商人
ヨハン達の住む島は、世界の南の果てに位置していた。
ここから更に南に下ると、極寒の地が待つ。
その手前。
暑くもなく、寒くもなく、常に温暖な気候に覆われた、生き物が暮らすには最適な場所。
今はまだ、その気候に甘えて進歩を止めた人々が暮らすこの島は、ほんの少しのきっかけで、大いなる繁栄がもたらされるだろう。
フランツは確信していた。
昨晩、ヨハン達と別れた後、フランツは夜通し馬を走らせていた。
フランツの馬は、彼の生まれ故郷の東側、広大な草原が延々と続く土地で育った、長い時間を走るのに適した種で、長旅を続けるフランツには唯一無二の相棒だった。
フランツは馬に家族と同様の愛を注いでいた。
馬もそれに応え、フランツの無茶な要求にも誠心誠意で走り抜いた。
朝日が昇り始めた頃、フランツと彼の馬の前に、大きな帆船の姿が現した。
「おーい!フランツー!」
甲板の上から、初老の男が手を振っているのが見えた。
周囲を絶壁に囲まれた島の沿岸で、船が接岸出来る場所は多くはない。
何日間か探してようやく見付けた入江が、フランツとその仲間達のキャンプとなっていた。
船の前で馬を止めると、甲板の男に一礼をした後、フランツは急ぎ荷をほどいた。
優しい手つきで馬の鬣を撫でて労をねぎらうと、世話係の少女に愛馬を預けて船へと駆け込んだ。
本来であれば二百人近い人を収容出来るその船には、フランツの家族を含め、四つの世帯、合わせて二十人が乗り込んでいた。
その二十人が世界を相手に交易を行う、言わば故郷の顔役だった。
膨大な量の物資を積み込むため、極力人員を減らして少数精鋭で活動する彼らは、この現代で最も富と叡知を持った頂点に立つ者達と言っても過言ではなかった。
フランツはヨハンから預かった袋を携えると、脇目も触れずに彼らの長役の部屋へと向かった。
船尾の先に位置する場所に船長室はあった。
重厚なオーク材の扉を前にすると、大きく息を吸い込んで、戸を叩いた。
「入れ。」
室内から、扉より数倍も重厚な声が響いてきた。
再び息を大きく吸い込むと、意を決して扉を開けた。
「早かったな。」
外海を一望出来る大きな窓を背に、こちらもまた分厚いオーク材を切り出して作られた机を前にして腰を下ろす男が言った。
がっしりとした、巨大な体躯。
フランツとよく似た灰色の髪を長く伸ばし、前髪の一本までまとめあげて後頭部で留めていた。
フランツ同様に日に焼けた肌。小さいながらも力のある鋭い瞳。どっしりとした太い鼻の下は口髭で覆われており、さながら獅子のごとき風貌だ。
男は何やら書き物をしていた手を止めると、顔を上げてフランツを見据えた。
視線が絡んだだけで、フランツは身が縮こまる思いだった。
「随分と予定が違うな。何かあったのか?」
男は背もたれに身体を預けるよう座り直すと、腹の前で手の指を組み合わせながら言った。
「すまない。兄さん。
まずはこれを見て欲しい。」
フランツはヨハンから預かった袋を机の上に乗せた。
「これは?砂か?」
フランツの兄は袋を引き寄せ、中を満たす白い砂を一掬い手に取ると、手遊びのように弄んだ。
「味を。」
フランツの言葉を受け、手に残った砂に舌を付けた。
太い眉がピクリと動いたのが見てとれた。
「なるほど、これは珍しい。
どこでこれを?森の集落でか?
何故こんなたくさんの量を手に入れられた?」
フランツは事の成り行きを話した。
ヨハンのこと、ルイーダのこと、村のこと。
そして昨晩のこと。
見てきたことを包み隠さず話した。
自身が負ってきたヨハンからの依頼のことも、全てを話した。
フランツの兄は話しを聞き終えると、表情は崩さぬまま、長く蓄えた髭を撫でた。
一拍だけ間を置くと、
「ふむ。
経緯は分かった。
フランツ。
ミーティングルームに全員集めろ。」
こうフランツに命じた。
全員召集。
それは、この一団の今後を左右する決め事を議論する時のみ発動される、最高会議だ。
一切の妥協は許されない、全員一致の意見が採択されるまで行われる会議。
フランツがこの会議に参加したのは人生で過去、二度。
そのいずれも、議案が決定されるまで実に丸三日掛かった。
「待って下さい!兄さん!
話しを聞いていたでしょう。
明朝には食料を届けないといけないんです。
採択を待つ時間は無いんだ!」
「フランツ。
お前、事の重大さを理解していないのか?
二十人とその家族がしばらく食べられる食料だと言ったな。
それはこの船の積み荷の半分近くを放出すると同意だぞ?
お前は仲間全員に死ねと言えるのか?」
「だから説明したでしょう。
この砂糖と交換です。
こいつなら、その量の積み荷と交換しても余りある程の価値がある。」
「確かに、こいつは珍しい。
価値もあるだろう。それは認める。
だがな、俺達はまだこいつの本当の価値を確かめたわけじゃない。
まだ市場に出しもしてないこいつが、本当にコショウの倍の価値を持つのか?
