③エルスペス編
追放って一体どこへ?
「本日をもって、お前を国外へ追放する」
自分にそう告げるエリック第一王子の声を聞きながら、エルスペスは頭を垂れた。
その言葉の前に語られたエルスペスの悪行…王子の婚約者候補の一人である男爵令嬢へ、自身が行っているらしい虐めの数々、その令嬢が怯えていることからの追放処分エトセトラ。
その他にも色々と喋っていたようだが、それらは全て瑣末なことである。
やってもいない冤罪に対しての釈明や申し立て等、無駄口を叩くつもりは一切なかった。
けれど唯一、エルスペスには聞かねばならぬ事がある。
スッと顎を上げ、豊かに波打つ自慢の黒髪を背中に流し、侯爵令嬢として培った全てでエリックの顔を見据える。
「追放については承知いたしました。それで殿下、私の追放先はどちらでしょうか?」
エルスペスの問いに、長広舌を振るって満足したらしいエリックが口を開く。
「罪人とは言え、私の婚約者候補であった其方だ、その誼で特別に教えてやろう」
告げるのが余程嬉しいらしく、聞かずとも答えんばかりの様子だった。
普段はエルスペスに言い負かされているところを、いつもと違い、殊勝な態度のエルスペスに、気が大きくなっているのもあるだろう。
それが何故かということには思い至らぬのが、見目ばかりが高貴なエリックらしい。
「隣国のオードウェルだ。国境門までは見張の騎士が連れて行くから逃げられぬぞ」
「オードウェルでございますか…。殿下、恐れながらそれは難しいかと」
「なんだと?罪人風情が選り好み出来る立場だと、」
「いいえ、そうではございませんわ」
ちらりとエリックの横に控えている側近の者に視線を移す。
エリックと然程歳の離れていない青年は、恐らく、婚約者候補であったエルスペスのように、側近候補として選定中の者だろう。
茶色の髪の柔和そうな相貌が、今は強張った表情を浮かべている。
「どういうことだ、トマス」
「は、恐れながら申し上げます。ラングレイ侯爵令嬢様の仰る通り、オードウェルは難しいかと存じます」
「何故だ?理由を言え!」
気分を害した様子でイライラと、エリックがトマスに詰め寄っている。
「はい、オードウェルは先日、我が国と国交を回復したばかりでございます。このタイミングでの追放者の受け入れは、その…少し、障りがあるかと」
要するに、こちらの願い事をするには関係が浅いのだ。
トマスの言葉に一応察したのだろう、エリックが短く唸る。
「そうであったな。あの国はこれから寒さがキツくなる故、罰には丁度良いと思ったのだが。では西のランガはどうだ?」
この国の西に位置する大国である。
オードウェルとは違い、暑さの厳しい、砂漠を有する国だった。
「…恐れながら殿下、ランガも難しいかと存じます」
「なんだと?」
「あの国からは先月、通行税を引き上げると通達を受けております。それについての抗議を、我が国が正式に出している最中かと。あまり事を荒立てない方が良ろしいのではと存じます」
大人しそうな見た目のトマスだが、臣下として言わねばならぬと覚悟があるのだろう、イラつく王子を前にして、怯まぬ態度は立派であった。
国の外交に関わる部分は父王の領分であるから、エリックも強くは出られないはずだ。
このエルスペスの追放劇自体が多分に、愚かな王子の独断だろうから。
「ううむ、ではその隣のバーレイはどうだ?あそこは小国だろう?」
確かにバーレイは、我が国よりも領土の狭い小国である。けれど、
「殿下、バーレイは来月姉姫様が嫁がれる国でございます。罪人を押し付けたとあっては、この慶事に水を差すようなことになりませんでしょうか」
「くっ、そうであったな」
この国では、女子に王位の継承権が認められていない。
エリックの姉である、聡明な第一王女殿下が国外へ嫁がざるを得ないことは、この国にとって多大な損失であった。
エルスペスは、目の前の王子によく似た面差しの、美しい友人の姿を思い浮かべる。
幸い、王女の婚姻相手であるバーレイの王子は聡明で、良く出来た人間性で知られている。
友人の未来が明るいことだけは救いであった。
「通達をするからややこしいのだ!南の小国のいずれかの、国境付近の森にでも、適当に捨て置けば良いではないか」
「恐れながら殿下、他国へ無断に自国民を放逐したとあっては、国交のある国であれば非難の的となりましょう。そうでない国には、要らぬ火種を撒くことになりかねません。あの辺りは先日、国境線を巡ってまた衝突があったばかりですから」
南に連なる小国は、小国同士でその領土を巡り、絶えず小競り合いが頻発している。
