10.ココゾ村
翌朝早く、玲子は議員会館へ出向いた。
まだ就業開始時間より一時間早いが、農政省の執務室には既にバラカトが来ており、仕事をしていた。
「バラカトさん。おはようございます」
玲子は、元気よく挨拶した。
玲子の元気そうな顔を見た瞬間、バラカトは全てを察し、頬を緩めた。
「玲子さん、おはようございます」
「バラカトさん、長い間休んでしまい、すみませんでした。今日からピアノを演奏させて下さい」
玲子は、頭を下げた。
「元気になって良かった」
バラカトはうなずき、地図を取り出した。
「今日から、ココゾ村で協力をお願いします。
バラカトは、地図上で場所を示した。
「現地での宿泊になりますが、大丈夫でしょうか?」
「はい。大丈夫です。それにしても、山間部ですね」
「辺鄙なところです。下水道はおろか、電気やガスも整っていません」
バラカトは、ココゾ村の写真を数枚、玲子に見せた。
「この農村で特産品をつくることが、私の目的です」
「バラカトさん。真の目的は、農村の人たちの暮らしを豊かにすることですよね?」
玲子が尋ねると、
「いやぁ、一本取られましたね」
と、バラカトは頬を緩ませた。
その日の午後、玲子はココゾ村に向かった。
ココゾ村は、玲子の滞在するホテルから車で五時間かかる。細い山道を、玲子と農政省の担当アピバを乗せた車は、ゆっくりと進んだ。
マリアは用事があるとのことで、一緒ではなかった。
村の入口に橋があった。
その橋を渡り、玲子たちは村へ入った。
ココゾ村は、写真で見た以上に寂れた村だった。
電気もガスも通っておらず、住民の飲み水は、最近できた用水路の水を利用している。用水路ができる前は、一キロほど離れた池から水を汲みだしていた。
それでも、この村には二百人ほどが住んでいる。
村に着くと、村長をはじめとして、村人が総出で出迎えてくれた。
「はるばる『東島の勇者』玲子が来てくれた」
村人は口々に言い合いながら、玲子に握手を求めた。
(このように村民から歓迎されるのは、なぜかしら?)
玲子は戸惑いながらも、村民からの握手に応じた。
やがて歓迎の宴が開かれた。但し、質素な夕食と自家製のお酒のみの、ささやかな催しである。
農政省のアピバは、小さい声で、
「彼らは、精一杯の歓迎をしています」
と言い、さらに声を細めて、
「いただいた食べ物を、残さないようにしてください」
と、玲子の耳元で囁いた。
その意味を、玲子は理解した。
ココゾ村では、栄養不良の村民が多くいる。そのことを、事前にバラカトから聞いていた。
彼らからの精一杯の贈り物である食糧を無駄にすることは、彼らを傷つけることになる。
慣れない料理のため、玲子の口には合わなかったが、残さずに食べた。
「玲子さん。貴方のお陰で、この村は救われました」
食事の最中、村長のコンゴが玲子にいった。
「私は、まだ何もしていませんが…」
玲子は、村長が感謝した理由がわからない。
村長のコンゴは、その理由を玲子に語った。
「この村は、以前、内戦で壊滅的な被害を受けました。多くの家が壊され、家族が死に、餓えに苦しみ、皆が希望を失いかけていました」
こんな辺鄙な村でも戦闘が行われていたことを、玲子は初めて知った。
コンゴ村長は、話を続けた。
「でも、ラジオで、内戦が停戦になったとのニュースが流れ、しばらくすると終戦になったと放送がありました。そして、その功労者が、玲子さん、貴方であることを知りました」
「コンゴ村長、内戦を終了させたのは、モナ女王です。私ではありません」
玲子は、モナ女王こそが功労者であると説明した。
「もちろん、そのことは知っています。しかし、モナ女王は王国軍側の人です。もともと内戦を起こさないようにすべき立場の人です」
コンゴ村長は、国王および王族の責任を暗に指摘していた。
「しかし、玲子さん。あなたは違う。わざわざ東の島からやってきて、戦争を停戦に導くために身の危険も顧みず、皆の力を結集させた。そのことに深く感謝しています」
村長の感謝に対し、玲子の心は複雑である。
なぜならば、あのとき玲子は、停戦のために行動したわけではなかった。近藤を助けるために行動しただけである。それが結果として、偶然にも停戦に結び付いただけなのだ。玲子は、それを言おうとした。だが、その前にコンゴ村長は話題を変えた。
