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新訳・エジルと愉快な仲間  作者: ロッシ
第四章【創世記】
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ふたり

ヨハンの家はとてつもなく貧しかった。

父と母。ヨハンを筆頭に六人の子供たち。

八人家族の暮らしは日々の食料にも困った。


それはヨハンの家に限った事ではない。

皆、当てのない旅の末、何処からか流れ着いた者たちばかり。

たまたま居住に適した環境が揃った、森のはずれの草原に辿り着き、そこに家を建て、勝手に住み始めた。

誰が始めに住み始めたのかはもう分からない。

ヨハンの祖父母の時代からそうやってこの場所には少しずつ少しずつ人が集まり、今では小さな集落となった。

しかし彼らの生きる術は自給自足。

草原で狩りをしても、獲物が獲れない日もある。

小さな畑を作っても、嵐が来れば収穫がダメになることもある。

温暖な気候のこの土地は彼らが生きていくだけなら比較的簡単な場所ではあったが、豊かな暮らしを得るまでには至らない。


ヨハンにとって、この暮らしが世界の全てだった。


ルイーダと出会ってから世界が変わった。




同じくルイーダの世界も変わった。


いつからこの場所にいるのか。

彼女自身ですらもはや分からなかった。

何も感じず、何も思わず、何も考えなかった。

ただただ生きるのみだった彼女にとって、もはや時間の概念などは無い。

歳もとらず、病気もせず、怪我もほとんどしない。

彼女は次第に自分が生きていることすら忘れかけていた。

妙な子供が訪ねてくるまでは。


ヨハンがルイーダの止まった時間を動かしたのだ。


こうして互いに互いを引き寄せた、二人の共同生活が始まった。






「よ、は・・・・ん。

る、い、ー、だ。」


「そう。上手ね。」


文字というものは何のためにあるのだろう。

ヨハンにはその意味が分からなかった。


「今日あったこと、明日も明後日も、分かったら素敵でしょ?

ヨハンがいない間に私が畑に行っても、文字で書いてあればどこに行ったかわかるでしょ?

