演習帰り
演習場の土に、夕方の光が一筋だけ残っていた。
春の名残の、ぬるい風が吹いている。最終学年に上がって、最初の模擬戦。三人一組のチーム戦は、もう終盤に入っていた。
俺――鳴瀬統真と、影山透と、月城まゆり。最終学年に上がる前のランキング戦で、トップ3を争うと言われた三人だ。だからだろう、相手も、わざわざ俺たちを名指しで挑んできた。看板に挑むのは、腕試しには手っ取り早い。
二十メートルほどの幅の、剥き出しの土の演習場。北側には赤組の三人が構え、南側に俺たちが並ぶ。間合いは、まだ十メートル近く空いている。
相手は同学年の上級チーム、赤組だ。突進役、加速役、投擲役。三人とも、能力で正面から押し切ってくるタイプ。〈ゲート〉――俺たちの通う養成機関では珍しくもない、まっとうに強い連中だった。
主将は身体強化系。全身に力を乗せて、直線でねじ込んでくる。加速役は、文字どおり速い。投擲役は、中距離から物を撃ち出す。どれも、当たれば終わる。当たれば、の話だが。
俺の片手銃は、とっくに撃ち尽くしている。残っているのは、腰の脇差と、自分の目だけ。
超能力は、ない。最初から、持っていない。
それでも、充分だった。超能力者には、超能力者の弱点がある。能力に頼るほど、能力の届かない場所が見えなくなる。発動には、わずかな予兆。射程の外は、ただの空白だ。俺はずっと、その隙間で戦ってきた。
先に動いたのは、赤組だった。
三人が、ほぼ同時に仕掛けてくる。加速役が前へ。投擲役が中距離で構え、主将がわずかに遅れて踏み込む。三方向から圧をかけて、こちらの足を止める。能力でねじ伏せる、まっとうな戦い方だ。
だが、こっちも三人いる。
「鳴瀬、左から加速来る」
透の声が、短く飛んでくる。
言われるまでもない。赤組の加速役が、一直線に透の懐へ突っ込んでいくのが、視界の端に映っていた。空気を裂く速さ。普通の相手なら、反応する前に間合いを潰されている。
透が、左手をかざした。
加速が、ふつりと切れる。
相手の踏み込みが、ただの一歩に戻った。勢いだけが残って、足がもつれる。能力に頼って組み立てた動きは、その能力が消えた瞬間に、いちばんもろい。透はその膝裏を小太刀の鞘で払い、地面に伏せさせた。
「ほい、一人」
軽い口調。決着の最中でも、こいつはいつもこうだ。
視界の端で、投擲役が金属球を振りかぶっていた。狙いは、俺。
球が、来る。
俺は軌道の側方へ半歩ずれて、球をやり過ごした。そのまま地を蹴る。間合いを、数歩で一息に詰めた。投擲役の目が、俺を見失う。能力の射程がどれだけ長くても、見えていない相手は撃てない。投げる手は、いつだって視線より遅れる。
相手からすれば、消えたように見えているはずだ。能力で守りを固めたつもりの、その内側へ、なんの力もない人間が踏み込んでくる。理屈は単純だ。能力に意識を割いた分だけ、足元が留守になる。俺は、その留守へ滑り込むだけ。
右後ろへ、回り込んだ。
脇差を抜いて、首筋の側面に、刃を寝かせて当てる。それは、殺しにはいかない、という合図だ。模擬戦で本気の切先を向けるやつはいない。
投擲役が、息を呑んで動きを止めた。手から離れかけた金属球が、力なく土の上へ転がる。
「二人」
残るは、主将。突進役だ。
身体強化を全身に乗せて、まっすぐまゆりへ向かっていく。後衛から落とせば崩せると踏んだようだった。判断は、悪くない。相手が、まゆりじゃなければ。
まゆりが、指先をわずかに前へ向けた。
それだけだった。派手な動作も、声もない。後ろで見ていなければ、何かをしたとも気づかないくらいの、小さな仕草。
突進役の二歩目が、途中でわずかに鈍る。戦いの最中の、張り詰めた意識。その昂りに、薄く干渉された結果だった。踏み込みの熱が、ほんの少しだけ冷めて、足の運びが乱れる。
まゆりの能力は、見ていても、何が起きたのか分からない。だから、よく誤解される。後ろで突っ立っているだけだ、と。実際は、この一拍がなければ、主将は止まらなかった。いちばん地味で、いちばん効く。
その一拍に、透が手のひらを向けた。
身体強化が、抜ける。
主将の足から、重みが消えた。乗せていた力の行き場をなくして、上体だけが前のめりに泳ぐ。
まゆりは、すでに横へ抜けている。突進の正面の、その先にはいない。最初から、当たるつもりがなかった。鎮めて、逸らして、空ける。三人で一つの動きだ。
投擲役の首筋に刃を当てたまま、俺は主将が崩れるのを待っていた。いま、その刃を引く。抜いたままの脇差を返す。泳いだ主将の重心が崩れる、その一瞬で間合いを消して、右側面へ滑り込んだ。今度はその首筋に寝かせた。
鈴が、二度鳴った。
「そこまで!赤組、戦闘不能!勝者、青組!」
