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最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
第6章

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客将

 扉を叩く音で、目が覚めた。


 深く眠っていた。庁舎を出てから、まともに眠ったのは、これが初めてだ。寝台に横になったところまでは覚えている。そこから、いま叩かれた音までのあいだが、そっくり抜け落ちていた。


 身体を起こすと、前腕の火傷が袖の下で突っ張った。擦り傷も、打った箇所も、昨日のまま残っている。それでも、頭の芯の重さは、一晩で抜けていた。


「起きてるか。戦略責任者に会ってもらう。ついてこい」


 扉越しの透の声は、昨日の予告に段取りを一つ足しただけだった。俺は上着の前を整えて、通路へ出た。


 透は先に立って西側の通路を戻り、広間を一直線に突っ切っていく。その足が向かう先は、右手の通路口だった。昨日、入るなと言われた側だ。


 透は歩調を変えずに、そのまま入った。俺も続く。案内が付いていれば、通れる。あの言いつけは、通れない場所の話ではなく、一人では通れない場所の話だったわけだ。


 東側の通路は、空気がわずかに違った。人の出入りが少ない冷え方をしている。足音のほかに拾う音がなく、石の冷えが、薄めるもののないまま足元から上がってきた。


 俺一人なら、入り口の線で止められている。透の背中が先にあるから、ここを歩けている。通行の許しが、人の形をして前を歩いていた。


 入ってすぐの扉の前で、透は足を止めた。扉板は木で、把手は金属の素っ気ないものだった。奥へは、目もくれなかった。


 透が扉を二度叩くと、中から返事があった。


 部屋の中央に、大きな卓が据えられていた。


 卓を挟んで椅子が一脚ずつ、向かい合わせに置かれている。人数分ではなく、向き合う分だけの椅子だった。物を置くための部屋ではなく、向き合うための部屋に見えた。


 卓の向こうに、女が一人、座って待っていた。


 俺たちが入っても、立ち上がらない。顔をこちらへ向け、先に座って待っていた姿勢のままで、俺を見た。座っていても、上背のある人だと分かる。背筋が立って、崩れない。髪は結い上げられ、装いは黒一色で、飾りの類が見当たらなかった。


 表情は、ほとんど動かない。ただ、硬くもない。こちらを見る目に、冷たさではない温度があった。


「斎宮千鶴と申します。〈影環〉の実働は、私が指揮しています。お掛けください」


「鳴瀬統真だ」


 短く名乗り返して、卓の手前の椅子を引いた。座ってしまえば、卓の幅だけが二人を隔てる。


 透は、座らなかった。扉を閉めると、卓から離れた東の壁際まで下がり、そこに背を預けて立った。俺と斎宮を結ぶ線の、外側にあたる位置だった。


「影山から、申し出は先に受けています。あなたを迎え入れたい、と。上層として、それを認めます」


 声は低くも高くもなく、張るところがない。そのくせ、語の選び方は、はっきりしていた。


「あなたの立場は、客将です」


「客将」


「〈影環〉の構成員ではありません。名簿には載らず、指揮系統にも入らない。目的を限定した、同行者です」


 斎宮は、言葉を切らずに続けた。


「あなたに、組織への務めは求めません。命令も届きません。ここの誰も、あなたに指図する権限を持たない。その代わり、構成員に与えられるものも、あなたには与えられない。位置とは、そういう意味です」


 待遇の話は、それで全部だった。何を与えるとも、何を求めるとも約束しない。求めないものと与えないものを対で並べて示された。それは、俺がこの組織のどこに置かれるのかという、位置の説明だけだった。


 所属なら、庁舎に置いてきた。入り直すつもりで、ここへ来たわけでもない。属する先を自分で捨てて、まだ日も浅い。その空いたところへ渡されたのが、名簿のどこにも名前の載らない位置だ。所属の抜けた穴に、所属ではないものが、寸法を合わせて差し込まれていく。


 断る言葉は、浮かばなかった。名前の載らない位置は、真相へ寄るのに、かえって身軽でもある。


 身分ではない。扱いだ。呼び名が付いたところで、俺の持ち物が増えたわけでもない。それでも、昨日まで『黙認』の二文字で浮いていたものに比べれば、卓の向こうから言葉で認められた扱いには、体重を掛けられる程度の確かさがあった。


