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第二十三話:彷徨いし者・伍


 ピチピチと小鳥たちが囀る鳴き声が聞こえた。障子から漏れる明かりと部屋の中の静けさが朝だと告げる。ぼんやりとしたまなこで、糀は眠りから目を覚ました。


『あれ、ここ僕の部屋じゃない…』


 むくりと起き上がり天井を見るとそこはいつも寝ているすこやか保育園の仮住まいの自室ではなかった。


『あれ、ここって朝日の家の…僕は確か…』


 その時に急激な痛みが糀の頭に襲った。そして思い出した。何をしてしまったのかを。糀はいてもたってもいられず、障子を勢いよく開けて廊下を踏み鳴らしながら走り去った。そしてリビングに行くとまったりとした藤次郎と合歓と香散見がいた。


「あ、おはようございます、糀さん」



「お、おはようございますって…あれ?」


 いつもの様子の三人に糀は激しく戸惑う。


「どうしたの糀にい?」


 不思議そうにこちらを見上げる香散見に、糀は膝を折って頭を下げた。


「ごめん、二人とも 迷惑をかけて!!」


 いきなりの土下座に藤次郎はそれをやめさせようとするが、不意にお腹に力を入れたため眉間に皺を寄せる。


「ーっ」


 痛みに歪む表情と咄嗟に脇腹を抑える藤次郎に糀は驚く。

 

「藤次郎くん!?」


 糀の焦る表情に藤次郎は手で制した。


「大丈夫です、少し安静にしていれば」


 つまり安静にしていなければいけないほどの重傷を負ったということに糀はショックを大きく顔を上げることはできなかった。


「ごめん、ごめんね…」


 糀は目をつむり、謝罪の言葉を繰り返した。その姿に合歓は静かに近寄り、膝を折った。


「糀にい…」


「合歓ちゃん…僕、君にも襲いかかって」


 合歓はその時のことを思い出した。今は朝の9時過ぎでまだ一日も経っていない。あの時の生々しい感触がまだ残っていた。それでも怒る気はしないのは本当の糀はそんなことをしないと知っているからだ。


「もう、あんな糀にいはごめんです…」


 悲しそうに歪む合歓の瞳に糀は涙が止まらなかった。


「うん…ヒク、うん ごめんね ねむちゃん…」


 嗚咽を漏らす姿に合歓は大きな背中をさすってあげた。




〇〇


 じっとしていることは糀の性分に合わず、家にいることも居た堪れないので散歩をすることにした。すこやか保育園の仕事はしばらく休むということを伝えてある。


「あと、聖子(きよこ)ちゃんにもお礼を言わないとな…」


 気を失った自分をおぶって朝日の家までおぶってくれたのが彼女だと合歓たちから後から教えてもらった。近くの公園に行き糀は木陰があるベンチで座った。


「ふ〜」


 ベンチで座っているといろんな人の声が聞こえてきた。子供達の笑い声、公園の中にはジョギングをするコースもあるのでまばらに走っている人たちもいる。影の下でじっとしていると声をかけられた。


「あれ、あなたは…」


 思ってもない人物に声をかけられて糀は驚いた。


「え、どうしてここに」


「私はちょっと走りにきただけです」


 そこにはジャージ姿の芦屋椿がいた。


〇〇


 芦屋家の本家は兵庫県にあるが、東京にも家を持っている。その家に妹の柘榴と二人暮らしをしている。


「少し走ってきます」


 一人の使用人に話しかけて椿は家を出た。


「はい、行ってらっしゃいませ」


 走っていると公園が見えた。


『たまにはこっちの方を走ってみようかな』


 公園の方に向かうと、木陰のあるベンチに誰かが座っているのが見えた。普段は気にすることはないが、なぜか気になった。今は昼前の時間である。誰だろうと見ると覚えのある顔に驚く。


「あれ、あなたは?」


 椿の声に気づいた男性はこちらのを見て驚いていた。


「え、どうして ここに?」


「ちょっと走りにきて…」


〇〇



「そうだったんだ なんだか久しぶりだね」


 ニコッと笑う糀の表情になぜか翳りがあるのを椿は感じた。だからつい気になって聞いてしまった。


「何かありましたか?」


「…え?」


 糀の驚いた顔を見て、言った後に椿は後悔した。それはなるべく芦屋家は他人と交流することは必要最低限に躾けられていたからだ。


 椿は芦屋家の教育の一環として幼い頃から感情をコントロールしてきた。それを嫌だと思ったことは一度もなかった。


 なのに彼のどこか元気がない表情に胸がざわついた。そう、口が滑ったのだ、他意はないと椿は自分を言い聞かせた。椿の質問に糀は固まったように笑いかけてポツリと口を開いた。


