バレンタイン当日 後編
「わかったてたよ、わかってたけどさ……。ちくしょおおおおおおおおおおお!!」
あのあと全力で走った俺は、家に帰るとすぐに自分のベッドに飛び込んだ。両親は遅くまで仕事、姉ちゃんはまだ大学で講義がある。家に誰もいないことがありがたかった。
告白したことに対して後悔はない。部長の若干ピントのずれたアドバイスはあったが、最終的にすると決めたのは自分だ。
だけど、16年間生きてきて初めての失恋だ。なんなら初めての恋だった。俺にはそれをすぐに消化できるような力はなかった。
「これが失恋か……。みんなよく恋愛なんてできるよな」
自分でもわかっている。それでも止められないからこその恋愛なのだと。たとえその先に悲しみが待っていようとも。
走っている最中も流し続けていた涙は、枯れることもなく枕を濡らす。
悲しみ、苦しみ、絶望……。色々な思いが混ざり合いながら俺の意識は微睡みの中へと落ちていった。
♪ピンポーン
インターフォンの音で俺は目が覚めた。ふと外を見るともう真っ暗だ。時計をみると6時を少しまわったところだった。
今日は遅くまで誰も帰ってこないので、訪問者に対して自分で対応しなくてはならない。
まだ失恋の悲しみで重たい体を引きずりながら玄関へと向かった。
玄関を開けると雪が積もっていた。どうやら、朝からちらついていた雪が本降りになっていたらしい。宅配便かと思ってハンコを用意していたが、そこにいたのは予想外の人物だった。
「――どうして!」
何を隠そう、さきほど盛大に振ってくださった吉原本人だ。一瞬自分の目を疑ったが間違いない。いつもの明るい笑顔ではなく、何か思い詰めたような顔をしているが吉原だ。傘を差していないので頭に少し雪が積もってしまっている。
「あ、あの――」
「風邪引いちゃうからとりあえず上がって!」
俺は有無を言わさず吉原を玄関に上げた。正直、混乱しすぎてわけがわからない状態だが、女の子を雪の中ほったらかしにするのはまずいだろう。
「とりあえずタオル取ってくるから待ってて」
そう言って引き返そうとした。しかし、それは許されなかった。吉原が俺の服の裾をつかんだのだ。
「――待って」
俺は金縛りにあったかのように動くことができない。
えっ、なにこの状況? さっき告白して振られた女の子が自分の家にいて、しかもなぜか触れ合ってしまっているんだが……!?
実際には裾をつかまれているだけなのだが、緊張も相まって思考も停止してしまった。
「話を聞いて欲しいの。私だけちゃんと言わないのはずるいと思うから」
吉原は言い終わるとそっと手を離した。
俺は恐る恐る後ろを振り返る。そこには見たことがない表情をしている吉原がいた。ここまで真剣な表情をしているところは見たことがない。何か覚悟を決めた者の顔だった。
こんな顔もできるんだなあ。俺はそんな場違いなことを考えながら吉原が話し出すのを待った。
そして、吉原の口から出た言葉はまったく想像していなかったものだった。
「――好きです」
「へ?」
「いや、そうじゃなくて……。いや、間違ってないんだけど違うというか。ええと……」
いま彼女はなんて言ったんだろうか。ありえない一
言を聞いた気がするんだが。
「その、えっと……。ごめんなさい!!」
「まあまあ落ち着いて。ゆっくりでいいからさ」
「はいー……」
そう言って彼女は少し落ち込んでしまった。人間、自分よりうろたえてる人が目の前にいると案外冷静になれるものだ。
しかし、まさか吉原と普通に話すことができるとは……。気まずくて二度と話せないかと思ってたよ。
「えと、順番に、最初から話していくね。五家宝君は文化祭のときのこと覚えてる?」
「吉原が俺の衣装担当になってくれたことだろ? もちろん覚えてるよ」
今までほとんど会話のなかった吉原と話すようになったきっかけだ。それに俺が恋に落ちたきっかけでもある。忘れるはずもない。
「そうそう。そのときに衣装合わせのついでに演劇の練習も一緒にやったよね?」
「ああ、あれは本当に助かったよ。やっぱり実際に相手がいる状態でやるのと、そうじゃない状態でやるのとじゃあ全然違うからなあ」
悪役とは言え、初めて役をもらってうまくやれるか不安だったのだ。そんなことをちょろっとしゃべったら吉原が相手役を買って出てくれたのである。
「『なぜ助けてくれたのですか? あなたには命をかける義務などないというのに』」
