6.ロニアージュ領
遅くなりました。
低賃金、長時間労働という条件の仕事。誰もが逃れたいと思う仕事だろう。
逃れたいという思いが集まれば、それはデモという形となり目に見えるようになる。
それは異世界でも同じである。
「あなた!!」
「この女もだ!連行せよ!!」
ならば、それを権力者が面倒くさがるのも同じだろう。
ある夫婦を捕らえるだけで、デモの終止符を打つには十分だった。
デモによって負った傷と、訴えたい気持ちを押さえつけながら、ロニアージュの人々は帰路を辿る。
アミリシアがいくつもの伝説を創り、勉学に励み始める時期。つまりこれは、現在よりも後のお話。
アミリシアとは、少ししか年が違わない少年のお話。
「マトイ、することがねぇんなら、話を聞かせてやろう」
窓辺に居た紫髪の少年、マトイはそれを聞くとパッと目を輝かせた。ちょうど、自分の家からでは見ることができない景色を見るのに飽きていた。
そして何より、憧れである叔父の話を聞くというのは、彼の興味を強く引いた。
マトイの叔父のライガードは、このルッテンベルグ王国の近衛騎士団団長だった男である。彼の武勇伝はまた別の機会に話すとしよう。
武術、体術、剣術、どれをとっても彼に勝る者はいなかった。しかも、彼は平民出身である。
まだ貴族の平民に対する意識が良くなかった頃だ、国民からの支持も絶大なものだった。
彼が近衛師団の団長であった期間はわずかな時だったが、彼のその強さを知る者は多くいる。もちろん、マトイもその一人である。
団長の座を降りたのちは、ロニアージュ領の小さな村に住んでいる。
マトイも男子であるが故か、強いものには惹かれていった。
今では、ライガードを「ライ兄」と呼ぶほど慕っている。
「母ちゃんたちがいつ帰ってくるか分からないからな」
マトイは今、ライガードに預けられる形で彼の家に来ている。
いくらマトイが、年の割にはしっかりしているとはいえ、小さな一人息子に留守を頼む事は無かったようだ。
あの頃からロニアージュ領の政治体制は変わっていない。デモの声が鳴り止む気配は一向にないのだ。
マトイの両親が中心となり、今デモが起きている。
しかしその声は、ロニアージュ領主マニスキーに届く事はない。
「そうだな。何から話そうか」
ライガードはマトイのそばに座り、首をひねる。だがマトイが聞きたい話はハナから理解している。
言わずもがな、己の武勲の話だ。
「ライ兄はどうしてそんなに強いの?」
ライガードが口を開くより早く、マトイは高ぶった声で尋ねる。
食い気味の甥を宥めながら、ライガードは問いに答えた。
「俺は一人で強くなった。俺の戦い方は本に載ってるような堅いもんじゃないんだ。我流ってやつだな」
がりゅう、と小さく繰り返しながら、マトイは一言も聞き漏らすまいと身を乗り出して聞く。
「まあ近衛師団に入ってからは、そのせいで苦労したこともあったがな。型にはまらない戦い方も、今思えば貴族サマたちの機嫌を悪くしてしまってたのかもなぁ」
「どうして?ライ兄は人気者じゃないの?」
ライガードは平民の出であり、その頃は貴族が平民を下に見ている傾向があった。その時は、まだ。
ライガードへの嫌悪は、ライガードが近衛師団団長に選ばれたことで一層強まっていった。
「貴族って言うお金持ちには好かれてなかったな。だがあの人は違った」
「あの人って?」
「国王さ」
近衛師団団長になれるほどの力量は、ライガードには十分あった。だが、上の者が全て貴族である中で、平民の出の者が評価される事はそう無かった。
そんな状況下で、ライガードを団長に選んだ人物は。誰であろうアミリシアの父親、ジェルコリスであった。
未だ中級兵にいたライガードを見つけ、その実力を認めた。奴は平民だと騒ぐ貴族を一喝し、法までも作ったのだ。
『兵の位は、家柄身分で左右される事なく、実力に相応のものが与えられるものとする。』
貴族の者にとって、それは衝撃的な出来事であった。理解に苦しむ彼らの矛先は、ライガードに向けられた。
「俺があの地位にまで行けたのも、国王様のおかげと言っても過言じゃねぇ」
「じゃあさ、ライ兄が団長をやめる時、王様は悲しんでた?」
「ああ、とてもな。だがそうするしか無かったからな」
マトイがどうしてと問う前に、玄関の扉が開かれた。それはもう、大慌てで。
二人が振り向くと、中年の男が息を切らして立っていた。それは二人のよく知る男だった。
「おじさん?どうしたの?」
その男は息を整え、落ち着いてからようやく口を開いた。しかし、苦しそうな表情は、マトイを見るたび更に険しくなっている。
「ああ…、マトイ君……。落ち着いて聞いておくれ……」
彼の口から伝えられたそれは、マトイほどの年齢の子供には理解し難いものであり、過酷なものだった。
マトイの親が捕らえられた。
責任を負わされ捕らえられた。マトイには理解できなかった。
何故なのか、どういった理由なのか。まだその頭では理解できなかった。
ただ一つだけ、マトイは理解した。全てを奪われたのだと言うことを。
「お父さんとお母さんは…?いつ帰ってくるの……?」
ああ。一つ言い忘れていた。
デモの責任を負わされ捕らえられた者は、未だ誰一人として帰ってきていない————