表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最強の非才 ―アノマリー―  作者: プリケツ星人
プロローグ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/29

現在へ

 〈ゲート〉を出てから、何年かが過ぎた。


 その何年かを、俺はひと続きの記憶として持っていない。課程を修了し、配属の辞令を受け、特殊部隊の名簿に俺の名前が載った。公安特殊事案対策部、通称〈裏三課〉。表向きには存在しないことになっている部署だ。研修があり、最初の任務があり、二度目があった。日付の感覚は早いうちに薄れ、手もとに残ったのは出動と帰投の繰り返しだけで、気づいたときには誰かに教える側へ回る年次になっていた。


 朝、車のハンドルは、もう手によく馴染んでいた。


 通勤の道は空いている。信号が赤に変わり、俺はブレーキを踏んだ。前の車のテールランプが、フロントガラス越しに滲んでいる。


 助手席には、誰も乗っていない。


 車で通うようになったのは、配属されてすぐのころだった。誰かと乗り合わせる手もあったのだろう。俺はそうしなかった。一人で運転して、一人で着く。それが、いつのまにか俺の朝の形になっていた。


 ラジオはつけない。窓の外を、街がゆっくりうしろへ流れていく。通勤の人波、開きかけた店のシャッター、まだ夜の雨に濡れている街路樹の葉。何年か前に自分がどこにいたのか――その景色と、いま窓を流れる景色は、どこにもつながらない。つながらないまま、俺は毎朝この道を走っていた。


 歩道を、制服の生徒たちが連れだって歩いていく。同じ年ごろの三人連れが、何でもないことで笑い合っているのが、窓の端を過ぎていった。俺はそれを、とくに長くは見なかった。視線を前へ戻し、車間を一台ぶん詰める。手と足を順に動かしていれば、車は職場へ着く。朝の道は、それくらいでちょうどいい。


 信号が青になる。俺は車を出した。


 〈裏三課〉の庁舎は、街の外れにある。表の看板はべつの名前を掲げていて、用のない人間はそのまま素通りしていく建物だ。地下の駐車場に車を入れ、いつもの位置に停めた。エンジンを切ると、車内がふいに静かになる。


 その静けさには、もう慣れていた。


 手帳と端末を上着の内側に収め、車を降りる。エレベーターで地上階を越え、執務室のある階で降りた。廊下のつきあたりの扉を押す。朝の〈裏三課〉の音が、そこから流れ出してきた。


◇◆◇


 執務室に入ると、いつもの朝より、部屋の空気が少し動いていた。


 ふだんの朝なら、それぞれのデスクで、それぞれが自分の支度をしている時間だ。九条さんは端末に向かい、八神はどこからか持ってきた菓子を配って回り、隊長は前の任務の書類と格闘している。誰かが軽口を投げ、誰かがそれを受け流す。そういう、ゆるい音の重なりが、この部屋のいつもの朝だった。


 今朝は、その音の集まる場所が、一か所に寄っていた。


 奥のデスクのあたりに、人が集まっている。隊長の太い声が、その中心から聞こえた。よく通る声だ。朝から張りがある。


「鳴瀬。ちょうどいいところに来た」


 俺に気づいて、隊長が手を挙げた。長身に、刈り上げた髪と無精髭。叩き上げの現場指揮官を絵に描いたような体格の男だ。集まっていた何人かが、こちらを振り返る。


 室伏厳。〈裏三課〉実働部隊の隊長の一人で、俺たちの隊の現場指揮官だ。三十代後半の、現場叩き上げ。俺はこの隊に配属されてから、ずっとこの人の下で動いてきた。隊員はそろって「隊長」で通している。


「おはようございます」


 短く返した。隊長の前に、見慣れない人影が一つ立っている。


 小柄な、若い女だった。背の高さは隊長の肩にも届かない。長めの黒髪を几帳面に整えて、両手を体の前で重ねている。配属初日の人間の立ち方だった。背すじだけが、緊張で不自然なくらいまっすぐだ。


 その人影が、ふと顔を上げた。


 伏し目がちだった目もとが、こちらを向く。表情の作り方が、一瞬、別の誰かに重なった。


 ――いや。


 背丈は違うし、声もまだ聞いていない。ただ、目を伏せぎみにするときの角度が、どこかで見た角度に似ていた。それだけのことだ。俺はその重なりに、それ以上は触れなかった。似た顔立ちなど、世の中にいくらでもある。