私はヨハンがどこに行くのか書いてもらったら嬉しいな。」



嬉しいな。

魔法の言葉だった。

ヨハンは何故だかルイーダのこの言葉を聞くとやる気が起きた。

ルイーダもそれが分かっていて、何かをヨハンに教える時にはこの言葉で締めくくった。



「でもさ、俺の村には文字なんて分かる人、誰もいないよ。

そんなの覚えても意味無いよ。」


「ヨハン。

皆が知らないのなら、ヨハンが教えてあげなさい。

それに、村の誰も知らなくても、村の外の人は知ってるかもしれないじゃない。」


「そうなの?」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないよ。」


「なんだよ、それ。

その人たちも知らなかったら?」


「そしたらその人たちにもヨハンが教えてあげたらいいじゃない?」


「そっか。」


「そー、そー。」



朝起きると、まずは文字を勉強する。

そのあと、二人で畑に出掛けて、その日食べる分の作物と、保存用に加工する作物を獲って帰る。

ヨハンが好きなのは、とても甘い、白い砂だった。


「これはお砂糖。

この草の茎を絞って樹液を集めたら、水分が無くなるまで煮詰めて、それを乾かすの。」


「すごいなぁ。

なんでこんなに甘いんだろう。」


「甘い、しょっぱいなどの味は、舌で感じています。舌には、味を感じる細胞がたくさんあるのです。

甘さを感じる細胞は、舌の先の部分にあります。

砂糖は舌の上の甘さを感じる細胞を刺激します。そのため、甘いと感じるのです。

塩は甘さを感じる細胞に触っても、その細胞を刺激しません。したがって、塩をなめても甘いと感じないのです。そのかわり、塩はしょっぱさを感じる細胞を刺激するのです。」


「いやちょっと意味が分からなかったし、なんでそんなに説明口調なのさ。」



ヨハンはとても頭の良い子供だった。

自分の知らないことをどんどん知りたがった。

ルイーダも知り得る知識は惜し気もなくヨハンに授けた。

それがたまらなく快感だった。



「ねぇ、ルイーダ。

俺が膝を擦りむいた時に塗ってくれた薬、本当にすぐ治ったよ。

ルイーダの言った通りだったね。」


「あれはねぇ、私の自慢の塗り薬なんだ。すごいでしょ?」


「ルイーダが作ったの!?」


「そうだよ。これが私の薬草図鑑。」


「うわー、難しい文字がいっぱいで俺にはまだ読めないや。

でも、絵だったら分かる!」


「この草が、傷薬の材料になる世界樹の雫っていうの。

魔獣が棲む洞窟の奥にしか生えないから、なかなか手に入らないんだけどねぇ。」


「世界樹の雫?」


「そうそう。

滅多に獲れないからとっても貴重な薬草なんだよ。

磨り潰して直接塗れば、本当にすぐ怪我が治るくらいよく効くんだけど、貴重だから軟膏にして引き伸ばして使うんだぁ。」


「またよく意味が分からなかった。」


「どぅっへっへぇー。」




同時に、一人では出来なかったことも二人なら出来ることに喜びを覚えた。


ルイーダの一番嫌いな作業。

湧き水を汲みに行かずに済むよう、小屋に水路を掘る。

その方法をルイーダは知っていたが、一人で行うのは面倒で、ずっとずっと水汲みを行っていた。

しかし、ヨハンとならその面倒な仕事も苦ではない。

二人で地面に溝を掘り、形の良い石を集めて敷き詰めると、湧き水は小屋に設置した石のたらいを満たす。

溢れた水はまた別の水路を通り泉へと戻り、村へと続く小川に流れ込んでいった。


こうやって少しずつ少しずつ、ルイーダは自分の理想とする生活を手に入れ、

ヨハンはその理想の生活へと続く方法を理解していった。



また、二人はとても多くの言葉を交わした。




「ねぇ、ルイーダ。

ルイーダはどの星が好き?」


「うーん。あそこに見える柄杓みたいに並んでるやつかなぁ。」


「柄杓?俺には白鳥に見えるけどな。」


「そーいうのいらないから。

そんなんで落ちないから。」


「?」




「見て見て、ヨハン。

ほら、変わった色のカーネーションが咲いてる。」


「本当だ。

ルイーダはカーネーションが好きなの?」


「ううん。ユリ。」


「じゃあなんでカーネーションのこと言ったの。」


「目に入ったから。」


「思い付きで話すのやめて。」




「わぁ、ブタの絵だねぇ。

上手に描けたねぇ。」


「え?これ、ルイーダだよ。」


「・・・・・。」




「ルイーダ!剣術の練習をしたい!

教えて!」


「ヨハン、ヨハン。

おねーさんが剣術とか得意に見えるのかい?」


「え?ルイーダなら何でも出来ると思ってたのに・・・・。」


「明日まで待ってなさい。

本読んで覚えるから。」


「そんなこと出来るわけない!」



ビシィ!



「いってぇー!!!」


「ほら見たー。ルイーダさんは覚えるって言ったら覚えるのでぇーす。」













「今日は少し遠出をしよう。」


ルイーダがそう言ったのは、二人の生活が半年ほど経ったある朝だった。

二人で毎朝の日課である文字の勉強を終えた時、ルイーダはおもむろに戸棚を開けると少し考えてから切り出した。


「どこに?」


勉強道具を片付け終え、いつも通りに畑仕事に向かうと思っていたヨハンは、普段と違うルイーダの言葉に胸が踊った。


「お薬が無くなりそう。

薬草を獲りに行くから、森の奥の渓に行くよ。」


「たに!?

そんなとこがあるの!?」


「そうだよ。

とっても綺麗なところだけど、ちょっと遠いからお弁当をいっぱい持って行かないと。」


「綺麗な渓。お弁当。綺麗な渓。お弁当。」


毎日が発見の連続ではあったが、ここへ来てからの半年間、小屋の周辺から離れたことの無かったヨハンは、実際のところ少しだけ環境に飽きていた部分もあった。

このルイーダの申し出に、ヨハンは興奮を隠せなかった。

そうと決まれば即行動。

簡単に朝食を済ませると、急いで保存食をかき集めて大きな肩掛け鞄に詰め込んで、二人はさっそく小屋を後にした。



まだ朝の空気を纏う森の中。

ルイーダと連なりながら、道無き道を歩く。

大した事じゃないけれど、ヨハンの心は舞い上がるほどに昂った。


「なぁに?なんだか嬉しそうだねぇ。」


「だってさ!だってさ!

