バレンタイン当日 前編
そして迎えたバレンタインデー当日――
「アレ、忘れてない?」
「大丈夫だって、自分でも心配すぎて3回チェックしたから」
「結果はちゃんと教えるのよ」
「はいはい、それじゃいってきます」
「当たって砕けろー!」
砕けちゃだめだろう。姉ちゃんの激励にツッコミを入れながら、俺は家を出た。
今日は、最強寒波が直撃するらしく朝から冷え込んでいた。
白い息を吐きながら考えるのは今日の学校のこと。正確には、学校でいかにしてチョコを渡すかである。
吉原は人気者なので常に周りに人がいる。できれば、1人になったところを狙って渡したいがおそらく難しいだろう。となれば、何かしらの方法を使って呼び出すしかあるまい。
今回の作戦はこうだ。まずは、いつもより早い時間に登校し、誰もいない教室に入る。そして、吉原さんの机の中に呼び出しの手紙を入れておく。放課後にチョコを渡せばミッションコンプリートだ。
今日は部活が休みになっているから放課後は空いている。手芸部も休みということはチェック済みだ。我ながら完璧な計画じゃないか。
そんなことを考えながら歩いていたら、いつの間にか校門の前まで来ていた。あたりには雪がちらついている。
「どうか教室に誰もいませんように」
いつもより30分早く登校したかいもあって、朝練をしている連中ぐらいしかいない。これならいけると思いつつ教室へ向かった。
教室の前にたどり着くと、なぜか中から声が聞こえてくる。そんな馬鹿な、まだ授業が始まるまで1時間近くあるぞ。
俺は恐る恐る教室のドアを開けた。
中にいたのは、我が1年D組の野球部トリオである。
「「「おはよーっす」」」
「お、おはよう」
なんとか動揺を悟られないように自分の席へと向かう。俺の席は真ん中の列の一番後ろだ。ちなみに彼らがいたのは教壇近くの席である。
普段あの3人とは話さないのだが、どうしても気になったので聞いてみることにした。
「なあ、どうしてこんな早くから学校にいるんだ?」
すると3人のリーダー格、丸刈りメガネ佐藤君が答えてくれた。
「顧問の先生がぎっくり腰しちゃったみたいでさー。今日来れないんだってよ。うちの学校、先生いないところでの部活動禁止じゃん?だから、せっかく朝早く来たのに朝練中止ってわけ」
なんてこった、あのバーコードヘアーめ……! おかげで計画が台無しじゃないか。
「そういう五家宝はどうしたん?」
「ああー、えーと、たまたま早く目が覚めたんだよ」
「そういうときもあるよなー」
自分でも苦しい言い訳なのはわかっていたが納得してくれたらしい。
どうする!? このままだと手紙を机の中に入れられないぞ! それなら下駄箱の中に入れに行くか? いや、そもそもどこが吉原の下駄箱かわからないから無理じゃないか。こ、これは詰んだか……。
その後も3人がいなくなるタイミングを待っていたが、ついぞそのときは訪れなかった。そして、徐々に他のクラスメイトもやってきてしまう。
その中にはもちろん吉原の姿もあった。今日も何人かの友達と登校してきたようで、楽しそうに話をしている。しかしいつもとは違い、その姿が隠れてしまうほど大きな紙袋を抱えていた。
話を聞く限り、吉原はお菓子作りが趣味らしく、女の子同士で交換するためにたくさん作ってきたらしい。
下手に手作りとかしなくてよかった。料理に自信があってもお菓子作りは素人だからな。
でも、あの中には本命チョコが混じっているかもしれない。いや、そんなことはない。そんなものは存在しないはずだ。
「あ、五家宝君。おはよー」