「今日付で配属になった、新人だ」


 隊長が言った。


「桐野。鳴瀬に挨拶を」


「は、はい」


 女が、一歩前に出た。


「桐野栞、と申します。本日付で、こちらの隊に……配属になりました。まだ、わからないことばかりですが……どうぞ、よろしくお願いします」


 語尾が、言い切る手前で少し下がった。硬い敬語の途中で、息継ぎの場所がうまく定まっていない。


 俺は頷いた。


「鳴瀬統真だ。よろしく」


「わー、固い固い。栞ちゃん、そんなに気を張らなくていいよ」


 横から、明るい声が割り込んできた。八神みのりだ。赤いショートヘアを跳ねさせて、桐野の隣にするりと並ぶ。


「うちの隊、こわい人いないから。安心して。……あ、一人だけ微妙なのいるか」


「八神」


 名前を呼ぶと、八神はわざとらしく肩をすくめた。


「ね? 朝いちで名前を呼ばれた。じょーくんより先に」


「八神さん。新人が真に受けますよ」


 九条さんが、デスクから顔も上げずに言った。銀縁の眼鏡。手もとの書類に視線を置いたまま、声だけが正確に飛んでくる。


「じょーくんは朝から固いなあ」


「九条です。その呼び方はやめてくださいと、何度言わせるんですか?」


「何度だったかなあ。覚えてないなあ」


 九条さんが、ようやく書類から顔を上げた。眼鏡の奥で、疲れた目がひとつ瞬く。


「隊長。新人の教育に、八神さんを近づけないでください。口調が伝染します」


「はは、それは無理な相談だな」


 隊長が、腹の底から笑った。笑うと、無精髭ごと顔つきが崩れる。


「八神の口は、台風みたいなものだ。手で止められるものじゃない」


「隊長、それほめてます?」


「ほめてないな」


「ひどい!」


 桐野が、やりとりを目だけで追っていた。視線が、声のするほうへ、せわしなく往復している。


「ね、栞ちゃん」


 八神が、桐野に向き直った。


「栞ちゃんはさ、しおりんでいい? しおりんって呼ぶことにするね」


「えっ、あ、はい。あの、八神先輩は、なんと……」


「先輩はやめて。みのりんって呼んで。先輩なんて柄じゃないから」


「み、みのりん……。い、いえ、私にはちょっと恐れ多いので、八神さん、と呼ばせてください」


 桐野が、おずおずと頭を下げた。


「柄じゃないのは、おおむね同意しますが」


 九条さんが、低く言った。八神が勢いよく振り返る。


「じょーくん、いま何か言った?」


「いえ。何も」


 九条さんは、もう書類に視線を戻していた。


「あ、そうだ。あらためて」


 八神が、胸に手を当てた。


「八神みのり。この隊の、にぎやか担当。あと、現場では火力担当。困ったことがあったら、あたしになんでも訊いて。半分くらいは、ちゃんと役に立つから」


 八神みのり。俺と同じ時期に〈裏三課〉に配属された、年もだいたい同じで、ほぼ同期だ。にぎやか担当は本人申告だが、火力担当は事実だ。


「半分ですか?」


 九条さんが、書類のページをめくった。


「八割って言ったら、嘘になるでしょ。あたし、良心的なの」


「自己申告の良心ほど、当てにならないものはありませんよ」


「じょーくん、朝から元気だね!」


「九条です」


 桐野が、二人のやりとりに、ぱちぱちと目を瞬かせている。


「でね、しおりん」


 八神が、声をひそめる体で、しかし全員に届く音量で続けた。


「教育係のこと、先に言っておくね。統真の評判。仕事はできる。すごくできる。そこは保証する。……でも、笑わない。ぜんっぜん笑わない。あたし、配属されてからこの人が声を出して笑ったところ、片手で数えて足りる」


「おい」


「事実でしょ? ねえ、じょーくん」


「事実ですよ」


 九条さんが即答した。裏切りの早さ。


「ほらー」


「鳴瀬先輩は……笑わないと、こわい、ですか?」


 桐野が、おそるおそる訊いてきた。


「こわくはない。じきに慣れる」


 そう答えると、桐野はかえって身を固くした。慣れる、という言葉の選び方が、よくなかったらしい。


「まあ、安心しろ」


 隊長が、桐野の肩を軽く叩いた。手のひらの大きさに、桐野の肩がすぼまる。


「この隊はな、口は悪いが、性根の曲がったやつは一人もいない。それだけは、俺が保証する。困ったら、誰でもいいから袖を引け。引かれれば足を止める連中だ。……鳴瀬は、口数も表情も少ないが、面倒見は悪くない。むしろいい部類だ。新人を放り出すような男じゃない。……鳴瀬」


「はい」


「桐野の教育係、お前に頼む。一人前になるまで、しっかり見てやってくれ」


 予想はついていた。この隊で新人がつくとき、前衛の俺に教育係が回るのは、人員の組み方からして自然な流れだ。


「了解です」


「相変わらず、返事が早いな。少しくらい、考えたふりをしてもいいんだぞ」


「考えても、結論は変わらないので」


「ははっ。違いない」


 桐野が、俺と隊長を見比べていた。それから、はじかれたように頭を下げる。


「よ、よろしくお願いします。鳴瀬先輩」


 先輩、という呼び方は、まだその口に馴染んでいない響きだった。


 教育係か、と胸のうちで繰り返した。


 誰かに何かを教える仕事を、俺は数年前まで自分のものとして考えたことがなく、そのころは自分のすぐ前のことしか見ていなかった。それが、いまは新人の立ち姿を前にして、頷いている。時間というものは、行き先をこちらに相談せず、勝手に人を運んでいくものらしい。


