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5 漢字が読めません

 次の日から、星子の教育が始まった。

 不知火が陰陽寮に出勤する前に、教えてくれる。


 まずは術式の構造についての講義。昼は符の書き方や結界の構築練習を自習する。夕方に彼が帰宅すると、朝の復習。基礎が終わると、実際に瘴気しょうきの強い場所へ出かけて行って実習するらしい。


 まるで修行僧のような日々なので、じっとしているのより動くのが得意に星子としては、早く外に行って実習訓練がしたい。しかし、それが、いつになるのかはわからない。


 星子にとって、今も問題なのが、漢字。さっぱり、わからない。漢字はもともと知らないのだから、いくら頑張ったところで、脳みそから、「読み方」は出てくるわけがない。


「私は字はひらがなしか、読めません」

「家に、漢字の本はなかったのか」

「あったのですが、全部、売りました」

「なぜ」

「生活のためです。ひらがなは、母代わりの老婆が教えてくれました」


「では、漢字の初歩本を用意させるから、少しずつ、覚えるとよい」

「はい」

 星子は微笑もうとして、唇を引き締めた。笑うと、叱られるから。

 

 時々、教えてくれる時の不知火のその瞳が、生き生きして見えることがある。そんな時、星子がうれしそうに笑ったりすると、不知火が厳しい目をして、叱るのだった。

「集中しなさい。もっと静かな心になることが肝心だ」

「はい、そうでした」


「心が散漫だと、あやかしの道を見つけることができない。呼吸を整えてみなさい」

「はい」

 星子は習ったとおりに、深呼吸してみせる。

「悪くはない。まだまだだが、昨日よりはいい」

 

 教える声はいつも冷めたく、ほぼ感情が見られないが、ときおり、ほんの少しだけ角が取れていくのがわかる。星子は不知火のことを見るのが好きなので、悟られないようにして、じろじろ観察している。きれいな男子を眺めるのは、楽しい、中身がどうであれ。



 その日の夕暮れ、疲れ切って縁側に腰をおろす星子の隣に、不知火が腰を下ろした。

「不知火さま、大殿さまは、私の祖母のことはご存知のようでした。では、私の母については何か知っておられますか。やはり巫女でしたか」

「知らない。早くに亡くなったと聞いている」

 不知火が冷たい声で言って、恨みのこもったような鋭い目で睨んだ。


「八虚空様は不知火さまのお爺様ですよね。不知火さまのご両親は、どこにおられるのですか」

 不知火は、長い沈黙の後に答えた。

「母はもうこの世にはいない。……父だった男は勘当され、京から追放された」

「なぜですか」

「知っていることは、これで全部だ」

 彼からは、そのことについては語りたくないという気配がびしびしと伝わってくる。


「不知火さまは、知りたくはないのですか」

「そういう問題ではない」

「そういう問題って。意味がわかりません」

「これでも、私がここまで人に教えたのは、初めてのことなのだ。このことに関しては、二度と聞いてはならない。よいか」

「でも」

「でも、なんだ」

「不知火さまは教えてくださったつもりかもしれませんが、そんなに教えてくださっていないと思うのですが」


「何が知りたい」

「どうして、お父様が勘当されてしまったとか、肝心なところを聞かせてほしいです」

「あなたも噂好きな人ですか」

「噂は嫌いではないですが、これは噂ではないですよね。不知火さまのお父様のことを、息子のあなたから聞くわけですから」

「その話は、あなたにすべきではなかった。ことがややこしくなるばかりだ」

 彼は文句を言ったが、そこを立ち去ろうとはしなかった。


 月が昇り、夜の帳が下りる。ふたりの影は、並んで縁側に落ちていた。星子はそれだけでも、楽しいのだった。でも、心の距離はまだ遠い。

 星子は不知火にもっと近づきたい。




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