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1 婚儀の申し出

 平安の都の片隅に明原星子の家がある。

 明原家は、今や衰えてしまった没落貴族で、都心から引っ越してから長い。父は星子が生まれて間もなく他界し、母は三歳頃に亡くなったと聞いている。

 

 この家に移り、星子を育ててくれたのは、母の乳母うばだった松江まつえ

 食べるために売れるものは何でも売ったから、今、この家にあるものといったら、庭の片隅に咲く夕顔となずな(ぺんぺん草)、古びた鏡台、それに、「おばば」の松江と星子。その星子は今年、二十一歳になった。


*


 明原家に、突然、賀茂家から婚儀の話が舞い込んだのは半年前のことだった。

「陰陽師はいけません」

 と松江が険しい表情をした。


「でも、こんなあばら家の娘でも、目をかけてくれた人はいたというのは、喜ばしいことよね」

 と星子がなだめた。

 明原家ときたら、実は日々の食べ物にも不自由しており、星子が庭で野菜を育てて、飢えをしのいでいる実情なのだった。


 松江は、貴族の家の娘が庭に大根などを植えていることが世間の噂にでもなったら大恥だからと、痛い足を引きずって、毎朝毎晩、壁の穴を細かく点検し、苦い顔をしながら、そこを紙を詰めるのだが、そんなものは指で押せば簡単に外れる。しかし、壁穴から覗くのには、別の理由もあるのだ。


 松江が結婚に強く反対するので、星子は申し出を断りに出かけた。他に使用人がいないから、自ら行ったのである。


 当主の賀茂八虚空やこくうは、

「よく来られましたね」と喜んでくれた。

 彼は星子をじろじろと見て、微かに目を細めた。


「やはりよく似ていますね」

「私が誰かに、似ているのですか」


 その答えに対するはなく、それとなくはぐされた感じがしたけれど、彼は多額の結納金を示し、二年間の契約結婚の話をしたのだ。

「契約結婚とは何ですか。聞いたことがありません」

「あなたが聞いたことがない話など、世の中にはたくさんあるのですよ」

「はぁ」


「二年間、孫の嫁として、働いてくだされば、その後は、ご自由に生きてください」

 そう言って、家が買えるくらいの結納金を提示した。


 これがあれば、松江に治療を受けさせられる。家の修理もできる。売り払った装束や家具も、買い戻せるかもしれない。

 星子は家に戻って、賀茂家がどんな由緒ある陰陽家であるかを説明して、松江を説得した。

 

 家長が賀茂八虚空かものやこくう、次が娘だったので心之丞しんのすけという婿を迎え、その息子が不知火しらぬいで二十八歳。この不知火が婿なのである。


「この家の方々は、みんなややこしい名前をお持ち。きっと単純なことが嫌いな家柄なのだわ。うちなんか、月子、日子にちこ、そして私が星子だから、家風が出ているわね」

 星子は笑わせようとしたのだが、松江はむぶすっとしたままだ。


「心之丞様は娘の常盤緑ときわみどりの婿養子で、元の名前は弥助ですよ」

「おばば、知っているの?」

「誰でも、知っているだけですよ」

「そう?私は聞いたことがないけれど」


 星子は結納金のこと、結婚が二年だということを話した。この契約結婚のことには反対されるはずだと思っていたけれど、松江は契約結婚だと聞くと、逆に表情が和んだ。

「いいでしよう」

「おばば、どうして急に賛成するのですか」

「二年もすれば、あのお方が戻ってこられるかもしれないでしょう。あの唯一のお方が」


 唯一のお方というのは、たったひとりだけ、星子に和歌を贈ってくれた貴公子がいるのだ。


 当時の習慣として、好ましい女の噂を聞いたり、見たりすると、男はまず和歌を女に贈るのだ。何度か歌の交換があり、男が女のもとに通ってくる。それが三夜続くと、結婚となるのだ。


 星子は年頃になっても、誰も通って来たことがなかった。住んでいる場所が中心から遠いことや、屋敷すがさびれていること、家の柱たる父親がいないこと、などがあげられる。


 ある時、都の貴公子が、星子の家の壁穴から何度か覗いたかと思ったら、ついに和歌が届けられたことがあった。

 いよいよ恋の始まりだわ。

 星子は返歌など考えて、彼がくるのを夜を待っていたのだが、ついに現れることがなかった。


「もう来てもだめですから」

 松江は怒り狂って、壁の穴を埋めたのだが、埋めながら、あのお方が来てはくれないものかと、いつも外の気配をうかがっているのだ。


*


 相手の賀茂不知火かもしらぬいは、若き陰陽師の中でも屈指の才を持つが、伝え聞いたところによると、誰とも交わらず、心を閉ざしているらしい。


 あの日、星子が婚礼のために賀茂家を訪れた時、帰りに年増の女房のかがみが耳元で奇妙なことを言った。

「あなたの血が、世の中を救うのですよ」

 その時、それはどういう意味なのだろうかとは思ったが、たぶん、ただの大げさな表現なのだろうと思い、星子は特に、気にはしなかった。


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