 部屋を、ひと目だけ見回した。書類に戻った九条さん。すっかり桐野の世話役を買って出た顔の八神。次の任務の段取りを早くも口にしはじめた隊長。任務のときは誰より速く、剣呑なほど鋭くなる人間たちが、朝の執務室では、ただ騒がしいだけの集まりに見える。


 俺はこの部屋に、長くいる。いつのまにか、そうなっていた。きれいに割り切れたわけではない。それでも、戻ってくる場所として、ここはもう、俺のなかに据わっていた。


「桐野さん」


 九条さんが、書類の束を揃えながら言った。それまで新人のほうをほとんど見ていなかった男が、はじめてまっすぐに桐野へ顔を向ける。


「九条圭吾。捜査と分析を担当しています。現場の前のことと、現場のあとのことは、だいたい私が引き受けます。ひとつだけ、忠告があります。八神さんの言うことは、半分だけ聞いておくようにしてください。残りの半分は忘れていいです。それで、ちょうど釣り合います」


 九条圭吾。隊長を除けば、この隊で一番の先輩だ。俺が配属されたとき、すでに隊にいた人で、年もひとつふたつ上にあたる。だから俺は、配属直後から「九条さん」と呼んでいる。現場の前後の段取りは、ほぼこの人を経由する。


「じょーくん、それひどくない!?」


「ひどいのは、事実の方ですよ」


「九条先輩……は、はい。半分、ですね」


 桐野が、本気でメモを取り出しそうな顔で頷いた。その生真面目さに、八神が噴き出す。


「しおりん、メモしないで!? 冗談だから!」


「冗談です。が、もう半分は本気ですよ」


「どっちを信じれば……っ」


 桐野の声が、半泣きで裏返った。隊長が、また腹を抱えて笑う。部屋の隅で、別の隊の隊員が何人か、つられて笑った。


 この隊の朝は、たいていこうだった。任務の重さと、この軽さとが、同じ部屋のなかで矛盾なく並んでいる。配属されたばかりのころ、俺はその並び方に、少しだけ戸惑った。いまは、戸惑わない。


 桐野の頬から、緊張がようやくほぐれかけた。ちょうど、そのときだった。


 隊長のデスクで、内線が鳴った。


 短く、二度。隊長が受話器を取る。


「室伏だ」


 隊長の声から、笑いの気配が抜けた。受け答えは短い。三言、四言。受話器を置いたときには、部屋の空気が、もう切り替わっていた。


「全員、聞いてくれ」


 さっきまで腹の底で笑っていた男と同じ人間とは思えない低さの声で、隊長が立ち上がった。


「出動だ。葛尾区で事案が一件、入った」


 九条さんが書類を伏せた。八神が、口もとから笑いを引っ込める。空気の密度が、ひと息に上がった。


 切り替えの速さは、この隊のいちばん見えにくい部分だった。ついさっきまで新人をからかって笑っていた人間たちが、いまはもう、それぞれの持ち場の顔をしている。八神は手早く上着を羽織り、九条さんは端末の画面を二つ三つ繰って、必要な情報の在り処を先に押さえにいった。


「詳細は車中で共有する。各自、準備を急いでくれ」


 桐野が、その場で立ちすくんでいた。配属初日の朝に、いきなり現場へ連れ出されるとは思っていなかったのだろう。両手が、行き場をなくして、また体の前で重なる。


「あの……私も、行く……んでしょうか?」


「初日から、だねえ」


 声の質に、さっきまでの軽さとは少し違うものを滲ませて、八神が言った。


「だいじょうぶ。今日は、後ろにいなよ。前のこわいところは、先輩がやってくれるから」


 八神の視線が、俺のほうへ来た。


 俺は短く息を吸った。


 上着の内側で、手帳と端末の位置を確かめる。手に馴染んだ重さだった。何百回も繰り返してきた支度だ。身体のほうが、考えるより先に動きはじめていた。


 胸の底に、片づいていないものが、ひとつだけある。


 復讐。


 それは消えてはいないが、今日の俺がやるべきなのは、目の前の事案を片づけることだ。


「桐野」


 呼ぶと、新人は弾かれたように背を伸ばした。


「は、はいっ」


「離れずについてこい。説明は、動きながらする」


「っ、はい」


 事案の中身は、まだ何も聞いていない。どこで、誰が、何をしたのか。それは、現場に着くまでに分かることだ。分からないまま走り出すことには、もう慣れていた。


 俺は出動口へ歩き出した。


 うしろから、半歩遅れて、新人の足音がついてくる。その足音を連れて、俺は現在の側へ歩いていった。


これで、プロローグは完了です。次話から第1章に入ります。

一度、人物・組織等の設定を載せる話を設けるかもしれません。

引き続き、よろしくお願いします。


感想、評価、ブックマーク等、なんでもお待ちしております。>(´∀`(⊃*⊂)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