④デューク編
久しぶりの追放編です。
「本日をもって、貴方を私の元から追放するわ」
そうアンネマリー姫が言った時、その護衛騎士であるデュークは、
(またか)
と思った。
自分を気に入っているらしい王女の機嫌を損ねて、出禁を食らうのはままあることだったからだ。
だから、
(さて、今回はどれくらいだろうな)
溜息を一つ吐いて、いつものように気楽に構えていた。
王女に振り回される毎日が、すぐにまた、戻ってくることを疑いもせず。
そんなデュークに届けられたのは、国印の押された、第一騎士団への転属の知らせだった。
以前から希望していた部署への異動、という望外の待遇で。
「折角の栄転なのに、初日で謹慎だって?馬鹿だなぁお前」
城の兵士寮で、同室のトマスが呆れたような顔でこちらを見て言う。
配属早々に待っていたのは、アンネマリー王女殿下の婚約が決まったという知らせだった。
その為に、周囲の騎士を女性に入れ替えた、というのが、今回の異動理由として周知されているところだった。
けれど、平民出のデュークが、かつて姫君の指名で護衛騎士に任ぜられた経緯は城内では有名で、今回その任を解かれたとあって、同僚達のやっかみや好奇の視線を受けるのは、仕方のないことだった。
『おい、“元”護衛騎士サマ』
下品な笑みを浮かべた複数の同僚が、訓練場で自分に近づいてきた時、デュークは、さっさと帰っておかなかったことを後悔した。
『お前を気に入っていたお姫様は、どうせお前を侍らすのに飽きたんだろう?次は婚約者である隣国の王子様がその相手ってわけだなぁ』
そう言って下卑た笑い声をあげる同僚の頬に、気付けば自分の拳がめり込んでいた。
別に大したことのない、さらりと流せばいいような軽口だったのに。
「お前、ずっと姫様の護衛辞めたがってたじゃん。忙しすぎるってさ。デートする時間がないっていう理由で、彼女に振られ続きだったろ?」
薄い金茶の髪がどこか軽薄な印象のトマスが、訓練のために身支度を整えながら言う。
彼の務める第二騎士団は、今日は自主訓練だったはずだ。
「……あの日、」
「うん?」
ブーツの紐を結び終わったトマスが、踵を馴染ませるように打ち付けて、荷物を持って立ち上がる。
「姫様は……自分の結婚のことなんか、一言も言わなかったんだよ」
だからいつものように一時的に、王女の部屋を出禁になっただけだと思っていたのだ。
その言葉を聞いたトマスが、呆れと、少しばかり憐れみの混ざった視線を寄越す。
「それはお前、好いた男に、お前に、嫁に行く自分を見られたくなかったんだろうよ」
知らぬ間に少し、うつらうつらとしていたらしい。
部屋の扉を叩く、小煩いノックの音で目が覚めた。
部屋での謹慎を言い渡された以上外出も出来ず、やれることといったら筋トレか、寝ることくらいしかない。
左右も上下も、住んでいる若い兵士達は皆、勤務のために出払っていて、この時間の寮は大体、人の気配もなく静まり返っている。
そんな静けさを打ち破るように、無遠慮なノックがまだ響いていた。
そのしつこさに観念して扉を開くと、そこにいたのは、こんな所にいるはずのない人物だった。
「姫、さま」
「遅いわよデューク、手が痛くなってしまったわ。もしかしてまだ寝ていたの?」
人除けの為かストールをぐるりと被った、アンネマリー姫がそこに居た。
随分久しぶりに、彼女と会った気がした。
実際にはあの追放宣言から、たった二週間くらいしか経っていないのだが。
けれど五年前に護衛騎士に任命されて以来、こんな風に、会わない期間はなかったことに気付く。
(背が少し、伸びたのか)
緩く編まれた淡い鳶色の髪も、白い額も、何一つ変わっていないようでいて、でもどこか、初めて彼女を見るような新鮮な印象だった。
最近まであまり見たことのなかった、フリルをぐっと抑えた藍色のドレスも、その一因であるのかもしれない。
そのドレスのせいか、いつになく大人びた、王女らしい姿に見える。
「こんな所まで、何をしにいらしたんですか?」
