09:隠者の予言-1
1.騒動の後
楽しい時間ほど早く過ぎるとはよく言ったもので、南洋諸島での日々はあっという間に流れていった。青色の美しい海食洞を散策してみたり、白い砂浜で訳もなくレインナードさんを埋めてみたり、南国の美味しい食べ物に舌鼓を打ってみたり。……気になる魔術見つけては解析しようとしてストップがかかり、強制回収されたことも何度かあったりしたけれど。
ともかくも、未だかつてなく満喫した夏だった。南洋諸島からは直接アシメニオスに向かう船に乗り、その後は転送機で一瞬。あっさりと王都ガラジオスに帰還した後は、傭兵ギルドに商工ギルド、薄明亭の親父さん――と、まずは日頃からお世話になっている方々のところへ挨拶回りに。
その次は南洋諸島のお土産を詰めた小包を実家に送ったり、司祭さんにも手紙を書いたりした。もちろん清風亭の旦那さんや女将さん、ラシェルさんにもお土産を買ってきてあるし、これは帰還初日にお渡ししている。
他にもエリゼくんにささやかながらお土産を渡してみたり、例の疑似生命工学のデュナン講師にもソイカ技師の件で少し話をしに行ってみたりしてみたい気持ちはあるものの、これは新学期が始まってからでいいだろう。
そうして帰還と共にやってきた慌ただしさに見舞われる中、一つ気になることがあった。
「アルマの件、全然報道されませんね。新聞とか見ていても、テロがあって自動人形に多数の被害が出たとしか書いてないですし」
「ラファエルが鎮圧に一枚噛んでるからな。その辺でいろいろ調整して統制してんじゃねえか」
国の上の方の連中のやるこた、どこでもそう変わりはねえよ――と、今日も今日とて私の部屋に入り浸っているレインナードさんは言う。次第に陽気も秋めいているので氷晶花に魔力をやってはいないし、服もちゃんと着ているものの、相変わらず床の敷布の上でゴロゴロしていた。
「キオノエイデでもそうでした?」
「んにゃ、ヴィオレタの話。キオノエイデはガキの頃に出ちまったからな。国を回すのにどうすりゃ都合がいいかってことなら、どこでもある程度の立ち回りは似通ってくるもんじゃねえかね」
なかなかに実感の籠った口振りである。さすがに国を渡り歩いて戦果を挙げてきた傭兵稼業……。
思い返してみれば、まるきり同列には語れないだろうにしても、日本で生きていた頃でさえ国民が外国の事件や外交にまつわる情報の全てを把握できていた気はしない。情報を隠すのは良いことではないというのが一般的な認識であり、決してそれを推奨される訳でも許容していい訳でもないとしても、現実はそう簡単でもないということなのか。
もっとも、実際に情報を開示されたところで内容を正確に理解できるか、その真意をきちんと読み解けるかは別の話だ。自分がそうできると断言できる自信は、さすがにない。
「そういや、故郷に帰らなくて良かったのか?」
ふと思い出した、という様子で問われ、我に返る。考えてみれば、レインナードさんにその話をしたことはなかったかもしれない。
「そうですね、この夏は。課題で遠出をするので帰れないと手紙を書いて送っておきましたから、家族も承知しています。また長期休みに頃合いを見て帰りますよ」
ただ、それで了解してくれるのは大人に限る、という問題もあった。夏期休暇中の予定はそれが分かった時点で知らせておいたのだけれど、その後の手紙の返信で妹たちが「お姉ちゃんが帰ってこない」と大騒ぎして大変だったと書かれていた。
妹たちが遠く離れた姉のことを忘れないでいてくれるのは嬉しいけれど、さすがに少し申し訳ない気もする。先日送ったお土産で機嫌をとれるとも思わないけれど、帰省する時はまたたくさんお土産を買っていこう……。
「次の休みってーと、冬か?」
「うちの村の辺りは雪が降るので、春まで待とうかと。村に辿り着けなかったり、逆に村から出られなくなっても困りますし」
「そーか。んじゃ、日程決まったら教えてくれ」
「分かりました。その間はまたどこか別の街とか別の国に出掛けてこられます?」
「あ? 違えよ、道中の護衛が要るだろーが」
さも当然とばかりの返答に「えっ」と間抜けな声が口を突いて出る。はたと床に転がる人を振り返れば、あちらも同じように私を振り向いていた。
