五十三話 情報共有と秘匿の境界線
深々と下げていた頭を上げ、蓮華に似た美しい花に見惚れながらも、それはそれとして。
この洞窟の花々が植物図鑑に記されていなかった理由に思い至り、そっと額に片手を当てる。
「――もう間違いなく、意図的に植物図鑑の記録として、残さないようにしたのですよね……!」
そうでしょう? 植物図鑑の執筆者さん!?
深く、息をする。改めて考えてみると、少々予想以上の事態に遭遇していると気づいた。
植物図鑑の執筆者は、完全完璧に意図して、この花々の情報を隠していたことは、ほぼ間違いないだろう。
一瞬考えた、図鑑が書かれた時代の後に洞窟ができたのかもしれない、という予想こそが正解でない限りは。一応そう注釈はつくが、やはり意図的に情報を載せなかったのだと思う。
それもそのはず。こんなとんでもない祝福をぽんっと授かることができるようなお花様、洞窟の情報ごと隠されてしかるべきなのだ。
私でもおいそれと語ろうなどとは思わない。語るとしても、多大なる勇気が必要だ。
なにせ――あまりにも希少で、そして何より、特別にすぎるから。
たやすく語ってしまえば、すぐにあのお花様の花弁は残らずむしり取られてしまうことだろう。
精霊と同じく、エルフは植物を大切に感じるものだという認識が私にはあるけれど、すべてのエルフ生まれのシードリアが必ずしも私と同じ考えをもっているとは、さすがに現時点では言えない。そもそも私はまだそれを判断できるだけの、交流さえできていないのだから。
そしておそらくではあるが、植物図鑑を書いた作者も根本的な部分では、私と同じように考えたのではないだろうか?
すなわち、すべての者が自らと同じように、植物を愛しているわけではないのだと。
もし作者がそう考えたのであれば、植物図鑑に洞窟に生える植物についての記載がまったくなかったことも、当然と言える。
大切なものほど、護るために全力をつくすものだ。
作者は洞窟の[ど]の字も図鑑に刻まないことで、特別なこの花の存在を護ろうとしたのだろう。
ただ、私が予想以上の事態だと感じた点は、図鑑にさえつづられずに隠され護られていたという部分だけではなく、もう一つあった。
それは……プレイヤーであるシードリアとしては、貴重な祝福を授かることができる花の情報を秘匿することが、必ずしも納得されるわけではない、という点だ。
昨今の没入ゲームに限らず、画面ゲーム時代から語り板のように、ゲームの攻略情報を共有することは多くのプレイヤーたちに喜ばれてきたことで、当然私もその恩恵にあやかっている。
他者が開示する情報を見てゲームを遊べるそのありがたさは、しみじみと感じている側であるだけに、さてどうしたものかと口元に手が伸びた。
腕を組みながら、少し思案してみる。
今回の場合、貴重な情報を秘匿することが、他のシードリアたちにとってどのように影響するかどうかが、一番の問題点なのだが。
――しかし、それを語るのであれば。
「もうアストリオン様のお話しから、すでにおそらくは万人が知る展開ではありませんよね……」
ふっと、視線が遠くへと飛ぶ。
黄昏たくなるような、それでいて達観したくなるような、複雑な気分だ。
どう考えても、貴重な情報について語るのであれば、特別な魔法を習得するという結果に行きつくらしい、大老アストリオン様との出逢いもあてはまるはずだ。
しかしここがまた、難しいところ。
「とは言え、アストリオン様の情報を共有すべきかと言いますと……必ずしも、そうだとはやはり言えませんよね」
呟きながら、苦笑が零れた。
実際、この結論にたどり着くことが、昨今の現実的な落としどころなのだ。
たしかに、少なくとも今まで目を通した語り板の情報に、〈星の詩〉や星の石のような特別さを思わせるストーリー展開はなかった。当然、夜明けのお花様のことも。
それは端的に、このストーリー展開やお花様が、特別なものであることを示していると思って間違いないだろう。
しかし同時に、この手の特別な情報に関しては――そもそも誰も開示していない、という実情がある。
これは私自身も語り板に目を通したことで、たしかに普遍的なものごとに関する情報のみであると確認できた。