「玲子さん、あなたはこの村が寂れていると思ったでしょう?」
「…いえ、そんなことは…」
「隠さなくても結構です。確かにこの村は寂れています。でも内戦中は、もっと寂れていました。餓死者がいたのです」
村長の言葉に、玲子は驚いた。
コンゴ村長は、当時を語りだした。
*****
三年前、王国軍と革命軍とが、この村で戦闘を始めました。
装甲車3台とトラック2台に分乗した王国軍兵士が60名、それに対して革命軍兵士は、わずか二十名でした。
この村は、高い山が連なっており、ここに電波塔を立てることで、国のあらゆる場所に電波を届けることができます。広報活動を行うためには、この村は重要な場所でした。
当初、村人は誰もが、王国軍の優位を信じて疑いませんでした。なぜならば、王国軍と革命軍とでは、人数の差だけでなく、装備が全く違っていたのです。
王国軍の自動小銃に対して、革命軍は単発式の古びた銃でした。しかも、革命軍には装甲車もありません。
しかし、革命軍は、思いもよらぬ方法で王国軍を苦しめたのです。
なんと、革命軍は、村の入口にある橋を壊したのです。
この橋は、村と外界とをつなぐ唯一の道路でした。
この橋が壊れたら、装甲車は村の外に出ることができません。つまり王国軍の装甲車やトラックが役に立たなくなったのです。
しかも革命軍は、村の近くにある池を占領しました。この池は、村に一つしかない水源でした。
王国軍が池を守備する革命軍を強襲しようとすると、その情報をいち早く掴んだ革命軍が村の入口近くで待ち構えており、王国軍の兵士を狙撃したのです。
当初60名いた王国軍ですが、20名が狙撃され、あっという間に40名になりました。それでもまだ、数の上では王国軍の方が優位です。
ですが、王国軍が村の外へ出ようとすると狙撃される危険があるため、王国軍は、なかなか村の外に出ることができません。
やがて、飲み水に窮した王国軍は、喉の渇きに耐えきれなくなり、村の家々から水を略奪するようになりました。
しかも、略奪は水だけに限らず、村人の食料さえも奪うようになりました。
王国軍は、ならず者の集まりへと変わってしまったのです。そしてついに、村人が大事に保管していた畑にまく種籾すら奪って行きました。
一週間ほどして、王国軍も革命軍も村からいなくなりましたが、その後、多くの村人が苦しみました。
種籾が奪われたため、多くの家では畑に種をまくことができなくなったのです。つまり収穫ができなくなったのです。
村人は森に入り、食料を見つけようとしましたが、毒蛇に咬まれて命を失うものや、獣に襲われて傷を負い死んでゆくもの、栄養が不十分なために病気で亡くなるもの、などがいました。
そして、ついに餓死者がでたのです。
*****
村長が語り終えた後、しばらく玲子は何も言えなかった。
王国軍が村人から食料を略奪するなんて、玲子には信じられなかった。
玲子にとって王国軍は、国民を守るための軍隊だった。その王国軍が村人から種籾までも奪うとは、とても考えられない。
種籾を奪ったら、その後に村人が飢えてしまうことは、玲子でも想像できる。
だが、コンゴ村長が嘘を語っているようには見えなかった。
玲子は、昨日モナ女王が言ったことを思い出した。
『戦争は人を狂わせるのよ…。あなたが今まで学んできた常識や道徳は、戦争の前では全く役に立たなくなるの…』
玲子は、モナ女王の言った意味をようやく理解した。
「戦争が終わると、餓死者はいなくなりました。だから、村のものは、みんな玲子さんに感謝しています」
村長の言葉を聴き、玲子は、先ほどの村人総出での歓迎と、多くの握手の理由が、ようやく理解できた。
それと同時に、レアル村の牧場でのハレヤの言葉を思い出した。
『おれたち、みんなあんたのファンだべ。あんたには、みんなが感謝している。戦争を終わらせてくれてありがとうだべ』
(……ハレヤさんも、ココゾ村の人たちと同じ思いだった)
玲子は、戦争の悲惨さを改めて認識した。
(銃や爆弾で亡くなった人だけではない。戦争の影響で餓死する人や焼死する人、病気で亡くなる人が沢山いた。彼らも戦争で亡くなった人たちなのね…)
玲子は、戦争が終わって良かったと、改めて感じた。
「玲子さん、もう一つお願いがあります」
コンゴ村長は、改まって玲子に頼んだ。
「メロン栽培のことですよね。わかっています。精一杯頑張ります」
