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09:隠者の予言-2

2.赤い蝶



「……誘っている?」

 ふわふわと浮かぶ蝶は、明らかに自然のものらしからぬ動きをしていた。

 あちらこちらへ舞ってゆくのでもなく、私の目の前に入り込んできて、そのまま留まっている。誰かの使い魔が迷い込んできて、外に出られないでいるという訳でもなさそうだ。私に自分を認識させようという意図が明白すぎる。

 無視するか、否か。脳裏に浮かんだ二つの選択肢は、ほとんど即座に後者に傾いた。

 ここで無視すれば、使い魔の存在にすら気付けない未熟者だと示すことになる。また、これほど精緻な造りをした使い魔を放てるだけの魔術師であれば、それなり以上の立場があっておかしくない。その意図に反するということ自体が、一種のリスクでもあった。

「誘いに乗るにしても、ヴィゴさんに連絡を取りたいところではあるけれど――」

 ただの勘に過ぎないと言われればそれまでではあるものの、私がここで背を向ければ、おそらく蝶は帰りを待たずに消えるだろう。そうなれば、当初の危惧が現実のものとなる。

 仕方がない、とため息をひとつ。手の中の荷物を抱え直して足を踏み出すと、蝶は翅を翻してふわふわと先導を始めた。器用に人の流れの薄いところを縫って、私をどこかへ連れて行く。一応、市場の外にまで出るつもりはないらしかった。

 蝶を水先案内に歩くこと暫し、やがて辿り着いたのは市場の外縁を兼ねる川べりの一隅だ。レインナードさんと出会う契機となった、あの中央広場の水路のような小さく人工的なものではない、西の山を水源として王都に流れ込む立派な河川のほとりである。

 もっとも、その川も岸は石垣で補強され、その上には木柵を巡らせて落下を防止するという大都市相応の施策が取られてはいた。市場は川に面した広い土地を己が領域としているものの、川べりの一帯はお店もなく、ぽっかりとした空き地めいている。年に何度か場内でイベントが催されるというから、その時に主要会場となる催事用として確保されているスペースとかだろうか。

 お店がなければお客も寄らないのは道理であり、辺りはひどく閑散としている。目に見える人影は一つだけで、川に面した柵に手を置いて眼下の流れを眺めているようだ。

 私が開けた空間に足を踏み入れると、その人物も顔を上げてこちらへ顔を向ける。鮮やかに赤い髪の、背の高い五十がらみの男性だった。いかにも穏やかな風貌をしており、ふわりふわりと舞う蝶はその人の肩に留まると翅を閉じる。

「私に何かご用でしょうか」

 先手を取って問い掛けると、男性は紫がかった灰色の眼を細めて「ああ」と淡く笑った。

「無粋な誘い方になってしまって、すまないね。〈獅子切〉の彼は噂通りの辣腕のようだ。その目を盗むのは私と言えど容易でなく、凝ったことができなかった。――或いは、その為に君の傍に控えていたのやも知れないが」

 静かな声で語る男性は、そこで一度言葉を切って沈黙を挟んだ。敢えてまだ反応を示さず、続きを待つに徹していると、数泊の間の後に再び語りが始まる。

「〈破窮〉の坊やが注目しているように、私もまた君に興味を持っている。坊やとは違う意味でだけれどね。私は……そう、君の先達を気取っている訳だ」

「先達?」

 深く考えるよりも早く、驚きの声が口を突いて出ていた。どういうことだろう。魔術師としての? それとも、平民の身分から成り上がろうとする一種の野心家としての? 訳が分からない。

 第一、再開した語りの冒頭からして、何というかとんでもないのである。〈破窮〉すなわち宮廷魔術師筆頭エドガール・メレスをして「坊や」と呼べる御仁なんて、この国にもそうはいない。よほど高位の貴族か、よほど由緒ある腕利きの魔術師か。

 とてもじゃないけれど、今の私が対面する――否、対面できるような相手ではない。背筋がゾッと震える思いだった。何をどう拡大解釈したとしても、私の「先達」になどならないのじゃないだろうか。しかし、赤髪の御仁はあくまで冷静な口振りで続ける。

「そうとも。この世界は一柱の神によって拓かれた。『善くあれかし』と謳う創造主の願いを叶える為、異境の死せる魂を招き寄せる方向性(ルール)があるのだよ。より良い変化を求め、自ずから慮外のものを呼び込む。恒常性(ホメオスタシス)とは真逆の、不安定かつ不明瞭な性質だ」