「受け入れの条件は、それで全部か?」


「こちらからは、以上です」


「なら、こっちから二つある」


 口にする順番は、昨夜のうちに決めてあった。やらないことが先で、やることが後。逆に置くと、やらないことのほうが但し書きに聞こえる。


 二つは対等の条件で、どちらかがどちらかの添え物でもない。俺にとっては、並べる順序まで含めて条件だった。


 斎宮は言葉を挟まず、目線で先を促した。


「超能力犯罪をやる作戦には、俺は出ない。出るのは、あんたたちが追ってる相手に関わる作戦だけだ。それ以外の仕事に、俺を使うな」


 二つを、一息に言い切った。


 斎宮は、聞き終えてもすぐには可否を言わなかった。視線は外さない。考え込む素振りも、ほとんど見えなかった。


「二つとも、受け取りました」


 先に置かれたのは、その一言だった。


 受け取る、から可否までのあいだに、短い沈黙が挟まる。迷いではない。俺の出した条件を、俺の言った語のまま扱えるかどうか、言葉のほうを検分している時間に思えた。


 可否は、そのあとに来た。


「一つ目。あなたに犯罪行為への参加を求めることは、今後ありません。二つ目。あなたの同行は、私たちが追っている相手に関わる作戦に限ります。――いずれも、上層として承認します」


 値切られることも、押し返されることも、なかった。


 削られたら、どこまで譲るか。順番と一緒に決めておいた譲り幅は、使わないまま終わった。


 条件を口にしたのは俺で、通るかどうかを決めるのは、最初から卓の向こうだった。敵意で押してくるでもなく、歓迎で引き込むでもない。決める者が静かに決めていくだけで、交渉らしい手応えは、終わってみればどこにもなかった。


「今度は、こちらから先に一つ」


 斎宮が続けた。


「あなたが同行する作戦では、対象の制圧は失神までとします。リングと、物理的な拘束で身柄を確保する。身柄は〈影環〉が引き取ります。前回の形を、常設の条件とします。抑制具は、こちらで用立てます」


 次に俺が切り出すつもりでいた条件が、先に、向こうの口から出てきた。


 あの折衷は、現場で押して、削って、やっと通した形だ。それがこの卓では、議論の跡も付かない手続きの一行として流れていく。身構えるより先に、通ってしまっていた。


「……話が早いな」


「前回の形は、把握しています」


 俺の立場と、出る作戦と、やり方。透との合意の上に浮いていたものが、卓の向こうの承認で、順に固定されていった。ここまで、卓の上を紙一枚渡っていない。決まっていくものは全部、言葉だけで済んでいった。


◇◆◇


「条件の話は、以上です」


 斎宮は、姿勢を変えずに続けた。


「あなたには、訊きたいことがあるはずです。先に、枠をお伝えしておきます」


 俺が口を開くより、先だった。


「客将に開示できる情報の範囲で、お答えします。答えられないものには、答えられない、と言います。ぼかした言い換えは、しません」


 線は、俺が問うより先に引かれた。


 答えない、という応じ方が、この宣言ひとつで手続きに変わる。隠し事を問い詰める形が、そもそも組めない。突かれる前に、答えない領分がある、と向こうから言い切ってしまっている。


 押し問答の芽を、根ごと抜く引き方だった。なら、枠の内側でどこまで取れるかだ。訊きたいことは、貯めてきた分だけある。俺は順番を決めて、最初の一つを出した。


「〈影環〉は、何の組織だ?」


「一つの目的に向かって行動している、組織です」


 続きを待ったが、来なかった。


「その目的ってのは?」


「答えられません」


 言い淀みが、なかった。迷った末に切ったのでも、探りながら伏せたのでもない。範囲の外にある問いを、外だと告げる。それ以上の色が、どこにも付いていなかった。


 大枠から入って、順に狭めていくつもりだった。入り口で切られるのなら、組み替えるまでだ。組織そのものへの問いは後ろへ回す。現場で、この目で見てきたものから当てていく。


「現場に痕跡を残すのは、なぜだ?」


「答えられません」


 二問続けて、同じ幅で切られた。


 文句を言う先がない。はぐらかされたのなら、言い方の隙を突いて粘る道もある。答えられない、とだけ返されると、突く隙そのものが立たない。


 切られた二つは、切られた場所ごと覚えておく。答えは取れなくても、線がどこを走っているのかは、二本ぶん、手元に引けたことになる。線の内側を先に埋める。外は、埋まってから考えればいい。


 俺は呑んだ。呑んで、次を出した。


「黒越剛三。あの男は、なぜ殺した?」


「それには、答えられます」


 答えるときも、切るときと同じ姿勢だった。


「黒越剛三は、元〈影環〉の構成員です。組織の情報を持ったまま離反し、力も情報も、個人の利益のために使うようになった。粛清は、その離反者への処置です」


 返ってきた。


 元、構成員。〈裏三課〉で追っていた〈宵闇〉の頭が、元はこの組織の人間だった。在籍していた頃の俺たちが影も踏めなかった事実が、問い一つで卓を渡ってくる。


 あの作戦の最奥で対峙し、こちらの手が届く寸前に死んだ男だ。理由の欄を空けたまま綴じるしかなかった案件が、ここでは一行で埋まる。追っていた頃には届かなかった答えへ、椅子一つぶんの距離で届いた。庁舎の中と外とで、同じ事実の重さがまるで違う。