「東向かいの街道だって、それなりに盗賊だの何だの出るんだぜ。王都に来た時ゃどうしてたんだよ」
「学院の馬車が迎えに来たので……」
答えると、ヴィゴさんも一転して納得の目顔になる。
「さすがに王の紋章掲げた馬車を狙うほど馬鹿じゃねえか。つっても、次はその馬車じゃねえんだろ。大人しく護衛付けとけ。何かあってからじゃ遅え」
「……では、その時はお願いします」
とはいえ、ご厚意に甘えっぱなしになるのも良くない。村に滞在する期間中はうちの実家を宿に使ってもらって、食事もこちらで用意してみたり、後は近隣の野山でこなせそうな依頼を探しておいたりするべきだろう。
「おう、任せとけ。――ところで、例の試験結果ってのはもう届いてんのか? 休み前にお前が寝不足で壁に激突までしながら対策してたやつ」
「最後の情報をわざわざ付け足す意図について些か追求したいところですが、それはそれとして試験結果はアルマに行ってる間に届いてましたよ。女将さんが受け取っておいてくれました」
机の引き出しから封書を取り出し、背後を振り返ってレインナードさんに差し出す。むくりと起き上がった人が手を伸ばし、受け取ったのを確認してから手を離した。
「随分あっさり寄越してくれっけど、見ていいのか?」
「見られて困ることもありませんし」
「つまり、全部『優』ってことか」
面白がる風の眼差しには、無言でただ笑い返すに留める。見てもらえれば分かることだ。
裏面の封蝋は既に剥がした後だけれど、レインナードさんはあくまで丁重な手つきで封筒を開けてゆく。ゆっくりと書類が引き出され、開かれると、短い間の末に「おあ~」と愉快な声が上がった。
「本当に全部最高評価でやんの。まあ、あんだけみっちり対策してりゃ当然の結果かもしんねえが……俺としちゃ、あそこまで根を詰めなくてもいいように効率化とか考えてくれって言いてえトコだ」
「なるべく善処します」
前科持ちの身の上としては、実に耳に痛いお言葉である。それとなく顔を逸らしつつ封筒に入れて戻される書類を受け取り、引き出しの中に入れる。
その時、ちょうど別の手紙が目に入った。売り物にならない石が溜まってきたから取りにおいで、という誠にありがたいご提案を商工ギルドの方からいただいていたのだ。アルマでもいくつか使った後だし、できる時に補充しておくに越したことはない。
時刻は午後の二時過ぎ。ちょうど一階で食事をして戻ってきて、のんびりと余暇の時間を過ごしているところだった。これから忙しくなる見込みもない。
「ヴィゴさん、私これから商工ギルドに行ってこようと思うのですけど」
「何か用事あんのか?」
「売り物にならない石があるから取りにいらっしゃい、と声を掛けていただいていたんです」
「荷物持ちは?」
「小さな欠片が大半だろうので、鞄に入る程度で済むとは思います。もし持って帰れないようなものがあったら、その時は配達を申し込めばいいので」
「だったら、俺がくっついてった方が早えだろ」
言うが早いか、レインナードさんが立ち上がって敷いていた布を畳み始める。
私が外出するのなら、レインナードさんにも自分の部屋に戻ってもらわなければいけない。その意味では支度をしてくれるのは助かるのだけれど、一事が万事お世話になっているようで申し訳ない。
「部屋で休んでいてくれても」
「これ以上休んでても暇だしな。誰かさんのお陰でデカい臨時収入があったから、ちまちま仕事してくる必要もねえし」
肩をすくめ、おどけた素振り。臨時収入……つまり、アルマ島長からの報酬のことだ。
魔石はまるまる私がもらってしまったけれど、金貨は二人で半分ずつ分けた。私もこの先一年くらいは贅沢をしなければ働かずに暮らせそうなくらいの貯金になったけれど、突如としてどんな材料費計上が発生するか予測がつかないし、学院も五年制なので油断はできない。
「なら、お散歩ついでにヴィゴさんも一緒に魔石を見繕ってきますか。手持ちに加えておけば、何かの役に立つこともあるかもしれません」
「俺はお前ほど器用じゃねえけどなー。まあ、あれば手札が増えることにはなるか。――じゃ、一度部屋に戻ってくる」
「はい、また後で」
レインナードさんが部屋を出ていくのを見送り、私も席を立って外出の支度を始める。