 それが面白いとも思うけれどね、と男性は肩をすくめる。さらりとした語り口ではあったものの、私はあんぐりと口を開けずにはいられなかった。「坊や」に勝るとも劣らない衝撃だ。

 ――死せる魂。

 その語が今この時に出てきたのは、間違いなく偶然ではない。あの御仁はこちらの事情のおよそ全てを察し、私の素性について確信をもって喋っている。

「驚いたかね? まあ、無理もない。我々はあくまでスパイス、メインディッシュを損なわない程度に添えられるものだ。私が確認している限りでも、現在この国では私と君を含め同類は総勢で三人だけだからね。そうして漂着した異界の魂は、招かれ人と呼ばれる。――私のような、君のような」

「招かれ人」

 その呼び名には、覚えがあった。ソノルン樹海に出向いた時、エルフの少女にそう呼びかけられていた気がする。あの状況で「射手」と呼ばれ得る人間は他にいなかったし、おそらく〈招かれ人の射手〉は私のことであったはずだ。

 未だかつて、私は私の真相を誰かに打ち明けたことはない。私の周辺を探っていた何者かがいたとしても、ゼロからその発想に至れるのは稀だろう。――であれば、この人も同類(・・)で、それゆえに何らかの手段でもって看破することができたと考えてみるのも一つの手だ。

 それにしても、三人か……。生前に日本で触れた物語に比しても、多いとも少ないとも言えない。ただ、少なくとも他にもう一人いるというのは気になる話だ。どんな人なのやら。

「とはいえ、招かれ人は物語のように何らかの役目を与えられて送り込まれる訳ではないよ。世界はあくまで変化の種となりそうな魂を招くだけだからね」

「では、招かれる基準のようなものも何もないのでしょうか。完全なるランダムで?」

 ふと気になって、尋ねてみる。宝くじの当たり外れのような、そういう感覚のものなのだろうか。

「いいや、そうとも言い切れない」

 けれど、思いがけずハッキリと否定が返されて驚く。

「変化の種として期待して招くからには、ただただ無為に生きられては困るということなのだろうね。招かれ人にはいくつかの傾向がある」

「……どのような」

「往々にして悔いのある命の落とし方をしている。例えば、一生を捧げる覚悟の探求を道半ばで終えねばならなかった研究者。経営する会社の社運を賭けた一大事業に乗り出す直前で、事故に遭った経営者。病弱に生まれつき、外の世界をほとんど知らぬまま生涯を終えた若者。そういう身の上であったことが多いね」

「なるほど……」

 ここで「あなたはどのようにして『前』の生涯を終えたのですか」と訊けるほど、私の面の皮も厚くない。軽く頷くに留め、同時に少し納得もできた。

 悔いのある命の落とし方をした。確かに、その通りだった。そのルールに則るのならば、私もピックアップされて不思議ではない。

「死という結果によって途絶えさせられた続きを試みるのでも構わないし、今度こそより良く生きようと発奮するのでも構わない。いずれにせよ、善く生き、善く世界を動かせというのが我々を招く構造によるお達しのようでね。その為か、多少は幸運に恵まれて生まれつく傾向にもあるようだ」

 幸運。今度はまた別の意味でギクリとした。……自覚のあることだったから。

 私は自分を幸運だと思う。ただ、それが全て私をこの世界に招いた構造による恩恵のものだとしたら。

「もしかして、今の自分にあるものが全て特殊な生まれに基づく幸運によって齎されたものではないかと不安になっているかね?」

 こちらの心を読んだかのようなタイミングで発された問いには、意図した沈黙。こんなことで素直に肯定を返せるほど私は無邪気ではなかったし、相手の御仁についてよく知っている訳でもなかった。

「それは杞憂というものだよ。与えられた手札がどうであれ、それを活かすのは君自身だ。聞いたことはないかね? 『運命がカードを混ぜ、我々が勝負する』というやつだ」

「……覚えがある気がします」

「では、そのまま覚えておきなさい。恵まれた環境にいようとも、活かせねば意味がない。君が積み重ねた努力は他の誰でもない君だけの成果であり、君が得た縁は君だからこそ結ばれたものだ。それを疑っては、君に好意を向ける人々を蔑ろにすることにもなる」