教官の声が、北西の管制ブースから響く。終わりだ。
崩れた姿勢のまま、主将が体を起こして、苦笑いで手を差し出してきた。
「死角抜け、最後はもう見えてなかったよ」
「悪いな」
握り返す。手のひらが、汗で湿っていた。能力者同士の試合なら、もっと派手に決まったはずだ。俺の戦い方は、いつも地味だ。地味で、確実で、それでいい。
◇◆◇
教官が、管制ブースへ引き上げていく。残ったのは、生徒だけになった演習場の隅だ。俺は脇差を、腰の収納袋へ戻した。空の片手銃も、ホルスターへ。
演習場には、夕方の最後の光が差していた。蹴り上げられた土埃が、まだ薄く宙に残っている。あちこちで、ほかのチームも装備を解きはじめていた。試合が終わったあとの、気の抜けた空気。緊張がほどけて、敷地全体が、ゆっくり日常へ戻っていく。
「統真くん、お疲れさま」
まゆりが、隣に来ていた。声が、いつもより少しだけ柔らかい。能力を使ったあとの、独特の落ち着き方だ。
俺は短く頷いて、自分の手のひらを、なんとなく見た。汗も、傷も、いつもどおり。なんの変哲もない、ただの手だ。
超能力、と呼ばれている。ある日突然、ごく一部の人間にだけ芽生える力だ。鎮静、加速、身体強化。種類は人によって様々で、どうして発現するのかは、今も分かっていない。
超能力者からは、何かしらの波動が出る。研究でそう分かっていて、それを拾う装置が、機関にはある。月に一度の検査で、針が動くかどうか。発現済みか、未発現か。それだけを、機械的に振り分ける道具だ。
俺の針は、入学してから一度も、動いたことがない。記録には、毎月「未発現」と書かれる。五年、ずっと同じ表示だ。見慣れてはいるが、月の頭に検査の列へ並ぶたび、やっぱり少しだけ、気は重くなる。
〈ゲート〉は、表向きは研究機関とされている。実態は、士官学校に近い。卒業すれば、政府直属の特殊部隊――〈裏三課〉に配属される。超能力がらみの厄介ごとを、世間の表に出さないまま処理する。公には、存在しないことになっている組織。
世間は、超能力なんてものがあると知らない。知っているのは、ごく一握りの人間だけだ。だから〈裏三課〉は、事件そのものを処理しながら、それが起きたという事実ごと、表から消す。俺たちは、その消す側になるために、ここで育てられている。授業で習うのは、超能力者が起こす犯罪の型と、その手口を、どう封じ込めるか。そればかりを、何年も。
その養成機関に集められた生徒は、ほぼ全員が、すでに超能力者だ。外のどこかである日突然その力を発現させ、機関に検知されて、ここへ連れてこられた者たち。数十万人に一人か二人しかいない希少な才能を、ここでは隣の席のやつが持っている。外の世界では一生出会わないはずのものが、この閉じた敷地の中では、ありふれた日常だ。
月初めの検査室は、いつも同じ景色だ。生徒が一列に並んで、順番に装置の前へ立つ。とっくに発現済みの針が、今月も変わらず振れて、数値が記録される。誰も、自分の値を疑わない。ここへ来た時点で、発現しているのが当たり前だから。
俺だけが、ゼロのままだった。
父が特殊部隊の人間で、その枠でだけ、例外的に入学が認められた。だから俺は、未発現の超能力者として、ここにいる。それが、俺の立ち位置だ。
超能力なんて、本当は俺には縁のない話のはずだった。なのに、超能力者を相手取る方法ばかりを、何年も積み上げてきた。発現の予兆を読む。射程の外から崩す。死角を抜く。気づけば、生徒の間では「死角抜け」なんて俗称までついていた。
化け物、と呼ぶやつもいる。超能力もなしにこれだけやるのが、薄気味悪く映るんだろう。べつに、気にしてはいない。俺にできるのは、これだけだ。
それでも、卒業すれば、俺も〈裏三課〉へ行く。透も、まゆりも、一緒に。誰かが前に出て、誰かが支える。今日の模擬戦と同じだ。三人なら、どうにかなる。根拠もなくそう思えるくらいには、俺はこの二人を信じていた。
「統真は、ほんと、よく飽きないよなあ。そんな地味な特訓ばっかでさ」
透が、片手を上げて歩み寄ってくる。試合のあとだというのに、息一つ乱れていない。
「飽きてる暇がないだけだ」
「暇がないって……ほんと、根詰めすぎだろ、お前」
言い返してくる透を聞き流していると、まゆりが、そっと俺の袖を引いた。
「ねえ。指先、貸してくれる?」
差し出された手を、俺は両手でくるんだ。
冷たい。指先と、手首のあたりが、はっきりと冷えている。能力を使ったあとのまゆりは、いつも、末端から温度を失う。しばらく休めば戻る、と本人は言うけれど。
「冷えてるな」
「またその顔。いつもの副作用よ、気にしないで」
まゆりが、少しだけ笑った。
