二十二話 知恵を秘めた空色の慧眼
暗い青も鮮やかな夜空の下、土道を進む。
かすかな夜の気配を思わす暗さを、身体のそばでふよふよと飛んでいる、三色の下級精霊さんたちがほのかに照らしている。
樹々に覆われた森の中とはいえ、夜のはじまりのこの時間は、まだ視界に問題はない。
広い土道の左右には店が並んでいる上、現在向かっているのは眼前の広場であり、頭上を葉がおおっていないことも、比較的明るく感じる要因だろう。
時折、蛍のように現れたり消えたりしているのは、私がまだ関わったことのない下級精霊さんたちのようだ。
一瞬、いまだに問題なく持続発動できている〈ラ・フィ・フリュー〉の隠蔽を消すと、多色の下級精霊のみなさんの輝きがさぞ薄暗さに映えるのだろう、と頭をよぎる。
もちろん、それではわざわざスキルを使ってまで隠している意味が消滅してしまうので、実行はしないのだが。
ただ……あまり人目につかない場所でなら、少し試してみたい。
小さな好奇心に微笑んだあたりで、お目当てのエルフのみなさんが見えた。
昼間、大勢のシードリアたちに囲まれていた、指南役と思しき三人のノンプレイヤーキャラクターである。
一人は剣を持つ精悍な青年、一人は弓を持つ柔和な青年、そして最後の一人は杖を持つ勝気な笑みをうかべた女性。
私が声をかける相手は当然、魔法使いの象徴とも言える杖を持った女性だ。
さいわい今は広場の中央で、魔法や剣や弓の練習をしているシードリアたちが数人いるだけで、指南役の三人のそばには誰もいない。
これならば、ゆっくり話しができそうだ。
自然とうかぶ微笑みをそのままに、くるりとこちらを振り向き見つめてきた、朝の澄んだ空を思わす空色の瞳の女性に声をかける。
「こんばんは。こちらでは、魔法などの指南を受けられるのでしょうか?」
『――いかにも。わたくしたちが君たちシードリアの、戦い方に関する指南役だ』
私の問いに、鷹揚な所作での首肯と、少し低めの落ち着いた声音が肯定を返す。
ゆらがない口元の笑みは、彼女の強さの現われなのか、凛としてとても美しい。
ただ不思議なことに、その空色の瞳は眺めるというよりも何かを探るようにして、じぃっと私の緑の瞳を見つめていた。
なぜ見つめられるのかは分からないが、ひとまず名前を名乗り、学びにきたことを告げる。
「私はロストシードと申します。ぜひ魔法使いの戦い方を、ご教授いただきたく」
併せてエルフ式の一礼をすると、女性も右手に杖を持ったまま、淡い金の長髪と緑のローブをゆらし返礼をしてくれた。
右手が杖を持ったままであったため、ローブの裾を広げる形の一礼ではなかったが、これはこれで威厳があり素敵に見える。
空色の瞳がまたこちらを見つめ、口が開かれた。
『わたくしは、シエランシア。魔法の基礎や習得、使い方、そして魔法での戦闘についての知識を伝授する者だ』
晴れ渡る薄青を宿したその瞳が、一度またたき。
次いで、やや声量を落とし、言葉がつづいた。
『……しかし、君はすでに戦い方まで想定した魔法を、習得しているな?』
鮮やかな笑みと共に、すぅっと細められた空色の瞳に射抜かれる。
はっと、思わず息をのんだ。
まさか私がすでにいくつかの魔法を習得していることを、このわずかな時間で見抜いたのだろうか?
それとも、彼女たち指南役には、シードリアの魔法習得状況などが分かるような仕様があるのだろうか……。
私の驚愕が伝わったのか、三色の下級精霊のみなさんがぱっと私とシエランシアさんとの間へ出る。
そして……。
『しーどりあ、すごいの!』
『まほうおぼえてるよ~!』
『あとはたたかってみるだけだよ~!』
――的確なご説明、痛み入ります!