森の奥なんて初めてだしさ!それにお弁当もあるしさ!」


「ふふふ。

いつも食べてるピクルスとパンじゃない。」



ヨハンは無性に気恥ずかしくなり、突然走り出したい衝動に駆られたが、それこそ恥ずかしいので必死で気持ちを抑え込んだ。

家族と共にどこかに出掛けるなど、貧しいヨハンの家では考えられなかった。

決して遊びに行くわけではないのは分かっていたが、それでも初めてのピクニックはヨハンの心を大きく揺さぶった。



陽がだいぶ高くなった頃、二人の行く手を切り立った崖が遮った。

遥か眼下からせせらぎが聞こえてくる。

少し靄のかかった、ひんやりした空気。

想像以上に大きな渓谷が広がっていた。


「はい、到着。

降りるのにも少し時間が掛かるから、一旦ここでお弁当ね。」


二人は倒れた丸太に腰掛け、鞄からサンドイッチを取り出した。


二人のご馳走を目当てに小鳥が集まってきた。

ルイーダは自分のサンドイッチを少しちぎり取ると小鳥に与えた。


「ねぇ、ルイーダ。

薬草はどこに生えてるの?」


「この渓谷の底の川原にね。

ここにしか生えないとっても珍しい場所なんだけど、毎回ここまで来なくちゃならないのが本当に面倒なんだよねぇ。」


「ルイーダは何するのも面倒なんだね。」


「面倒くさいは進歩の母よ。

さて、お腹もいっぱいになったし、そろそろ出発しますか。

あそこに見える獣道を伝っていけばそこそこは安全に降りられるけど、落ちたら死ぬから気を付けるんだよ。」



そう言いながら、ルイーダは近くの太い木の幹にロープを巻きつけると、反対側の先端を自分と、それからヨハンの腰にきつく括りつけた。

渓谷を包み込む湿った空気に晒されて、足元も若干ぬかるんでいる。

川原までの深さは大体、森で一番高い木と同じくらいだろうか。

かろうじて立って歩ける程度の急勾配を、ゆっくりゆっくりと下って行った。

当然と言えば当然なのだが、滑落の恐怖と戦うヨハンの全身からはすぐに汗が吹き出していたた。

にも関わらず、いくら慣れているとは言えこの急勾配を平然と歩くルイーダの姿には閉口した。

何度か足を滑らせルイーダにロープを引かれながら、ようやく谷底に辿り着いた。



「わぁ。」



思わずヨハンは声を上げた。

崖の上からでは霞がかってよく見えなかったが、谷底の川原は一面、見たこともない色とりどりの草花で埋め尽くされていたのだ。



「地面に虹が落ちてきたみたいだ。」



ルイーダはその言葉に身震いした。

が、すぐに平静を装うと、ヨハンの肩に手を当てた。



「さ、薬草を探すよ。

それでね、ヨハン。

先に言っておくけど、あそこの川が曲がったところの向こう側に洞窟があるの。」


言いながら遥か川上を指で指し示した。


「そこは魔獣の棲み家だから絶対に近くに行っちゃダメ。」


「ま、まじゅう!?」


「そう。前に本で見せたと思うけど、首が3つある狼みたいなやつね。

見付かったら瞬殺で喰われるから、絶対に行っちゃダメよ。」


「う、うそでしょ?


「私がニヤニヤしてる時は本当だからね。

お願いだから言うこと聞いてね。」



それから二人は地面にしゃがみこみ、ルイーダお手製の薬草図鑑と照らし合わせながら、様々な草花を採取し始めた。


腹痛に効く薬の元。頭痛に効く薬の元。歯痛に効く薬の元。打撲に効く薬の元。


色々な品種の草花を掛け合わせて、軟膏や粉薬を作るのだ。

ルイーダはこの仕事が大好きだ。

ここに来るのは毎度億劫なのだが、一旦来てしまえば彼女の天国だった。


「この草の絞り汁は痛み止めになるけど、この草ってよく見たら根っこが膨らんでるなぁ。

この根っこは何か効果あるのかな。

持って帰ってみようかな。」



草取りの間中、ブツブツと呟くのがルイーダの癖だった。

普段はほとんど独り言なんて言わないのだが、最も集中力が高まった時にこの癖が出る。


「こっちはいつも花粉だけ使うけど、たまには蜜の方も使ってみよっと。

ちょっと美味しくなるかなぁー。

でへへ。楽しみぃー。」



こうなったらもう止まらない。

一人でここに通っていた頃には、一昼夜、草を取り続けるのが当たり前。

あまりの空腹と得意の水分不足で具合が悪くなってから、初めて時間の経過に気付くのが常だった。

この日もどんどんと陽が傾いていき、気が付けばルイーダの影はだいぶ長くなっていた。


「おっ。珍しい。

ねぇ、ヨハン。この草もね、効き目は少ないけど傷薬になるんだよ。

これでヨハンも剣術の練習で怪我し放題だねぇ。

あ、私にぶっ叩かれるから怪我するのか♪」


自分で言ってケラケラと笑った。

しかしヨハンからは何の返答もなかった。


「あれ?怒っちゃった?

冗談でしょー。」


ヨハンはルイーダの冗談が好きだった。

ルイーダが冗談を言うとき、ヨハンは必ず大笑いするのだ。

そこで初めて様子が違うことに気が付いたルイーダは、ようやく顔を上げて周囲を見回した。


見渡す限り、ヨハンの姿はどこにも見当たらない。

ルイーダの視線が川上に動いた。

まさか。


ドクン!


心臓が跳ね上がった。



「ヨハン!」


薬草の詰まった鞄を放り出し、ルイーダは全力で駆け出した。



つづく。

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