いつもの鞄にお財布が入っていることを確認してから肩に掛け、次いで薄手のサマーストールを羽織る。夏の試験が終わったお祝いにラシェルさんから頂いたもので、柔らかい薄紅色のグラデーションが綺麗な逸品だ。最後にベッドサイドのテーブルに置いた鏡の前に戻り、お決まりのビオラの髪飾りを挿す。
扉を開けて廊下に出ると、ちょうどレインナードさんも隣室から出てくるところだった。こちらを向いた眼がまず捉えるのは髪に挿したビオラで、その途端にニッコリと笑む。髪に挿しているのを見つける度にそんな顔をされるので、勢い私も外出の度に身に着けるようになり、今や商工ギルドなんかでは「ビオラの髪飾りのお嬢さん」と呼ばれるくらいである。少々照れる気はしないでもない。
「準備できたか」
「はい。今日も暑いので、気を付けて行きましょう」
並んで廊下を行き、一階へと続く階段を下りながら、寸前とはまた少し異なる照れくささを噛み締める。私とヴィゴさんでは身長に大分差があるから、どうしても視線を横に向けると見えてしまうのだ。
渡したのもほんの数ヶ月前でしかないのに、随分と昔のように感じられる「碧の女帝」のアミュレットが。少し視線を提げれば、腰のラムール石の飾りも目に入る。前者はともかく、後者は必ずしも日常的に身に着けている必要はない。加工して表層の色味を淡くしてあるとはいえ、見る人が見れば「恋人たちの石」であることはすぐに分かる。
一緒に探索に出る時だけで充分ですよ、と言ったこともあるのだけれど、「いつも着けといた方が慣れていい」という次第であるらしい。小さなものとはいえ鉱石を用いた装飾であるだけに、どうしても多少の重みはでてしまう。普段から着けておけば、戦いにおける立ち回りにも支障がでなくていいと考えているのかもしれなかった。
それに、ヴィゴさんは未だ恋愛関係の話題を敬遠し続けている。だからこそ、ラムール石の飾りをつけておくことで、その手の話題が振られることを回避しようとしう意図もあって不思議ではなかった。何であれ、無理なく活用してもらえれば良い。
「商工ギルドの他に寄るトコは?」
「特にありませんが――あ、時間があれば少し市場に寄ってみたいです」
「市場? 何か食いてえもんでもあるのか」
「そうですね、ラルイ芋を」
芋、ときょとんとした風でヴィゴさんが首を傾げる。
ラルイ芋はラルイ地方発祥の芋で、日本で言うところのサツマイモに近い野菜だ。なので、シンプルに焼いて食べるだけでも大変に美味しい。
昨日の夕食の際、女将さんが「そのうち裏庭の落ち葉を始末しなきゃ」と嘆いているのを聞いて閃いたのだ。今朝に確認したらまだ落ち葉の山が残っていたし、女将さんに確認してみたところ、「処理してくれる分には助かるから好きにしてくれていい」という。――つまり、裏庭の落ち葉で焼き芋ができないかと思ったのである。
「村にいた頃、よくやったんです。落ち葉を集めて燃やすついでに火の中へラルイ芋を入れて、一緒に焼いて食べるの」
補足しておくと、古新聞は宿で取っているものを分けてもらえるよう交渉済みだ。アルミホイルは課題用に買ってある類似の金属を変成させ、代用すればいい。すなわち、メインのラルイ芋さえあれば、今すぐにでも焼き芋ができるのだ。
「へ~。俺はあんま食ったことねえなあ」
「なら、折角ですから一緒に食べましょう。たくさん焼いて、スイートポテトにするのもいいな……」
清風亭の部屋にも風呂や台所の設備は一式揃っているけれど、さすがにオーブンやトースターに類するものはない。とはいえ、この辺は自分で使える範囲の火魔術でどうにかするか、レインナードさんのお手を拝借すればどうにかなる気がする。
「ヴィゴさん、商工ギルドじゃなくて市場で荷物持ちをお願いしたくなってきたのですけど」
「おう、いいよいいよ。そこで買ってきたもんで何か作ったら、その分け前がもらえんだろ?」
「もちろんです。素人の作ったもので良ければ」
「美味いもん作ってくれんのは知ってるからな」
少しの疑いもなさそうな口振りに、少し笑う。これまでも何度か不意に思い立ってお菓子を作ってお裾分けしたことがあった。ちゃんと口に合うものが作れていたのなら、それもまた嬉しいことだった。
商工ギルドは、傭兵ギルドよりもやや清風亭に近い大通り沿いの立地にある。
