第30話:ETERNAL(最終話)
ここまでの長らくのお付き合い誠にありがとうございます。
不器用なふたりがたどり着いた結末を、どうぞ見届けて頂けたら幸いです。
テーブルの上のアイスペールの中で、クリュッグ・ロゼのピンクのボトルが淡く光を反射している。
グラスに注がれたロゼの繊細な泡が、静かに、けれど誇らしげに立ち上っていた。
ソファの隣にぴったりと身を寄せた杏菜の手を、昇吾は優しく包み込む。指先から伝わってくる微かな震えと体温。
「昇吾さん……私ね、ずっと不安だったの。昇吾さんがどこか遠くに行っちゃうような気がして……」
少し縮こまるように肩を寄せ、杏菜はすがるような瞳で昇吾を見上げた。
――ずっと疑心暗鬼だった。俺なんかを本気で好きになるはずがない。重い感情を抱いたら嫌われるんじゃないか。これ以上近づいて傷つくのが怖かった。彼女に寄り添うことすら、「重い」「気持ち悪いと思われるんじゃないか」と怯えていたのは自分の方だ。
激しい周年という戦場。彼女が掴み取った『2位』という成績の裏で、二人がどれほど心身をすり減らし、泥まみれになって駆け抜けたか。それを一番分かっているからこそ、『これ以上わがままは言えない』『私が引き留める資格なんてない』と、先に彼女から身を引こうとしていたことも痛いほど分かっていた。
だからこそ、バカな俺は終わったあとに彼女がくれた「一緒に取った2位だよ、ありがとう」という言葉の裏側にある本当の気持ちを上手く掬い上げられなくてこんなにもすれ違ってしまった。
「ずっと、怖かったんだ」
掠れた声で、昇吾は零した。
「杏菜が俺から離れていくんじゃないかって、見えない敵に嫉妬して、俺のこの重い気持ちが負担なんじゃないかって、ずっと一人で怯えてた。……俺だけが、勝手にこんなに狂おしく杏菜を好きでいるんだって、ずっと思ってた」
「一度は傷つかないように距離を置いて忘れようと思った、でもふとした日常にいつも杏菜がいて言葉に尽くせぬ想いが溢れてくる」
「カッコ悪くても、ボロボロでも、それでも、それでもやっぱり誰にも渡したくない、こんなに好きになった人はいないから、どうしてもその手を掴みたかった」
嘘偽りのない本音だった。たとえ傷つくのが怖くても、この温もりを否定したくなんかない。
「……本当? 私、昇吾さんにすごくわがままばかり言って、困らせてばかりだったから……見捨てられちゃうんじゃないかって、昨日の夜も全然眠れなくて……」
「なら昇吾さん、死ぬまでその手離さないで……」
胸元に顔をすり寄せてくる杏菜の頭を、昇吾は不器用に、けれど強く抱きしめ返す。
「離さないよ、もう二度と……」
「うん……! 私ね、他の誰の前でもこんな弱音吐けないの……。お店のお客さんや女の子の前では強がってばかりだけど、昇吾さんの前だから……昇吾さんの前だからこそ、本当の素顔の私でいられるの……っ」
「そうずっと言ってきたよね、今なら信じてくれる昇吾さん?」
瞳を潤ませ、耳まで真っ赤にして顔を覆う杏菜。その可憐で無防備な仕草に、昇吾の胸の奥が熱く、そして痛く締め付けられる。
計算も、駆け引きも、かっこいい大人の余裕もない。
お互いに疑心暗鬼になって、すれ違って、ボロボロになって傷つき合った果てにたどり着いたのは、あまりにも不器用で、剥き出しの「本音」だった。
「ねえ、昇吾さん……」
「ん……?」
「綺麗事なんて言わない。私は面倒くさいし、不安になるし、すぐ拗ねるし、でも一度も昇吾さんに嘘はついてなかったよ……」
杏菜はまっすぐに昇吾の瞳を見つめた。
見つめ返す昇吾の脳裏にふと浮かぶ
……杏菜と出会ってから、俺の時間はいつも幸せで満たされていた
遠回りしたけど
理屈なんてどうでもいい
やっと言える……
「杏菜好きだよ」
昇吾の真剣なまなざしを受け止め、杏菜は零れ落ちる涙を拭いもせず、これ以上ないほどクシャクシャの、最高に不器用な笑顔を浮かべた。
「……ずるいよ、そんな言い方。私だって、最初からずっと、昇吾さんが好きだったのに……怖くて、言えなかったんだよ……」
お互いが隠していた「孤独な長い片思い」が露になって色や形を帯び始める。
彼女はあふれる想いを隠さない、いっぱいの笑顔で、力強く彼の腕にしがみつき、その胸に顔をうずめた。
優しすぎると輪郭がぼやけて、この思いのはっきりとした形が分からなくなる。
だけど、痛いくらいにぶつかり合ったからこそ、この気持ちが本物だと分かった。
そして、また強がりな小さなその右手も彼の大きな左手を離さない。
必死に昇吾の左手を両手で包み込もうとする彼女の指先が、まだ微かに震えている。
その涙に濡れた瞳とまっすぐに見つめ合った瞬間、迷いなど最初からなかったかのように、その一言が音になって落ちた。
……「杏菜、世界で一番愛してる」
不器用な二人の……
大きな肩と華奢な肩が並んで1つの道へと歩き始めた。
1人では決してたどり着けない、あまりにも長くていびつな道のりでした。ここまで『ETERNAL』にお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
誰かをこれほど深く愛し、そして怯え、傷つき合うことなんて、もう二度とないだろうと思います。
リアルとフィクションの境界線が溶けてしまうほど、私たちの時間はあまりにも濃密に重なり合っていました。
手を繋いで歩くこれからの未来に、もう迷いや恐れはありません。
望むなら、このままふたりでずっと同じ景色を見続けたい。
くしゃくしゃに泣いたあとの笑顔も、不器用な優しさも、すべてがかけがえのない宝物です。
すれ違いの果てにたどり着いたこの場所で、私たちは新しい誓いを結びました。
理由なんて訊かないでください。ただ、この手を二度と離さない、それだけが私たちの真実だから。
指きりをしたあの日の約束が、今、確かな温もりとして形を帯びています。
微笑を浮かべるあなたの隣に、これからもずっと、私がいられますように。そして、最後に「あの夏俺はアンナに恋をした。」
1ヶ月間お付き合い頂き
本当にありがとうございました
皆様に愛を込めて
千筆拓 2026年金風吹く夜に




