肆拾 昼下がりの惨劇
「貴様ぁ」
ロランの憎しみが形となって口から吐き出され、静まり返った広場に響く。探し求めた異国の男、武蔵の姿が其処にあった。八人もの仲間を斬った憎き敵の姿が直ぐ目の前に。降って湧いたように現れた武蔵に灰狼の団員が思わず目を見張る。誰もが認識する事が出来なかった事実に驚いていた。
誰もが息を呑み静まり返った中を、武蔵はロランに向かって無造作に歩き出した。特に殺気立つわけでもなく、強い魔力を放っているわけでもない。目を爛々と輝かせ嬉々とした表情を浮かべたまま、ただ歩を進める。行く手を阻むように立っていた屈強な灰狼の団員達の列が割れた。
その割れて出来た道を歩きロランの前に立つ。一人として動く者はいなかった。
「俺を探していたのではないのか」
「そうだ、貴様だ。貴様だよ」
武蔵を眼力だけで殺さんとでもする様な凄まじい目つきで睨む。それを平然と受け流し
「その娘を攫うまでもない。此処で決着をつけようではないか。ブリジット」
武蔵はブリブリを抱えて蹲っているブリジットに声をかけると無言で下がるよう示す、殺される寸前までいき命を拾った事で呆けていたブリジットは、武蔵の声で我に返ると瞬時に察して、未だ様子が可笑しい娘を連れて遠ざかっていく。
心得たように屋台の主や客が協力して、あっという間に人込みに紛れ見えなくなった。
灰狼の団員がそうはさせじと動こうとしたが武蔵の目線によって阻まれる。
「これだけの数に囲まれていると言うのに強気だな、異人よ」
人質を取れなかったことに舌打ちしながらも、圧倒的な数の利がロランに余裕を失わせない。こういう場合も想定して残った団員を全て連れてきていた。戦力の逐次投入をするつもりはない。
どんな手を使おうと出し惜しみせず全力で相手を屠る、それが灰狼を率いるロランの戦い方であった。
武蔵はロランの言葉にくくと愉しそうに笑うと
「そのくらいおらなんでは面白くないではないか」
まるで気にする気配もない異人に得体の知れないものを感じる。ひょっとして自分はとんでもない間違いを犯しているのではないか。弱気な考えが頭を過ぎり、それがまたロランの神経を逆撫でた。
「切り刻んで切り刻んで切り刻んで豚の餌にしてやるよ」
己への暗示も込めた腹の底からの悪意の言葉を、武蔵は犬歯を剥き出しにする事で応える。
「私もいます」
緊迫した空気の中、玲瓏な声が観衆の耳に届いた。群集の壁に亀裂が出来、そこから長い金の髪を靡かせた長身の女が颯爽と現れる。衆人の口からおぉと感嘆の声が漏れた。広場にいる人間全ての視線を受けて、美しき森人は武蔵の横に並び立つ。
「お待たせしました、武蔵」
「うむ」
武蔵が短く応じると森人は何時戦闘が始まってもいいように戦う体勢に入る。
「女ぁ、お前は殺さずに手足を切り落としたあと俺が真っ先に犯してやるぜ」
ロランの憎悪と欲望に歪んだ目が森人の肢体を嬲るように見た。その悍ましい視線に反応し、リグテュスは吹雪のような冷酷さと苛烈さを翠の瞳に湛える。
団長の背後にいる灰狼たちも一斉に怒号を上げ始めた。しかし言葉の威勢のよさとは裏腹にロランは仕掛けてこようとしない。
何か策を弄しているのか、時を稼ごうとしているのは明らかであった。
待つのに飽いた武蔵が一歩を踏み出す、と同時に大勢の人間の足が石畳を叩く音が広場に轟く。気に敏感な武蔵は勿論リグテュスもその正体を正確に把握していた。
警吏であった。
