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新訳・エジルと愉快な仲間  作者: ロッシ
第四章【創世記】
71/84

父と息子

「来たか。」


森から村へと続く畦道をヨハンが歩いて来るのを見付けると、男はゆっくりと腰を上げた。


「父さん。」


ヨハンの父だった。


「なんだ?その長い筒は。」


父の名はリヌスと言った。

痩せ細った貧相な男で、狩りでも農作でも、何をやらせてもあまり上手くなかった。

ヨハンの生家が貧困に喘いでいたのは、一重にこの父の不甲斐なさが原因と言っても過言ではない。

ヨハンは母の血が濃く発現していたようで、父とはあまり似ていなかった。

リヌスは内心、ヨハンは自分の子ではないのではないか?といった不安を抱えていた。

だから時にヨハンに冷たく当たった。

しかし、前の晩の出来事が、リヌスの心境を大きく変えるきっかけになっていた。


「何しに来たの?」


ヨハンは父の前で立ち止まると、ぶっきらぼうに言った。

流石にこの態度は気に障るものがあったが、ここで怒っては元も子もない。

自分は何の為に息子を待っていたのかをよく思い返すと、ゆっくりと口を開いた。


「お前が何をするのか、教えて欲しい。」

「え!?」


あまりにも意外だった。

ヨハンは思わず、思わず食い気味に声を上げた。

昨晩、ルイーダを殺すとまで宣言していたこの父が、ヨハンに教えを乞うとは。


「そんなに驚くことないだろう!」


「え、いや。ごめんなさい。

でも、だって。」


「あー、なんだ。

いや、なんだ。

そうだな。

なんだ。」


その父の態度に、ヨハンは思わず吹き出した。

未だかつて、こんな父は見たことがなかった。


「笑うな!

あれだ!お前が何をしようとしているのか知らなければ、それが良いものなのかどうかも分からんだろう。

それにだ、もしお前が上手くやり遂げた時、村の連中にも説明せねばならん。

俺には、せ、せ、せ・・・。」


「責任?」


「そうだ!責任がある!」


「分かったよ。

じゃあ、これを見せるよ。」


ヨハンは背中に背負っていた筒にくくりつけた紐から頭を通すと、筒を手に持ったまま、畦道から外れた木陰を指差した。


「あそこにしよう。」



木陰の下に移動した二人は、筒の中から大きな紙を取り出すと、下草が濡れていないか念入りに確かめてから、丁寧にそれを広げた。

紙にはびっしりと村の見取り図が描かれており、どこにどう水道を通すのかが明確に書き込まれていた。


「大体だ、水道とは何なんだ?」


「ええと、そうだな。

俺達は今、毎日川まで歩いて水汲みに行くでしょ?

畑に撒く水や、家で使う水も全部。

毎日時間が掛かるし、一人が運べる水の量なんて、多くても桶ふたつくらいだよね。

もし、川が村の中を流れていて、水を汲みに行く必要が無くなれば、もっと畑仕事をする時間も増えるし、畑も乾かないからもっと作物が収穫出来ると思わない?」


「まぁ、それはそうだな。」


「だからね、まずは川から村の中まで、小さい川を作るんだ。

それから、その川を更に小さく別けて、皆の家の一軒ずつに水が流れるようにするんだよ。」


「なぁ、川は丘の下を流れてるだろう。

水が通る為に溝を掘ったところで、水は丘を昇れないじゃないか。」


「そこでね、これを使うんだよ。」


ヨハンは筒からもう一枚の紙を取り出すと、見取り図の上に重ねた。


「これはサイフォン式水路って言って、ルイーダに教えてもらったんだけど、水を低いところから高いところに流すことが出来る仕組みなんだ。

この水路を川から村へ作って、ついでに濾過も行えば、綺麗な水を村へ引けるんだ。

この装置は本当にすごくて、重力を利用して水を引き上げて、元の位置より高い位置に通すことが出来るんだけど・・・・」


「おい、ヨハン。

俺にも分かるように説明しろ。」


「うーん。まぁ俺も完全に原理を分かってるわけじゃないんだけど、つまりはこの水路を段にして作って少しずつ丘を昇らせるってことなんだよね。」


「あぁ、そうか。

何となくは分かった気がするが。

お前はこれをあの魔女から教わったのか?」


「ルイーダは魔女じゃないよ。」


「あいつは一体何者なんだ?」


「よく分からない。でも、本当にとても長い間生きてるのは間違いないらしいよ。

子供を食べてはいないみたいだけど。」


「そうなのか。

なぁ、ヨハン。

お前はあの魔女と一緒にいたいのか?