玲子がそう言うと、コンゴ村長は首を横に振り、
「いや、それではありません。村でピアノ・リサイタルをしてほしいのです。この村の者は、誰一人として、音楽ホールに行った経験がありません。あなたのピアノの生演奏を、村民に披露していただけないでしょうか」
思わぬ頼みだった。玲子が待ち焦がれていたリサイタルの依頼である。村長の頼みは、玲子の希望と一致していた。
「はい。わかりました。ピアノ・リサイタルの件、承知しました」
玲子は思わず笑みを浮かべた。そして、農政省のアピバに、リサイタルの準備をお願いした。
村民が全員収容できる建物が無いため、急遽、野外でピアノを演奏することになった。
大勢の前で演奏するのは、久しぶりだ。玲子は、自分のため、そして村人のために、精一杯ピアノを演奏した。優しい曲や明るい曲、激しい曲や美しい曲を、玲子は次々と演奏した。
村人は、静かに玲子のピアノに耳を傾けている。ピアノの音色が心地よく響き渡る。みんなの顔は恍惚の表情だ。
やがて演奏が終了し、大きな拍手が沸き起こった。
この一ヶ月間、すごく待ち望んでいた大勢の人前での演奏が、ようやく実現できた。
玲子は、ココゾ村に来て良かったと、しみじみ感じた。
四方を山で囲まれているこの村は、ピアノの音が思った以上に響き渡る場所である。まるで、天然の音楽ホールのようだった。
「そうだ!」
玲子は一つアイデアが閃いた。
すぐさま玲子は、農政省のアピバに相談した。
「アピバさん、明日、日の出とともにここでピアノを演奏したいのですが、良いでしょうか。そうすれば、村中のメロン畑にピアノの音が響き渡り、メロンの花が眠りから目覚めると思います」
『メロンの花が眠りから目覚める』
アピバには、その意味がよくわからない。
しかし、アピバは、『玲子のやろうとしていることは全て応援してほしい』と、バラカトから事前に頼まれている。だから、玲子の前向きな提案を断る理由が無い。
「メロンの花が眠りから覚めるとは、どんな意味か私には分かりません。だけど、早速明日から試してみましょう」
アピバは、玲子の提案を行動に移すべく、準備を始めた。
翌朝六時、村の広場は、まだ薄暗い。
東側にそびえ立つ山の影響で、太陽の光が遮断されているためである。
まだ朝日が昇らないなか、玲子はピアノに向かった。
しばらく目を閉じて意識を集中した後、静かに演奏を始めた。
透き通ったピアノの調べが、村中に響き渡る。山々に生息する動物や植物に、目覚めの時間を知らせるように、美しい音色が、みんなの心に沁み込んでくる。まるで命の息吹が、玲子のいる場所から吹いているようだ。とても新鮮で気持ち良い風である。
いつのまにか、リスや野うさぎ、それに猿や猪が、玲子のピアノの周りに集まってきた。
不思議とみんなは、鳴き声をたてない。
山鳩やトンビ、イヌワシなども、ピアノ付近の木々で羽を休め、耳を傾けている。
不思議なことに、イヌワシの好物の山鳩が身近にいるにもかかわらず、イヌワシは得物を襲おうとはしない。おそらく、それよりもピアノ演奏を聴くのが大切なようだ。
やがて、山の峰から太陽が姿を現し始めた。日の出の瞬間である。
すると、玲子のまわりのメロン畑にある花のつぼみが、徐々に開きだし、やがて一斉に開花した。まるで玲子のピアノ演奏で目が覚めたかのような光景である。
黄色いメロンの花は全て、玲子の奏でるピアノの方向を向いている。まるで全てのメロンが、玲子のピアノ演奏に耳を傾けているようだ。
美しい瞬間だった。奇跡の光景と言ってもよい。
朝日に照らし出された玲子のピアノを奏でる姿と、まわりに集まった動物たち、それに、一斉に開花したメロンの花々。まるで、童話の世界から抜け出してきたような光景だった。
やがて、どこからともなく蝶々や蜜蜂がやってきて、開花したばかりのメロンの花に群がった。
メロンの花には、雄花と雌花がある。雄花の花粉を雌花が受粉することで、メロンの実ができる。しかもメロンは、雄花も雌花も受粉に適した時期が短い。雄花の花粉が元気であり、雌花も受粉の体制が整っている必要がある。その受粉に適した時機が、まさに今だった。
昆虫たちは、メロンの花から花へと飛び回り、甘い蜜を飲んでいる。
昆虫の朝食の時間である。
太陽は、徐々に山の峰から離れ、眩しすぎる光を村に浴びせていた。
それと共に、玲子のピアノ演奏も終了した。