その台詞はもちろん覚えている。そのあとに続けてこう言うのだ。
「「好いた女性のためならば命をもかけましょう。自分にはあなたしか考えられない」」
とても山賊のボスが言うような台詞ではない。これは山賊から姫を助け出す騎士の台詞だ。
もちろん自分の役である山賊の練習もしていたのだが、主役である騎士の役もやってみたくなったのだ。それで試しにやったのが先程のシーンである。その後、騎士は困難を乗り越えながら姫と結ばれる。
「最初はね、五家宝君は怖い人だと思ってたの。大きいし、その……、目つきもちょっと悪かったし」
おうふ……。人が気にしていることを的確についてくるな。やっぱり吉原も俺のことを怖がっていたのか。最初に話したときは少し泣きそうだったもんなあ。
「でもね、話してるうちにそんなことないってわかったの。わたしのことを怖がらせないように気を使ってくれてたし……」
なんだこれは……。吉原が顔を真っ赤にしてもじもじしている。かわいすぎるだろおおおおおおおおお。この世には、こんなかわいい生き物が存在していたというのか。
でも、さっき振られたんだよなあ。くっ、さっきまで考えないようにしていたのに……。思い出したらまた泣きそうになってきた。
「それでね、さっきの演技のときにお姫様抱っこされたでしょ? そのときに気づいちゃったんだ。わたしの王子様はこの人なんだ、って。自分でも不思議だけどすごく安心したの」
うわあああああああ。いま思い出しても恥ずかしい。たしかにやりましたとも、お姫様抱っこ。
どうも俺は演技を始めると役に入りすぎてしまうようで、普段しないようなことを平気でやってしまうようなのだ。あのときも、台本に書いてあるわけでもないのに、気づけば吉原をお姫様抱っこしていたのだ。
演技に集中しすぎていてあまり記憶に残っていないのが救いか。でも、彼女の感触を覚えていないのはもったいなかったかもしれない。
いやいや、大事なのはそこじゃない。いま彼女はとんでもないことを言っていなかったか?
すると、後ろを向いて何かごそごそとし始めた。そして、しばらくするとこちらに向き直った。後ろ手に何か持っているようだ。
その顔は真剣ではあるものの、どこか恥ずかしさを感じさせる。その証拠に顔は今日一番赤くなっていた。
そして、衝撃の一言を放ったのだ。
「五家宝君、あのときはごめんなさい。ううん、ありがとう。これがわたしからの本当の答え。受け取ってくれるかな? わたし――吉原杏は五家宝悠介君のことが大、大、大、だーーーーいすきです。だからわたしと付き合ってください」
差し出されたのはハート型の赤い箱。ご丁寧に金色のリボンで飾り付けされている。
静寂が空間を支配する。まるで空間が凍りついてしまったようだ。俺がその言葉を理解するのにかかった時間は10分だったかもしれないし、1時間だったかもしれない。とにかく長い時間が必要だった。
そして、その意味を理解するにつれ俺は事態の重大性に気づくのだった。
「ええええええええええぇぇぇぇぇ」
俺の悲鳴は近所にも聞こえたに違いない。
しばらくして落ち着いた俺は、状況をようやく理解した。
つまりあれか? 今日俺を振ったばっかりの吉原が、わざわざ俺の家にまで来て本命チョコとともに告白しに来たと。もうどうなってるんだこれ。
それでもこれが決して冗談の類でないことは一目瞭然だ。そもそも吉原がそんな冗談を言うとも思えない。
謎は多いが、失恋に終わったと思っていた初恋が成就するのならそれでいいじゃないか。それにいい加減返事をしないと吉原がかわいそうだ。緊張のあまりぷるぷると震えている。
「もちろん、喜んで。こちらこそよろしくお願いします」
「――よかったぁぁぁ」
緊張が解けたのか、吉原は崩れ落ちた。
「だ、大丈夫?」
「うん、ありがとう。ちょっと気が抜けちゃっただけ。あっ、……」
崩れ落ちた吉原を支えようとしたせいで、俺達の体は密着している。顔にいたってはおでこが密着しそうな距離だ。
「吉原……、俺……」
「――うん、いいよ」
吉原の顔がさらに近づいてくる。覚悟を決めて目を閉じた。
その距離はもう1cmもないんじゃないだろうか。そう思った瞬間だった。
――ガチャリ
突然の音に驚いて飛び退いてしまう。吉原は驚いて尻もちを着いてしまった。
「あらー、お邪魔だったかしら?」
玄関のドアから顔出したのは、ニヤニヤを抑えきれない姉ちゃんだった。
最終話は2月15日投稿予定です




