燻り
〈宵闇〉は、終わった。
あの夜から、数日が過ぎていた。
黒越剛三は、死んだ。俺たちの手にかかったのではない。最奥へ踏み込んだ俺たちの目の前で、横から割り込んできた透達に――〈影環〉に、撃ち殺された。あと一歩で、こちらの手が届くところだった。
その黒越の遺体と、生きて確保した中核の二人――梶原と、砥上。フロアで取り押さえた末端の構成員たちも、超能力を持たない連中まで含めて、ひとまとめに中継拘禁場へ送った。あとの処理は、上に委ねられる。
陽動隊は、無事だった。隊長、戸坂さん、八神、九条さん、宮田さん。表で派手に暴れて内部の目を引きつけ、誰ひとり欠けずに退いた。
純粋な〈宵闇〉の案件としては、それで決着だ。半グレ崩れの武装組織が一つ、消えた。書類の上では、上出来の部類なのだろう。
山のような報告書も、ようやく片が付いた。
左の前腕の痺れも、足の傷も、数日で引いた。あの夜の桐野の治癒は、最後まで効かなかったが、結局は時間が勝手に塞いでくれた。たいした傷ではない。
ただ、片付かないものが一つだけ残っていた。
◇◆◇
その日の午後、執務室には、二つの隊がそろっていた。
室伏隊と、九鬼隊は普段から机を並べている間柄だが、誰も書類には手をつけていなかった。
九鬼さんが自分の机の縁に腰を預けて、俺を見ていた。
「さて、と」
関西なまりの低い声が、場の空気を束ねた。
「鳴瀬くん。前に言うたな。腰据えて、聞かせてもらうて」
屋上で、そう言われた。覚悟しとき、と。
俺は立ったまま、両隊を見回した。室伏隊長は腕を組んで壁にもたれ、九条さんは眼鏡の奥から静かにこちらを見ている。八神はめずらしく軽口を挟まない。桐野は後ろのほうで、両手を膝の上で固く重ねていた。
話すと決めていた。
あの夜、隊を放り出して一人で透に突っ込んだ。その理由を、何も言わずに済ませられる立場ではない。
「養成機関の頃の、知り合いです」
俺は切り出した。
「〈ゲート〉で、同じ期だった男がいます。影山透。逃げたあの三人組の、真ん中にいた奴です」
九鬼さんの眉が、わずかに動いた。
「同期……いうことは、あんたと同じ、最終学年まで」
「ええ。腕も立った。俺と、張り合えるくらいには」
言葉を選んだ。どこまで話して、どこで止めるか。話しながら、自分で線を引いていく。
「あいつは、在学中に姿を消しました。理由も言わずに。それきり、行方は知れなかった。今になって、〈影環〉の側で出てくるとは、思っていませんでしたが」
「それで、あんたは」
九鬼さんが、先を促す。
「あいつには、もう一人、いたんです。同じ期に。月城まゆり」
後ろで桐野が、小さく息を吸う音がした。
「俺と、影山と、月城。三人で、よくつるんでた。仲間でした」
まゆり、と。あの夜、俺は思わず口走った。誰かに聞かれたとは、思っていなかった。だが、桐野の目が、いまはっきりと俺を見ている。
「その月城が、養成機関にいた頃に、殺されました」
執務室が、静かになった。
「殺したのは、影山です」
言い切った。
それは、あの夜から動かない事実だった。現場に、いちばん先に着いたのは俺だ。倒れたまゆりのそばに、刃物のようなものを手にした透が立っていた。あの光景は、いまも消えない。
「だから、追ってるんです。あいつを。〈影環〉がどうとか、〈宵闇〉がどうとかの前に。俺の、個人的な話です」
そこで止めた。
その先は言わなかった。追って、どうするのか。捕まえて、裁きにかけたいのか。それとも――。口にすれば、それは人を殺すという宣言になる。俺は、自分の口からはそれを言わなかった。
まゆりが恋人だったことも言わずに、仲間、で止めた。
沈黙を破ったのは、室伏隊長だった。
「……話してくれて、助かる」
腕を解いて、こちらへ一歩近づく。
「お前が、何でああまでして突っ込んだのか。理由が分からんままじゃ、俺も、隊として守れねえからな」
それから、隊長の声が硬くなった。
「その上で、だ。あの夜、お前は九鬼の指示を振り切って、一人で飛び出した。合同作戦の最中に、仲間を置いての単独行動だ」
「……はい」
「事情があったのは、分かった。だが、理由がどうあれ、現場を勝手に離れるのは別の話だ。次に同じことをやられたら、隊が崩れる。厳重注意だ、鳴瀬。重く受け止めろ」
「すみませんでした」
俺が頭を下げると、九鬼さんが横から、軽く息を吐いた。
