08:力無きものたちの為に-8
8.夏休み・再
初日こそ意見が割れて大舌戦が勃発することもあったけれど、疑似生命工学の総本山たるアルマの誇る優秀な技師によって編成された調査団は恐ろしいほどに有能だった。
日を追うごとどころか、一時間経つごとに新たな発見と報告が上がる。手始めに自動人形を暴走させている原因の術式――種と形容されていたアレだ――を無効化する対抗術式が考案され、北の街周辺で続いている小競り合いの現場で試験運用がなされた。
どうやら黒幕は南の街の自動人形から核を根こそぎ奪うだけでは飽き足らず、北側でも略奪を試みていたらしいのだ。一時は騒ぎを鎮圧したはずの鉱山が再度奪われてしまったので、ラファエル卿も戦線に加わって奪還作戦を進めていたとか。
「他所んちの兵の質についてああだこうだ言えた身分じゃねえし、寡兵で手も足りなかったんだろうが、下手打ったもんだな」
とは、ソイカ技師から事情を聞いた後のレインナードさんの所感である。それはもう大層なしかめっ面で言っていた。自分が非常に腕の立つ傭兵であるだけに、その辺はどうも見る目が厳しくなるようだ。
ともかくも調査団が考案した術式は鉱山奪還の現場において用いられ、無事に自動人形の動きを止めることができたらしい。先に黒幕の種を無効化した上で休眠させるという段階を踏むよう設定されているので、自壊の憂き目に遭ったものもいないと聞けば、ホッと胸を撫で下ろすばかりだ。
種を無効化した時点で黒幕との繋がりは途切れてしまっているものと考えられるけれど、今はそちらの追求よりも自動人形の保護を優先したのだろう。島民の財産でもあり家族でもあるものだし、対外的にも「自動人形を無理矢理従える術式をもって乱を起こされたが、現在では無効化して安全である」と言い切れた方が今後有利に働くと考えたのかもしれない。
もうじき種を植え付けられていた自動人形を個別に診断し、完全に種を除去する処置も始まると聞く。種が除去されてしまいさえすれば、各々が本来の家族のところに帰るのもそう遠い話ではないのだと思う。黒幕との接続が途切れていれば、私がやられたように探知されたり反撃されたりすることもないだろうし。
「何にしても、ようやく状況が落ち着きそうで良かったですよ。ヤルミルくんともう一人の子を確保し、調査団に協力した成果でもって、癒しの泉の館の現状維持も確約されました。更には、館と泉と所有者の契約構造に関する調査書も目を通してもらえるということですから」
「ヴァネサも坊主も一安心だわな。問題は、お前の仕事は全然減ってねえってことだけどよ」
「自分で始めた仕事は最後まで責任を持ちましょうって言いますからね」
ちょうど報告書の最後の一文字を書き終えたところだったので、ペンを置きながら答える。
調査団が館に到着して、早くも三日が経った。最精鋭の技師が揃っているのだから、それだけの時間があれば当座の解析も粗方が終了する。次は解析結果を受けて対策を考案する段階に入る訳で、そこまでくると機密保持の都合で私が同席する訳にもゆかない。よって、書きかけだった報告書に取り掛かる余裕も出てくるという訳なのだった。
私が調査団のミーティングに同席しないのなら、レインナードさんもまた同様である。代わりに今は私の仕事ぶりを監視すべく、退屈そうにベッドで寝転がっていた。さすがに私が使っているベッドを使う訳にはいかないから、と資料や筆記用具を一式レインナードさんの部屋に移送しての監視体制である。いくら何でもそこまでしなくて良いのじゃないだろうかと主張してみたものの、敢え無く却下された。どうして……。
「そういや、島長からの報酬って他に何がくるんだ」
「金貨を一袋と魔石を一箱ってソイカ技師は言ってましたよ」
「お? 随分と大盤振る舞いするじゃねえか。口止め料か?」
「それも込みなんでしょうねえ」
ソイカ技師から聞いたところによると、少なからず謙遜もありそうな気がするけれど、私に関することで島主との交渉を請け負ってくれたのは主としてラファエル卿であったらしい。恐れ多いと同時に、納得の話でもある。