ギルド所属の細工師やら指物師の新作が真っ先に展示されることもあり、そうした催し事の日には押し寄せるお客で賑わうことも珍しくない。しかし、今日は特にそういったイベントはなかったはずなのだ。なのに、やけに混み合っている。
何事だろう、とヴィゴさんと目を見合わせつつ建物に足を踏み入れてみれば、中は更に混雑を極めていた。押し合い圧し合い、まるで都会の満員電車もかくやの人口密度だ。
「こりゃあ一体、何の騒ぎだってんだ?」
怪訝そうな顔をしてヴィゴさんが周囲のお客との間に入って庇ってくれなければ、私など早々に人の間で潰れて身動きが取れなくなっていたか、建物の外に押し出されていたに違いない。
「分かりませんけど、これじゃ身動きをするのにも一苦労ですね。一応は約束があるので、ギルドの人と話ができれば、そこで応対してもらえると思うのですけど」
「だな。――手っ取り早く抱えてっていいか?」
「ええ?」
抱える。この人の密集地帯で。どう考えても衆目を集める気しかしないけれど、ここで延々と人混みに揉まれている訳にもゆかない。……この際、手段を選んではいられないか。
「カウンターに辿り着きさえすれば、話は通っているはずですから」
お願いします、と頭を下げれば、「あいよ」と軽快な返事。ヴィゴさんが私の腰に腕を回し、抱え上げ――た直後、ボグッと鈍い音が上がった。
「おいコラてめえ、次はねえぞ。その腕圧し折られねえのを幸運と思え」
更には、やたら低く威圧する声。
その主はヴィゴさんで、ちょうど肩に掴まろうとしていたので見えなかったけれど、どうやら私の後ろにいた人が殴られたらしい。驚いて振り返ろうとしたものの、そうする前にヴィゴさんが急に動き出してしまった。おっとと、掴まっていないと危ない。
「何かトラブルが?」
「何でもねえよ」
言いながら、ヴィゴさんは憤懣やる方ないという渋面で人の間を縫って歩き出す。首を伸ばして後方を見やれば、「この痴漢野郎放り出せ」「出入り禁止だ出入り禁止!」と声が上がってバタバタしている風なのが見えた。
そこまで直接的な単語が出てくれば、何が起ころうとしていたのか理解せざるを得ない。ゲンナリした気分でため息を吐けば、ヴィゴさんが忌々しげに舌打ちをする。
「ライゼル、次からはここも一人で来んな。俺がいりゃあ一緒に来るが、もしいなかったら、傭兵ギルド寄って暇そうなの連れて来い」
「何もそこまでしなくとも」
「そこまでも何もあるかよ。絶対にだ、約束しろ」
「ひえ」
ヴィゴさんの口調は強く、ますます有無を言わさぬ響きを帯びつつある。心配してくれていることは、私も分かっているつもりではあるので……。
「なるべく、心がけます」
「なるべくじゃなくて、必ずだ」
スパッと言い返された。あまりにも押しが強い。
私がうんともすんとも答えられないでいる間にレインナードさんは見事に人を避け、カウンターへと到達する。
ただの買い物客に比べれば、私達も商工ギルド内部に顔がきく。慌ただしく来客対応をされていた職員の人も、こちらに気がつくとすぐに委細を察した表情になり、カウンターの中に入れてくれた。
運んでもらえたのは助かったけれど、さすがにこの衆人環視の中で抱えて運んでもらうのは注目を集めすぎる。レインナードさんの腕から下り、床に立った時は図らずも小さく息が漏れた。
軽く身なりを確認し、改めて用件を伝えるべく口を開こうとすると、
「やあ、今日来るなんて運がいいね」
こちらが言葉を発するよりも早く、カウンターの奥の扉が開いた。
扉の中から顔を出し、朗らかに手を振ってみせるのは紺碧の髪の美しい女性だ。ノエラ・マリエットさん、件の手紙を送ってくださった方である。
「今日は随分と賑やかなようで……日を改めた方が良かったでしょうか」
「とんでもない、むしろ今来てくれて助かったくらいさ」
お世辞でもなさそうな、不思議なほど実感の籠った声で言い、ノエラさんは「さあ早く」と手招きをする。よほど忙しいのかもしれない。
レインナードさんに目配せをし、ノエラさんが顔を出している扉へと足を急がせる。
「表のは、一体どういう騒ぎなんですか?」
「アルマから急に大量の石が届いてさ。王城からいきなり下げ渡されて、慌てて選別やら加工やらしてるって訳だよ」
