14 混乱
3日間の検査とリハビリの間、明希は毎日伊織を訪ね、伊織が入院してからのことをいろいろ話して聞かせた。
「明希、このムーンストーンのことを教えてくれないの?」
「もちろん話すよ。でも、長い話になるから、伊織が退院してからにするよ。きっと驚くよ。」
「ええー、じゃあ、さっさと退院するか。」
いよいよ検査を終えて、伊織が退院してきた。大事を取って、塾の夏期講習はキャンセルし、伊織は自宅で塾の問題集に取り組むことになった。
「お兄ちゃんだけずるい! どうせ明希兄ちゃんと遊ぶんでしょ?」
「違うよ。明希と一緒に勉強するんだ。」
文句を言いながらも、渚が塾に行ってしまうと、家の中はしんと静かになる。明希が来るまでの時間、伊織は黙々と問題集に取り組んだ。
ピンポーン
インターフォンが鳴って、伊織はすぐに立ち上がった。その時、ズキっと頭の奥に痛みが走る。それはほんの一瞬のことで、すぐに治まった。
「なんだろ、まだ本調子じゃないってことかな。」
そう言いつつ玄関に向かうと、明希が照れ臭そうな顔で待っていた。
「来てくれてありがとう。さぁ、上がって。」
「もう、動いても大丈夫なのか?」
「ああ、簡単なリハビリはしたけど、体がなまってる感じはまだ残ってるみたいだから、ゆっくり慣らしていくよ。」
二人は早速伊織の部屋に籠って、問題集に取り組んだ。いつもならすぐに止めたがる明希も、伊織に協力するべく真剣に取り組んでいた。
「あれ? 伊織、どうしたんだ?さっきから全然進んでないみたいだけど。」
「…う、うん。なんだか考えがまとまらなくて。」
「え?伊織、大丈夫?まだ無理をしてるんじゃないか?」
頭を抱えたまま首をかしげる伊織は、何かにあらがうような苦し気な表情だ。
「伊織、ちょっと横になった方がいいんじゃないか?今日のところは、帰るよ。」
「あ、ああ。悪いな。」
返事もそこそこに、伊織はベッドに横たわった。その様子に微かな違和感を覚え、去りがたい気持ちで見つめていると、不意に伊織が明希に向き直って怪訝な顔で言い放った。
「あの、誰か知らないけど、用がないなら僕の部屋から出て行ってくれる?」
「…い、伊織? 何言ってんだよ。…俺が分からないの? 明希だよ?」
伊織は警戒感を露わにして、他人を見るような目で明希を睨みつけた。
「わ、分かったよ。俺は帰るけど、ホントに大丈夫なのか?」
「大きなお世話だ!」
明希はどうしていいか分からないまま、荷物をまとめて伊織の家を出た。おかしい、明らかにいつもの伊織じゃない。明希はすぐさま母親にラインを送り、伊織の母に現状を伝えてくれるように頼んだ。
午後になって、やっと伊織の母が帰ってきた。家の前に座り込んでいる明希を見つけると、慌てて駆け寄ってきた。
「明希君!ずっとそこにいてくれたの?」
「おばさん!伊織が、…伊織がおかしいんだ。朝、ここに来たときはいつも通りだったのに、頭を抱えて辛そうにしてて、心配してたら、誰か知らないけど、出て行ってくれって言い出して。」
「ええ?! 本当に明希君のことが分からなくなったってことなの?一旦家にいらっしゃい。暑いのにこんなところで待っていたら、熱中症になってしまうわ。」
伊織の母に促されるまま、再び伊織の家に戻った明希だったが、冷たい視線で睨まれると、どうしていいのか分からなくなった。
「伊織、どうしてそんな怖い顔をするの。明希君、心配してずっと外で待っててくれたのよ。」
「母さん、どうしてこんな時間に戻ってきたの?忙しくて子供の面倒も見られないって言ってたのに。」
「伊織…?」
母にまで反抗的な目を向ける伊織に、少し考えた後、母は病院に連れて行くことにした。
「明希君、本当に今日はごめんなさいね。今の伊織は、どうやら2年ぐらい前に戻ってしまったみたいだわ。」
「2年前?」
「まぁ、いろいろあったのよ。中学に入った頃から、少しずつ落ち着いてきたんだけどね。あ、そう言えば、明希君と知り合ったころから落ち着いてきたのかもしれないわね。」
「…そう、ですか。うん、今日は、帰ります。でも、何かあったら、絶対教えてください。お願いします。」
明希はぺこりと頭を下げると、伊織の家を後にした。気が付くと、丘の上の展望台に来ていた。ここはいつも爽やかな風が吹き抜ける。しかし、今の明希には、不安をあおる風の様に思えて、すぐに自宅に帰っていった。
2学期に入っても、二人が並んで登校する姿を見ることはなかった。クラスメートたちが明希を気遣うほど、伊織の態度は冷たかった。
冬が近づいたころ、明希は母親に引っ越しを告げられた。
「ごめんね、明希。2年だけだから、あなたには、この家に残ってもらってもいいんだけど、何かあったら心配だし、ついてきてもらえるかしら。もちろんこの家は残しておくわ。たまには空気の入れ替えにも来るだろうし。」
以前の明希なら、一人でもこの家に残ると主張するところだったが、今となってはここに執着する必要もない。明希たちは、少し離れた地方にアパートを借りて引っ越した。
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