「う〜んとね、自分が暴走してしまって家族を傷つけちゃったんだ」


「それは、その人は大丈夫なんですか?」


「う、うん、その僕のせいで怪我をさせてしまって…」


 尻すぼみする糀の言葉に椿はフォローする。


「なら次に同じことをしないようにどうすればいいか考えて実行に移すのみです。一度起きてしまったことはどうにもなりませんから…」


「でも、その起きてしまったことが取り返しのつかないことでも?」


「それでもです」


 椿の言い切る言葉に糀は口元をぎゅっと噛み締める。


「そうだね…ありがとう、椿ちゃん」


 糀が目を細めた表情を直に見た椿は顔がだんだんと熱くなってきた。


「その、お礼を言われることは何も」


「そう言ってくれて嬉しいからお礼をいったんだよ」


 糀の視線から逃れるように視線を逸らした。


「そうですか、それはよかったです」


 ドキドキと椿の胸が高鳴る。


「うん、俺ね昔の記憶がないんだ」


 いきなりの違った話の展開に椿は聞き入った。


「…それは、記憶喪失ということですか?」


「うん、そうらしい。それで最近ね何かを思い出しそうなんだ、それで昨日、暴走しちゃって」


「なるほど、そういう理由だったんですね」


 糀の言葉に椿はうなづいた。


「どうやら僕には大切な人がいたようなんだけど」


「大切な人ですか…?」


「うん」


「なんだか思い出そうとするとこう胸が熱くなるんだ」


 糀は胸の上をぎゅっと握りしめているのを見ながら椿の胸の高鳴りは急降下していった。


「…そうなんですか、そんなに大切に思われていたらその人はきっと幸せですね」


「そうかな、そうだといいけど」


 その時、糀は椿の表情から視線を逸らすことができなかった。羨ましいなんて感情は小さい時に無くなったと思った。


 両親は妹を蝶よ花よと育てられて一方の私は小さい頃から芦屋家の英才教育を施されてきた。糀はその場で分かれて元来た道を戻った。椿は家まで休むことなく無我夢中で走った。


「おかえりなさいませ…? 椿様、どうかされましたか?」


 使用人は椿が息を切らしているのを見て伺う。


「いえ、大丈夫です」


「すぐに水をお持ちしますね」


 使用人はパタパタと食堂の方に行き水を取りに向かう後ろ姿を見て、気を使わせてしまったことに申し訳なく思った。息を整えることを忘れていたのだ。


『だめ、心を落ち着けなきゃ 私は芦屋家を支えないといけないんだから…』


 そう自分に暗示をかけるように思い浮かべて深く息を吸った。部屋に行き、部屋着に着替えるとドアをノックする音がした。


「椿様、お水をお持ちしました」


「どうぞ」


「失礼致します、こちらにお水をおきます。それと速見先生がお見えです」


「速見先生が? わかりましたすぐに向かいます」


 椿は和室に行くと男性が静かに正座して待っていた。その佇まいは女性たちが見惚れるほどである。そして二人は椿がきた直後に腰を上げた。


「それでは先生、よろしくお願いいたします」


 両親は先生に向かい深く頭を下げて退室したのだった。


「こんにちは、椿ちゃん」


 名は速見浩人。彼は私と妹の主治医である。


「こんにちは、速見先生」


 主治医といっても生まれつき体が弱いということではない。自分も妹も。それは芦屋家の古くから検非違使の仕事をしてきたことが関係している。


 退治された妖の死体を処理して実験をしていた。そして妖の心臓である核が身体能力と武器を向上させることに気づいた。それに気づいた芦屋家は秘密裏に行われてきた。


 しかしそれには欠点があった。それは人間がその核に呑まれてしまうからだ。呑まれてしまった人間は暴走するか、気が触れて発狂、もしくは植物状態になる人間もいた。


 ならば肉体を強くすればいいのではないかと。そして芦屋家が考えたのは妖怪の核を霊水で薄め、それを少しずつ飲んでいくことだった。それは気が遠くなるほどの長い道のりだった。


 そして数百年の時が流れ、徐々に進化していった。しかし定期的にメンテナンス、検査をしないといけないのである。


「椿さんの前に柘榴さんに会ってきました、今日はご機嫌ななめでしたが何かあったのでしょうか?」


 そのことに椿は思い当たることがあった。


「実は妹が好きな人がいるのですが、どうやらその人にも好きな人が現れたらしくて…」


 椿の言葉に先生は驚く表情を浮かべた。


「そうだったのですか、なるほど、彼女もお年頃ということですね」


 先生は理由がわかり、納得した表情をしてそれ以上追求してこなかった。主治医であってもプライバシーというものは弁えている。


「どこか体調がおかしいところはありませんか?」


「おかしいところですか?」


 体の異変は命に関わることもあるので、たとえ小さな異変でも言わないといけない。


「いえ、ありま」


 せんと言いかけたその時に公園であったことを思い出してしまった。


「椿さん…?」


 先生が不思議そうに椿を見ていた。椿は何事もなかったかのように返事をした。


「…いえ、なんでもありません」


「そうですか、今日の診察はここまでです」


「はい、ありがとうございました」


 椿は外に控えている使用人に声をかけた。


「すみません、先生にお茶を」


 メイド服を着た女性たちは先生の方を見てキラキラと目を輝かせていた。


「はい、かしこまりました」


 使用人たちは我先にと食堂に去っていくのを苦笑する。先生の美貌を最初見た時は驚いたものである。椿は先生をリビングに案内してお茶をもてなしたのだ。


 椿は先生を帰らせた後、雑念を振り払うかのように鍛錬に励んだのだった。


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