街を巡回する五十人ほどの警邏隊が広場の入り口で列を整え、灰狼の団員が開けた道を整然と行進してくる。更なる波乱の予感に見物人からどよめきが起こった。隊を率いる先頭の男はロランの手前で足を止めると、目線を交わした。
「広場で騒ぎがあるとの通報を受けてな」
男の言葉を受けて灰狼の長は蛇のような笑みを浮かべて答える。
「こいつらさ。この異人と森人が客の男を殺しやがってな、いや物騒になったもんだぜ、このバイロンも」
全く悪びれずに話すロランの言葉を聞き、警吏の隊長と思われる三十代の頭の小さな男が地面に倒れた男の亡骸を見た。
「間違いないか」
隊長は大きく距離を空けて眺めていた屋台の主や客達に問うた。見物人の良識を挫くように灰狼の団員達が是と大声で叫びだす。その様子に誰も何も答えられない。隊長は灰狼の脅しを咎めもせず
「なるほど、灰狼の団長殿の言うとおりのようだ。そこの二人には詰所まで来てもらわないといけないな」
険のある目で武蔵を、次いでリグテュスを見ると言った。昨日とよく似た光景が繰り返されていた。そして昨日とは違い武蔵の目が危険な光を帯びる。敏感にそれを察知するとリグテュスは暴発を防ぐべく、武蔵と警邏隊の間に立ち口を開いた。
「貴方は、いえ貴方達は何故この様な狼藉を働く賊徒を放っておくのですか、いや保護するのです?
そこの男性を殺害したのは我々ではない事は貴方方も分かっているのでしょう?警吏の責務は民を護る事です。その中には貴方方の家族もいることでしょう。己の家族を友人を仲間を傷つけられても尚、無法者の側に立つのですか」
リグテュスの言葉に警邏隊の内の何人かの顔が苦々しく歪んだ。当たり前だが全ての隊員が隊の方針を支持しているわけではないらしい。
真っ当な心を持っていれば、幾ら上司の命令と言えど、今迄護ってきたものが破壊されるのを看過する現在の警吏に疑問を持つのは特別不思議な事ではなかった。
森人が言ったように家族、恋人、知人友人が灰狼の暴力の被害にあう可能性も否定できないのだ。いや現実それで何人もの同僚が警吏を辞めて街を出て行っている。その悲劇が自分に訪れた場合、それでも警吏として従うのか、自問する。答えは簡単には出ない。
隊員の動揺を感じ取った隊長は乱れた士気を律するべく一喝する。
「何をうろたえている!!我らはただシャルル様の方針に従っておればよいのだ!!!」
隊員の耳を破壊するかのような怒声が轟く。日頃の訓練の成果か、条件反射で隊員の精神が肉体が引き締まる。苦い表情を浮かべた何人かの警邏も覚悟を決めた顔になっていた。
隊長は満足そうに頷くと力の限り叫んだ。
「戦闘態勢ッ!!!」
隊員が散開し前衛が抜刀、後衛の魔術師達は呪文の詠唱を始める。その様を見ていた武蔵の口が大きく歪む。飢えた獣が餌を前にした昂揚が口元に現れていた。
最早警吏に手を出した後の厄介事など脳裏から吹き飛んでいた。事此処にいたっては止むなしと森人も腰から白銀に輝く細剣を抜き、戦いに備える。本格的な戦闘になると悟った一般の民は、恐怖に顔を引き攣らせ、我先にと避難を開始する。逃げる暴徒となった群集は人を屋台をなぎ倒し広場は混沌と化した。
武蔵の双眸が鬼火の様に燃え盛り、体内で気が駆け巡る。隊長が息を吸い込み戦闘開始の号令をかけようとした、正にその時、警邏隊と武蔵の間に割り込む者があった。
「待て待て待てぇッ!!」
