参拾捌 娼婦
その区画は太陽が昇り人々が活発に動き廻る時間帯にもかかわらず極端に人通りが少なかった。辺りは静まり返っている。どの建物からもあるはずの炊事や生活の音が零れてこない。
廃墟と言う事ではなかった。其処は昼と夜が逆転した世界。大きめで華美の建物が並ぶその一画は夜ともなれば闇夜に光り輝く歓楽街となるのだ。
今は息を潜める、そんな真昼の不夜城に足を踏み入れる男の姿があった。男は勝手知ったる様で目的の場所へと迷わず進んで行く。
大きくも小さくもない赤く装飾された建物の前まで来ると一息吐いてから扉を叩いた。出てきた年増の女と一言二言交わすと女は引っ込み、男は時間を持て余すように佇む。
「誰よ、こんな時間に呼び出して」
暫くすると、くすんだ金髪の其処彼処に寝癖をつけた素朴な顔の女が、欠伸を手で隠しながら裏路地に面した扉から現れる。
白色の貫頭衣のような寝巻きを着用しており、体の線が薄く透け、より官能的な様に男は目のやり場に困った。
哀しいかな雄の習性で目線を逸らしながらも、女体を横目で視界の端に捕らえていた男は、こんな農村で土を耕してそうな女が化粧をし着飾って夜の蝶となり、男を手玉に取るのだから女は恐ろしいなどと考えていた。
女は何時までも口を開こうとしない男を不審げに見る。それに気付くと男は慌てて
「あぁ、申し訳ない。パメラさんですね。少しばかりお時間宜しいでしょうか」
「宜しいも宜しくないも貴方誰なの?」
寝起きで不機嫌を隠そうともしないパメラと呼ばれた女の前には柔和な顔の青年が笑みを浮かべて立っていた。欠伸と同時に出た涙で滲んで見える。
「申し遅れました。私はツィトス。冒険者組合で書記官をしています」
男は胸に手を当て腰を折りながら慇懃に名乗った。女は胡乱そうな目をツィトスと名乗った痩身の若者に向ける。
「冒険者組合が私に何の用なの?」
どうやら身構えさせてしまったようだ、これは失敗したなと思いながら青年は滑らかに舌を廻す。
「警戒する必要はありません。私は貴方にいい話を持ってきたのですから」
ツィトスは自分が利を齎す人間である事を強調する。
「は?この世に良い話なんかある訳ないでしょ。そんな見え透いた嘘見抜けないとでも思った?」
幾度となく同じ様な事を言われその度に痛い目を見てきたのだろう。酸いも甘いも噛み分けた夜の女は露骨に顔を顰め言い放つ。これはまずい、益々悪い方向へ進んでしまっている。青年は破顔していたが心では大量の汗をかき始めていた。
「そうですね。では単刀直入に言います。最近貴方にご執心のオットリーノと言う客がいますね?」
完全に失敗した事を悟り男は全て正直に話す他ないと考えた。女はツィトスを睨みつけ何も答えない。構わず続ける。
「その男からある情報を聞き出して欲しいのです」
「その何とかって名前のお客さんがいるかは置いといて、あたし達の様な女がそういう事するのがどれだけの危険を孕むか分かって言ってんの?」
闇社会に暮らす娼婦は流石に分かっていた。寝物語に聞かされる他愛のない話が時に娼婦などの命よりよほど重い価値を持つ事に。
口を滑らせた事でその対価に命を持っていかれた同僚を何人も見てきた。ツィトスは不信感を最大限に高めた女の顔を正面から見据える。
「パメラさん、最近のこの街についてどうお考えですか?」
突然の話の転換に女は困惑する。青年の顔からは笑みが消え、打って変わって真剣な表情を浮かべていた。
「どう考えって」
「貴方がたのような職業なら一般の人たちよりも敏感に感じるとこがあるのでは?」
青年の言葉に女は暫く無言で考え、やがて答えにたどり着く。
「警吏と灰狼の事を言ってるの?」
「やはりね。日を追う毎に暮らしにくくなってきていませんか」
己の望む答えを引き出せた事に心で安堵するツィトス。
「まだそこまでじゃないけど、でもそうね、昨日も灰狼のクズがお金踏み倒していったわ。もうやりたい放題。この辺取り仕切っていた地回りが灰狼に何人も殺され、挙句に警吏に潰されたわ。警吏も灰狼を取り締まるどころか摘発されたくなかったら袖の下渡せって脅してきたみたいで姐さんぼやいてた、あぁ何か言ってたら腹たってきたわ」
「そうでしょう。もうこの際だからはっきり言いますが今バイロンは存亡の危機に立っているのかもしれないんです」