私とレインナードさんがくぐったのを確かめてから扉を閉め、ノエラさんが肩をすくめる。そのまま案内されるのは、奥の工房の一角だ。
商工ギルドは依頼受注や職人の作品の展示店舗を兼ねた表側の区画と、職人や職員が詰めて様々な作業に従事する裏側の工房とに分かれている。工房では入荷された石の選別や加工も行われており、屑石の保管場所もその区画内に設けられていた。
ノエラさんは鉱石の研磨や切断を担当とする職人でもあり、そうした縁から値のつかない屑石を融通してくれるようになったのだった。
「アルマから……」
「そうそう。どこから聞き付けたやら、買い付けに来た職人やら商人やらも大挙して押し寄せてねえ」
騒がしいったらありゃしない、とノエラさんが顔をしかめる。
確かに、表はとんでもない騒ぎだった。しかも、その騒ぎの原因がアルマの魔石だという。急に王城からという不思議なルートも加味するに、あの公にはされていない事件に関わるものと見るのが自然な気がする。
すぐ後ろを歩いているレインナードさんへ、それとなく目を向けてみる。だろうな、と言わんばかりの目顔で肩をすくめるジェスチャーが返された。……ですよねえ。
「さあ、これが屑石の山! いつも通りお代は二千ネルで好きなだけ持ってっていいよ! むしろできるだけ多く引き取ってもらえるとありがたいね!」
「わあ」
「ほんとに山だなこりゃ」
かくして案内していただいた工房の一角では、バスタブほどの大きさの箱の中に私の身長に迫るほどうず高く鉱物が積み上げられていた。切り出した石の欠片があったかと思えば、割れた破片や傷のある玉までもが含まれている。目の眩むような、文字通りの宝の山だ。
「こちらこそ、いつもありがとうございます。――では、二千ネルを」
高鳴る胸を抑えつつ、鞄から財布を取り出して代金を支払う。ノエラさんは二千ネルがあることを確かめてから、ニコリと笑って大仰に両手を広げてみせた。
「はい、毎度あり! 石の持ち帰りにはは、その辺の袋を好きに使ってくれていいよ。ただ、申し訳ないんだけど、私はまだ石の加工が残っててね」
「大丈夫です、こちらも勝手に選んで勝手に持っていきますので」
「悪いね、帰りは裏口を使ってくれていいから」
申し訳なさそうに言いながら、ノエラさんは自分の作業場に戻っていく。
その背を見送り、眼前の鉱石の山へ一歩近づく。試しに手を伸ばして指を差し入れてみれば、きらきらとした流れを作って小石が表面を滑り落ちていった。上から下へ転がってゆく石は際限がなく、後から後から湧いて出てくるかのよう。
「レインナードさん、気になる石があったら持っていってください」
「つーても、お前ほど目利きじゃねえしなあ。適当に見繕ってくから、それが使えそうかどうか判別してくれっか。そんでまとめて持って帰った後に宿でいくつかもらうわ」
「じゃあ、ある程度の大きさのある石を探してもらえますか? 親指の爪くらいを最低ラインにして、それより大きいもの。他にも目につくほど綺麗だったり、魔力を感じるものがあったら取っておいてください」
「あいよ、了解」
それからは、しばらく黙々と石の選別を続けた。
アルマ島から王城に宛てて送られたというだけのことはあり、市場で値のつかないものとはいえ、その質の高さは舌を巻くほどだ。瑕の入った紅玉に青玉、翡翠と色とりどりの水晶。魔石も種類が豊富で、お馴染みのヴァトラ石にジャエル石と「碧の女帝」があったかと思えば、魔力を吸って水を生むシャフシー石という希少なものも含まれていた。
石の選別に費やしたのは、正味一時間半くらいだったかと思う。それでも全てを見終えたのではなく、これ以上はきりがないと終わりにしただけに過ぎない。つくづく、とんでもない量だった。
「いやー、いろいろ見たなあ」
「ですね。ここまでたくさん収穫があるとは思いませんでした」
これほどまでにたくさんあるのなら、また後日もう一度取りに来てもいいかもしれない。
そろそろ帰ります、とノエラさんに挨拶をしがてら言ってみると「暇があったら、ぜひ来てくれ! 捨てるのだって大変なんだ!」と大歓迎されてしまった。この分だと、しばらく通うことになるかもしれない。とはいえ、今日の収穫だって望外極まりないのだ。