 穏やかな声は、私の中に生まれた不安への全き解答だった。

 レインナードさんはに「あなたが私に良くしてくれるのは、私に与えられた幸運のせいなんですよ」などと言おうものなら、どんな反論が来るのやら。少なくとも「へえ、そうか」で流してはくれなさそうな気がする。下手をしたら、また妙なことを考えているとお説教でもいただいてしまうかもしれない。

「ただ、あまり気を抜いてもいけない。我々は良くも悪くも世界に関わって生まれた。一度結ばれた縁は、そうそう途切れはしないものだ。広い世界では、様々なことが起こるだろう。招かれ人は必然と偶然により、その渦中に立つことになる。そのうねりからも逃れられない宿命にあるらしい。私がそうであったように、君にもいずれその時が来る」

 いやに確信的な、予言というには断定的な言い方だった。ソノルン樹海でも未来についての言葉を受けていたし、実体験を踏まえた上での言葉であるのなら、あながち間違ってもいないのだろう。

 さりとて、穏やかな学生生活は遅れませんよ宣言をされて、どこの誰が「そうですか! 分かりました! がんばります!」と返事ができるというのか。私には無理だ。

「ただでさえ善く生き善く世界を動かせと期待されているのに、その上まだ何かしらの事件に関われだなんて、求められることが多すぎませんか」

 思わず、少々げんなりした気分で呟いてしまった。

 いくら何でもやることが多すぎるのではないだろうか。フィジカルや暴力で全てを解決しろというのだろうか。私は八面六臂の活躍もとい努力で事件――を起こす方――に挑む推理漫画の犯人ではないのだけれども。……いけない、話題が話題なせいで過去に読んだ漫画がフラッシュバック。

 赤髪の男性は「そうかもしれないね」と小さく笑い、それからゆるく頭を振った。

「けれど、それは強要されるものではないよ。逃げたければ逃げればいい、誰もそれを咎めはしない。――君自身がそれを許容できるのなら、という前置きはつくがね」

 分かりやすく含みを持たせた言葉だった。この人が私のことをどの程度調べているのか、明確なところは分からない。ただし、根本的な素性を看破しているだけに、ある程度は把握していると見た方が無難だ。

 この国を巡る、何か大きな事件が起ころうとしているとする。その渦中に引き込まれつつあると理解した時、私はどうするだろう。逃げることを選べるだろうか。許せるだろうか。……無理だろう。

 家族に危険が迫りかねないと知りつつも放置し、自分だけ逃げだすことを私は私に許すことができない。ただでさえ最もひどい親不孝をした後だ。今生でくらい、少しは報いたい。小さな妹たちだって、危ない目に遭わせたくない。

「ご忠告、ありがとうございます。今度こそ悔いを残すことのないよう、その時には全力を尽くすよう肝に銘じます」

 軽く頭を下げて述べると、赤髪の男性はにこりと笑んだ。掛け値なしに嬉しそうな表情。

「いつでも持てる資質を自ら損ない、現実から目を逸らす類の人間はいるものだ。君がそうでないのならば、私にとっても喜ばしい」

「……出来心でお伺いするのですが、三人目の招かれ人はどのような」

 他方、そう問いかけると男性の笑顔は一転して曇った。どうやら、三人目はお眼鏡に適う人材ではないらしい。

「彼は世界の期待に応えるにも、一度目の終わりを受け止めるにも幼過ぎたようだ。どうにも良からぬ振る舞いばかりをする傾向にあるようでね。まだ子どものうちに矯正を図るよう父君に伝えたが、果たしてどうなることやら」

 ため息混じりに吐き出された言葉を聞くに、まだ幼い子どもということだろうか。ありそうなのは、男性の知り合いの貴族の家に生まれた子どもとか……?

「君も散々手を焼かせられただろう。セッティ家の後継ぎ、ベルレアン伯爵の一人息子だよ」

「えっ」

 今度こそ、素で驚愕の声が出てしまった。まさか、あのお子様が……。そうだったんだ……。

 振り返ってみれば、あのお子様も自分を指して「選ばれた」とか言っていたことがあったような気がしないでもない。単に伯爵家に生まれたことを詩的に形容していたのかと思っていた。

「あの赤ん坊については、私の方でも継続的に目を向けておく。もう二度と君の邪魔にはならないはずだから、安心してくれたまえ」

「いえ、はい……ありがとうございます……」

 さらっと告げられた台詞がとんでもなさすぎて、いよいよ冷や汗が噴き出そうだった。

 斯様にしてセッティ家の伯爵に釘を刺すことができるということは、それよりも高い地位を持つ貴族であることは確定的だ。もう逆にその素性を知りたくない。何も知らないままでいたい。やんごとなさすぎる。