「まあ、おかげであの三人組の尻尾は掴めたんやけどな。それとこれとは、別の話や。次は、ちゃんと声かけてからにし」
それから、隊長は少しだけ声を落とした。
「それと、もう一つだ」
「はい」
「復讐なんて、馬鹿なことは、考えるなよ」
俺は答えなかった。
隊長はそれ以上踏み込まず、俺が口にしなかったものを、口にさせようともしなかった。ただ、釘だけを静かに刺した。九鬼さんも腕を組んだまま、何も言わない。だが、その目は、隊長と同じものを見ていた。
二人とも、気づいている。俺が言わずに飲み込んだものの正体に。
「……あの」
後ろから、細い声がした。桐野だった。
「あの夜、先輩が言った、『まゆり』って。その人の、ことですか?」
「ああ」
「そう、ですか」
桐野はそれ以上は訊かなかった。月城が俺にとって、透に奪われた仲間なのだと――そこまでは分かったのだろう。それ以上のことは分からないまま、両手を膝の上で重ね直した。
それでいい、と思った。
◇◆◇
「で、だ」
九鬼さんが机から腰を上げた。
「あの三人、〈影環〉や。黒越を消して、痕跡まで残していった。これは、もう、ただの半グレ案件やない」
「ええ」と九条さんが受ける。「黒越殺しは、明確な超能力犯罪です。〈影環〉の関与を裏づける物証も、現場に残っている。少なくとも、追う理由は十分にある」
「逃がした三人を、追いましょう」
俺は言った。
復讐の話とは、切り離していた。透を追うことは、〈裏三課〉の仕事としても、筋が通っている。黒越を殺した実行犯であり、〈影環〉という組織が、はっきりと尻尾を見せた。追わない理由のほうがない。
「鳴瀬の言うとおりだ」
隊長も頷いた。
「〈宵闇〉は終いでも、〈影環〉は別件だ。砥上の身柄もある。叩けば、何か出る。本部に、捜査継続を上げよう」
そのときの空気は、悪くなかった。
取り逃がしはした。だが、糸口は残っている。追える。誰もが、そう思っていた。
夕方まで、その空気は続いた。
隊長の机の電話が鳴り、短く受けると、そのまましばらく黙っていた。
「……隊長?」
八神がめずらしく不安そうに声をかけた。
隊長はゆっくりと両隊のほうへ向き直り、その顔からは、昼間の豪快さが抜けていた。
「上から、ストップだ」
「ストップ……って?」と八神。
「〈影環〉の件は、これ以上、深追いするな。捜査継続は、認めない。そういう、命令だ」
執務室の空気が、固まった。
「なんでですか!」
声が出ていた。俺の声だった。
「黒越を殺した実行犯ですよ。〈影環〉が、はっきり動いてる。それを、追うなと!?」
「俺に言うな」
隊長の声は、低かった。
「理由は、聞かされてない。ただ、降りてきた。深追い不要、とな」
九鬼さんが舌打ちをひとつ落とした。
「……話にならんわ。せっかく、ほぐれかけた糸を、上が自分で切るんか」
誰も言い返せなかった。
隊長が二人がかりでも、上の命令の前では、何もできない。そう、自分に言い聞かせようとした。
だが、うまくいかなかった。
おかしい、と思った。
組織が硬いのは知っている。融通が利かないのも、書類仕事の多いのも。だが、これはそれとは違う気がした。明白な超能力犯罪が、目の前にある。実行犯が逃げている。それを、わざわざ追うなと止める。
機関は、本当にこいつらを捕まえる気があるのか。
その問いは、消えずに引っかかっていた。まだ、形にはならない。誰が、なぜと訊かれても、答えられない。ただ、何かが噛み合っていない。
手の届きかけた相手を取り逃がし、その上、追うことさえ止められた。
二重に、奪われた。
俺は握りかけた拳を、ゆっくりとほどいた。
◇◆◇
退庁しようと廊下へ出たところで、九条さんに呼び止められた。
「鳴瀬さん。少し、いいですか?」
声を低く落としている。あたりに、人はいなかった。
「確保した構成員の件です。気になることが、ありまして」
「何か?」
「中継拘禁場へ送ったあとの、処理の流れです。とくに、砥上の記録を追ってみたんですが」
九条さんは眼鏡の縁に、軽く指を添えた。
「あの男だけ、途中で途切れている。送致先の施設に照会をかけても、手続きの流れが、どこかで追いきれなくなっている。記録の上は通っているように見えるのに、その先の確認が、どうにも取れないんです」
「事務の、遅れじゃなくてですか?」
「その可能性も、あります」
九条さんは、そこで言葉を切った。