そこへ首を突っ込むのであれば、それ相応の火種を被る覚悟が必要だろう。
場合によっては周辺国にまで、漁夫の利を狙った簒奪の意思あり、とも取られかねない。
「なんと言うことだ…それでは、一体何処へ追放すれば良いのだ!」
堪えきれずにエリックが声を荒げるが、先程から、トマスはなんら間違った事は言っていない。
人一人を他国に捨て置くと言うのは、そう簡単なことではないのだ。
国境を通過する為には、それぞれの国毎に定めたルールや、場合によっては入国税も発生する。
明確な理由のないただの旅行者には厳しい国もあるし、国境門前で、許可が下りない場合だってありうる。
そしてエルスペスはただの平民ではない。
この国でも指折りの、伝統ある貴族家の令嬢なのである。
それも第一王子の婚約者候補とあっては、スパイであるとも受け取られかねない。
形ある人間を一人、他国へ追放するということは。
実際には、面倒臭いことこの上ないのである。
けれど、ここでエルスペスの追放を諦めさせる訳にはいかないのだ。
(絶対に、追放していただかなくては)
国王の不在を待っていたのはエリックだけではない。
全てこの日の、この瞬間を待っていた。
「いずれ王となられます、エリック王太子殿下に申し上げます。最後に、不肖の婚約者候補であったエルスペス・ラングレイより、奏上させていただきたく」
「許す、申してみよ」
いつも勝気なエルスペスの、言葉の白々しさには気付かぬエリックが、にやにやと笑みを浮かべて答える。
その隣ではトマスが、怪訝な面持ちでこちらを見つめていた。
その目には、こちらの言動に緊張している様子が窺える。
そう、未だ王太子でもないエリックが、この国の王となる未来など一生来ないことを、きっと彼も分かっている。
「殿下の広き御心に感謝いたします。恐れながら追放先に一つ、心当たりがございます」
「何だと?何処だそれは」
「アイゼンヴァルドでございます」
「アイゼン…何だその国の名は、そのような国があったか?」
顔を少し伏したまま、エリックの問いにエルスペスは答える。
「ご存知ないのも無理からぬことです殿下。先ごろ先王が斃れ、国の名が変わったばかりの小国でございます。政情も不安定故、長らくこの国と国交もございませんでした」
「何故その様な国を其方が知っている」
「屋敷に亡命者がおりました故に。このことは陛下もご存知でいらっしゃいます」
昔、誰かが言っていた。
詐欺の論理では、真実を偽らないのがコツなのだと。
その亡命者が何者であるのか、この場ではただ、口にしないだけ。
「その者の縁者として口利きを頼みます。亡命先からの帰還であれば、恐らく、許可も下りるかと」
「むぅ…、しかし罰を受ける当人の提案を入れたとあってはな…示しがつかぬのではないか?」
眉間に皺を寄せたエリックが、傍に立つトマスの方を見遣る。
些か強張った面持ちで肯首した青年が、慇懃に言葉を継いだ。
「恐れながら殿下、ラングレイ侯爵令嬢様のご助力なくば、解決せぬ問題かと存じます。…国王陛下のご帰還まで、あまり時間がございません」
最後に付け足された言葉は、気の利いた一押しだった。
僅かに視線を上げてトマスを見れば、静かな灰色の瞳と視線が交わる。
その瞳の中に、ある種の憐れみと同志のような連帯があるのを、束の間、互いに認め合った。
「そうか、では仕方が無い。エルスペス、すぐにそのように手配致せ」
「承知いたしました。では殿下、愚かな私がその命令を違えぬよう、この場で書面になさるのがよろしいかと」
「確かにそうであるな。トマス、すぐに用意を。王子の印章も持って参れ」
「はい、承知いたしました」
こちらの意図を悟っているであろう優秀な青年が、すぐに文書作成に取り掛かるのを、エルスペスは内心で喝采を上げながら見守っていた。
彼が今後、この国で進退に迷うようなことがあれば、その時はきっと助力してやろうと心に誓って。
「という訳でこの国へ参りましたの」
「その王子馬鹿なの?」
追放の経緯を話し終えたエルスペスの前で、話の途中から渋面を作っていたディートがそう言い放った。
甘い顔立ちのディートが不機嫌な顔をしていると、それだけで何とも言えない迫力がある。
「傑作じゃねぇか。是非その場で見ていたかったものだ、なぁディート」
そしてその後ろで爆笑しているのが、このアイゼンヴァルドの国王陛下である。
黒髪の美丈夫が豪快に声を上げて笑う様子は壮観だった。
今回の訪問で初めてお会いした王は、国の重積を担う者とは思えぬほど、陽気で気さくな方だった。
