素人の集団が危なげな火遊びしているとしか思えませんからね。……ですが書記長が仰るならば、まずは捨て置くことしかできませんが」


「ああ、ぜひともそうしてくれ。君はそういうが、およそ対外諜報においてはやはり軍人に軍配が上がるところもあるのだ」


「……極東ですか」


「ふっ、まあそうだ。あそこが子飼いしている一匹の『虫』が非常に効果的らしいのでな」


 そこまで聞くと、ベリヤはまた鼻息を盛大に漏らしてから立ち上がった。


「わかりました、それではお手並み拝見といきましょう。……まず本日はこれで失礼いたします。ご無事は確認できましたのでね」


「すまんな。また何かあれば連絡しよう」


「はい。それでは」


 背を向けて、扉のノブに手をかけた男を自然と見送るように眺めていた時。

 そういえば、一応言っておくべきことがあったのを思い出した。



「ベリヤ君。今日は映画は見ていかんのかね?」



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