長旅での一幕
王都を出発してから早5日。
天候にも恵まれて順調だった旅は、遠くの山々にかかる黒い雲を発見したことにより、街への滞在を余儀なくされた。
あと二時間もすればどしゃ降りの雨が降る、と付き従っていた騎士らは言う。
昼すぎに街に到着すると、クオン様は今後の予定や物資調達の確認へ向かってしまい、私は部屋でのんびりと身体を休めていた。
「全身が痛い……」
馬車に乗ったり、クオン様の馬に乗せてもらったり、あれこれ対策はするものの慣れない長旅で身体が悲鳴をあげている。
背中と腰の痛みがすごい!
エナもげっそりしていたから、部屋で休むように告げた。
いつもなら世話役魂を発揮して絶対に離れない彼女も、さすがに疲労が溜まっているからすんなり下がったのはいい。
私にはもはや、説得する気力も体力もないのだから……!
広い広い、3~4人は眠れそうなベッドに潜り込むと、私はものの数分で眠りに落ちてしまったのだった。
「……ラ」
耳に届く優しい声。
上掛けを掴んで気怠げに瞼を開けた私は、ベッドのそばにクオン様の姿を見つけて慌てて飛び起きた。
彼はラフなシャツに黒のズボンに着替えていて、湯を浴びたのか少し髪が濡れている。
「サラ、よく眠れたか?」
「はっ、はい」
うわっ、私としたことが油断しきって眠ってしまっていた。
黒髪を手で撫でつけ、目をこする。
「食事を持ってきた。もう夜だ」
「え!?」
パッと窓の方を見ると、外は真っ暗で。
5時間くらい眠っていたのではないか……
クオン様はベッドに浅く腰かけ、私の頬に手を当てた。
「体温が高いのは寝ていたからか?かなり疲れていたんだろう」
冷たい手が気持ちいい。
「ふふっ、ご心配なく。体調が悪いわけじゃないので」
寝すぎましたけれど。
「なら、よかった」
ふっと柔らかな笑みを浮かべた彼は、スープとパン、練った芋をバターで和えたような料理に視線を向けた。
私が起き上がろうとすると、なぜか手で制されて「そのままでいい」と言われてしまう。
「クオン様?」
きょとんとしてその黒い瞳を見つめると、からかうような笑みに変わる。
「私が食べさせてやろう」
「え」
何を言い出すのか。
ぎょっと目を見開いた私を見て、クオン様はさらに笑みを深める。
「あの」
「サラの世話も夫の役目だからな」
「ベッドで食べると、零したらシミになりますよ」
「そこか。気にするところはまずそこか!?」
それ以外に何があるんだろう。
首を傾げると、クオン様はじとっとした目で私を睨み、食事のトレイを持ってテーブルへ移動した。
私も追いかけてベッドを下り、クオン様の隣に座る。
「ありがとうございます。お腹空いてたんです」
「あぁ、食堂よりは部屋でゆっくりした方がいいと思ってな」
王子様に配膳させるなんて、私はなんて贅沢なご身分なんだろう。
でもおいしそうなので、遠慮なくいただいた。
クオン様は食堂で召し上がったそうで、何度見に来ても私が寝ているから、さすがに食事をとらせなくてはと思ったそうだ。
やっぱりクオン様は優しい。
完食すると、それまでじっと私を見ていた彼が私の肩に腕を回した。
急に触れられてどきりとしてしまう。
これまでは野営で、エナと私は同じ天幕を使っていた。こんな風にクオン様と二人きりでのんびりする時間はなかったのだ。
緊張して目を泳がせていると、察したクオン様がわざと身を寄せてくる。
「すまない、今日まで放っておいて」
耳元で囁くように言うのは、確信犯なはず。私で遊んでいるんだろう。
「いえ、お忙しいでしょうから」
馬車でお昼寝をしてしまう私とは違う。クオン様は忙しいのだ。
「せっかくだ、湯に浸かって寛ぐといい。着替えはすべてエナが用意してくれている」
「うれしいです。あ、私の部屋ってどこでしょう?」
キールさんからは、ここはクオン様のお部屋ですって聞いている。ここで待てと解釈していたのだが……
クオン様の目が死んだ。
さっきまで蕩けるような甘い雰囲気を醸し出していたのに、一瞬で顔から覇気がなくなって死人みたい。
「クオン様?」
「サラ、勘違いしてないか?私たちは結婚したんだろう?」
そうですね、私が裏で勝手に手続きしちゃいましたから。
今さら何を?と思って目を瞬かせると、クオン様は長いため息をついて言った。
「夫婦が同じ部屋で眠るのは当然だ」
「え」
「もちろん、寝台もひとつだ」
「はひ!?」
私は、さっきまで自分が呑気に寝ていたベッドを凝視する。
広いと思っていたら、どうやら二人で眠るらしい。
え、そういうこと???