ラファエル卿という国内外に大きな影響力を持つ御仁が関わりでもしなければ、ここまで概ね円満に要求を聞き入れてもらえたばかりか、相当な報酬まで下賜されることはなかったのでは――という気もする。今後またお会いすることがあるかも定かではないけれど、その際には改めてお礼をしなければ。
「ヤルミルくんはソイカ技師が新しく素体を創ってくださる上に、極めて特殊な立ち回りをしたことによる影響を見る為にもしばらく館へ通ってくださるとか。今回の事件については、本当に何も心配することはなさそうな形で落ち着きそうですね」
「お前が苦労しまくった甲斐はあったってか」
「ヴィゴさんにも骨を折ってもらいましたよ」
「俺のは大したことねえよ」
などと言いながら、ひらひら手を振ってみせる。私に気を遣わせないように、という配慮でもあるだろうけれど、個人としては苦戦らしい苦戦をしなかった事実を思えば、否定するのも変か。
つくづく腕の立つ傭兵の方で、たくさん助けていただいた。その恩に報いるのは難しいとしても、せめて渡せる限りのものを渡すべきだろう。
「とりあえず報酬は王都に送ってもらうことにして、後で分けましょう」
「あ?」
……と思って言ったのに、やたらに怪訝そうな顔をされた。
「島長からの報酬は、お前ががんばってあれこれ働いたからだろ。俺が分け前をもらう筋じゃねえやな」
「私ががんばっても、ヴィゴさんに助けてもらわなければどうにもなりませんでしたけど」
「今回の旅は俺が主導で、お前を連れ出して王都まで連れ帰るってとこまでが最初に決めた約束だ。それに準じて動いてるだけで、それ以上でもそれ以下でもねえ」
「屁理屈の気配を感じます」
「屁理屈でも理屈は理屈だろーよ」
「では、私も私の気持ちが治まらないという屁理屈を捏ねて、王都に帰ったら報酬を分配することにしますね」
「お前も結構に強情なトコあるよな……」
「今になって気付いたんですか?」
羽ペンのインクを拭きながら、ベッドの方へ顔を向けてニコリと笑ってみせる。レインナードさんは一瞬虚を突かれたように目を丸くし、それから苦笑に近い顔で笑った。
「割と前から知ってたかもしんねえわ」
「そうでしょうとも。――報告書を全部書き終わったら、ソイカ技師に託して船の手配も頼んでおきます。そうしたら、ついに南洋諸島ですね」
「だなあ。到着までこんなに長くかかるとは思ってもみなかったぜ」
全くです、と答え、羽ペンを置く。
今書き終わったのは館と泉の維持構造についての報告書であったので、館の所有者に求められる負担や資質についてはまた別だ。そちらも書き上げてしまわなければ片手落ちになるので、まだ全てが終わりという訳ではない。
それでも次の目的地へ向かう道筋が見つかり、当初の目的通りに旅が再開できそうだと思えば気分は明るくなる。
「とりあえず、お前の強情に対抗して南洋諸島じゃ甘やかし放題甘やかしてやるから覚悟しとけ」
「なんですって?」
おもむろに訳の分からない不穏な台詞が聞こえたのには、思わず真顔になってしまったけれど。
ソイカ技師を通じて島長へ報告書を提出し、船を手配してもらい、未だに忙しそうな調査団の方々や涙ながらに送り出してくれたヴァネサさんに別れの挨拶を述べる。私までもらい泣きしそうになりながら癒しの泉の館を発ったのは、いつの間にやら夏休みも終わりかけの時期だった。とはいえ、終わりかけではあっても終わってはいないので、南洋諸島観光を楽しむに不足はない。
船に揺られて到着した南洋諸島はアコド島は、まだ慌ただしさの色濃いアルマとは異なり、安穏とした空気とした空気が流れていた。晴天のお昼前という条件も手伝ってか、観光地につきものの賑やかさの中には一種の華やかささえ感じる。
南洋諸島で最も人気を博する島は別にあるというけれど、アコド島も随分な人手だ。これじゃあふらりと訪ねてきても宿の確保に困るのじゃないだろうか――と心配になったのも杞憂で、以前にレインナードさんがこの島に来て一仕事した時の縁で宿の手配に困ることはないらしい。
「どんなお仕事をされたんですか?」
