8、患者の体内へ。菌調合、極限戦
「先生、来てください!患者が──!」
診療所の奥から、看護師の叫び声が響いた。
駆け込むと、男が一人、ベッドの上でのたうち回っていた。
腕は赤黒く腫れ上がり、皮膚から無数の“糸”のようなものが浮いている。
「菌糸だ……!」
それはただ生えているだけじゃなかった。
男の皮膚の内側を走り、神経を這い、まるで“意志”を持っているかのように動いていた。
「う、うごかないっ……!」「助け……誰か、助けて……!」
目は虚ろ、呼吸は浅く、痙攣が止まらない。
明らかに菌によって意識と肉体を“乗っ取られて”いる。
「精霊、光の加護を──!」
隣でシエナが、空気精霊を呼び出して治療魔法を展開する。
だが、光の粒子は男の肌に届く前に弾かれた。
まるで、菌が“拒絶”しているかのように。
「……魔法が、届かない……」
「中に、入る」
「は?」
「俺が直接、菌に触れる。中から鎮める。この菌、話せるはずだ──少なくとも、暴れる前はそうだった」
「バカ言わないで。人の体内に“入る”って──どうやって──」
「菌で、だよ」
*
患者の横に膝をつき、ゆっくりと手を伸ばす。
男の手の甲に触れ、スキルを起動する。
「【菌共鳴】」
途端に、感覚がぐにゃりと歪んだ。
音が消え、視界が反転する。
次の瞬間──俺は“中”にいた。
*
そこは、黒い迷宮だった。
床も壁も天井も存在せず、すべてが絡まり合うような菌糸でできていた。
微かに漂う胞子が光を反射し、視界を曇らせる。
湿り気のある空気が皮膚を舐め、遠くから響く脈動が頭に刺さる。
「ここが……感染者の内部……いや、“菌の意識世界”か」
『あまり長くおるな。ここは“侵された者の心”と“菌の核”が混ざり合った、危うい場所じゃ』
肩にドン子の声が届く。
『完全に同調しておる。このまま取り込まれれば、わらわもろともお主の意識は戻れん』
「戻る気はある。でも、まず話す」
前方、黒く濁った塊があった。
脈打つように波打ち、うごめく無数の菌糸が周囲に伸びている。
俺はゆっくりと近づき、語りかけた。
「お前は……何がしたい?」
──応答はない。ただ、どこか遠くから、響いてくる。
(……喰う……増える……侵せ……)
それは意思の断片だった。
本能とも衝動ともつかない、濁った声。
しかし、ふと──一瞬だけ、その波の中に別の響きが混じった。
(……守りたかった……ぬくもり……)
「……誰かの、記憶?」
ドン子が横で囁く。
『この菌、本来は人に共生する“安定型”の種類だった可能性がある。
それを誰かが歪め、凶暴化させた。──狂わされたのじゃ』
「……なら、戻せる」
俺はスキルを展開する。
調合素材は、今まで観測した菌の構造、記憶、反応速度、成分傾向。
精神世界だからこそ、純粋な“理解”が直接反映される。
調合、開始。
「ドン子、手伝って」
『合点承知っ!』
俺とドン子の間に、小さな鍋の幻影が浮かぶ。
そこに俺は、記憶にある三つの菌を“精神的に”混ぜ込んだ。
•【サヌリア菌】:神経信号の安定を担う微弱電気菌
•【ミロコーム菌】:免疫細胞との親和性が高い静菌
•【シルフィド胞子】:感情記憶と連動する共鳴胞子
煮詰める。気配を注ぐ。呼吸を整え──
完成。
光る蒸気のような調合液が霧となり、黒い核に触れる。
ジュゥ……という音とともに、菌糸が一斉に震えた。
もがくように、苦しむように、それでも──
静かに、崩れた。
黒い塊が、霧の中に溶けていく。
*
「──!」
俺は、息を呑んで目を開いた。
患者は静かに横たわっていた。
皮膚の赤みは引き、浮き上がっていた菌糸も消えている。
医師が駆け寄り、確認する。
「……脈、安定。呼吸、正常……」
シエナが、ぽつりと漏らす。
「……なにを、したの?」
「菌と、話した。そんで、落ち着かせただけ」
ドン子がふわふわと浮かびながら、勝ち誇ったように言った。
『ふふん、見たか! これが精神調合じゃ! 菌と心を通わせし者の、究極の技よ!』
患者は静かに眠っていた。
まるで、闘いが終わったことを、菌ごと安らいでいるかのように。
──でも、わかってる。
この菌、最初から狂っていたわけじゃない。
誰かが、何かをした。
その“手”が、菌の記憶の奥に、確かに残っていた。
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