第02話 ディスコ・フィーバー①
「これは……!」
それなりに気勢を張っていた流一郎と宵子は、思わぬ肩すかしを食らった。
開け放ったドアの向こうは、熱狂にまみれたダンスホールではなく、静けさに包まれた待合いのロビーだったからだ。外から察するよりも広い空間が確保されていて、タバコの煙にくすんだソファと、観葉植物の鉢植えが整然と並べられている。おかしな点があるとすれば、人影が全く見えないことだ。それは入場カウンターもそうで、本来立っているだろう店員の姿さえ見当たらなかった。
「誰もいないね……」
宵子が見たままの感想を述べる。
「いや、だが無人というわけでもなさそうだ」
流一郎が金属バットでさらに奥のドアを指し示す。おそらく今度こそホールへと繋がるそのドアは、店舗の入り口と同じ意匠をした観音開きのものだった。その向こう側からは、ドラムの重低音がリズムよく響いている。閑古鳥が鳴いているロビーとは対照的に、ホールの中は熱気と熱情に満ちあふれているらしい。
流一郎はホールへのドアに身を寄せると、中の気配をうかがった。
響き渡る重低音にかき消されて判然としなかったが、うごめく気配は両手に余ると思われた。二〇……いや、三〇はいるだろうか。そのうちの何柱が亡霊人なのかは分からないが、下手に亡霊人との戦いを大きくして、居合わせた人間たちを危険にさらすのは避けたいところだ。
ふと宵子に視線をやると、こちらをじっと見つめている。
流一郎はゆっくりうなずくと、ホールへのドアを静かに開けた。あくまで中にいる者たちを刺激しないように、慎重にだ。
「――!!」
想像以上の爆音がホール内から飛び出してきた。流一郎はそれ以上ドアを開くことを躊躇したが、すぐに意を決して開け放った。流一郎と宵子は、そのままホール内に足を踏み入れる。考えても仕方ない。戦端はとっくに開かれているのだから。
だが、流一郎と宵子の警戒とは裏腹に、二人に気をとめる者は誰もいなかった。
やけに低音を強調した流行りの音楽が鳴り響き、七色の照明はけたたましく変化している。それを回転するミラーボールで壁という壁に反射しているものだから、一瞬、平衡感覚を失ってしまいそうになる。
あまりの轟音に、両耳を押さえている宵子。
対する流一郎はホール内をゆっくりと見渡し、状況の把握に努めていた。
「死ノ儀くん――!」
宵子が何か言おうとしたが、ホール内に満ちたサウンドがすべてをかき消す。
ゴホッ、ゴホッ――宵子は突然むせた。
あらためて周囲を見やると、そこはタバコや酒であふれていた。
『瘴気に満ちている――』と宵子は思った。実はそうだと分からないだけで、違法薬物を楽しんでいる者さえいるかもしれなかった。
宵子は再び流一郎に視線を戻した。彼の表情は厳しさを増していた。
「こんなの初めてだな……」
爆音で聞き取れなかったが、流一郎の唇は確かにそう動いた。
「どうしたのォ!?」
宵子は叫んだ。叫んだくらいの声量でちょうどいい会話が出来そうだ。
流一郎は変わらず周囲を警戒していたが、その視線を外さないまま宵子にこう言った。
「多分、ここにいる全員が亡霊人だ」
不思議とその言葉は、スッと宵子の耳の奥に届いた。
宵子は愕然として辺りを見渡した。楽しげに踊る者たちがおよそ二〇人強、バーテンやバーテンドレス姿の店員が七~八人。ホールにひしめくこれら全員が亡霊人――!?