裏口をお借りしてギルドを出た時には、レインナードさんに至ってはサンタクロースもかくやの袋を携えている。ここで袋に穴でも開いて貴重な資材を無為に失うようなことになっては最悪なので、幾重にも補強の魔術をかけておいたりして。
もちろん、私も手ぶらではない。他の石と混ぜるのは躊躇われるような希少石を集めた袋を持っており、こちらも鞄に入らないくらいの大きさになっている。
「やっぱ俺がついてきてて良かったろ」
「ええ、ありがとうございました。宿に着いたら、改めて選別と分配をしましょう」
ギルドの裏手から表通りに向かいながら、それはもうほくほく気分である。しかし、ここまで収穫が多いとは完全なる想定外だ。
このまま二人して軽くはない袋を抱えながら市場に寄るのでは、自分たちの買い物の邪魔にもなりそうだし、他のお客さんのご迷惑にならないとも限らない。そう考えると悩ましくもあったものの、一度清風亭に置きに戻るのもそれはそれで面倒ではあった。
商工ギルドよろしくに混雑していたらまた考えよう、と当初の予定通りに市場へ向かうことにする。
「それにしても、予想外のおこぼれがあったもんだな」
「鎮圧に助力した関係で、何かしら交渉があったんですかねえ」
「なくはなかっただろうよ。あいつの素性を知った上で動員した上で情報公開を制限する口裏合わせをしたんなら、そりゃ島長も何もしねえ訳にはいかねえさ」
「政治は大変ですね」
「宮廷魔術師になったら、お前もそういうのに関わるようになるんだぜ」
ごもっともな指摘には、今は何も答えずにおいた。今は「大変そうだな」と一種腰が引けたような所感しか抱けないものの、四年後の私なら少しはマシな反応ができるようになっていると期待するしかない。
市場は商工ギルドからも程近い、清風亭への帰り道の途中にあるので、歩きながらのお喋りもそれほど長くは続かない。時刻は三時を回って四時近くなりつつある。夕食の買い物か、あれこれと買い求めるお客の姿も多いけれど、それでも商工ギルドにくらべればかわいいものだ。
市場の入り口には、ちょっとした休憩所が設けられている。テーブルセットやベンチがいくつか並んでいるので、露店で買ったものを飲んだり食べたりする人に人気だ。幸い、今はいくつか空いている席があるようだ。
「ヴィゴさん、ここで荷物番を兼ねて待っていてもらえますか? 私は身軽になって、ササッと買い物を済ませてきます」
「そりゃ構わねえが、一人で大丈夫か?」
「買い物もできないほど子どもじゃありませんよ」
言うだけ言って、レインナードさんを空いているベンチへと引っ張っていく。まずは自分が抱えてきた袋を置き、その横にレインナードさんが腰を下ろしたのを見届けてから、「行ってきます」と市場の中へと向かった。
王都の市場であるので、場内もそれなり以上の規模を誇る。さりとて過去に何度も足を運んでいる場所でもあれば、大まかな配置は頭に入っていた。まず訪ねるのは、様々な穀類を扱うお店だ。軒先に顔を出してみれば、麦に芋にと多種多様な品揃えが目に飛び込んでくる。
ラルイ芋は……あった。思ったより在庫もありそうだけれど、どれくらい買っていけばいいだろう。私とヴィゴさん、ラシェルさんに女将さんと旦那さんで五人だけれど、宿や食堂のお客さんにお裾分けをするかもしれないし、後でお菓子を作る分も確保しておきたい。
「すみません、ラルイ芋一袋下さい」
少し考えてから店主の男性に声をかけると、日に焼けた顔がこちらを向き、威勢の良い声が上がった。
「毎度! お嬢ちゃん、お使いかい? そんじゃあ、千七百ネルをオマケして千五百だ!」
「わあ、ありがとうございます!」
今日は幸運続きだ。弾む声で答えながら、鞄を開けて代金を渡す。
「はいよ、確かに! 一袋となると重いけど、大丈夫かい?」
「はい、これくらいなら持てるので」
受け取った麻袋は今まで抱えてきた鉱石の袋よりもずっしりしていたけれど、苦になるほどではない。私が袋を持つ姿を見て虚勢ではないと察したのか、力持ちだねえと笑った店主さんに会釈を返して人ごみに戻る。
次はお菓子の材料を買い足して……と思った時、視界の端に不思議なものが見えた。
「蝶」
ひらりひらりと舞う、赤い蝶。
魔力を漂わせて宙を踊るそれは、間違いなく誰かの使い魔だった。