「え?嘘でしょ」
余りの話の大きさにパメラは目を丸くして素っ頓狂な声を上げた。
「貴方も言っていたでしょう、灰狼と警吏のせいでこの街は少しずつ衰退しています。今はまだ大きくは見えませんがその時はそう遠くない時期に来ますよ。来たらあっという間に崩壊します」
崩壊と言った所で握っていた手を大仰に開き、不安を煽るために些か誇張して話す。冗談を言っているようには見えない青年の話に娼婦は徐々に引き込まれていく。
「それとさっきの話がどう関係してくるの?」
「オットリーノ、知っていますね?」
ツィトスの目が女の瞳を覗き込むように見る。
「いいえ、そんな名前の客はいないわ。私達娼婦に本名を名乗る人は少ないの。万が一何かあるとほら、色々と面倒でしょ」
「なるほど、私が言っているのは豚のような顔と身体を持った男なんですが」
「あぁ。あの人オットリーノって言うんだ。どういう人なの?話振りからして名前だけじゃなく素性も知ってるんでしょ?」
豚と聞いてすぐに思い当たったようだ。娼婦は大きく頷く。
「えぇ、あの男はああ見えて商工組合の出納長でしてね、外見にはそぐわず頭が切れ中々の人物なんですが如何せん口が軽い。機密さえも漏らしてしまうほどにね」
「そこまで分かってるんなら私になんか頼まずに自分たちでやればいいじゃないの」
「それがそうもいかないんです。実は以前に一度口を滑らせた事で私達冒険者組合に利する事がありましてね、それ以来彼は私達に非常に警戒心を抱いているわけなんです」
「へぇそうなの。まぁ当たり前って言ったら当たり前ね。でも分かる、あの人凄く話好きだもの。外見はちょっとあれだけど春を鬻ぐ私達を下に見ず、ちゃんと人として接してくれる珍しいお客さん」
パメラは素朴な顔につくった物ではない自然の笑みを浮かべながら言った。
「そうなんですよ、あの豚の様な容姿からは想像も出来ないほどの紳士なんですよね、酒好き、話好き、女好き、そして愛嬌があって憎めない」
そうそうと言い、にこやかに笑いながら青年の言葉を聞いていた娼婦は真顔に戻ると
「貴方は私にそんな上客を裏切れって言ってるのよ?」
「えぇ、分かって言っています。ですが私が先程言った事は嘘ではありませんよ。警吏は最早この街の治安を護る気はありません、商工組合もね」
パメラは真摯に見つめてくるツィトスから視線を逸らし腕を組むと目を瞑って思考する。やがて目を開け覚悟を決めた顔で男へと言った。
「わたしは何をすればいいの?」
ツィトスは頷く。
「何故、商工組合が警吏と灰狼を放っておくのか話を向けて欲しい。全てはこの一点に懸かっています。事は急を要します、出来うる限り早く」
「それは無理ね」
女の即答に青年の表情が曇る。
「何故です?」
「あの人、私にはオニロットって名乗ってるけど、彼は今この街にいないからよ」
「え?」
思いがけない言葉に間の抜けた声を出してしまう。
「一昨日うちに来た時に、急の用が出来て明朝王都に向かうって言ってたの。朝早くお日様が顔を出す前に出てったわ。急ぎの仕事なのに私に会いに来る暇あったのって聞いたら笑ってた」
「そうですか、これは参ったな」
右手で頭を掻き天を見上げる。途方に暮れた青年を見ていた女の脳裏に思い浮かぶものがあった。
「役に立たないかもしれないけど」
「と言うと?」
「寝物語に言ってたの。何時でも街を出る支度をしておけ。悪くするとバイロンが戦火に包まれるかも知れないって。
冗談でしょって言うと困ったような顔してた。今思えばあれも娼婦風情に言っちゃいけない話だったのかもね」
ツィトスは首肯して続きを促す。
「主流派がどうとか、領主がどうとか、で王都に行くみたいに独り言を言ってたわ」
パメラの何気なく漏らした言葉にツィトスの目が大きく見開かれる。脳天を雷に撃たれたかの様な衝撃が走った。
そうか、そういう事だったのか。青年の頭の中で謎だった欠片が埋まり一つの答えが導き出された。
「ありがとう、パメラさん。貴方のお陰で疑問が解けました、これお礼です、遠慮なく貰って下さい。そして分かっているとは思いますがこの事はくれぐれも御内密に」
「お役に立てたの?」
えぇと勢い良く頷く。ツィトスはずしりと重い革袋をパメラに手渡すと念を押して娼館を後にした。