では、どうして誰も特別な情報を共有していないのかと言うと、それはなにも特別な情報を独り占めしたいという意図ではなく。
――このご時世、いわゆるネタバレはご法度なのだ。
かつての時代が、そのあたりの規制に関しては比較的ゆるいものであったことは知っているが、それは今の時代では通用しない考え方の代表例。
すべてのプレイヤーにとって、情報共有の大切さ以上に、ネタバレこそ慎重に扱わなければならないものなのだと、そのことを知らずにゲームをする者はもはやいないはずだ。
この点にあてはめた上で、アストリオン様のお話しや、夜明けのお花様の祝福について情報共有をしたほうがいいかと考えてみる。
正直なところ、悩ましくはあれども、答えは一つだ。
「えぇ、まぁ、どう考えても。アストリオン様のお話しも夜明けのお花様の祝福も、厳禁とされる部分に引っかかる気しかしませんね!」
思わず、拳を握り込む。
これは情報共有の大切さとネタバレへの配慮が、綺麗に重なる部分。
まさしく、予想以上の難しい事態に遭遇していると言えるだろう。
「うぅん……」
『しーどりあ、よしよし~!』
『いいこいいこ~!』
『なでな~で!』
「ありがとうございます、みなさん」
悩ましさにうなる私の頭を、さわさわと精霊のみなさんが撫でてくれる。
それに癒されていると、ふとある事を思い出し、ぽんっと手を打つ。
「そう言えば、大前提がありましたか」
そうだった。何より重要な要素が、もう一つあったのだ。
それは、根本的なお話しとして、そもそもすべてのエルフのシードリアがアストリオン様から〈星の詩〉を授かったり、夜明けのお花様から祝福を授かったりすることができるとは……限らない、ということ。
なぜなら【シードリアテイル】は、五感体験の他にも、その自由度を売りにしている没入ゲームだから。
「[想像と深淵とともに歩む、あなただけの生きゆく物語]」
【シードリアテイル】のことを知ったその日に目にした、キャッチフレーズを口ずさむ。
これがこのゲームのキャッチフレーズであるからには、そもそも同じストーリー展開を追うような単純なつくりには、なっていないはずなのだ。
少なくとも近年私が遊んできた、自由度を大切にする没入ゲームの中で、そのような単純なつくりのゲームはなかった。最新の没入ゲームである【シードリアテイル】ならば、語るに及ばず、だろう。
つまるところ端的に言ってしまえば、どれほど攻略情報を見たところで、完全に同じ道をたどることが確約されているわけではない、ということ。
ここにさらに付け加えるのであれば、希少で貴重なものほど、おうおうにしてオリジナル性が高いものになるという点。
――実際はそのオリジナル性の豊かさこそが、【シードリアテイル】がほこる自由度の高さの、象徴だったりするのだから。
さて、ここでもう一度、これらを今回の夜明けのお花様に当てはめるのであれば。
……明らかに希少で貴重の典型例である分、花を見つけることができるシードリアは、絶対的に限られてくるだろう。
必ずしもこの洞窟を見つけて入ることができるとは限らない上、私と同じ祝福を授かることができるのかさえ、定かではない。
それは、アストリオン様との出逢いからはじまる、特別なストーリー展開も同じことが言える。
――こうなってくると、もはや情報を語ったところで、同じ結論にたどり着くという大前提が保証されないことから、無意味な情報になってしまいかねないのではないだろうか?
情報共有はありがたく大切で、しかし貴重な情報はネタバレを含む可能性が大いにあり、そこには気を配る必要がある。その上で、そもそも自由度が高すぎるがゆえに、同じ結果がでるとは限らないのではないかと、思い至った。
ゆっくりと、深呼吸を一つ。あえて口元を引きしめ、凛とした表情をつくる。
覚悟は、決まった。
薄青の光が注ぐ天井を、厳かなものを見つめるように見上げ――。
「かくなる上は! ネタバレに配慮して基本黙秘しつつ、たずねられた際、そのかたが信用できるシードリアであれば、情報開示をすることにしましょう!!」
せめてもの無難な落としどころを見つけ、ようやく肩の荷を下ろした心持ちで、ふぅと息を吐いた。