俺達家族よりも、あいつのことが好きなのか?」


リヌスの言葉に、ヨハンは顔を上げた。


「だからルイーダは魔女じゃないって。

俺はルイーダが好きだよ。」


リヌスの表情が曇った。


「でも、父さんや母さん、皆と比べるなんて出来ない。

俺は父さん達のことも大好きだ。

ただ、今はルイーダに色々なことを教わりたいんだ。

たくさん色々なことを覚えたら、その時こそ家に帰りたいと思ってるよ。」


「それはいつだ?」


「分からない。

いっぱいいっぱい知りたいことがあるから。」



リヌスは肩を落とした。

知りたい?知りたいとはどんな気持ちなんだ?

リヌスには理解出来なかった。


「ねぇ、父さん。

父さん達は、なんでルイーダのことを恐がるの?

なんで魔女なんて言うの?」


「それは・・・・。」



答えられなかった。

思いもよらない質問だ。

森の魔女は恐い。

そうとしか思ってこなかった。

なんでだろうか。

今更ながら考えると、確かにその答えは無かった。


「俺も初めは恐かったよ。

でも、ルイーダのことをちゃんと知ったら恐くなくなった。

多分ね、よく分からないから恐いんだと思うんだ。

全然知らないから、理解出来ないから、だから恐いんだと思う。

そしたらさ、やっぱり知るべきなんだよ。

分かろうとするべきなんだよ。

分かれば恐くなくなるんだから。」



それは、リヌスが今ここに、ヨハンに会いに来た理由と同じだった。

リヌスはヨハンを知ろうと思った。

だから待ち伏せして、ヨハンに会いに来た。

知りたい気持ちとはこれのことか。

これがリヌスの気付きだった。



「俺にもルイーダのことが分かれるのか?」


「うん。きっと分かるようになるよ。

だってさ、もう父さんはルイーダのことを知りたいと思ったじゃない。

俺ね、村の皆にもルイーダを知って欲しいんだ。

それに、ルイーダにも皆のことを知って欲しい。

そしたらルイーダだって、皆のことを恐がらなくて済む。

皆と仲良く出来る。

そしたらさ、そしたらさ、村の暮らしが安定したらだけど、俺、いつかここに学校を作りたいんだ。」


「がっこう?」


「そう。ルイーダが言ってた。

皆が集まって、色んなことを学べる場所なんだって。

ルイーダが皆に色んなことを教えてくれて、皆が色んなことを学ぶんだ。

だからさ、俺、ルイーダの凄いところを皆に知って貰うために頑張るんだ。

それに学校があれば、俺だって家からルイーダに会いに行けるしね。」



ヨハンはにっこりと笑った。


リヌスはそっとヨハンを抱き寄せると、彼の頭を顎で抱え込むようにしてきつく抱き締めた。


「ヨハン。

昨日は本当にすまなかった。」


「いいよ。」


「今度、ルイーダにも謝らないとな。」


「うん。俺がルイーダを連れてくるよ。」


「ああ。お前ならきっと連れて来られるな。」







ヨハンの住む島は、海抜の高い台地のような地形をしていた。

海岸のほとんどは崖で囲まれており、一部に入り江が形成され、そこがフランツ達のキャンプとなっていたのは前述した通りだ。

内地に進むにつれて標高は高くなっていき、島の中央には大きな山がそびえていた。

その山を囲むように、広大な森が広がっていた。

南東側は海岸まで森に覆われていたが、北西側は森が途切れ草原に変わり、平坦な土地が崖まで続く。

西から南側にかけては緩やかな傾斜となっており、傾斜の下には山から湧き出る川が回り込むようにして西の海岸まで流れていた。


ヨハンの村は、丁度その森と草原の境目に位置していた。

東側は森に、北側は草原に面しており、南西側には川が流れる格好だ。

言い換えれば、村は川から見て丘の上にあたる。



ヨハンは川の縁に立ち、村を見上げた。

まずはルイーダの描いた水路の設計図と実際の地形を見比べていた。

川から村までの距離は、ヨハンの大股の歩幅でおよそ200歩と言ったところか。


「よし!やるか!」


ひとり、自分を鼓舞するように掛け声を上げると、ヨハンは手近に転がっている石をどかし始めた。






「お前の息子は本当にそんなことをやるつもりなのか?」


村のはずれ。

川縁でひとり黙々と作業に没頭しているヨハンを見下ろしながら、話をする姿がふたつ。

ひとつはリヌス。

もうひとつは、向かいに住むパオロだった。


「あぁ。

残念ながら俺には出来るのかどうなのかも分からんがな。」


「水が丘を昇るものか。」


「だが息子はそう言っている。」


「夢物語だ。」


パオロは村で最も建築に長けている男だった。

村に家を建てる際、ほとんど全員がパオロに助けを求める程だ。

特に何かを学んでいるわけではないが、感覚的にそういった事柄に対して人より敏感だったのだ。

経験でより良い素材を学び、より良い技法を編み出す。

何かを専門的に行って収入を得るという習慣のないこの村ではただの手伝いに過ぎないが、職業というものが生まれつつある他の地域であれば、間違いなく職業として成立する特技だった。


「水が昇るかどうかは置いておいてだ、あの川から村まで路を引くのには大体どのくらい掛かるものなんだ?」


「期間か?」


「ああそうだ。」


「そうだな。

まぁ図案があるらしいから、その辺の手間は省けるとしても、ひとりでやるなら気の遠くなる日にちが必要だろうな。」


「大体でも分からんか?」


「やったこともない仕事だぜ?分かるかよ。

それにヨハンは家を作ったことあるか?