気にするに決まってる。とは言わずに、俺はもう少しだけ、その手を包んだままにしておいた。まゆりの体温が、手のひらの内側にゆっくりと戻ってくる。それを確かめながら。
まゆりは、されるがままにしていた。目を、少しだけ伏せて。
「ありがと」
小さな声だった。礼を言うようなことでもないのに、こいつはいつも、ちゃんと言う。そういうところだ。言葉にすると照れくさいので、口には出さないが。
「腹減った」と、透。「中央食堂、混む前に行こうぜ」
「お前は、いつも腹が減ってるな」
「育ち盛りなんだよ、まだ」
まゆりが、くすりと笑った。
「透くん、それ、去年もおんなじこと言ってたよ」
「来年も言うわ」
◇◆◇
〈ゲート〉の中央食堂は、天井の高い、古い石造りの棟だ。大きな窓から、薄暗くなりかけた敷地と、その先の桜並木が見える。日が落ちきる前の、藍色がかった光。
三人でトレーを取って、配膳の列に並ぶ。味噌汁、白米、煮込み。どこか、家庭の夕飯の香りがした。秘密だらけの機関のくせに、飯だけは、やけに所帯じみている。
夕食どきの食堂は、生徒でそこそこ埋まっていた。あちこちのテーブルから、今日の演習の話し声が漏れてくる。誰がどの能力で、どう決めたか。能力の話で持ちきりの空間だ。その中に、能力の話に一つも入れない俺がいるのは、もう見慣れた眺めだった。べつに、寂しくはない。隣に、二人がいる。
「なあ統真、お前さあ」
列に並びながら、透がにやにやしていた。こういう顔のときは、ろくな話じゃない。
「机のあのぺんぎん、まだ置いてんの? 深い青の、丸っこいやつ」
「……置いてる」
「かわいいよなあ、あれ」
「うるさい」
まゆりが、こらえきれずに、ふっと吹き出した。
窓際の、四人がけのテーブルに着く。俺とまゆりが並んで、透が向かい側に一人。べつに、見せつけるつもりはない。ただ、隣に座るのが、いちばん自然なだけだ。
「ぺんぎん、わたしは好きだけどね」
まゆりが、耳のすぐ近くで静かに言う。息の音が、そばで聞こえる距離。
「お前まで言うのか?」
「ふふ。だって、似合わないところが、いいんじゃない」
「それ、褒めてないだろ」
「褒めてるよ? ちゃんと。ねえ、透くん」
「ぺんぎんは、まあ、かわいいしな」
「お前ら、いい加減にしろ」
「今日の最後の決め、よかったよなあ」
透が、煮込みをつつきながら言う。
「主将、完全に泳いでた。まゆりが鎮めて、俺が抜いて、統真が締める。教科書どおりすぎて、笑えるくらいだ」
「教科書どおりに動けるのが、強いんだろ」
「言うねえ」
「二人とも」と、まゆり。「わたしが一番、地味な役なんだからね? たまには、褒めてほしいなって」
「まゆりさまのおかげです」
「棒読みやめてよ」
まゆりが、軽く透の腕を叩く。俺は、それを横で見ながら、汁物を口に運んだ。
他愛のない話が続いた。今日の模擬戦の振り返り、来週から始まるカリキュラム、煮込みの味が先月より薄い気がすること。透が軽口を投げて、俺が雑に返して、まゆりが笑う。いつもの三人の、いつもの夕食だ。
味噌汁をすする。出汁の塩気が、訓練で乾いた体に染みた。白米は、少し硬めに炊けている。可もなく不可もない、慣れた味。
あと一年ほどで、俺たちはここを出て、それぞれ〈裏三課〉の現場に立つ。それまでは、こういう時間がずっと続く――なんとなく、そう思っていた。疑う理由なんて、どこにもなかった。
透の箸が、止まった。
視線が、窓の外へ流れている。暗くなりかけた、並木の一点。何かを見ているというより、何かを思い出す目だった。口元から、いつもの薄笑いが、消えている。
声をかけるべきか、迷う。
「透」
俺が呼ぶと、透は、薄い笑みを浮かべて、こっちへ向き直った。さっきまでの目が、すっと引っ込む。
「ん? ああ、悪い。ちょっと、ぼーっとしてた」
「めずらしいな、お前が」
「たまには、な」
それ以上は、聞かなかった。聞けば、何か答えが返ってきたはずだが、あえて聞かずにおいた。踏み込むには、この夕食はあまりに穏やかで、その穏やかさを、自分から崩したくなかった。
まゆりも、気づいていた。俺と目が合って、ほんの少し、言いたげに口を開きかけて――結局、何も言わずに、味噌汁に口をつけた。俺と同じことを考えて、同じように、飲み込んだんだと思う。
きっと、たいしたことじゃない。
透は、もう何事もなかったみたいに、煮込みの最後の一切れをつついている。それを見ていると、本当に、何でもないことだと思えてくる。
思えてくる、だけだった。胸の隅に残った小さな引っ掛かりを、その夜、俺は何度か思い出した。
窓の外で、桜並木が、夜に溶けていく。
穏やかな一日が、静かに終わろうとしていた。