壮年の男が大声で吼えながら走り寄っていた。男の後ろには雲霞の如き冒険者の群れ。灰狼と警邏を足した数よりも尚多い。警邏隊が登場した時以上の轟音が響き渡る。男は乱れた息を整え、警邏隊と対峙すると言った。
「我らは冒険者組合の者だ。もしこれ以上やるというなら我らはこの男につく。見ろ、ざっと百人はいるぞ。それでもやるというならば相手になろう」
警邏隊の隊長、隊員はおろか灰狼までもが突然の闖入者に唖然としていた。屋台広場は灰狼に警邏隊、冒険者の物々しい姿で溢れかえった。新たな展開に逃げるのをやめた市井の民に、騒ぎを聞きつけた命知らずの野次馬まで加わり一帯は騒然とする。
「どうするのだ?」
圧倒的な数の利を背景に冒険者組合の男が凄む。隊長は男と男の後ろで殺気を漲らせて押し黙っている冒険者を一瞥、どの顔にも決死の覚悟が伺えた。今までとは明らかに異なる冒険者たちの気迫に不利を悟ると瞬時に判断を下す。灰狼のために命を懸ける気など更々ない。
「戦闘態勢解除、撤退」
その言葉に驚く灰狼の構成員を余所に、隊員たちは撤退の準備にはいる。前衛は納刀し、後衛の魔術師達は慎重に呪文の解除にかかる。
「おい、何で引くんだ。どうせハッタリだ、冒険者組合の連中に俺達と事を構える根性なんてねーよ」
灰狼の嘲りに、馬鹿には奴らの決意が分からぬらしいと考えながら隊長は答えた。
「では貴様らだけでやるのだな」
「なっ、テメー裏切る気か!?」
隊長は気色ばむ灰狼を無視し、大きな声で隊員を促すと足早に広場を後にした。去りゆく警邏隊の多くの目には安堵と困惑の色が複雑に絡み合って浮かんでいた。声もなく呆然とそれを見送る灰狼の団員。ロランは警邏隊の裏切りにもただ黙って嘱目していた。非常に拙い事態であった。慎重に判断を下さねば己の命に関わり、団の存続にも関わりかねない。
盛者必衰とは言ったものだ。
つい先程まで暴虐の限りを尽くし強者であった灰狼が、今は消滅の危機に立たされているのだから。運命と言う流れの中で、荒れ狂う暴風に巻き込まれた木の葉の様に翻弄されてゆく。その力の前では何物も例外とはなりえない。
残された灰狼へと数多の冒険者の溜まりに溜まった殺意を伴った視線が襲い掛かる。冒険者と言う虎の口に捕らわれた獲物、それが今の灰狼であった。
「ひっ」
怯えが団員たちの間で波の様に広がり、顔にも表れ思わず後退りする。自分たちに逆らえない弱者だった多数の冒険者からの無言の圧力が、覆い被さるように圧し掛かってくる。刻一刻と重くなる空気の中で、全ての団員が団長であるロランの命令を待っていた。警吏と言う後ろ盾を失い、浮き足立った今の灰狼では太刀打ちできないとロランは結論を下す。
「逃げ延びろっ!!!」
ロランの感情を含まない言葉に団員が反応し、脱兎の如く逃げ去ろうと背を向けた瞬間。天を劈く雄叫びを上げながら百人の冒険者が襲い掛かった。
一方的な殺戮だった。闘争ではなく逃走を選択した者の心の間隙を衝かれた灰狼に為す術はなく応戦する事もなく、ただ殺されていった。
「と、投降する。助けてく」
その灰狼の団員に最後の言葉まで言わせず、冒険者の男は手に持った斧で無慈悲に頭を砕いた。同じ光景が其処彼処で見られたが、一人として振りかぶった手を止める者はいなかった。
灰狼が犯してきた悪事の数々の報いが今、訪れていた。断末魔の声が幾層にも重なり地獄の音楽が奏でられる。鎮魂歌はなかった。