もしそこまでの価値が無ければどうなる?
少し冷静になれ、フランツ。」
「それはそうですが、僕達は長い間世界を回ってる。
今までこんな物見たことがありますか?
世界中のどこにも無いこの珍しい物に、価値を付けるのは他でもない僕達じゃないんですか?」
「そうだ。
こいつの価値は俺達が決める。
だがな、その価値で納得する相手がいれば、の話だろう。
それを確かめるまではこいつの価値は俺達の独りよがりでしかない。」
「これに食料をいくらでも出す人は必ずいるでしょう!
それは今までの僕達の経験が一番分かってるはずです!」
「フランツ。
お前は何をそんなに熱くなっているんだ?
そうまでしてその集落で起きてることに拘る理由はなんだ?
その魔女とやらか?」
「確かにあの魔女は魅力的だ。
でもそうじゃないんです。
僕が、僕が信じたいのは、」
「ヨハンとか言う子供か。」
「ええ。
口では到底説明出来ないですが、あの子には必ず何かが起きる。
これから先、あの子との取り引きが必ず僕達にとっての得になる。
僕にはそう思えてならないんです。」
「俺達にはそういう直感が本当に重要なものだ。
だがな、今回ばかりはリスクが大き過ぎる。
簡単に首を縦には振れない。
それは分かるだろう?」
「ええ。」
「それでも、お前はこの賭けに乗れと言うのか?
「ええ。」
「分かった。
お前にそこまでの覚悟があるのなら、」
フランツの兄は机に両肘をつき、身を乗り出した。
「お前が全ての負債を負え。」
その目付きはおよそ実の兄とは思えない程に冷淡で、鋭く尖っていた。
これが世界を相手に渡り歩く集団の長の瞳だ。
己の利益と仲間の利益に一切の妥協はない。
「この砂糖がお前の要求する物の価値を下回った場合、お前の目論見が外れて乗員に被害が出た場合、それによって組織に損失を与えた場合、その負債の全てをだ。」
しかし、もとよりフランツもそのつもりだった。
兄の言うことは全て承知している。
その全てを背負わなければ、到底この任務は遂行できない。
全てを承知した上で、兄の部屋を訪れた。
「分かりました。」
フランツははっきりとした声で答えた。
「いいだろう。親父を呼べ。」
フランツと兄が船倉で積み荷を物色し始めてしばらくすると、船上からフランツに手を振った初老の男がやってきた。
フランツや兄と同じ灰色の髪は前から半分はげ上がり、同じく日焼けした顔には幾重にもシワが刻まれていた。
フランツよりも少し小柄なその男は、とてもフランツの倍の年数を生きているとは思えない程に逞しい肉体を持っていたが、それとは裏腹に非常に飄々とした物腰だった。
男が二人の父親。
この組織を立ち上げた張本人。
名をヨッギと言った。
「どうした?ゲルトや。
お前が儂に用があるなんて珍しいの。」
「まぁな。
ちょっと内々で事を進めたい事案をこいつが持ってきたもんでな。
親父の助言が必要だ。」
「ほっほっ。
儂はもう隠居の身だから、そう頼られても困るんじゃがの。」
「すまんな。
悪いがこれを見て欲しい。」
ゲルトがヨハンの袋を床に置くと、ヨッギはすぐに中の砂の味見を行った。
それが何なのか、ほぼ一瞬で勘づく感性には二人ですら舌を巻く程だ。
「ふむ。
甘い味を付ける調味料か。
こりゃとんでもない発見じゃな。」
「親父はこの価値をどう見る?」
「そうじゃな。
こいつがコショウや塩と違うのは、全員が必要な物ではないってことじゃな。
食料の保存に役に立つとは思えんし、言わば、生活に余力のある者の嗜好品と言ったところか。
買い手は少ないじゃろうな。」
その言葉に、フランツは落胆を隠せなかった。どうしてこうも上手くいかないのか。
落胆と同時に、苛立ちが沸き上がった。
「じゃがの、だからこそ都合が良い。」
ヨッギが悪戯っぽい表情でフランツを見やった。
「他の者と違う物を欲しがるような酔狂な連中が相手じゃ。
いくらでも要求を飲むじゃろうな。
こちらも気兼ね無く足元を見てやれるってもんじゃろ。」
「なるほど。よく分かった。
では、もう一つ聞きたい。
俺はこの袋の砂糖を担保に、ここの食料の半分をフランツに貸し付けるつもりだ。
妥当だと思うか?」
「ふぅーむ。
まぁこの量じゃて、その位なら元は取れるじゃろうな。」
「よし。ならば決まりだ。
親父、貸し付けの帳簿を付けてくれ。
それから借用書も忘れずに頼むぞ。」
「ほっほっほっ。
こき使うでないわい。」
「兄さん。父さん。
ありがとう。」
「勘違いするなよ。
もし親父の見込みが外れた時はお前の負債になるんだからな。」