その驚きは流一郎もまた感じていた。
何故だ。美鶴神社の結界に護られた舞鶴市に、これだけの亡霊人たちが、一度にはびこるなんて有り得ない。しかも同じ場所に群れるなどという偶然があっていいものだろうか。
「――!」
ふと、一柱の亡霊人と視線が合った。いや、ずっと前から、向こうは流一郎のことを凝視していたのだろう。爆音で流れるリズムを身体で刻むことはとっくに止め、のっそりとこちらへ近付いてくる。流一郎は金属バットのグリップを持つ手に力を込めた。
「時女、きみは外に出ていろ――」
「えっ!?」
「作戦変更――悪いが戦いの邪魔だ。これだけの亡霊人がいるのは想定外だった。きみがいると思い切りバットが振れない」
「でも、こんなにたくさんを相手にするなんて」
「頼む」
その一言で、宵子は黙らざるを得なかった。宵子は後ずさるようにして入り口のドアへ戻った。そして踊り続けるたくさんの亡霊人たちを刺激しないようにそっとドアを開く――否、開くことが出来なかった。
「――開かない!?」
「押してダメなら引いてみろ!」
「無理だよ! 鍵がかかってるみたい!」
宵子は渾身の力でドアを押し引きしているが、まるで凍り付いたかのようにビクともしない。単に鍵がかけられただけなら、そうはならないだろう。だとすれば、流一郎に思い当たるのは一つだけだった。
「いつの間にか、惹麒空間に引きずり込まれている!?」
「ジャッキ空間?」
「惹麒空間は麒族が生み出す麒族のための空間だ。奴らの能力を数倍に増幅する物理法則に支配されていて――まあ、簡単に言えば奴らのテリトリーだな」
次々と繰り出される新しい言葉に宵子は少し混乱している。麒族とは一体何者か? 流一郎の言を聞く限り、亡霊人の上位的存在のようではあるが……。
そして流一郎は流一郎で、自分の発した言葉に驚いていた。
惹麒空間は麒族が生み出すもの――。
つまりこのホールには麒族が紛れ込んでいるということになる。美鶴神社の結界に護られたこの舞鶴市は、麒族がおいそれと徘徊できるような場所じゃない。何か流一郎があずかり知らぬ出来事が水面下で進行しているのだろうか。
フッ……。
ホール内に突然の「虚無」が訪れた。
爆音を鳴り響かせていたスピーカーは沈黙し、七色にきらめく照明も消え失せた。そこにあるのは、光源すら定かではないぼんやりとした赤い照明だけだ。
「この色合いは……」
流一郎はこの赤い空間に見覚えがあった。麒族がもたらす赤い光。まさにここが惹麒空間であることの証左だった。
「死ノ儀くん! あれ!」
宵子が指し示すほうを見ると、先ほどまで狂ったように踊っていた人々――いや、亡霊人たちが、背中を丸めるように座り込んでいた。やがてその首がゆっくりとこちらへ向かって回転し、そのすべてが流一郎と宵子を視界に捉える。彼らの獲物としてロックオンされたのだ。
「死ノ儀くん!!」
「続きは生き延びてから話す! 時女はそのドアを何とかしろ!」
流一郎は、亡霊人たちに向かって金属バットを腰だめに構えた。
「まとめてかかって来い! 秒殺してやる!」
その声に反応するように三〇体余りの亡霊人たちが咆哮を上げた。ただしそれは獣の本能ではなく、流一郎を喰らわんとする亡霊人たちの勝ち鬨のようなものだった。
流一郎は亡霊人たちが一斉に動き出す前に、すでに跳んでいた。
ヒッピーのような出で立ちの亡霊人五柱の間に滑り込むと、次々と彼らを金属バットで割る。
ガシャーーーーン!
ガシャーーーーン!
ガシャーーーーン!
一気に三柱を割り、返すバットでもう二柱を割る。
ガシャーーーーン!
ガシャーーーーン!
まさに瞬殺――いや、秒殺だった。
まだ駆け出しとは言え、流一郎も、れっきとした渡殺者だ。亡霊人ごときに遅れを取るような弱者ではなかった。だが得物である金属バットはそうはいかない。惹麒空間の力で防御力も数倍になった亡霊人たちを割るために、相当あちこちが凹んでいた。
『麒族はどこだ――!?』
流一郎の狙いはたった一つに絞られていた。この惹麒空間を創り出した麒族を見つけて割らねば。このまま三〇柱の亡霊人たちを相手にしていたら、金属バットが武具としての寿命を迎えるのはそう遠くない。
ホールは阿鼻叫喚と化していた。
亡霊人たちは、我先に我先にと流一郎に襲いかかり、返り討ちにあっては叩き割られる。
その度に金属バットは凹み、得物としての信頼がみるみる揺らいでいた。