やがて殺戮の宴は幕を下ろした。三十人余りはいた灰狼のうち二十人以上が、人としての原形を止めず肉塊に姿を変えていた。冒険者の間にそれ程の怒りが澱の様に溜まっていたのだ。その凄惨さに遠巻きに注視していた市井の民の顔が歪む。女子供、気の弱い大人の口からは吐瀉物が溢れ地面に音を立てていた。今も尚、嘔吐く者が後を絶たない。辺りを甘酸っぱい匂いが包む。
勝ち鬨は上がらず、歓呼の声も湧かない静寂と死の匂いが広場を重く包み込んでいた。武蔵は玩具を取り上げられた子供のような目で、リグテュスは無表情に無機質な光を宿した瞳で屍で埋め尽くされた広場を眺めていた。
冒険者を率いてきた男が仲間からの報告に一区切りつけると、リグテュスへと近づき話しかけた。
「すまん。少し遅れてしまったようだ」
「いいえ、間に合って何よりです」
森人が白銀に輝く細剣を鞘にしまいながら答える。
「これはお主が?」
闘う事が出来ず不服そうにも見える武蔵がリグテュスへと視線を向けた。
「えぇ、このまま警吏に任せていてはこの街の治安は崩壊してしまいます。ここは冒険者組合に代替して貰う他無いと判断しました。領主との取り決めが色々あるようですが、此処まで来るとそうも言っていられません。そう提案したら幸いな事に組合側も同じ事を考えていたので合意致しました」
リグテュスの説明を黙って聞いていた男が好奇心に輝く目で武蔵を見る。
「あんたが今話題の異国人か。聞いたぞ、灰狼の連中を十人近くもやったそうじゃないか。あんたのお陰で奴らの力は大きく削がれた、これで警吏が見放せば最早恐れるに足りん」
男は弾んだ声で、やや興奮気味に武蔵に話しかける。改めて見ると青年にも中年にも見える年齢不詳の男であった。頑丈そうな肉体を持ち、身のこなしに隙の無い中々の兵だと武蔵には見受けられた。
「俺は組合で教務訓練を任されているドニスというもんだ、宜しく頼む」
言って手を差し出してくる。が、それを無視して武蔵はドニスと名乗った男に問うた。
「何故今更になって灰狼と警吏に手向かう気になったのだ」
ドニスは握り返される事のなかった手を頭に手をやり髪を撫でながら、顔を顰めばつが悪そうに答えを返す。
「そう言いなさんな、これで色々と厄介な縛りがあってな。異国から来たあんたには分からんだろうが冒険者組合と言っても戦闘集団というわけではなく冒険者の代弁者と言う側面が強い互助組織に過ぎん。
本来マナ使いってのは独立志向が強く強制されるのを嫌う、力はあれど発言力が弱い、そんな砂粒の個人の彼らを束ね代表して領主や代官と交渉する組織なのだ。
言ってみれば雑事を取りまとめる事務方だな。一致団結して事に望もうとしても命のやり取りに発展しかねない案件で、魔物相手ならともかく警吏と敵対するって事は即ち領主と揉めるって事だ。
冒険者の中にはそれを嫌う者も少なくない。あとあと面倒な事になりかねんからな。だったら別の迷宮都市に行けばいいと考える。そうは言っても最近の灰狼は度が過ぎている、さてどうしたものか」
一旦区切り、森人を見て更に口を開く。
「そんな時に彼女が組合を訪れて自分も力を貸すから対抗しようと言ってくれたのだ。人を引きつけて止まない彼女が立ってくれれば賛同する冒険者も多い、見ろ、百人はいる」
背後を手で示し胸を張る。ドニスの後ろには興奮冷めやらぬ大勢の冒険者が控えていた。
「我々は立ち上がった。灰狼を殲滅する」
百人の冒険者を従えた男の自信に満ちた物言いに灰狼の命運は尽きたかに思われた。




