そして春
キビはその日、夢を見た。小さな女の子が絵本を読んでいる夢だった。
絵本の中では、真っ白なタキシードを着た王様と、真っ白なウエディングドレスを着た王女様が、真っ赤な絨毯の敷かれた道に並んで立っていた。たしかこれは、物語の最後。悪い魔女の魔法のせいでずっと会えなかった王様と王女様が、魔女の魔法を乗り越えてようやく会うことができて、2人の結婚式を開いた場面。
キビはそこでようやく、この小さな女の子が自分だということに気が付いた。小さいころに、大好きだった絵本。この絵本は、ガラルドに買ってもらったものだった。王都の、祖母の店に連れてこられるたびに持っていき、ガラルドにせがんで読んでもらった絵本。
それを思い出したとき、いつの間にか小さな自分は絵本を開いたまま誰かの膝の上に座っていた。その誰かの正体に、キビはすぐに気が付いた。それと同時に、小さな自分がその誰かの名前を、幼い声で呼んだ。
「ガラルドさん」
小さな自分を膝に乗せて、優しく、目じりにしわを寄せて笑っているのは、若いガラルドだった。小さな自分は無邪気な笑顔でガラルドを見上げて声を弾ませた。
「キビも、こんなきれいなドレスきて、けっこんしきしたい」
「ああ、きっとステキだろう、じゃあキビは、誰と結婚したいのかな」
ガラルドの問いかけに、小さな自分がにこりと笑った。
「ガラルドさん!」
目を覚ましたキビは、しばらくぼーっとしていた。
懐かしい夢を見た、と思った。あれは夢であり、また、キビの忘れていた記憶でもあった。その忘れていた記憶を夢に見たことで、キビはとても、心がすっきりとする思いだった。
「キビ」
ガラルドが、自分を呼ぶ声が聞こえた。それからガラルドの手に頭を撫でられて、キビは自分が椅子に座りながら寝ていたことに気が付いた。窓際のカウンター席、祖母の、指定席で。少し顔を上げると、ガラルドが隣で自分を見下ろしているのが見えた。
頭を、ゆるりと撫でられたのがわかった。
「採寸やらなにやらで、疲れたな」
穏やかに笑うガラルドに、キビはなぜだか、今見た夢を伝えなくてはいけないと思った。今見た夢を、そして、忘れていた記憶を。
「夢を見たの」
「夢?」
キビはまだカウンターのテーブルに体を預けたまま、少しまどろんだような表情をガラルドに向けてそんなことを言った。ガラルドはそんなキビの頭を、ゆるりと撫でながらその表情をじっと見つめていた。
「小さい頃の夢、大好きだった、絵本を読んでた」
「そう、か」
ガラルドを見つめたキビが、ふわりと笑う。
「ガラルドさんは、覚えててくれたんだね」
そう言ったキビの言葉にガラルドは、返事はしなかった。その代わり、目の端をくしゃりとして笑ってみせた。キビも、それで満足だった。
「どうしてこんなに張り切って、結婚式とか、ドレスの用意をしてくれるんだろうって不思議に思ってた、でも、それは、私がお願いしたことだったみたい」
ふふと笑うキビが、ガラルドの目にはとても美しく、そして輝いて見えた。
「ありがとう」
そして、そんな言葉を口にするキビが、ガラルドには、とても愛おしく感じられるのだった。
だからガラルドは、キビの頭に優しく手を置きながら、ゆっくりとキビの方へ顔を近づけていく。キビの胸が、優しく、とくりと鳴った。それからキビは、静かに目を閉じた。
頬に、柔らかい、唇の感触。それからちくちくとする刺激。キビは思わず笑い声をもらしてしまう。
「ふふ、お髭が痛いよ、ガラルドさん」
ガラルドも、笑ったのが見えた。
それはとても穏やかで、愛しくて、それでいて、とても大切なものを見る顔だった。キビは、ようやく気が付いていた。ガラルドは、ずっと前からそんな顔を自分に向けてくれていたことを。特別なのは祖母へ向けるそれではなく、自分に向けるそれだったことを。
窓の外を、桜の花びらが通り過ぎていく。王都には、また春がめぐってきていた。
そしてここにも、桃の一枝が花をつけている。王都、カフェにて。
(了)