そして何よりも目を引くのがその若さである。
先ごろ、長年悪政を敷いていた前王家が斃れ、代わりに王として立ったのが、まだ齢二十五歳のガレルド・レオ・アイゼンヴァルド国王であった。
民と共に戦ったという王は臣民と距離が近く、旧来の王家らしい威厳や伝統は塗り替えられて、何とも庶民的な王家の誕生となったのだ。
あの国では殿上人のような王家も、この国では王座に座るだけの代表のようだった。
「馬鹿の顔を見る趣味はありません。まぁ、その馬鹿のお陰でエルが国を出られたのは良かったですが」
相手が王でも遠慮の無い、ディートの口の悪さは相変わらずだった。
遠縁であったラングレイ家へと亡命して来たディートとの出会いはもう十年前、二人が八歳の頃のこと。
その頃から少女のように可愛らしかった幼馴染は、一年ほど前、最後に会った時よりも随分背が伸び、体つきや顎のラインに甘さがなくなっていた。
今はこうしてアイゼンヴァルドの中枢で、若き王の右腕となって働いている。
「何はともあれ、ラングレイ侯爵令嬢に来てもらえるとは。我が国にとっては僥倖だな」
「恐れ入ります、私のことはどうぞエルスペスと」
「エルスペス嬢本当に良いのか?うちは今、何もかもが足りていない。きっとお前にも、色々と担ってもらうことになるだろうよ」
面白そうに、若き黒髪の王が尋ねてくる。
「ええ、構いません。問題を解決するのは得意ですの」
エルスペスが、あの国でエリックの婚約者に内定していた理由がそれだった。
幼い頃から、父の仕事の手伝いや、令嬢達の派閥争いの中で、逆境であればあるほどエルスペスの手腕は光る、というのが大人達の中で評判となっていた。
そうして決まったのが、成長ごとにその足りなさが目立ってきた、第一王子の穴埋めとしての婚約である。
婚約者候補が集められていたのは建前で、内内にはもう、エルスペスがそうなるのは決まっていたことなのであった。
けれど実際にエリックと相見えて、エルスペスはこれは駄目だと悟ったのである。
脆い砂の上に、堅牢な城を築いて何になるだろう。
自国への愛があればこそ、エルスペスの力で無能な王を立てる訳にはいかないのだ。
「今頃あちらは青い顔をしているだろうな。有能だと評判の姉姫を失って、弟王子達もまだ幼い、さてこれからどうなるか」
くっくっと笑うガレルドは楽しそうだ。
そんな主人を横目に見て、ディートが冷静な顔で告げてくる。
「エル、とりあえず帰化申請を進めよう。あの馬鹿の書状にどれだけ効力があるか分からないから、少しでも早い方がいい。まぁ一番早いのは婚姻だけれど」
「ああ、それはいいな、結婚しておくといい」
にこやかに同意したガレルドが、この地を平定したその威厳でもって、
「ディートリヒ・ラウグナーに婚姻を命ず。エルスペス嬢を迎える為に、望みの爵位と領地をやろう。今は好きな所が選び放題だからな」
それは確かに、思わず地に伏したくなるような偉大なる王の命令だった。
「ディートリヒ・ラウグナー、しかと承りました」
「エルスペス・ラングレイも承りましてございます」
前王家の血を引くディートとしては複雑だろうが、その辺りはきっともう、この王の下で働くにあたって、すでに飲み込んでいるに違いない。
顔を上げてこちらを見たディートは、僅かに頬を赤くして、昔の、まだ幼かった頃の様な笑みを浮かべていた。
それはまさに、画家が絵に残したいのはかくやと言わんばかりの美貌ぶりだった。
過酷な運命故か、いつだってどこか斜に構えた幼馴染が幸福であるなら、
(嬉しそうだから、良しとしましょう)
全ての憂いを吹き飛ばすような豪快な主人を戴いて、この混沌とした国でやれることをやっていこう。
「ガレルド陛下、実は一人、優秀な文官で推薦したい者がおりますの」
エルスペスの家族が移住してくる頃にはきっと、自分はラウグナー夫人となっているだろう。
冤罪からの追放と、愛娘への仕打ちを決して許さない様子の家族達に、あの場で一役買ってくれたトマスへの計らいは頼んできた。
彼がどう返事をするかは分からないが、あの時の、諦めが混ざった視線を思い出す。
(運命を嘆くのはまだ早くてよ)
聡い彼のことだ、沈みかけの泥舟と運命を共にするよりも、自分の力で漕ぎ出す大海の方がきっと魅力的だと気付くだろう。
トマスがアイゼンヴァルドに来たら、あの時のことを笑って話そう。
そして追放された令嬢は、自らが選んだ地で堂々と、この上なく、幸福になってみせるのだ。
追放について真面目に考えたらこんな話になりました。