「大ホテルの支配人の屋敷が盗賊に襲われるとか何とかってんで、警備に入って片っ端から実動隊を叩きのめした後に捕まえた奴らを尋問して別動隊まで根こそぎ取っ捕まえた。全部で二十何人か……三十近くいたかな」
「思った以上の大活躍」
真剣に真顔になってしまった。そこまでの大事件なら、そりゃあ感謝もされよう。
道々聞かされたのがそういうとんでもない逸話であっただけに、きっと大きなホテルなのだろうなと漠然と思ってはいた。いたのだけれど、その実物はあまりにも私の想像を超えていた。
「あの、ヴィゴさん、これ大ホテルっていうか、超巨大ホテル」
「まあ、支配人が財産を当て込んで略奪を目論まれるくれーだからな」
そりゃデケえ、とあくまで平然とした顔で言いながら、レインナードさんは建物に入っていく。けれど、これがまた日本で生きていた頃だって足を踏み入れたことがないような豪奢で立派なホテルなのだ。
もちろん、現代日本や西欧諸国で名を知られる高級ホテルのような煌びやかさとは質が異なる。何十階という高層建築もなければ、電気を用いた装飾も存在しない。しかし、こちらはこちらで魔術というファンタジックスキルがあるのだ。魔石灯に幻影の投射にと、まさしく幻想的な佇まいが演出されている。
そんな建物の前に独り残されるのも困るのでレインナードさんについていくものの、平静を保つのも容易でない。荒事とはまた別のベクトルで心臓がバクバクしている。
「そう鯱張るこたあねえよ。――まあ、ちょっと話つけてくるから待ってろ」
レインナードさんが受付に向かっていくのを見送り、とりあえず通行の邪魔にならない壁際の方に寄っておくことにした。玄関ホールも広大なので、壁までもそれなり以上の距離があったけれど。
それにしても、すごいホテルだ。見上げた吹き抜けの天井には、きらきらと輝く透き通った魔石が惜しみなく使われた大シャンデリア。床は大理石だろうか、鏡のようにピカピカに磨き上げられている。待合スペースに置かれたソファも立派なものだった。木製のフレームの曲線は滑らかで、布張りの背もたれに施された刺繍も一幅の絵画のよう。
どうにもこうにも自分が場違いな気がしてきていけない。というか、ドレスコードとかないんだろうか。普通にいつもの街歩きスタイルで来てしまった……。
「こんなトコに隠れてたのか。空いてる特別室を貸してくれるっつーから、とりあえず荷物置きに行くぞ」
周囲を見回して遠い目になっていたのも束の間、聞き慣れた声が聞こえてきて我に返る。受付の前で、レインナードさんが手招きをしていた。
こっちだ、とホールの奥を指し示す人の許へ足早に合流し、その後ろにくっついて歩き出す。正面玄関からは窺えない奥まった区画に、三基の昇降機が設えられている。ただし、レインナードさんはそれらを一顧だにすることなく、更に奥へと進んだ。
「あれ、乗らないんですか?」
「言ったろ、特別室って。俺たちは別ルートだ」
そう言って、レインナードさんは突き当たりの壁に手を翳す素振りを見せた。よくよく見てみれば、その手には銀色の鍵がある。青い魔石が埋め込まれており、それが輝くと壁の一部分がスッと脇に動いて内部空間を露わにした。四基目の昇降機。
レインナードさんが扉を手で押さえて開けておいてくれているので、小走りで昇降機の中へ進む。私が乗り込んだ後にレインナードさんが入ってくると、側面に設置された操作盤のボタンを押して扉が閉められ、昇降機が動き出した。ゆっくりと上へ移動していく。
「特別待遇さがすごすぎる……。ヴィゴさんは、前にもこちらで泊まったことがあるんですか?」
「うんにゃ、今日が最初だ」
「あれ、そうなんですか」
「一人でフラッと来て、こんな大層なとこ使えねえだろ」
「それは確かに……」
私が同じ立場でも、気後れして別のもっと軽く使えそうなところを探すと思う。レインナードさんがいたら、折角だから――と思って使わせてもらうかもしれないけれど。そう考えると、同じことをしようとしているようで少しおかしい。
「泊まる部屋って何階なんですか?」