「君がそのまま研鑽を続けてくれれば、私にとっても助かる話だ。今後とも、そのまま成長してくれたまえよ」

 そう言ったかと思うと、男性は肩に留まる蝶の翅を摘み上げ、滑らかな所作で空へ放った。ふわりふわりと舞う蝶は私の方へやってきた――はずが、突如としてその姿が見えなくなった。慌てて周囲をを見回しても、もうその赤色の片鱗すら窺えない。

 一体、何を。問う代わりに男性を見やるも、あろうことか疑問は増えるだけだった。よもやもよもや、その姿が足元から陽炎のように揺らいでいるのである。完全にそこに実物がいると思って話していたのに、遠隔で投影されていた虚像だったのだろうか。

「君の傭兵も、そろそろ焦れる頃だろう。急に時間を取らせてしまって悪かったね、急いで戻りなさい。……いずれ来る決断の時まで、よく尽くすように」

 そう残して、赤髪の男性の姿は掻き消えた。うっかり三人目の招かれ人の衝撃で訊き損ねてしまったけれど、どうして私が「招かれ人」だと分かったのか、そこまで訊いておきたかった……。

 最後の最後で一抹の悔しさを噛み締めつつ、しかし、それに浸っていられるほどの余裕もない。指摘された通り、単に買い物をするには長すぎる時間をかけてしまった。足早に来た道を戻りながら残りの買い物を済ませ、市場を出る――と、目的のベンチには明らかに焦れている人の姿があった。すごい貧乏ゆすりである。こっちでも貧乏ゆすりと呼ぶのかは知らないけれど。

 市場から出てくる私を見つけると、レインナードさんは即座に立ち上がって歩み寄ってきた。すぐに立てるようにと、ずっと荷物を抱えていたのだろう。悪いことをしてしまった。

「すみません、お待たせしました」

「思ったより時間かかったな。そんなに中が混んで――」

 いたのか、とでも続くはずだったのかもしれない。言いさしのまま声が途切れ、レインナードさんが急に怪訝な顔になって私の肩の辺りを示す。

「やけに派手な飾りだな?」

 飾り? 何のことだろう。

 キョトンとして首を傾げる私を前に、レインナードさんまで拍子抜けした表情になった。

「そこんとこ、蝶が留まってんぞ。真っ赤なの」

 蝶。真っ赤な。その言葉が脳に届いた瞬間、レインナードさんの指が示している場所を全力で見ていた。そして、あまりにも信じがたい光景に二度見どころか三度見した。

 全く気付かないうちにストールに留められていた、赤い蝶のブローチ。翅を形作るのは何かしらの樹脂だろうか、硬質な印象はないのに薄く透けている。それでいて表面に模様を描くのは細かく切り出され、カットされた様々な輝石。明らかに高級そうな雰囲気がぷんぷんしている一方で、ストールの薄紅とは意外にマッチしている……とかいう話ではない! 何でェ!?

「その反応を見るに、自分で買ってきた訳でもなさそうだな。何か面倒事か?」

 とりあえず帰るぞ、と促すレインナードさんにくっついて市場から離れつつ、困惑も冷めやらぬまま話すだけ話してみる。帰り道は家路を急ぐ人が増えでもしたのか、行きよりも少し人出が増えているようにも見えた。

「さっき、市場で人に会ったんです。たぶん、国の相当偉い人で……前に私が学院で折り合いが良くなかった、伯爵家子息の生徒の話をしたでしょう?」

「あー、聞いた聞いた。セッティの何とかだったか?」

「それです。その父親の伯爵に息子について釘を刺せるくらいの立場にある人のようで、更にはエドガール卿を『坊や』と評し」

「……そのエドガールって、エドガール・メレスのエドガールか?」

「それです……」

 呻くに近いトーンで相槌を打つと、さすがのレインナードさんも「うわ……」と若干引いた様子だった。

 エドガール卿は、この国はおろか近隣諸国を含めても当代随一と謳われる魔術師だ。その御仁を「坊や」呼ばわり。全くもって無理もない反応である。

「なので、たぶん、ご自身も魔術師としての腕は相当なものなのだと思います。実体に見まがう幻影を遠隔で投影し、私が気付く余地もなく巧みにこれを置いていった」

 私もレインナードさんも両手で荷物を抱えているので、今ここでブローチを取ることはできない。これ、と言いつつ行儀悪くも顎で示すようにすれば、レインナードさんも自然とそれを窺う素振り。