ドアの近くで立ち話をしている吉原たちを眺めていたのだが気づかれてしまったらしい。しかし吉原はかわいいなあ。ペットのような愛らしさがあって、守ってあげたくなるようなかわいさというか。家にお持ち帰りして飼いたい。そして全力で頭をなでたい。
はっ、いかんいかん。ぼーっとしている場合ではなかった。せっかく吉原のほうから挨拶してくれたのだから返事をせねば。
「……おはよう」
やってしまったあああああ。またいつものように無愛想な返事をしてしまった。ここは笑顔の一つでも見せる場面だろうに。
どうも自分は愛想を振りまくというのが苦手だ。これが怖がられる原因にもなっているのはわかっている。だが、どうも直せない。
後悔している間に、吉原たちは自分の席へ行ってしまった。吉原の席は窓際の一番前なので、その小さな後ろ姿を見ることしかできない。
そして、教室に授業の開始を知らせるチャイムが鳴り響いた。
正直どこかでチャンスがあるだろうと思っていた。いくら人気者の吉原と言っても、どこかで1人になるタイミングはあるはずだ。たったの10秒、いや5秒でいい。放課後に時間を取ってくれるように言うだけなのだから。
しかし、我がクラスの女子陣のガードは鉄壁だった。まったく俺につけいる隙をあたえなかったのだ。
しかも今日はバレンタインデーということもあり、他のクラスからも友チョコ交換をするためにたくさん女子がやってくる。休み時間になるたびにお祭り騒ぎだ。特に吉原は交友関係が広い上に人気者だ。万里の長城のごとくそびえ立つ女子の壁は途切れることがなかった。
そして、あっという間に昼休みの時間になってしまった。このままではまずい。もういっそのことあの壁の中に突っ込んでしまおうか。そんなことを考え始めていたときに事件は起こった。
「「「きゃー」」」
突如として女子の間から黄色い歓声があがったのだ。女子たちが群がる中心にはとある男がいた。
州浜航――2つ隣のB組に所属している1年生だ。女子が騒いでいることからわかるようにイケメンだ。しかも、1年生ながらサッカー部のレギュラーを獲得しているらしい。
それだけではない。もっと重要な事があるのだ。
「やあ、杏。一緒にお昼でも食べないかい?」
「こうくん……」
なんと吉原の幼馴染なのだ。ただでさえイケメンというだけで恨めしいのに吉原の幼馴染だと!? 許せん、断じて許さんぞ……!
「ざんねーん、杏ちゃんは私達と一緒にお弁当食べるの」
そう言って吉原を抱きしめたのは我がクラスの委員長だ。周りが色めき立っている中、一人だけ冷静に返事をしている。男嫌いという噂は本当だったのか。
「ごめんね、もう先に約束してあるの。あっ、そうだ! お詫びというわけじゃないけどこうくんにも作ってきてあるんだ。はい、どうぞ」
吉原が紙袋から取り出したのはかわいらしくラッピングされた白い箱だった。
あ、あれは……! あの紙袋から出てきたということは間違いなくチョコ。しかも、さっきまで他の子に渡していたやつとはラッピングが違う、だと……! まさか本命、本命だというのかあああああああ!!
たしかに吉原と州浜が付き合っているという噂はある。しかし、それは州浜が勝手に言っているだけという噂もあるのだ。
そうだ、これはたまたまラッピングに違いがあっただけで特に深い理由はないんだ。そうに違いない。
俺がうろたえている間にも2人の会話は進んでいく。
「おっ、サンキュー」
「どういたしまして。こうくんのは『特別』仕様だからね。間違えないようにみんなとは違う箱にしておいたの」
と、く、べ、つぅぅぅぅぅぅぅぅ!? いま特別って言ってたよね!