「七階の三番。七階は他にも部屋があるらしいが、それぞれ昇降機で直通で独立してて、他の客とは顔を合わせねえ造りなんだとさ」
「ますます特別待遇……というか、七階? 表から見た時、そこまで高いようには見えませんでしたけど――もしかして、空間圧縮魔術とか使っちゃってたりするんです?」
「あー、それだそれ」
「うわあ……」
あっけらかんと頷いて返され、思わず何とも言えない声が出た。
空間圧縮は概念干渉系の魔術の中でも高度なもので、学院でも最終学年にあたる五年生からようやく講義を受講できるようになる。使える術師が少ないので民間で発注しようと思えば相当な金額になるし、空間の操作はきちんとした施術でないと外界にどのような異変をもたらすやら定かでない。
アシメニオスでもとても複雑かつ多量の申請を行い、国の許可と検査を受けなければならないくらいだから、南洋諸島でも同じようなシステムになっていることだろう。つまり、そこまでの費用と手間暇をかけて作られ、それでも運営してゆけるクラスのホテルということになる。……高級という言葉でも足りないくらいかもしれない。
このホテルは外から見た時は五階建てに見えたので、おそらく五階と四階の間辺りに圧縮されて外界からは視認不可能な階層がいくつかあるのだ。圧縮された空間に入るには、術者が独自に定めた条件をクリアする必要がある。このホテルにおいては、おそらく特定の昇降機を使うことかな。
「その辺の壁とか床とかを解析してみたいところですけど、さすがに無断でやったら怒られそうですし、そもそも許可が出なさそう……」
「それ以前に俺が却下してるわ、この過剰労働娘。ここには夏休みの旅行っつーことで来てんだろーが。勉強しようとすんな。後、それ迂闊に手ェだしたら間違いなくまたぶっ倒れる奴だろ。どう考えても止めさすっつの」
「……ハハッ」
レインナードさんが私の扱いに慣れ過ぎていて、沈黙の末に乾いた笑いを漏らすことがしかできなかった。何から何まで図星過ぎる。
これ以上ボロを出すと際限なく監視の目が厳しくなりそうなので、この辺りで黙っておいた方がよさそうだ。幸いにして、昇降機も程なくして静止した。外に出てみると、広くも短い廊下の奥にこれまた美しいばかりの造りの扉があるのが見て取れる。
扉に掛けられたプレートには飾り文字で「3」の数字が彫り込まれていた。
「荷物置いたら、飯食いがてら中心市街にでも行ってみっかね。ちょいと離れた海岸に『青い洞窟』ってのがあんだとさ。海辺の崖が削れて洞窟になったとこで、中の水面がえらい綺麗な青色をしてるらしいとよ」
「おお~、すごく海辺の観光地っぽい名所。波で浸食された海食洞でしょうかね」
イタリアだっただろうか、似たような名前の海食洞が観光地として人気だったような記憶がないでもない。今日は天気もいいから、さぞかし青色が映えることだろう。つくづくカメラがないのが悔やまれる。
「それから、その洞窟に向かう途中に美味い茶店があるとさ。氷菓子と、何だったかな、薄い皮とクリームと果物を重ねて挟んだとかいう、手間のかかるケーキが有名」
「食べに行きましょう」
うっかり多分に食い気味の発言になってしまったけれど、こればかりは仕方がない。たぶん、それはミルクレープだ。ガラジオスでは見ないタイプのケーキなので、久々に食べてみたい。
「あいよ、どうぞご随意に。後は、ベタに海遊びでもするか?」
「楽しそうですけど、水着の持ち合わせがありません」
「そんくらい買ってやるよ」
喋りながらレインナードさんが扉の鍵を開けてくれたので、先んじて部屋の中へお邪魔する。
まずは真っ当にリビングへ足を踏み入れたのだけれど、もうその時点で圧倒されてしまった。そうでないはずはないと分かっていたつもりでも、どこの貴賓室かという豪奢さには目が回りかける。壁に掛けられた絵、装飾も煌びやかなテーブルやソファ。玄関ホールにあったものに輪をかけた立派さは、もはや私の語彙では形容する言葉がないくらい。
「およ、窓の外にちゃんと景色見えんのな」
「空間としては圧縮されているので、本来見える景色を投影しているんだと思いますよ。それだって相当高度な魔術なので、何かこう、魔術師目線からも震えのくる部屋ですけど……」
