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新訳・エジルと愉快な仲間  作者: ロッシ
第四章【創世記】
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希望

「ねぇね。」


バーバラが遠くの丘を指差した。

ルイーダはバーバラの方へと歩み寄ると、彼女を抱き上げた。

特に優れたところもないが、人里から程よく離れたとても落ち着いた土地で、気候も安定している。

天災で荒れる事も滅多にないし、何よりも、その特徴の無さが人を引き寄せる事がなく、平穏な暮らしを送るにはとても適した場所だった。


丘の上に土煙が舞うのが見えた。


まだちゃんと人差し指だけを立てることもままならず、親指も中指も一緒に同じ方へ向いていた。

それでもバーバラは一生懸命に丘を指差した。


土煙が次第に大きくなっていくにつれ、地鳴りにも似た振動がルイーダ達の足元を揺さぶった。


「ねぇね!」


「こわいよぉ!」


園庭で遊んでいた子供達が一斉にルイーダの元に駆け寄り始め、彼女の足元にしがみつくよつに身を寄せた。

ルイーダは子供達の頭を順に撫でた。



土煙の正体は、五頭だての小さな騎馬隊だった。

騎馬隊は園庭の外に馬を止めると、全員が馬を降りて兜を取った。

腰丈程の低い柵越しに、先頭に立った騎士が頭を下げた。


「ルイーダ様でいらっしゃいますか?」


ルイーダは無言で頷いた。


「あぁ、間に合った。」


騎士はその場に立て膝を付くと、深々と頭を垂れた。


「ルイーダ様。我が主が貴女にお会いしたいと申しております。ご同行願えませんでしょうか。」


ルイーダが振り返ると、孤児院として使われているあばら家の入り口に佇んだ、初老の女と視線が絡んだ。

女院長はルイーダに微笑みかけた。

それが返答だとルイーダは受け取った。
















「貴女が。」


男はルイーダの姿に目を留めると、玉座から立ち上がった。

灰色の髪、灰色の髭を長く伸ばした壮年の男。


「貴女のお話しは伺っています。こちらへ。」


男は分厚いマントを翻し、玉座の間を後にした。



ロビーに降りると、階段の裏手へと回り込み、正門とは反対側へと向かった。

階段に隠れた裏口を抜けると、そこには裏庭が広がっていた。


「貴女はお分かりですか?」


それは国王の城の庭とは思えない程に荒れ果てていた。


「この国は、貴女のお陰で生まれた。」


否、手入れをしていないと言うべきか。


「そして貴女のせいで壊れた。」


うっそうと下草が生い茂り、背の高い木々が視界を遮った。


「一人の王が貴女を求めた。」


扉を通り抜け、数段の低い階段を降りると、そこはもう森の中だった。


「その結果、王の手は血に染まった。」


その夜は、月がとても大きい夜だった。


「王は貴女を求めたが、血に染まった手では貴女に触れる事は出来ないと悟った。」


一歩踏み出すと、足元のリンドウの花が淡い光を放った。


「そして王は、求める道を失った。」


もう一歩踏み出すと、また違うリンドウが光を放つ。


「貴女が何故いなくなり。」


ルイーダが迷わないように、導いているかの様だった。


「貴女が何をしていたのか、誰も知り得ない。」


畦道を進み木々の間を通り抜けた時、突然視界が開けたかと思うと、目の前には巨大なドーム状の温室が現れた。


「ただ一つ、分かるのは。」


ドームの中は外界と打って変わり、色とりどりの光を放つ短い下草だけが繁っていた。


「貴女が側にいてくれたなら、未来は変わっていた。」


その中央。

月の光に照らされて、静かに佇むのは、みすぼらしい小さな小屋だった。


「こちらです。」


歩を進める度に、草むらから朧げな光を纏った羽虫達が舞い上がっては消えていく。

小屋の前に立つと、小さな木戸を軽く叩いた。


中から誰かの声が聞こえる。

そんな事はなかった。



戸を開けると、小屋の中は手狭ながらも、裏庭に広がる森とは異世界の如く、綺麗に手入れが行き届いた、清潔感溢れる空間だった。