「そうならないよう祈りますよ。」
「そうしろ。」
長の座は退いたと言っても、ヨッギがこの船に強い影響力を持っていることに変わりはなかった。
物資運用の決定権は長であるゲルトが持つものの、その管理はヨッギに一任されていた。
また、こういった物の価値を鑑定する際や、今後を大きく左右する状況に直面した際のヨッギの眼力は、組織にとって大きな指針となっていた。
二人が一人でこの組織の長。
いつかこの二人に追い付きたい。
フランツの野望だった。
それからは忙しくなった。
搭載していた荷馬車の全数を用いて、慌ただしく荷造りを始めた。
乗員のほとんどが協力し、急ピッチで作業は進められた。
「ねぇねぇ、フランツ。
今度はどこ行くの?」
フランツがブロック状の干し肉を荷馬車に乗せていた時、猫撫で声で彼に話しかける者があった。
「なんだ、ダニーか。」
フランツは素っ気なく答えた。
「ひどぉーい。」
そんなフランツの態度に気を悪くすることもなく、少女は笑いながら作業を続けた。
「すごい荷物だね。
フランツ、大きなお仕事なの?」
「まぁね。」
普段は馬の世話係をする少女が、フランツに恋心を抱いているのは誰が見ても明らかだった。
実際のところ、フランツの娘であってもおかしくはない年齢のこの少女の気持ちは、大人への憧憬だろう。
故にフランツもさして相手にすることはなかった。
しかしそのフランツの態度が、ダニーの恋心に油を注いでいるのも確かだ。
「すごいなぁ。
フランツ、すごいなぁ。」
栗色の細い髪を長く伸ばした少女は、お世辞にも絶世の美女とはえなかったが、愛嬌のある可愛らしい顔をくしゃくしゃにしてフランツを称賛していた。
「喋ってないで手を動かせよ。」
「はぁーい。」
ダニーはにこにこしながらフランツに積み荷を手渡した。
ヨッギが帳簿を付けた物資は次々と荷馬車に移され、日が南中した頃には出発の準備はほとんど整っていた。
「ほい、フランツ。」
ヨッギが借用書をフランツに手渡し、フランツはそれにサインをした。
これで全ての準備は完了だ。
後は急いでヨハンの待つ集落に戻るだけだ。
「これはゲルトからじゃ。」
もう一枚、差し出された紙に目を落とした。
それは荷馬車を操縦する乗員のリストだった。
荷馬車と同数の人員に加え、そこには、
「何でダニーの名前が載ってるんですか?」
フランツにとっては全く想定外の名前があった。
「え!?ダニー、フランツと一緒なの!?」
傍らで荷物の縄の確認を行っていたダニーが駆け寄ってきた。
「何でかのぉ?ゲルトに聞かんと分からんが、まぁこれだけの馬を使うんじゃ。世話係も付けた方が何かと役に立つじゃろて。」
「こいつはまだ子供ですよ。
旅に出すにはまだ早いんじゃあ?」
「ほっほっ!
お前が初めて儂についてきたのはいくつの時じゃったかのぉ?」
「そりゃあそうですけど・・・。」
「そんな危険な道程じゃなかろう?
経験を積ませたやったらええ。」
「やったぁー!フランツと一緒!フランツと一緒ぉ!」
小躍りするダニーを一瞥し、フランツは頭を抱えた。
しかし、ゲルトとヨッギの決定だ。
これ以上逆らう意味はない。
フランツは諦め顔でダニーの頭に手を置いた。
「遊びに行くんじゃないからな。」
「はァーい!」
その能天気な返答に、フランツはまたしても頭を抱えたのだった。
ヨッギとゲルトが、入り江の遥か頭上の崖の上を通り、遠ざかっていく荷馬車の一団を見送っていた。
「我が息子ながら、お前もほんに人が悪いのぉ。」
「何の話だ?」
「しらばっくれおって。」
「それを言うなら親父もだろう。
元は取れる。だって?
あの砂糖の袋なら、今回の積み荷の五倍の物資は手に入れられるだろうに。」
「お前がそう言えって顔をしてたからじゃ。」
「あいつもそろそろ次のステージに上がる時期だ。
この位の重圧には耐えられねばな。」
「そういうところが人が悪いんじゃって。
それで、お前の見立ては?」
「そうだな。
あの物資を元手に例の集落が砂糖の生産に漕ぎ着ければ、後はその取引の窓口をうちが独占で行うだけだ。
流通の主導権を握ってしまえば、あとは生産の管理までうちが取り仕切れる。
奴がそこまで詰められるか。
どちらかと言えば、あいつが下らないミスを冒す方が不安要素としては強いがな。」
「変に肩入れし過ぎなければええがの。
おっと、その為の目付役だったか?」
「いや。
あれは目付役じゃない。」
「ほう?」
「もしもの時は奴に件の子供を取り込ませる。
その為だ。」
「ほっほっほっ。
お前は本当に儂の子じゃよ。」
つづく。