初めて物を作るんだ。余計に時間も掛かるだろう。」


「そうか。」


リヌスは肩を落としながら、ヨハンと交わした会話を思い出した。






「ヨハンよ、俺にも手伝わせてくれ。」


「え?ダメだよ。」


「何故だ?」


「何故って、この騒ぎの先導者は父さんなんだよ?

言い出しっぺの父さんが、誰よりも早く手伝うって、それで巻き込まれた村の皆が納得すると思う?」


「そ、そうか?」


「そうだよ。

父さんは、最後の最後まで認めん!って言ってて、頑張ってる俺達に何かトラブルがあった時に颯爽と登場して助けてくれるってのが相場なんだよ。」


「そ、そうなのか。

だが・・・。」


「本当に今は動いちゃダメ。

父さんの沽券や立場に関わるから。

大丈夫。明日の朝になれば、フランツがたくさん食料を持って来るから。

そうすれば村の皆が手伝ってくれるよ。

完成間近になったら助けてね。」


「それだ。

あの男、そんな食料なんて用意出来るのか?

むしろ、ちゃんと戻ってくるのか?

信用ならないだろう。」


「来るよ。絶対にね。

そっちの方が水道よりも自信あるよ。」


「なんで言いきれる?」


「フランツはね、そういう人種なんだ。」





(俺はどうしたらいいんだ。)

ここへ来て、自分があまりにも無知で無力なことを痛感していた。



「まぁ、好きにやらせてやったらいいんじゃねぇのか?

そのうち根を上げるさ。

そん時にゃ魔女を処刑して、それで終わりだろ。」



パオロの言葉に、リヌスの鼓動は一気に跳ね上がった。

自分のせいで息子を窮地に陥れてしまった。

そしてそれを助けることもできない。

(俺は何をやっているんだ。)

もし、息子の大切にしている人を死なせでもしたら、自分は一生息子には顔向け出来ない。

たったの半日前の出来事は、リヌスの心に暗い影を落としていた。






フランツの一団が到着したのはその日の深夜だった。

その夜は丁度満月で、真夜中でも森はほんのり明るく照らされていた。

実に十台もの荷馬車が、ルイーダの小屋へと続く畦道に居並んだ光景は圧巻だった。

その荷馬車のそれぞれが満杯に食料品を積み込んでおり、まるではるか遠くの山脈を望んでいるかのようだった。

荷馬車に仲間を残し、フランツだけが小屋の木戸を叩くと、すぐにルイーダが現れた。

ヨハンは既に寝入ってしまったらしい。

ルイーダが外に出ると、そこには小さな少女が立っていた。

年頃はヨハンより少し上くらいだろうか。

ルイーダの姿を見付けるとフランツの背後にすっと隠れたが、フランツに促されて小さい声で挨拶をした。


「私、ダニエル。」


「ダニエル。私はルイーダ。宜しくね。」


ルイーダが手を差し出すと、ダニーはフランツの背中から飛び出してきて、ルイーダの耳に向けて背伸びをした。

ルイーダもそれに対して姿勢を屈めた。


「すっごい綺麗だね。」


内緒話のように小さな声で、ダニーが囁いた。


「あなたも可愛い。」


ルイーダが微笑んだ。


フランツの仲間全員と挨拶を交わした後、一台ずつ積み荷を確認して回り、最後にフランツから一枚の紙を受け取った。


「これは明日、ヨハンが書くのでいい?」


「ああ、構わないさ。」


「今晩はどこで寝るの?」


「大丈夫。僕ら全員、荷馬車で寝るのには慣れてるよ。」


「そう。ダニエルだけでも中で寝かせてあげて。」


「それはありがたいな。

ダニー、ルイーダに着いて行きな。」



ダニーが小屋に入るとすぐに、なんとも言えない良い香りが鼻をくすぐった。

奥にベッドがひとつ。

その足元に、床に直に敷かれた毛布にくるまって寝ている子供を見付けた。


「あの子がヨハン?」


「ヨハンを知ってるの?」


「うん。フランツから教えて貰ったの。」


「仲良くしてあげてね。」


「うん。」




ルイーダに渡された毛布にくるまって、ダニーも横になった。

それを見届けると、ルイーダは燭台の灯を吹き消して、自分もベッドに横たわった。



(ずっとね。)





つづく。

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