物珍しそうに視線を動かしながら、けれど叩き込まれたマナーから、はしたなくきょろきょろするようなことはせず、デュークが勧めた椅子に大人しく収まっている少女に尋ねる。
その椅子も、部屋に一脚しかない、寮に備え付けの簡素な椅子だった。
椅子だってまさか、一国の姫に腰掛けられようとは、思いもよらぬことだろう。
「貴方に用事があって来たのよ」
「……私は追放されたとばかり思っておりましたが」
「だからこうして訪ねてきたのよ。追放した相手に、会いに来いとは言えないものね」
ああ、この口調と不満顔は、何も変わらない。
国の外にも評判の可憐さは見た目だけで、その可憐な口から放たれる他愛ない癇癪に、どれだけ振り回されてきたことだろう。
(俺を追放したのは自分だろうに)
それこそ、追放の宣言だってもう何度目だったろうか。
『もう部屋に入って来ないで!デュークは金輪際、私の部屋からは永久に追放よ!』
そう言われて部屋を締め出される度、少女の機嫌が治るのを、通りすがる城の使用人達に生暖かく眺められながら、廊下で気長に待っていたものだった。
扉越しに、時に宥め、時に突きつけられた条件に狼狽え、時にうんざりしながら。
姉と妹のいるトマスにはよく、『お前は乙女心が分かってないからなぁ』と呆れられるくらいには、それが日常だった。
「騎士団でのこと、聞いているわ……ごめんなさい。貴方をただ、希望の部署にと思っただけだったのだけれど。私が軽率だったわ」
軽率というなら、今まさにこの状況こそがそうだろう。
王女を廊下に立たせておく訳にもいかず、招き入れるしかない状況だったが、一兵士の、それも男の部屋に立ち入ったとあっては、王女の貞操問題にだって成りかねない醜聞である。
デュークは、閉まった扉の横に静かに立っている、この数年で馴染みになった、アンネマリー付きの栗色の髪の侍女を睨みつける。
城について熟知している優秀な彼女なら、人目につかず、この兵士寮に忍び込むことは容易いだろう。
けれど、時に姉のようにアンネマリーの癇癪を諌めることもある彼女が、このような暴挙に手を貸しているとあって、共に姫を支えてきた同僚としては、裏切りのようにすら感じられるのだった。
(大事な姫様だろうが)
彼女はそんなデュークの視線にたじろぐこともなく、ただ平然と、扉の横に控えていた。
目の前の、椅子に座るアンネマリーは、自分の部屋の中で明らかに異質だった。
艶々と輝く髪も、白い手も、その豪奢なドレスの生地も。
使い古された床の木目と、薄汚れた天井にはあまりにも不似合いで。
自分の日常の世界には、彼女は高貴すぎるのだと、改めて目の当たりにする気分だった。
(ここだって、まだ城の中には違いないのにな)
彼女と自分が住まう世界は、こんなにも違うのだ。
「貴方をずっと振り回してきたでしょう、それも謝りたかったの。ごめんなさい。……それから、今までありがとう、デューク」
震える声と、それでも真っ直ぐに自分を見つめる茶色の瞳を受け止める。
あの日から、そう自分に伝えるまでの少女の葛藤が分からないほど馬鹿ではない。
兵士一人に会うために、王女が、こうしてこんな場所まで会いに来る覚悟も、ちゃんと分かっている。
これは彼女の、あの日言いたかった別れの言葉なのだ。
自惚れでなければきっと、彼女の中の自分への好意を、彼女自身が精算するための。
ずっと自分に向けられていた少女の気持ちが、ただの子供の好意ではないことくらい、疾うに気付いていた。
物語であれば、姫に望まれた兵士が、その護衛騎士となって結ばれる、そんな展開もあるだろう。
けれどデュークは、自分の実力をよく解っている。
自分の剣技は決して筋は悪くないが、国一番と呼ばれるようなものではない。
物語のように、武功を立てて求婚者としての資格を得るなんてことは、戦火のない今の世では難しい。
デュークが誇れることと言ったら、人より若干要領が良く、少しばかり派手な容姿をしているくらいだった。
貴族の養子になるような伝もなければ、アピール出来る能力も将来性もない。
もし仮にそれが叶ったところで、現実的には男爵家くらいが席の山だろう。