「ただ、砥上は、あの中でも、飛び抜けて厄介な相手でした。リングをはめても、指先の火花が、消えなかった男です。……あれだけの相手の身柄が、一人だけ、どこにも見当たらない。偶然にしては、できすぎです。まあ、いまは、それだけです。引っかかった、というだけ」
通常のルートで処理されている。記録の上では、そう見える。能動的に追いかけた九条さんだから、辛うじて不整合に気づけたにすぎない。それだけの話のはずだったが、その「だけ」が、昼間の引っかかりの上に、もう一つ重なった。
「……覚えておきます」
「ええ。私も、もう少し、見てみます」
九条さんは、それきり自分の席へ戻っていった。
◇◆◇
「鳴瀬先輩」
駐車場へ降りると、桐野が待っていた。
「あの……今日、送って、もらえませんか。家の、近くまで」
めずらしいことだった。いつもは一人で帰るか、八神に拾われて帰る。俺に頼んでくるのは、そうそうないことだ。
「ああ。乗れ」
助手席のドアを開けてやる。桐野は小さく頭を下げて、滑り込んだ。
車を出す。夕方の道は、混んでいた。テールランプの列が、フロントガラスの向こうでゆっくりと流れていく。
しばらく、桐野は黙っていた。
「……私、ずっと、あの夜のことが、引っかかってて」
信号で止まったところで、桐野が口を開いた。
「先輩の足、治せませんでした。最後まで。手を、当ててたのに」
「ああ」
「ずっと、それが」
言葉が続かないらしい。膝の上で、また手を重ねている。
「桐野」
俺は前を見たまま、言った。
「瀬戸を、治しただろう。あの腕を」
「……はい」
「あれで、力は、ほとんど使い切ってた。違うか?」
「……はい。あのあと、鳴瀬先輩の足に手を当てたときには、もう、ほとんど残って、なくて」
「梶原のところからの、あの張り詰めようだ。減るのは、能力だけじゃない。気持ちのほうも、とっくに削れてた。新人が、平気でいられる現場じゃない」
「でも、私……最後まで、塞げませんでした」
「お前が瀬戸を立たせなきゃ、あの先は、進めてない。十分すぎる働きだ」
信号が、青に変わる。車を出す。
「治癒を、本気で使ったのは、初めてだったろう。上等だ」
桐野は、しばらく黙っていた。
「……はい」
小さな返事だった。だが、さっきまでより、いくらか軽い声だった。
あの突入で、桐野は初めて、治癒を本気で使った。瀬戸の腕を繋ぎ、力が尽きてもなお、最後まで手を伸ばし続けた。新人にしては、よくやったと思う。
桐野の家の近くまで来て、車を停めた。
「ありがとうございました」
桐野は丁寧に頭を下げて、降りていった。その背中が、小走りに夜のほうへ消える。
隊というのは悪くないものだ、と思う。
俺が過去を話せば、隊長は守ると言い、九鬼さんは上に食ってかかってくれた。九条さんは人の見ないところで、引っかかりを拾っている。桐野は、自分の不足をまっすぐ悔やんでいた。
自然と、口元がほどけた。
◇◆◇
桐野を降ろして、車を出す。
助手席は空になった。
一人になると、昼間の重さが、また戻ってくる。
あの首に、刃の先がかすった。その一瞬の距離が、数日経った今も、頭のなかで巻き戻り続けている。届きかけて、それでも何も掴めなかった。
追えば、まだ間に合うかもしれない。そう思った矢先に、上が捜査を止めた。
行き場のない熱は、消えなかった。透のことを思うと、それは消えるどころか、じりじりと温度を上げる。
だが、それだけではなかった。
なぜ、止められたのか。
信号の赤を、フロントガラス越しに見ている。
機関は、本気で〈影環〉を追う気がない。少なくとも、そう見える。九条さんが拾った、砥上の身柄の引っかかり。あれも、ただの事務の遅れだと言い切れるか。
何かが、おかしい。
それが何なのかは、分からない。誰が、なぜと問われても、答えは持っていない。ただ、組織のどこかに、自分の見えていない流れがある。その気配だけが、はっきりと残った。
信号が、青になる。
俺はアクセルを踏んだ。
果たせない復讐と、形にならない違和感。その二つを、後部座席の闇に積んだまま、車は夜の街を、ただ走っていった。
これにて第2章が終了です。
新たな登場人物、組織が出てきたので、次話はまた設定を載せる予定です。
次章は、プロローグから今までシリアス寄りだったので、少しコメディ章を載せる予定です。
引き続き、よろしくお願いします。>(´∀`(⊃*⊂)




