プロローグ
正面に、男が座った。
けれどその男は、女を一度も見ようとしなかった。
「これより、契りの儀を行いまする」
静かに響いた賀茂家の陰陽師が祝詞を詠みあげ、女は指先を強く握った。
花嫁の名前は明原星子。
その白無垢の袖がふるえ、香の煙が目にしみる。
屋敷の一室で行われる簡素な儀式。夜半、ひそやかに整えられたこの場には、祝言を取り仕切る陰陽師以外の参列者はいない。
「私、陰陽師賀茂不知火、これより明原星子と契りを結びまする」
濃紫の男がそう言った、花嫁の顔を見ずに。
星子が顔を上げて、夫となった賀茂不知火という男の顔をはじめて見る。
いや、初めてではない。
この顔は見たことがある。
突然、結婚の申し込みがあった時、それを断りにひとりで賀茂家に行き、老いた当主に面会したことがあった。その時、この男が部屋にはいってきた。彼は当主と一言二言話し、星子のほうには目もくれずに出て行った。
しかし、あの時、星子は見ていた。
彼の瞳は冷たい炎が揺らめく黒曜石のようなのだが、そこには、すべてを見透かしながらも、世を憂いて、投げ捨てな部分があったことを。
端正な顔立ちだがどこか陰があり、微かに口元を歪ませると、それはまるで世のすべてを嘲笑するかのような表情になった。
その時、彼は紫色の袍に赤い下襲、黒い石帯の束帯を身につけていた。その姿は心を捉えて離さないほど美しいのだが、ひどく感じが悪かった。私を憎んでいるような空気さえ出ている。この男は、決して私を好きにはなってはくれないだろう。
でも、そんなことはよい。
彼が夫になるわけではないのだから。
そう思ったのだが、まさか、その彼が結婚の相手だったとは、今の今まで知らなかった。