顔から火が出そう、とはこのことだ。ちらりとクオン様の顔を伺えば、ニヤリと悪い顔になっている。
私は今、タレ目がちな目がさらにタレて半泣きである。
でも目の前の人は、私の反応を見てニコニコし出した。よほど楽しいらしい。
「クオン様、あの」
「ん?」
今日はエナの部屋で寝ます、そう言おうとしたところ、チュッと額に唇が触れた。
続いて頬や耳、唇にもキスを受ける。
目を閉じてドキドキに押しつぶされそうになりながら、私は逃げ道を延々と探していた。
「サラ」
「はい」
「私と寝るのは嫌か?」
「……ちょっと」
しまった。本音が出た。
嫌なわけじゃないけれど、ドキドキするから嫌だ。
「わかっていた。サラがそういう女だとわかっていた。だが、私はもう遠慮しないと決めたんだ」
クオン様は私の手を握り、そっと立たせる。
「湯はあっちだ。私はここで待ってる」
腰に手を添えられ、扉まで連れて行かれると、問答無用で放り込まれた。
パタンッと閉まる音が、私の心を乱す。
エナが用意してくれた寝巻きは、私が教会で着ていたものとは違い、かわいらしい薄桃色の生地だった。
前合わせの寝巻きはほんのり甘い香りがして、さらりとした手触りで。
添えてあった袋の中を見てみると、私の好きな野草クッキーとメッセージカードが入っていた。
『子どもは双子を希望いたします』
なんでよ!?
いきなり話が飛びすぎだから!!
クッキーは食べるけれど!ありがたく食べるけれどー!!
「はぁ……」
漏れ出た息は、重い。
クオン様に嫁ぐことが決まり、すぐに夫婦の営みについては教育を受けた。
思わず教科書を破いたのは、私のせいじゃない。
これまでは、夫と仲良く暮らしていればそれで神様が赤ちゃんを授けてくれるって聞いていたのに、落差がありすぎたのだ。
なぜ神様は、人間を卵から孵化する生物にしてくれなかったのか。あのときほど、神を恨んだことはない。
そして今、私はまさに初夜なるものを迎えようとしている。
勢いで一緒に来ちゃったような部分があるので、心の準備が追いついていない。
どうしよう。
クオン様、キスだけで許してくれないかな?
でもなんだかやる気を見せていた。
男性は、そういう生き物だと聞く。むしろ、子孫繁栄には必要な能力だと。
諦めた私は、クオン様のお言葉に甘えて身体をゆっくり休めて、念入りに身を清めて浴室を出た。
寝巻きの上にはガウンを羽織り、室内ばきをペタペタ鳴らして部屋の奥へと進む。
髪をタオルで拭きつつ寝室の扉を開けると、クオン様はベッドの上で仰向けになって目を閉じていた。
「「…………」」
寝てる!
クオン様、寝てる!!
私が本当にゆっくりしていたから、お疲れのクオン様は寝ていた。
ホッとした私は、グラスの水をごくごくと飲み干す。
「ぷはっ」
いやー、よかったよかった!
どうなることかと!
頬が緩みきった私は、グラスを置くとクオン様の横に寝転ぶ。
寝顔はあどけなく、深い眠りについていることが見てわかった。
「ふふっ、かわいいー」
頬を指でツンツン突いても、目を覚ます気配はない。
投げ出されていた腕に頭を乗せ、噂に聞いた腕枕というものをやってみた。
クオン様のきれいな顔がすぐ近くにあり、見ているだけで幸せな気分になる。
私は彼に毛布をかけ、自分ももぐりこんで目を閉じた。
「おやすみなさいませ、私の旦那様」
ぴたりと身を寄せると、今までに感じたことのない安心感が湧き上がる。
あったかくて、ずっとこうしていたいと思った。
翌朝、目覚めたクオン様が自己嫌悪に陥るのを必死で慰めたのは、妻としての初仕事だったかもしれない。