それくらいの爵位ではとても、王女の相手が務まるような身分でもない。
逆に彼女が、王女という身分を捨てて、平民である自分のところまで降りて来てくれたって、それを自分は、きっと背負い切れないだろうと思うのだ。
一人で風呂に入ることもない、靴だって自分では履かない、数カ国語を解し、貴族の教養であるダンスと楽器に精通し、茶会で紅茶の産地を飲み分けるような淑女が。
そんな彼女が、市井の暮らしに馴染む訳がない。
穴が空いた靴下を、不器用に繕って履くような、そんな庶民の生活を彼女は知らない。
それに、
(そんな生活に染まる彼女を、見たいなんて思わない)
それに今、こうして彼女がここに来られるくらいには、自分は各所から、彼女の相手として警戒すらされていないのだ。
(ほいほいこんなところに寄越しやがって)
せめて彼女に、幼い恋心の始末をつけさせてやろうという周囲の思惑が、透けて見えるようだった。
(俺も……姫様も、馬鹿にしてる)
あまりにも無鉄砲な少女の行動と、姿の見えない、様々な何かに、この状況への苛立ちが募ってくる。
そうしてふと、この状況を裏切ってやろうかと、不遜な気持ちが一瞬湧いてくる。
いつもよりもずっとしおらしく、目の前に座っている小柄な少女を引き倒して、ここで既成事実の一つでも作ったら……彼女が傷物になったら、何かが変わるだろうかと。
けれどここで引き寄せて抱きしめたところで、物語のように、運命がうまく回り始めるなんてことはない。
愛を確かめ合った恋人達が、身分を超え、周囲に祝福され、幸福になる未来なんてものは、物語の中にしか存在しないのだ。
そんなことをすれば、ただ余計に、彼女の未練になってしまうだけだろう。
「では、失礼するわ」
その潤んだ瞳から、涙が溢れ落ちることはなかった。
そのことに、少女自身が一番安堵しているような気がした。
侍女に向かって一つ頷くと、侍女が、周囲の様子を伺うためだろう、扉を少しだけ開いたまま、そっと部屋を出て行った。
いつもは誰彼となく手を借りる少女が、軋む椅子から、一人で席を立つ。
それはこんな部屋の椅子ですら、王宮の居間であるような優雅な所作だった。
(どうして)
どうして、彼女は“姫”なのだろう。
目の前にいるのは、自分と変わりないような、ただの一人の少女であるはずなのに。
どうして出逢ってしまったのだろう。
どうして、互いに何の興味も湧かないような、そんな相手じゃなかったのだろう。
「姫様」
これが最後だ、という予感があった。
目の前の少女と、こうして目を合わせる機会は、きっともう二度と巡ってこない。
そんな彼女に、自分が差し出せるものなんて何一つない。
この身も、言葉も、気持ちも、差し出したところで、この現実を何ら変えることなんて出来やしない。
けれど、せめて。
「俺はもう、誰かの専属騎士にはなりません。軍で、国を守るために剣を振います。もう誰にも、剣を捧げることはありません」
こちらを振り返った少女の表情は、見たことがないものだった。
大人びた藍色のドレスの裾が、その動きに合わせて静かに翻る。
「本当?」
なんて素朴な問いかけだろう。
まるで小さい子供のような、マナーも威厳も、高貴さを全て取り去って、言葉の意味が信じられないと言うような、期待と願いがないまぜになった問いかけ。
そんな彼女を見ていたら、自分の方が、泣いてしまいそうだった。
その込み上がってきた衝動を、奥歯を噛んで耐える。
「約束、します」
自分が差し出せるものは、こんな寄るべない、ただの不確かな約束だけなのだから。
「何で俺、王子じゃないんだ」
あの後、部屋で呆けていた自分を、訓練から帰ってきたトマスは、何事かを見て取ったのだろう、いつものように馴染みの酒場に連れ出した。
謹慎中の外出に、勤務時間外は含まれないだろうという屁理屈を言いながら。
そうしていつになく早いペースで杯を重ねて、ようやく絞り出した言葉がそれだった。
唐突な、夢みがちな少女のような発言を聞いたトマスは、呆れるでも笑うでもなく、