 しかも、削った跡がない。飾りも付いていない。理由は、理由のまま出てきた。


 答えると決めた範囲では正確に答え、切ると決めた範囲では正確に切る――二つの応じ方のあいだに、段差はなかった。


「なら、これはどうだ」


 いちばん長く抱えてきた問いを、卓に載せた。


「俺のいた〈裏三課〉じゃ、あんたたちが絡むと、捜査に線が引かれた。深追いはするな、と上から降りてくる。理由は付かない。確保したはずの人間が、記録の上では通常の手続きで流れていく。なのに、その先を追うと辻褄が合わなくなる。……あれは、何だ?」


 斎宮は、この面会で初めて、答えるまでに間を置いた。


「一部だけ、答えられます」


「聞く」


「政府の内部に、〈影環〉と通じている者がいます。便宜は、そこから図られています」


 声の速さも張りも、それまでと変わらなかった。


「その便宜ってのは、捜査の線引きも含めてか?」


「含みます。あなたが〈裏三課〉で見てきたものの、少なくとも一部は、それです」


「実例を、一つ挙げます。〈宵闇〉の砥上累。あなたたちが確保した一人です。彼の身柄は、〈影環〉へ引き渡されています。記録の上では、通常の手続きで処理されたはずです」


 砥上累。


 あの突入で押さえた中核の一人だ。記録なら、俺も見ている。並んでいたのは、確保の日付と、通常処理の一行だった。そこまでは、正規の書式どおりだった。


 確保の場面は覚えている。搬送の列に載るところまでは、現場で見届けた。後日、その記録を追ったのは九条さんだ。送致先に照会をかけても、司法の手続きは係属のまま日付が動かず、身柄があるはずの施設の欄は、どう読んでも埋まらなかった。搬送から記録までのあいだに、書類の上には存在しない区間がある。報告を受けた俺は、それを事務の滞りと呼んで済ませた。あの人でも追いきれなかったものを、俺の権限で追える道理もなかった。


 深追い不要の命令なら、口頭で受けたことがある。文書に残らず、理由も付かず、それでいて撤回もされなかった。中継拘禁場まで送った案件が、その先で急に手触りを失うことも、何件かあった。書式は正しいのに、読み返すほど筋の通らなくなる記録や、訊いても要領を得ない移送先が、後には残った。


 そういうものが、〈裏三課〉ではばらばらに転がっていた。それが、いま聞いた一つの答えの上へ、順に載っていく。機関が怠けていたのでも、俺の考えすぎでもない。中に、通じている人間がいる。だから線が引かれ、だから記録のほうだけが整う。見てきた順に並べ直しても、矛盾するものは一つも出てこない。


「その、通じている者の名前は?」


「答えられません」


 疑う根拠を、俺は持っていなかった。


 切るときは切ると言い、答えるときは理由をそのまま渡す。その運びを、この卓で最初から見せられてきた。


「リングは? あんたたちが使ってる分は、どこから出てる?」


「答えられません」


 答えは、降りてこなかった。


 ただ、直前の答えが、まだ卓の上に残っている。政府の内部に、通じている者がいる。便宜が図られている。なら、あの首輪も、その筋から流れてきているのか。


 問いが像を結びかけて、言葉になる一歩手前で止まった。俺はそれを口にせず、斎宮も、切った先を埋めなかった。浮かんだものは、そのままそこに留まった。


 面会が始まってから、誰も、座る場所を変えていない。透は壁際に立ったきりで、卓の上を物が渡ることも、一度もなかった。動いたのは、最初から最後まで、言葉だった。


 疑い続けてきたものに、形はついた。だが、欲しかった答えの大半は、枠の外に置かれたままだ。俺がどこに立っていて、何を持っていないかは、この部屋へ入る前と、何一つ変わっていなかった。


「今日のところは、以上ですか?」


「ああ。……今は、以上だ」


「では、面会はここまでにします」


 斎宮は座ったまま、卓越しに俺を見た。


「問いは、いつでも受けます。枠の内側でなら、何度でも。答えが変わらなくても、です」


「……ああ。そうさせてもらう」


 壁際の透が、扉のほうへ顎を振った。


「戻るぞ」


 この部屋に入ってから、透が出した最初の声だった。


「ああ」


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