とても分かりやすい説明をしてくれたことに感謝しつつ、こちらも首を縦に振った。
「ええっと、実はそうなのです。とは言え、やはりいきなり森の奥に入るのではなく、シエランシアさんに教えを受けた上で実戦に向かおうと考えておりまして……」
『ふぅん、なるほどなぁ』
少し低めの声音に愉快気な色合いが混ざる。
細められていた空色の瞳は、すでに剣呑さに似た鋭さを消しさり、凪いだ穏やかさだけを宿していた。
面白そうに、あるいは興味深そうに、シエランシアさんの口元の笑みが変化する。
『君の場合は、そのまま魔物に戦いを挑みに行っても問題はなかっただろうが……まぁ、それはそれとして、わたくしも自らの役割を務めよう』
そう告げると、彼女は一枚の紙を腰元の小さなカバンから取り出した。
それをピラリとこちらへ見せるようにかかげるので、少し近づきその紙へと目を通す。
どうやらこの紙は、誰かからの討伐依頼を記したものらしく、[ハーブスライムの討伐 三体 証明部位は核 報酬は鉄貨六枚]と書かれていた。
紙の下半分に描かれているのは、討伐対象のハーブスライムの絵だろう。
ぷよんとした楕円形の輪郭に、薄緑の半透明の身体。その体内の中央には、核と思しき薄緑の小さな球体があった。
紙から視線を離し、シエランシアさんの空色の瞳を見返す。
私の視線を受けて、その口元がフッと不敵な笑みを形作った。
『君にはさっそく、この依頼を受けてもらう』
「……なるほど。討伐依頼のようですから、必然的に戦闘をすることになるのですね」
凛とした言葉に、神妙にうなずきを返す。
戦闘して討伐することで戦い方を学ぶことができ、加えて報酬も貰えるのだから受けない理由はない。
口角を上げた私に、シエランシアさんは付け加えるように説明をつづけた。
『これは本来冒険者ギルドで管理されている依頼紙だ。この里にはあいにく冒険者ギルドはないから、かわりにわたくしたち指南役が管理している』
そう言われて、はじめて確かに冒険者ギルド他、職人ギルドや商人ギルドなどの建物が存在していないことに気づく。
それらは画面ゲーム時代からお馴染みの、いわゆる同業者たちの組合だ。
シードリアたちも好きなギルドに所属ができ、それぞれの依頼任務を達成することで、報酬がもらえる。
端的に言えば、ただただ魔物を討伐したり、物を作ったりするだけでなく、ギルドを通して依頼を受けることで更なる学びや報酬が得られる、一石二鳥の恩恵が得られる場所といったところか。
このはじまりの地であるエルフの里には、どうやらギルドはなく、それゆえ代理として指南役のお三方が依頼を出していると、シエランシアさんは言っているわけだ。
なるほどとうなずくと、シエランシアさんは依頼紙をひらひらと振り、非常にイイ笑顔で告げた。
『まぁ、はやい話、君にはこの討伐依頼を受けてハーブスライムを倒し、戦闘を実地で学んでもらおう、ということだ。――正直なところ、君くらい魔法をあつかえる者に、今さら広場で訓練など時間のムダ……ああ、いや、貴重な時間がもったいないとわたくしは思うんだ』
……若干、鮮やかな本音が零れていたような気がするが、それは聞かなかったことにして。
「ええっと……つまるところ、私はシエランシアさんの訓練を受けずとも、ハーブスライムの討伐に行ってもかまわない、ということでしょうか?」
『端的に言ってしまえば、そうなるな』
確認のためにたずねると、ひょいと肩をすくめて、そう答えが返る。
どうやら、お祈り部屋で色々と魔法を習得した結果、広場での訓練という段階を飛ばして、実戦をしても大丈夫だという判断になったらしい。
……このような展開もあるのかと、思わずまじまじとシエランシアさんを見つめてしまった。
なにせ、私はまだ戦闘のせの字も実際には学んでいない。
せいぜい、魔法の習得時にイメージをしたくらいだ。
魔法が使えるとは言え、戦闘時の動き方なども何も知らない状態でたやすく勝てるほど、没入ゲームの戦闘は優しくない――場合もある。
このゲームは戦闘面の難易度が低く設定されているのだろうか、と口元に手をそえ首をひねったところで、シエランシアさんが再び声量を落として言葉を紡いだ。
『……とは言え、指南役としてはたしかに、わたくしも君に何も教えないわけにはいかないな』
その言葉に、思考の海に沈むと同時に下がっていた顔をぱっと上げる。
交わった空色の瞳は見透かすように細められており、シエランシアさんはまた不敵に微笑み簡潔に告げた。
『君に、魔法使いの戦闘時における心得を伝えておこう。
一、魔法使いたるもの、事前に準備できる魔法は事前に仕込んでおく。
二、魔法使いたるもの、まずは敵との距離を遠く取る。
三、魔法使いたるもの、魔法の確実な発動と敵へ届かせる意識は忘れずに。
四、魔法使いたるもの、魔法を外しても焦らず相手の動きを見極める。
五、魔法使いたるもの、魔力量と敵との距離は常に意識しておく。
そして、最後に』
そっと持ち上げられたシエランシアさんの細い左手が、人差し指一本だけを立てると、静かに口元にそえられて……。
最後の心得が、小さく響く。
『六、魔法使いたるもの、敵は確実に仕留めること――鮮やかに、完膚なきまでに、だ』
フッと上がった口角が、立てられた人差し指の後ろで綺麗な三日月の形に笑みをつくる。
低めの声音から告げられた言葉があまりにもかっこいいと感じ、私もついつい口元を笑みの形にしてしまった。
きっと、私も今のシエランシアさんと同じように、実に不敵な笑みをうかべていることだろう。
言葉だけとはいえ、注意すべき心得は教えていただけた。
ならば後はもう――実践あるのみ、だ!