何の匂いかも分からないが、仄かに香る甘い匂いが鼻をくすぐった。


一間しかないその部屋には、小さな釜戸。

一人用のベッド。

オーク材とおぼしき衣装ダンス。

そして、中央には小綺麗なテーブルとイス。


一人用のベッドには、一人の年老いた男が横たわっていた。

身体中から肉はこそげ落ち、骨と皮だけになった男は、それでも息をしていた。


ルイーダは男の枕元に静かに近付いた。


男はルイーダに気が付いた様で、うっすらと目を開くと、深く息を吸い込み、

そしてゆっくりと目を閉じた。


「ヨハン。」


ルイーダの声が届いたのだろう。

男は満足そうな表情を浮かべた後、それきり、動かなくなった。





「私の名はフランツ二世。この国の王です。」



ルイーダは、枕元に膝を付くと、ベッドから男の手を取り出して、そっと握った。



「これは先王である私の亡き父と、初代王妃からの最期の伝言です。」



ルイーダは干からびた男の頭をゆっくりと撫でた。

その安らかな眠り顔は、子供の時と何も変わらない、穏やかな表情だった。



「貴女が作り、貴女が壊したこの国で、滅びゆく最期の時まで、この国を見守っていて下さい。」









旅人の酒場は町のスラムに大昔からある、勇者達の集まる酒場だ。

ある時代には、魔族と戦う戦士達が仲間を募る為に集まり、

そしてまたある時代には、他国からの侵略を防ぐ為に雇われた傭兵達の安息の場となり、

いつの世も、人々に安らぎを与えてきた。


人は噂する。

何でも、ここの主人はこの国が誕生した頃から生きている、不老不死の魔女らしい。

いやいや、この国を昔から護ってきた守護聖人だ。

しかし、本当の事は誰も知らない。



ヨハンの死を看取ってから数百年。

もはやルイーダの犯した罪を知る者はほとんどいない。

かろうじて創世記の伝説として、王族が所有する書物に記されているのみだ。

ルイーダは今日も薄暗い裏通りに看板を出し、旅人を迎える。

きっと、今日看板を出さず、そのままずっと出さなくても、誰もルイーダを咎めたりはしないだろう。

しかし、それでもルイーダは看板を出し続ける。

これが自分に与えられた罰なのだから。



「おはよう。ルイーダ。いい朝だね。」


隣に住む、恰幅の良い主婦が話し掛けてきた。


「おはよう。」


ルイーダは手を振りながら主婦に近付いた。


「そうだ。お向かいのお家、赤ちゃん生まれたの?」


「あぁ!昨夜、無事に生まれたみたいよ。男の子だってさ。」


「そぉなんだぁ。良かったねぇ。」


「あんたもべっぴんさんなんだから、早いところ良い人見付けて子供を作りなよ。」


「んー。まぁ、私なんか相手にする酔狂な人なんて滅多にいないからさぁ」


「まーた謙遜しちゃってぇ。」


「ところでさ、赤ちゃんの名前、なんていうの?」


「えっと、確かなんだか珍しい名前だったねぇ。ほら、あそこの奥さん、異国の出身だからさぁ。」


「そっか。出身地の言葉で名前を付けたのかな?」


「えーっと、なんて言ったかなぁ。うーん。あっ、そうそう!

その男の子の名前はね、


【エジル】


って言うんだって!」





新訳・エジルと愉快な仲間

おしまい。

これにて第四章【創世記】は終了です。

ここまでお読み頂きありがとうございました。


明記した通り、これはエジルとルイーダが住む国が誕生するまでの物語です。

そして、人間の歴史が記され始めた頃を描きました。


ルイーダはエジルと出会うまで、長い長い時間を待ち続けてきました。

そうしてようやくエジルと出会い、彼女は救われるのです。


もし可能であるならば、再度、第一章から振り返ってみて下さい。

また違った感覚でお読み頂けるのではないかと思います。




そしてこれで【新訳・エジルと愉快な仲間】は完結致します。

ですが、ルイーダの生きた年月だけ、物語は生まれます。

スピンオフという形で、またお目にかかることがあるかもしれません。

その時はどうぞ宜しくお願い致します。


長い間お付き合い頂き、本当にありがとうございました。

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