「こんな真正面から、お前に気付かれねえでか?」

「最初は使い魔の蝶だったんです。ひらひら飛んでいて、それが消えたと思ったら」

「何だそりゃ」

 レインナードさんも「訳が分からない」とばかりの面持ちになる。残念ながら、その心情については私の方でも大差ないのだけれど。

「大層なご身分の方から下賜されたと思うと、扱いを雑にするのも躊躇われますし……何というか、困った話ですね」

「まあ、確かになあ」

「でも、ブローチなのは助かりました」

「うん? そういう飾りが好きなのか」

「そういう訳でもありませんけど、髪飾りだったら持て余すしかないじゃないですか。もう間に合っているので」

 そう答えると、何の前触れもなく会話が途切れた。どうしたのかと隣を見上げてみれば、こちらを見下ろす目と目が合う。もうじき全天を覆い尽くすだろう、夕焼けによく似た橙色。

「髪飾りは間に合ってんのか」

「ええ、間に合っています」

 短いやり取りを挟んで、それぞれに視線を外す。何しろ帰り道の真っ只中、往来で見つめ合っている訳にもゆかないので。

 行く手に目を戻し、改めて会話は続く。

「そういや、お前、誕生日いつよ」

「二月の二十二日です。全部二」

「覚えやすくていいな」

「ヴィゴさんは?」

「十一月の四」

「じゃあ、ヴィゴさんの方が先に来ますね。その時はケーキでも買ってきましょうか」

「自分で作れんじゃねえの?」

「素人が作るよりも、お店の職人さんが作ってくれた方が美味しいでしょう。年に一回のお祝い事ですしね。その頃には、またマリフェンで季節のケーキの新作が売り出していると思いますよ」

「……そういうこっちゃねえんだよなあ」

「はい?」

「いや、何でも。――来年になったら、俺もまた別のいい飾りを探してきてやるよ」

「ありがとうございます、楽しみにしています。ケーキは半分がたおこぼれ狙いなので、私のその時には何か新しい装備を作ってみましょうかね」

「おー、よろしく頼む」

 そうやってのんびり話をしていても足を動かし続けていれば、やがて目的地には到着する。

 まずは私の部屋に荷物を置いて、その後は少しばかりの別行動。私はアルミホイルの用意をして、レインナードさんは一回で古新聞をもらい受ける。その後は裏庭に集合――なんてその後の段取りを話しながら、清風亭の表口をくぐった。

「ああ、戻ったかね。お帰り」

「はい?」

「あん?」

 そして、私とレインナードさんは揃って変な声を上げることになったのだった。

 食堂と酒場を兼ねた一階のフロア、その一番表に近いテーブル席に一人の男性が座っている。鮮やかな赤の髪、灰色の眼の涼やかな美丈夫。つい先日と形容するには少々時間が経っているけれど、アルマの島で出会い、少しだけ同道した――ご本人が形容するには、私の「兄弟子」なる人物。

 すなわち、ラファエル・デュランベルジェ卿その人である。

「どうして、こちらに」

 今日は驚くことが多すぎて、ついつい問う言葉も些か漠然としたものになってしまった。

 レインナードさんが黙って立っているのは、会話に口を挟むよりは何か起こった時に助けに入れるようにという警戒がゆえのことだろう。いつもより少しだけ、纏う空気が鋭利に感じる。

「その『どうして』が『どうしてこの場所を知っているのか』という問いであるのなら、学院に問い合わせたら教えてもらえたと答えよう。私の肩書を見てのこととはいえ、軽々に学生の情報を漏らすのもどうかと思うがね」

「はあ、左様で……」

「また、『どうしてこの場所に来たのか』という問いであるのなら、どうも父が君にちょっかいを出そうとしている気配を感じたのでね。様子伺いに来たという訳さ」

「お父様が? ――あっ」

 その瞬間、今更に気が付いた。赤い髪。灰色の眼。伯爵にすら軽く釘を刺せる身分。全てが符合するではないか。

「つい先ほど、お会いしました。庶民の手に余る装飾品を置いてゆかれてしまったのですが、お返し願えますか」

「装飾……ああ、それかね? 相変わらずのご趣味だ」

 ラファエル卿が私の肩に目を留め、肩をすくめてみせる。ちょっと皮肉っぽいというか、これまた含みを感じさせる物言いだ。そこまでお父上を信奉しているという訳でもないのだろうか。