「うーん、お前はさ、そもそも王子とか貴族とかには向いてなさそうだよなぁ。それにお前が王子だったら、こうして飲んだり出来ねぇし」
なんていつになく、真面目に答えてくるのだった。
多分、トマスの言う通りなのだろう。
たとえ一国の王子という身分があったところで、必ず王女の結婚相手に選ばれる訳ではないし、かえって国同士の関係次第で、出会う機会すらなかっただろう。
彼女が姫で、自分が国に仕える騎士だったからこそ、出会ったのだとも言える。
「お、珍しいものあるじゃん?」
酒場の「今日のオススメ」と書かれたボードを見ながら、トマスが何かを注文している。
そうしてテーブルに置かれたのは、酒場には似つかわしくない、欠けた白い皿に乗った、素朴な見た目のアップルパイだった。
「ほら、お前の好物だろデューク」
王都より北の方にあるデュークの故郷は、林檎の産地として知られている。
だからどんな貧しい家庭でも、それぞれの家で、独自のレシピで作られるアップルパイがあるのだった。
『デュークの故郷は林檎の産地でしょう?アップルパイが美味しいって、本で読んだわ』
午後のお茶の時間だった。
テーブルに並んだ幾つもの菓子の中から、林檎のタルトを取り上げて、アンネマリーがそう言ったのだ。
『そうですね、でも城のそれとは結構違うので、姫様も驚かれると思いますよ』
崩した言葉遣いは、少女に請われたものだったが、侍女長には何度かお小言を食らったものだった。
部屋の外で詰められる自分を、元凶である少女が気まずそうに、扉の内側から覗いていたのを思い出す。
いつも無茶な注文で自分を困らせては、その後で必ず、気まずい顔をしていたのを知っている。
『保存食であるジャムを使うことが多いので、めちゃくちゃ甘いです。城のジャムはあっさりしてますけど。でもあの甘ったるいくらいの味じゃないと、食べた気がしないんですよ』
『いいわね、いつか食べてみたいわデューク。絶対よ』
そう言って笑うアンネマリーは、類まれな美しい相貌であることを除けば、ただの、ちょっと我儘な、年下の少女でしかなかったのに。
一口、口に入れたアップルパイは、こんな場末の酒場でも、故郷の味とは似ていない、洗練された王都の菓子だった。
あの暴力的な甘さを、彼女が味わう日はきっと永遠に来ないだろう。
「……何で俺だったんだよ、何でだよ」
「そこんところはなぁ、姫様はそこそこ、男を見る目はあると思うぞ」
「お前が姫様の何を知ってんだよぉ」
「めんどくせぇな、酔っ払い」
何で結ばれもしないのに、互いに惹かれ合ったりしてしまうのだろう。
もっとお互いに、興味など持てないような相手だったら良かったのに。
「ちょ、お前、泣いてんの?」
「泣いてねぇよ」
彼女は、自分を忘れるのだろうか。
今日の別れで、この自分への気持ちはもう吹っ切って、婚約者に気持ちを向けるようになるのだろうか。
そのことが……こんなにも辛いと思う気持ちを、いつか笑えるようになるだろうか。
それでも、届けられない思いの代わりに、幸せになってほしいと望むくらいは許されるだろうか。
「ほら呑め食べろ、姫様の成婚のパレードは、一緒に見に行ってやるから」
「……慰めてんのか、抉ってんのかどっちなんだよ」
ああ、これが失恋なのだと、ふと自分の中で腑に落ちた。
これは恋だったのだと、今気付いたのだ。
俺のために国を捨てて欲しいとか、そんなことは言えやしないし、言う覚悟だってない。
いつか立派になって迎えに、なんていう矜持もない。
だからこれは愛なんて立派なものではない。
けれど確かに、恋だったのだ。
煽った酒が喉を焼くのを感じながら、笑い声がさんざめく酒場の、ランプが明滅する歪んだ視界に目を閉じて。
この恋心ごと、脳が焼き切れてしまえばいいのにと思う。
どうか、彼女の未来が、全て幸福であるように。
頬を伝う涙をそのままで、ただ、祈った。
身分を越えて、結ばれたいと思うくらいの想いとは、どんなものだろう。
個人的に、読み物としての悲恋というのが、悲しくてあまり読めないのですが、ファンタジーとはいえ、どうしてもそこを突破できませんでした。