なんてことだ、特別なチョコって言ったらもうあれしかないじゃないか。ずばり、本命チョコ。あのチョコは本命チョコに違いない。
せっかく勇気を出して逆チョコの準備をしてきたのに、渡す前にすべてが終わってしまうなんて……。
衝撃のあまり、それからの記憶は曖昧だ。ただ1つ間違いないのは、食欲がわかずに昼飯を食べなかったことだ。
気がつけば6時間目の授業が終わっていた。正直午後の授業の内容はまったく覚えていない。ただただ絶望にひたっていただけだった。
帰ろうと思い荷物を片付けていると、カバンの底にあるチョコを見つけてしまった。
「まあ、しょうがないよな」
あんなものを見せつけられてしまっては、とてもこれを渡すことはできない。姉ちゃんになんて報告したらいいだろうか。いまから憂鬱だ。
片付けを終えて廊下に出ると声をかけられた。
「おーい、悠介。お届け物だぞ」
そう言って小さな紙袋を渡してきたのは演劇部の部長だ。部長は俺よりも背が低いので見下ろす形になってしまう。しかも線が細く中性的なため、服装によっては女の子に間違えられてしまうこともあるらしい。
「なんですか、これ?」
「おいおいなんて顔してるんだよ。わかった、これをもらいそこねて落ち込んでたんだろ。昼休みに来なかったお前の分をちゃんと持ってきてやったんだから感謝しろよ」
紙袋の中を開けて見ると、色とりどりのラッピングに包まれたチョコレートが入っていた。
「部長、いくら食べきれないからって人からもらったものを渡すのは……」
「お前完全に忘れてたな。今日の昼休みに、部室でチョコレート交換会をやるって言ってただろ」
そう言えばそんなことを言っていた気がする。
今日は部活が休みだから部室に集まることはない。同じ学年ならまだしも、義理チョコを渡すのに他の学年のところへ行くのはハードルが高いだろう。
そういうわけで、昼休みに演劇部みんなで集まって
チョコレートを渡し合おうという話になっていたのだ。
「すみません、忘れてました」
「それは別にいいんだけどよ。あんまり嬉しくなさそうだな」
「あはははは……」
普段なら狂喜乱舞するところだが今日はさすがに無理だ。昼休みの吉原チョコ事件のショックが抜けきっていない。
「わかったぞ、気になってる女の子からチョコをもらえなかったんだろ。そんな受け身じゃだめだ、悠介。男なら自分から告白してこい。じゃないと絶対に後悔するぞ」
親指を立てながらドヤ顔で語る部長ははっきり言ってめんどくさい。しかし、当たらずも遠からずな内容のため否定しにくい。
「それじゃあそろそろ帰るわ。また明日なー」
言いたいことだけ言って部長は行ってしまった。
相変わらずせわしない人ではあるが、あれでも人望の厚いいい先輩だ。きっと自分のことを思ってアドバイスをしてくれたのだろう。結局勘違いを正すことはできなかったが……。
「俺も帰るか……」
昇降口を出たところで校門のほうを見ると、そこには吉原たちがいた。何やら楽しそうに立ち話をしている。
『絶対に後悔するぞ』
部長の言葉が頭のなかでリフレインされる。
吉原の顔をぼんやりと見つめながら自問自答する。
このままでいいんだろうか。いまからでもチョコを渡しに行ったほうがいいんじゃないか。でも、確実に失敗するぞ。いまでさえかなり落ち込んでるのに、面と向かって断られたら立ち直れないんじゃないか。
気づけば吉原たちの前に立っていた。吉原以外は怪訝な目でこちらを見ている。
そんな中でも、吉原だけはいつもの愛らしい笑顔だった。
「五家宝君、どうしたの?」
俺は返事もせずに、カバンの中からラッピングされた箱を取り出した。ピンクの包装紙に赤いリボンのついたシンプルなものだ。
吉原はまだ理解できていないようで、見当のつかない表情をしている。
不思議な感覚だった。まるで自分の体が操り人形になってしまったかのようだ。ふわふわとして現実感がない。それでも頭は冴えていて、次に言うべき言葉は自然に浮かんできた。
「あのときはお芝居だったけど、いまは違う。だから自分の言葉で伝えたい。――吉原のことしか考えらないぐらい好きだ。ずっと一緒にいたい。付き合ってください」
目をじっと見つめてチョコを差し出す。やってしまったという思いもなくはないが、こうしてよかったという思いのほうが大きい。
周りの女子たちはキャーキャーと騒いでいる。一方で、吉原は突然の事態についていけていないのか視線がさまよっている。
目だけでなく全身をそわそわさせ始めた。その間も俺は目を離さない。たとえどんな結果になろうともそれを受け入れる覚悟を示すかのように……。
混乱がピークに達したのか、吉原は突如固まった。
そして、決定的な言葉を放ったのだ。
「ごめんなさい!」
――俺は無言で走り去った。
次話は2月14日の7時頃に投稿予定です。