ピアノの演奏が終了すると、動物たちも、それぞれ山へ帰っていった。
「玲子さん。凄いよ。まさしくメロンの花が、玲子さんのピアノ演奏で、眠りから目覚めました。僕は、今、とても感動しています」
農政省のアピバが、興奮しながら叫んだ。
「アピバさん、ありがとう。でも、ピアノ演奏は、まだ終わりじゃないのよ」
玲子はピアノから離れながら、
「今度は、日の入りのときに演奏します」
と、静かなまなざしをアピバに向けた。
アピバは、玲子の考えを瞬時に理解した。
「玲子さん。わかりました。それでは、日の入り間際まで、ゆっくり休んで下さい」
アピバは、夕方の玲子の演奏にむけて、準備を進めた。
やがて、太陽が真上に上り、その後、太陽は傾き、真っ青な空を徐々に赤く染めだした。
太陽の端が西側にそびえる山の峰にかかる間際、玲子はピアノに向かい、日の出のときの曲とは全く異なる演奏を始めた。
今度の曲は、穏やかな調べである。
まるで子守唄みたいに、安らぎに包まれた音色だった。演奏を聴いたものは、誰もが安心する温かい曲である。
またしても、山に住む獣や鳥たちがゾロゾロと集まってきた。
動物たちは、みんな安らかな表情をしている。集まった動物たちは、皆が目を閉じ寝そべって、静かにピアノの曲を聴いている。
夕日が山の峰に沈む頃、メロンの花が一斉にゆっくりと閉じ始めた。
やがて、夕日が完全に山の峰に隠れたとき、メロンの花は全て閉じ終えた。
それとともに、玲子のピアノも演奏が終了した。
演奏が終了すると、動物たちもゾロゾロと山へ帰って行く。
農政省のアピバは、いつの間にか涙を流していた。
「こんな光景は…、いくらお金をかけても決して見ることができない。今日のこの光景を、僕は一生忘れない…」
アピバは、体を震わせ、湧き上がる感動を噛みしめていた。
「玲子さん。ありがとう。おかげで僕は、貴重な体験ができました」
「アピバさん。こちらこそ演奏のための準備をしていただき、ありがとうございます」
玲子がそういったとき、ピアノ演奏を聴き終わったイヌワシが突然、玲子の頭上に現れた。
手を伸ばせば届きそうな高さを、イヌワシは飛行している。翼開長がゆうに二メートルを超える大きな体だ。
「玲子さん、危ない!」アピバが叫んだ。
だが、玲子は不思議と恐怖を感じない。イヌワシは、安らかな目をしている。
そのイヌワシが玲子の目の前に何かを落とした。
『コトン』
と、小さな音がした。落ちたのは小さな金属の塊である。
「何かしら?」
玲子が拾うと、古い鍵のようだ。銀色をしている。しかも、取っ手の部分には三本足のイヌワシの紋章が描かれている。格調高く美しい鍵のように見える。
「それはイヌワシからのお礼かもしれませんよ」
アピバがいった。
不思議なことに、玲子もその鍵を気に入った。まるで遥か昔に自分が持っていたものが戻ってきたような感覚だった。
玲子が鍵を拾うのを見定めたイヌワシは、「クー」と一声鳴くと、遠くの山へ向かって飛び去った。
「イヌワシさん、ありがとう」
飛び去っていくイヌワシに向かって玲子は手を振った。
イヌワシが山の彼方に去った後、玲子はアピバに頼みごとをした。
「アピバさん、お願いがあります。明日からメロンの収穫時期まで、日の出と日の入りに、本日録音した曲を流していただけないでしょうか」
「はい、わかりました。人間や動物が感動する曲です。メロンだってきっと、感動すると思います」
アピバは、メロンの収穫が待ち遠しかった。
「きっと美味しいメロンができる。それにより、この村に活気がでる。村人を貧困から救うことができる」
アピバは、メロンの品質改良に、強い自信を持った。
アピバはココゾ村の出身である。アピバ自身が昔、貧困で苦しんでいた。だから、村を貧困から救う気持ちは、誰よりも強い。
バラカトが企画した灌漑工事やメロン栽培に、アピバは積極的に参加した。アピバは、バラカトの目的を知り、それに共感した。バラカトの願いはアピバ自身の願いでもある。
今回、玲子の協力で、メロンに付加価値が付くだろう。ココゾ村でしか収穫できない美味しいメロンができるはずだ。
アピバは、村民が希望を持つことを願っている。希望があれば、どんな状況でも前向きに生きていける。
「ココゾ村は今後、元気に満ちた村になる」
アピバは村の未来を予想し、胸を膨らませた。