「父が置いて行ったのなら、それは君に必要なものなのだろう。鬱陶しく感じられるかもしれないが、我慢して持っていてもらえないか。あの人はそういうことをする」

「侯爵も卓越した魔術師とお見受けしますが、まさか先見の奇跡のようなものまでお使いに?」

「どうかな、その内実は私にも分からない。日頃から、何かと常人には見えぬものを見て動いている節があるのは確かだが」

 眉根を寄せ、どこか悩ましげな顔をして言うラファエル卿の姿に真実嘘はなさそうに見える。

 もしかしなくとも、自分ですら理解の及ばない父親に対する複雑な心境が、さっきのような一種の皮肉っぽさとして表出しているのかもしれなかった。そう考えると、国一番の騎士という御仁も少し親しみが湧くような。

「そうですか。私も『数奇な星の巡りに生まれたようだから、今後も油断せず過ごしなさい』と忠告を頂いただけなので、詳しいことは何も分からないのですけれど――ところで、この後はお時間に余裕はおありですか?」

「この後? 特にはないが」

「そうですか。私たちは裏庭の落ち葉で焚火をしながら、ラルイ芋を焼いて食べようと思っているのですけれど」

 敢えて皆まで言わずに言葉を切ると、ラファエル卿はぱちくりと瞬きをしてみせたものの、すぐに私の言わんとしているところを察してくれたようだった。にこりと微笑み。

「私も、そのご相伴に与っても許されるかね? 対価としては、父のように何か飾りでも渡せばいいだろうか」

「とんでもない。アルマ島ではお世話になりましたから、お構いなく。その代わり、用意を手伝っていただけると助かりますが」

「喜んで承ろう」

「――では、まず荷物を置いてきますので、このまま少々お待ちください」

 予想外の来客が続くものの、今回に限っては渡りに船と言えなくもない。ラファエル卿を一階のフロアに残したまま、私とレインナードさんは足早に二階へ向かう。

「奴に何か用でもあんのか?」

 その最中、小声で背中に問いかけられた。私が先に上がって部屋の鍵を開けなければならないので、必然的にレインナードさんは後ろからついてくる格好になる。

「アルマでのお礼をしたかったのは本当です。他にも、少し計算していることがあるにはありますが」

「何か勿体ぶるな」

「たまには、そういうことがあってもいいでしょう」

「そーかねえ」

 露骨に内容を伏せているからか、分かりやすく不満そうな声だった。まあ、レインナードさんにも無関係なことではないし、少し確認しておきたいこともある。

「話は変わるんですけど、前にヴィゴさんに騎士団に雇われないかって誘いをかけてきたアルドワン家の御仁って、どんな人でした? 外見とか、年齢とか」

「あ? 歳は三十そこそこくらい、髪は灰で、眼は青だった――って、お前、まさか」

「何ですか? 私はただ焼き芋を食べる世間話で、最近少し気になっていることについて相談してみようかなと思っただけですよ。学院の先生に話してみるより、ラファエル卿の方が早そうですし」

 素知らぬ振りをして言い、階段を上り続ける。今は背中が凝視されている気しかしないので、努めて背後を振り返るようなことはしない。

「お前なあ、俺よりも自分の心配しろよ。侯爵から何か言われてんだろ」

「言われたので、こうして手を打とうとしてるんですよ。侯爵の予言が不可避のものであるのなら、巻き込まれる未来は変わらない。その上で生き延びようと思うのなら、ヴィゴさんがいてくれないと」

 その為に万が一の芽を潰しておこうという企みなのだから、言われるほど自分の心配をしていない訳ではないのである。むしろ、自分の心配をして周りの善き人たちを利用しようとしていると言っても過言ではない。

「……それを言われると、微妙にこれ以上は何も言えねえけどよ」

「そうでしょうとも。私が真っ当に学生生活を営んでいくには、ヴィゴさんの存在が不可欠ですからね」

「そりゃ光栄だね。……にしても、お前もどうして静かに学生をやってられねえもんかなあ」

「それ、私が一番思ってます」

 聞こえてきた深々としたため息には、空しくそんな一言を返すしかできなかった。

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