少し遅れてリビングにやってきたレインナードさんは、大きな窓が気になったようだった。明るい陽光の差し込む、水面輝く海を地上七階から臨む景色。
ここまできたらそうだという確信しかないけれど、単に晴れの景色を投影しているのではなく、外の様子をリアルタイムで反映しているのだろう。それもレインナードさんをして「外が見える」と思わせるほど精彩に。その現象を起こす為に組み合わせられた術式は三つや四つとかいう次元ではないはずだし、互いに干渉しあって不具合を起こさないよう調整するのだってすさまじい難易度だ。
学院でこれと同じ仕組みを自分で作れと言われたら、手のひらサイズの観測器でも作るのに一月はかかる。それが超高級ホテルの特別室の大きな窓のサイズで、その窓と同じ数だけ――と発注されたら、卒倒しない自信がない。いや、その発注を受けられるほど卓越した魔術師であれば、お茶の子さいさいなのかもしれないけど。少なくとも私は無理だ。
「何か職業病めいてんな……うわっ」
「どうしました?」
リビングを横切り、部屋の奥へ向かっていたレインナードさんが急に素っ頓狂な声を上げた。今度は何があったのだろう。
魔術師目線で慄いていた思考はひとまず脇に追いやり、声のした方へ足を動かしてみる。不思議に思うというよりは、単純に状況を確認すべく歩くこと少々……直前のレインナードさんよろしく「うわあ」と呆気にとられた声が出た。
「天蓋付きのベッドなんて初めて見ました……」
「いや、そうかもしんねえけど、そうじゃなくてな」
物語のお姫様でも寝ていそうな、これまた瀟洒なベッドである。天蓋から垂らされた紗幕は薄く透ける白。表面にかすかな光の粒が窺えるのは、布に施された魔術加工だろう。実質的な意味を持つ術式か、飾りとしてのものかは眺めているだけでは分からないけれど。
早速王都の宿で使っているベッドの何倍かという規模のベッドの傍らで膝を突き、右の掌を押しつけてみる。じんわりと柔らかく沈み込んでいく感触が気持ちいい。
「うわ、寝心地よさそう」
シーツもさらさらとして肌触りが最高だし、観光も楽しみだけれど、このベッドで寝てみるのも楽しみになってきた。
「クソ、うっかりして注文つけ忘れた」
私がひっそりとテンションを上げている一方、レインナードさんの表情は晴れない。
寝室に相当するのであろうスペースには、この巨大な天蓋付きベッドが一つあるだけだ。今までの振る舞いを踏まえるに、そこを気にしないこともないのだろうと思ってはいたけれど。
「そんなに気にすることないんじゃないですか。見てくださいよ、この大きさ。二人で寝たって余り過ぎます」
「それもそうかもしんねえけど、そうじゃねえんだよ」
「第一、ヴァネサさんのところにいた時はもっと小さいベッドで一緒に寝てたじゃないですか」
「あれはお前を監視しとく為であって、今と同列にはできねえだろ」
「屁理屈」
「うっせ」
「ま、細かいことはいいじゃないですか。お腹も減ってきましたし出掛けましょう。やっぱり海鮮が美味しいんでしょうか」
「……魚は美味かったよ、確かに」
レインナードさんも私が聞く耳持たないと分かっているのか、ため息を吐くとベッドの足元に鞄を置いた。私も鞄を下ろし、小さな手持ち鞄に必要なものを詰め替えて肩に掛け直す。
「それじゃあ、夏休みの最後の仕上げと洒落込みましょう」
「何か思ったより元気だな」
レインナードさんは少し意外そうな顔をしていた。アルマでの騒動が尾を引いて、私が疲れたり落ち込んだりしていないか気にしていてくれたのかもしれない
振り返ってみれば、アルマの島を訪ねたその日から予想外の事態続きだった。大変なことも少なくなかったし、思い悩んだことだって数えだしたらきりがない。それでも、終わり良ければ総て良しという言葉だってあるのだし。
この夏も、きっといろいろあったけれど良いものだったと記憶されるのだろう。
「お陰様で」
軽く笑って答えると、ゆっくりと瞬きをした後でレインナードさんも「そうか」と笑った。